山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

地域に伝わる「平八地蔵」物語

2012-03-19 20:25:55 | 石仏・石造物
 昨日の天竜相津の散策会で「平八地蔵」という石仏を見に行った。
 崖下に二つの祠が並んでいて、そこに地域に伝わる次のような民話が残っている。

        

 このあたりに平八という百姓が住んでいたが、不治の病と言われる皮膚病に犯され、まわりから差別されていた。
 そんななか、カツだけは平八の面倒を見てくれた。
              
 あるとき阿多古の観音山のふもとに、その皮膚病によくきく温泉があることを耳にして、平八はさっそくこの温泉で病気全快の日々をしばらく過ごした。

              

 いつの間にか数年が過ぎ去り、皮膚病もなんとか治ってきたので、平八は故郷に帰る決心をした。
 苦楽をともにした温泉の同病者たちは、七両もの餞別を平八に渡してくれた。    しかし故郷に帰ってからは病が再発し平八は、「わしが死んだらこの金で地蔵を建ててくれ」と、カツに託した。                                          
                    


 平八の死後、秋葉街道わきに皮膚病快気のための地蔵が建立された。
 人々はそれを『平八地蔵』と呼んで、生前平八の好物であった酒と唐辛子をそなえて、病気全快を祈願するようになった。

                         
           
 その後、平八を献身的に看病したカツの石仏も一緒にまつられている。

 平八地蔵は左側の小さい地蔵で、右側の蓮を持つ聖観音がカツさんではないかと思われるが、みんな手前の観音様にしか目にいかないようだった。
 二つとも顔面が破損していたが、祈願者が撫でたのであろうか。

 路傍にある朽ちかけた石仏にもこうしたいわれがあるなんて、じつに豊かじゃあないですか。
 過疎の進行はそうした想像力を枯渇させていく過程、経済優先過程でもあるんだな。

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