近所の裏山に実った柑橘みかんをいっぱいいただく。先日は花ユズなどをダンボール数箱をいただいたばかりだった。朝の野菜ジュースにはそのユズを毎日2個前後を投入したものだった。急峻な斜面にある小さな柑橘園には植えて間もないシークワーサー・デコポン・イヨカン・キンカン・カボスなども芽生えている。端に実っていた「夏ミカン」は全部収穫していいよ、と言われたので、1個だけ残してありがたく全部いただいた。まるでわが家の専属みかん園になったみたいだ。
もう1本の「夏みかん」も適度に収穫したら、合計段ボール3箱分ほどになった。これは毎朝1個分はジュースに投入されている。残りの柑橘類はその地主が収穫して懸命に近隣に配っている。十年ほど前は、畏友の天野貢さんの山奥から段ボール5~6箱分を収穫してきて、この地主にも数箱引き取ってもらったことがあった。立場が逆転したのが面白い。果樹が大木になると個人では対応できなくなっていることが多い。
そういえば、天野さんが病死する数カ月前、ハッサクの収穫をするために木に登っていたところ失敗して落ちてしまったことを想い出す。背中全体が内出血で紫色になっていたが、天野さんが近所の人に応援を頼んでくれて数人の女性が来てくれた。結果的には病院へ行ってシップをすることで事なきを得たことがある。このことから、後期高齢者はもう昔の杵柄は通用しないことを自覚すべし、ということだね。だもんで、果樹の持ち主が高齢者になると収穫できなくなり放置せざるを得ないということになる。
このたびいただいた「ハッサク」も背負い篭いっぱいになっている。果樹園の地主は処分に困っているだろうから、今度はオラのルートで食品ロス解消のため適度に配分していくということとなる。果物は買えば高価なのでなんとも、贅沢な過疎地での豊穣ドラマでもある。だから、都会の人が過疎地や地方とつながると豊かさをお互いが共有できるのになー。