昨日散策した山里では貴重な火の見櫓2塔に巡り合った。最近はどんどん無くなっていく実情にあるが、むかしのままの火の見櫓が山里を鳥瞰していた。櫓の横には「消防信号」盤があったが、戦前のもののように見える。
はっきりした「信号表」をネット(「火の見櫓図鑑」)で探してみたら、長野県富士見町に似た盤を発見。旧字体を使っているのは戦前のものだったからなのだろうか。こうした信号表もいろいろなタイプがあるようだ。
櫓の「形」には、柱型、梯子型、櫓型(三本脚・四本脚)、屯所型があるようだが、この櫓は三本脚の櫓型だった。1斗缶も櫓に据えられていたので「この一斗缶は何のためにあるの?」と地元の人に聞いたら、「半鐘を叩くバチを入れておくものだ」と言う。謎が解けた。
立派な半鐘が吊るされていた。最近はこれらを盗む輩が横行しているのが残念。この半鐘は、「双盤(ソウバン)」という楽器でもあるようだ。隣の森町に「山田七郎左衛門」という中世から存続する鋳物師がいる。家康から「駿遠(スンエン)両国鋳物師惣大工職」の朱印状を授与されているように、この地方で鋳物の独占的な製造・販売を行っていたようだ。
ということは、この半鐘も山田七郎左衛門のものに違いない。9軒しか残っていない山里(大正9年・42戸)だが、木立に埋もれるようになった火の見櫓もそんな歴史の一端を内包している。