昨日の天竜相津の散策会で「平八地蔵」という石仏を見に行った。
崖下に二つの祠が並んでいて、そこに地域に伝わる次のような民話が残っている。
このあたりに平八という百姓が住んでいたが、不治の病と言われる皮膚病に犯され、まわりから差別されていた。
そんななか、カツだけは平八の面倒を見てくれた。
あるとき阿多古の観音山のふもとに、その皮膚病によくきく温泉があることを耳にして、平八はさっそくこの温泉で病気全快の日々をしばらく過ごした。
いつの間にか数年が過ぎ去り、皮膚病もなんとか治ってきたので、平八は故郷に帰る決心をした。
苦楽をともにした温泉の同病者たちは、七両もの餞別を平八に渡してくれた。 しかし故郷に帰ってからは病が再発し平八は、「わしが死んだらこの金で地蔵を建ててくれ」と、カツに託した。
平八の死後、秋葉街道わきに皮膚病快気のための地蔵が建立された。
人々はそれを『平八地蔵』と呼んで、生前平八の好物であった酒と唐辛子をそなえて、病気全快を祈願するようになった。
その後、平八を献身的に看病したカツの石仏も一緒にまつられている。
平八地蔵は左側の小さい地蔵で、右側の蓮を持つ聖観音がカツさんではないかと思われるが、みんな手前の観音様にしか目にいかないようだった。
二つとも顔面が破損していたが、祈願者が撫でたのであろうか。
路傍にある朽ちかけた石仏にもこうしたいわれがあるなんて、じつに豊かじゃあないですか。
過疎の進行はそうした想像力を枯渇させていく過程、経済優先過程でもあるんだな。
崖下に二つの祠が並んでいて、そこに地域に伝わる次のような民話が残っている。
このあたりに平八という百姓が住んでいたが、不治の病と言われる皮膚病に犯され、まわりから差別されていた。
そんななか、カツだけは平八の面倒を見てくれた。
あるとき阿多古の観音山のふもとに、その皮膚病によくきく温泉があることを耳にして、平八はさっそくこの温泉で病気全快の日々をしばらく過ごした。
いつの間にか数年が過ぎ去り、皮膚病もなんとか治ってきたので、平八は故郷に帰る決心をした。
苦楽をともにした温泉の同病者たちは、七両もの餞別を平八に渡してくれた。 しかし故郷に帰ってからは病が再発し平八は、「わしが死んだらこの金で地蔵を建ててくれ」と、カツに託した。
平八の死後、秋葉街道わきに皮膚病快気のための地蔵が建立された。
人々はそれを『平八地蔵』と呼んで、生前平八の好物であった酒と唐辛子をそなえて、病気全快を祈願するようになった。
その後、平八を献身的に看病したカツの石仏も一緒にまつられている。
平八地蔵は左側の小さい地蔵で、右側の蓮を持つ聖観音がカツさんではないかと思われるが、みんな手前の観音様にしか目にいかないようだった。
二つとも顔面が破損していたが、祈願者が撫でたのであろうか。
路傍にある朽ちかけた石仏にもこうしたいわれがあるなんて、じつに豊かじゃあないですか。
過疎の進行はそうした想像力を枯渇させていく過程、経済優先過程でもあるんだな。