
街に出かけるには車で1時間以上かけないと到達できない。そのため、その時間を最近は車中で古典落語を聞くのが楽しみとなった。それぞれの落語家の語り口に個性があり、高齢の名人の言葉は聞き取れないことも少なくない。そのうえ、わかりにくい江戸言葉が出てきたり、人形浄瑠璃や歌舞伎を題材とした落語も少なくない。そんなとき、四代目三遊亭圓馬(1899~1984)の「菅原息子」という落語を聞いたが、勉強不足もあってまったく意味不明だった。
(画像は落語ばなしHPより)
題材は、浄瑠璃や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(テナライカガミ)」であることが分かった。「菅原」とは菅原道真(歌舞伎では菅丞相)のことで、その書道を弟子である「武部源蔵」がその極意を受け継ぎ、寺子屋で教授しているという有名なシーン(段)だ。平安時代の事件を江戸に置き換えているのがミソだ。
源蔵が丞相(ジョウソウ)の息子を匿っていることが敵に露見し、その首を討って差し出せと責められる。苦渋の挙句、源蔵(上の画像)は敵の家来・首実検役の「松王丸」に首を差し出す。
(画像は落語ばなしHPより)
じつはその首は松王丸の子どもだった。丞相に恩義のあった松王丸はそれを知っていながら、「たしかに間違いない」と苦衷の判定をせざるをえないところが有名な見どころだ。そんな芝居を観てきた落語の放蕩息子は、それからずっと歌舞伎調の言い回しの「源蔵」になってしまって、家に帰る。細かい台詞の意味するところのパロディにはとてもついていけななかったが、最後のオチだけはやっとわかった。悲劇を喜劇のパロディにしてしまう大胆不敵の落語だ。
(画像は衛星劇場webより)
端麗な息子の首を看取ってから、松王丸が妻の千代にかけた哀切の台詞、「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい」と。これに対し、落語では芝居狂いが止まない息子を父が箒で折檻しようとすると、体をひらりとかわして親父を投げつけ、「女房喜べ、せがれが親父に、ま、勝ったわやい」とのパロディで、噺の締めくくり=「サゲ(落ち)」としている。
(画像は国立劇場webから)
「菅原伝授手習鑑」は、源蔵の慟哭をはじめ松王丸夫妻の悲劇的な苦渋の場面が有名だが、それが浮世絵をはじめオラは凧絵で見ていたことを想い出した。しかし、これはオラをはじめ歌舞伎などに疎い面々にはからきし理解を得られない噺だ。古典落語はまさに「古典」というわけだ。かように、浄瑠璃や歌舞伎というものが庶民の暮らしの中心的なエンターテイメントであったことがわかる。今まで古典落語の世界には音痴だったがこれで少しは見直すこととなった。「女房喜べ、古典落語が役に立ったわやい」!!!