山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

森町の天宮神社のルーツは

2014-01-21 23:16:05 | 歴史・文化財
  森町に貫流する太田川近くの「天宮(アメノミヤ)神社」に行く。
 銅板に覆われた鳥居が参拝者を威圧する。
 この神社は筑紫の宗像神社の三女神を祭神とする。

                    
 女神の名前は、「田心姫(タゴリヒメ)」「湍津姫(タギツヒメ)」「市杵嶋姫(イチキシマヒメ)」という今まであまり聞かない名前だった。
 日本と朝鮮・唐との重要な海路の神様だという。

   
 山の中に海の神様と言えば、筑紫から追われた長野の安曇族が想起される。
 ひょっとするとここの神社のルーツも、大和との利権に敗れた一族が流れ着いて創建したものではないかと推理してしまう。

               
 境内の片隅に「十五珊弾丸」という石碑があった。
 日露戦争の勝利記念に陸軍省が戦利品かまたは帝国陸軍オリジナルかわからないが、砲弾を奉納したのではないかと思われる。
 こういう代物は観光案内には紹介されず、ひっそり過去の栄光を背負っている。

    
 また、ここの神社の祭りで迷子になったという「森の石松」の石碑も、参道に背を向けて立っていた。
 ルーツはどうあれ、交通の要所に位置した天宮神社は、徳川幕府の庇護のなかで近隣への「にらみ」をきかせていく。
 つまりは、権力の片腕を担い、うまくとりこまれていく過程の歴史ということかもしれない。

   
 樹齢1000年という「ナギ」の神木が見事だ。
 なかなかこれだけの太い「ナギ」は見たことがない。
 
 神社の中に刷り込まれた歴史の片鱗から、アニミズムの原点と歴史に翻弄されてきた宗教との相克が垣間見える。

                       
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