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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

もう雪はかんべんしてケロッ!

2014-02-18 20:21:28 | 風景
ケロリンは語ります。
 「明日からまた雪が降るという。雪はもう勘弁だよー。」

                          
 居酒屋のタヌキもつぶやきます。
 「雪に埋もれて死んじゃうんじゃないかと怖かったー。」とね。

    
 畑のキジバトは首を振り振り怒鳴ります。
 「雪ばっかりで虫やミミズを探すのが容易でねえー。」

                          
 
 雪の重みでビワの枝が折れてしまい、後始末に二日かかる。
 昨年は強剪定してあまり収穫できなかったけど、今年はビワの豊作を期待していたんだけどなー。
 
 
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島崎藤村『破戒』を読む

2014-02-17 21:18:30 | 読書
 島崎藤村『夜明け前』を読んでから、以前読んだけど記憶が定かではなかった『破戒』を読むことにした。
 詩人として脚光を浴びていた藤村が始めて挑戦した小説でもある。
 日露戦争を推進した時代での執筆だった。

                             
 大河小説『夜明け前』ほどのスケールはないが、物語としてはシンプルなストーリーだった。
 そのため、2本の映画にもなっている。
 木下恵介監督(1948年)の作品では、丑松が池部良、猪子役が滝沢修。
 市川崑監督(1962年)の作品では、丑松が市川雷蔵、猪子役が三国連太郎。
 それぞれ豪華キャストに恵まれている。

      
 「」としての差別は、つい最近まで人間として認められないとんでもない扱いだった。
 その言われなき煩悶を抱えながらの青年教師丑松は、じわじわと差別の包囲網に追い詰められ、最終的に生徒の前で身分を告白してしまう。

 当時の学校長や視学官等の管理教育体質は、現代とまったく変わらない。
 救いは、身分を公表して闘う猪子先生の姿と同僚の友人銀之助の支えだった。

                    
 むかし、解放同盟の研修会に仕事として参加したことがある。
 差別を放置してきた国の官僚を糾弾する内容で、理解できることも多かったが、激しい糾弾は逆効果であると感じたことがある。

      
 それこそ、藤村のように人間の内面から提起する内容が相手の心を揺さぶる。
 矛盾を深く抱えた藤村ではあったが、だからこそ、相手の抱える悩みを寄り添おうという謙虚さがある。
 物語の結末については『橋のない川』の「住井すえ」が異論をとなえているが、この問題を真摯に受け止めようとする藤村の姿勢は今日においても新鮮である。
 
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雪かきにもかかわり方がある

2014-02-16 17:34:07 | 風景
 朝から雪かきの音が路地裏にこだまする。
 徒歩でどのくらい歩けるか試してみる。 
 若い世代が集まる新興住宅の路地や交差点は意外に雪かきはすすんでいない。
 長く住んでいる地区の路地は人も車も安心して通行できるくらいきれいになっている。

                          
 土木工事の事業所は重機を使って自主的に雪かきしているのもすばらしい。
 雪かき一つとっても、そこに住んでいる住民の結束力が垣間見られるのが面白い。

        
 雷鳥か!?
まさか。
 真っ白い畑のそばにいたのは、「キジバト」だった。
 首の青色といい、羽の模様の鮮やかさといい、白雪だからこそ映える光景だ。
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雪景色を再び遊ぶ

2014-02-15 19:19:11 | 風景
 けっこう積もった雪を少しは雪かきもして、それとなく歩いてみる。
 すると、子どもたちの姿には感心する。
 一人用の隠れ家に足が……。

                          
 低学年の兄妹がそれぞれ隠れ家を作っていた。
 表面のブツブツに驚愕して写真を撮らせてもらった。
 半日以上かかって作ったのだろう、その夢がすばらしい。

   
 作り方を聞いてみたら、ガチャガチャの入れ物に雪を詰めてそれを装飾にしたと言う。
 こういう経験はきっとおとなになっても活かされていくのだろうと確信する。
 近くにおばあちゃんが微笑ましく見守っていたのがまた美しい。

                   
 ときどきこんな滑り台がいくつか見られた。
 どちらかというと女の子が多い。
 ゲーム機を捨て、スコップを持って雪を積み上げる意味はとても深いと思う。

                     
 わが家のロウバイがまた雪化粧をした。
 午後にはすっかり雪が消えたが、気品は保持したままだ。


 ソチ冬季オリンピックでは、フィギュアで羽生結弦が日本人初の金メダルを獲得。
 気になるのは、ソチの歴史を触れるマスコミが少ない。
 150年前帝政ロシアがソチの少数民族チェルケス人の9割近くを虐殺・追放した歴史がある。

      

 4・50年間続いたというその「カフカス戦争」で約40万人のチェルケス人が亡くなったという。
 スキー競技会場はかつてその虐殺現場だったという。
 プーチン率いるロシアも力ずくで他国や少数民族を凌駕する統治はいまだ変わっていない。
 そんな歴史をふまえたオリンピック会場であることを忘れてはならないとつくづく思う。


 
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雪でアンパンマン危うし

2014-02-14 20:51:41 | 風景
 夕方からどしどし降り始めた雪の再来。
 さすがのアンパンマンも雪に埋まりそう。
 このままだと夜には完全に埋没してしまう。
 でもきっと、深夜には空中浮揚するよね。

 
                    
 まとまっていた樹形は雪の重さのためかわってしまっているが、しっかり耐えている。
 ふだんの風景とは違う雪景色が見ものだ。

                       
 それでも「ドウダンツツジ」はしっかり若い芽を伸ばしている。
 しかも春の準備を完了していてぬかりはない。

    
 紅梅も雪とコラボレーションしている。
 さすがに沿道で歩く人はブーツ・長靴を履いている人が多くなった。
 雪の滑り止めが飛ぶように売れている。

 こういう日は、デスクを離れ、仕事をあきらめ、雪を楽しむべし。
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映画「小さいおうち」を観る、昭和モダンへの挽歌

2014-02-13 19:24:25 | アート・文化
 山田洋次監督最新映画「小さいおうち」(原作・中島京子/直木賞受賞作)を観る。
 昭和モダニズムが随所に漂う赤い屋根の家とインテリアが見ものだ。
 さらには、ほんとうの主人公である女中タキ(黒木華)の所作には、監督がこだわる日本の決め細やかな暮らしの技が満載だ。

                          
 戦時色が邁進するなか、また姦通罪がまかり通った時代のなか、ささやかな恋愛と秘密がうごめいていく。

 玩具会社の管理職の妻「時子」(松たか子)の和服姿といい、その色や柄の華やかさも昭和モダンがみなぎる。
 時代の縛りが厳しい中でも庶民はそこそこ小さな幸せを掴もうとしているところが監督の挑戦でもある。

 
       
 山田組で固めすぎのキャストが不満だが、老熟した息子役の米倉斉加年が最後を見事にしめくくってくれた。

 ささやかなしあわせも苦労も家屋も文化も、戦争というモンスターによって完膚なきまで粉砕される現実。

 しかし、「希望って、本当にはかないものだけれど、その希望をずっと持ち続けることが大事。」というメッセージを山田洋次は忘れない。

 むかし、開発と自然との矛盾を告発したにバートンの名作『小さいおうち』を読んで、絵本でこれだけのテーマを肉薄したことにえらく感動したものだが、そんな背景も考慮されている。




 
 
         
 

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島崎藤村『夜明け前』読了 渾身の大作

2014-02-12 18:15:16 | 読書
 2週間ほどかかったが、長編大作・島崎藤村の『夜明け前』(筑摩書房)を読み終えた。
 登場人物が多いので人物相関図をメモしながら読む。

 幕末から明治までの時代の変貌を、木曽・馬籠宿とその庄屋青山半蔵の生き方から炙り出す。
 大名の参勤交代・和宮降嫁行列・官軍行列・水戸天狗党狩りなど、武士に翻弄される本陣・庄屋・問屋を担う半蔵だった。

                            
 明治維新(御一新)になっても街道筋の農民の暮らしは良くなるどころか、官僚支配によってますます悪くなる。
 半蔵の理想とする平田派国学も西洋化に駆逐され、娘の自殺未遂事件も起きてしまう。

 家庭も地域も国家も国学もどこを向いても活路が見えなくなった半蔵は、天皇行幸に自分の心情を謳った扇子を投げつける事件を起こしたり、隣の菩提寺を放火したりした結果、座敷牢に閉じ込められ狂死してしまう。

       
 解説の亀井勝一郎は、
 「街道筋にあたる山国の人の感受性を最も典型的に示しているのが彼だ。
 彼はこの街道の上を道を求めてさまよう。
 その一生は心の旅の一生と言ってよく、そういう意味でも“街道”をも藤村は象徴としてここにとどめた。」と的確に指摘する。

                             
 編集者松岡正剛は、
 「藤村ほど真剣に、かつ深刻に、かつ自分の血を通して考えた作家は稀有である。
 それは、日本の近代に“過誤”があったのではないかと苦渋をともなってる。」
 と、日本人全体に「あるおおもと」を提起したのではないか、と受け止める。

 その過誤は、のちに太平洋戦争へと拡大し破局へ向かう。
 藤村の煩悶した時代の憂いはまさに的中したわけだ。

 日中戦争へ突入する日本のきな臭い時代に、この『夜明け前』が書かれていることが驚異だ。
 大勢に迎合しない藤村の視座は、木曽谷の自然と朴訥な村民たちに裏打ちされているからだと思えてならない。

 だからこそ、「あるおおもと」に肉薄する任務をわれわれは持っているのだが。
 とりあえずオイラは、鍬を持って土と会話することから始めることにする。
 

                             
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フィシング詐欺はいけません

2014-02-11 16:05:21 | できごと・事件
先日の報道では、「三菱UFJ銀行」名義の送信メールからフィッシング詐欺が発見され、被害者も多数出ているとの報道があった。

 そういえば、今年に入ってからわがメールに頻繁にそれが流れてきていたのだ。
 三菱とはまったく縁がなかったのでこれは怪しいと「受信拒否」をしていたが、それでもアドレスを変えて送りつづけてきていた。

 島崎藤村の『夜明け前』の半蔵の問うた「御一新」で何が変わったのか、という訴えが響く。
 経済成長はなはだしい戦後の日本だが、あさましい生き方がますます跋扈してきている。
 手段を選ばず「原発」に手を染めてしまった目先の利益追求の論理も、「御一新」以来変わっていない。
 座敷牢で狂死に追い込まれた半蔵の悲劇はそのまま現代の事件と重なる。
 明治の藤村が提起した問いに、いまだ現代は、われわれは、応えていない。

 

 
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雪だるま・カマクラのある風景

2014-02-10 19:04:36 | 風景
 雪解けの街を歩く。
 まちのメインルートには雪だるまやカマクラの姿は発見できなかった。
 路地裏に入り、子どもが住んでいるような新興住宅街でやっと雪だるまを発見。
 アザラシのようなあどけない表情にホッとする。

   
 きっと幼児と一緒の親子で作ったであろう愛情がこもった雪だるまに出会う。
 むかしは当たり前のようにあちこち見られた雪だるまだが、高齢社会に突入とともにずいぶん見られなくなったまち。
 炭を使っていないところに現代の生活が垣間見られる。

                       
 夕方に4人ほどの男の子がカマクラを作り始めていた。
 放課後の貴重な短い時間だが、彼らの動きの素早さにこちらもうれしくなる。
 
       
                           
 昼間作ったであろうカマクラの残骸を発見。
 カマクラづくりには作る側のロマンがこめられている。

 この心がしっかり存在する限り平和日本は維持される。
 
 
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路地裏にスコップ響く雪の朝

2014-02-09 18:56:58 | できごと・事件
 昨日の夕方はぼた雪舞ってあっという間に銀世界が塗られていく。
 人々も外を出ないため人間の足跡が消えた。
 雪が吹き荒れるなか、やる気十分の娘たちが雪かきを買って出る。

 
                 
 雪かきしながら「カマクラ」もどきを作っていく。
 娘が小さいときカマクラを作って、その中に七輪を持ち込んで餅を焼いて食べたっけ。
 近所の子らを誘ったが、まったく反応が悪かった記憶がよみがえる。

                            
 たまにの降雪は子どもの心に希望を灯すチャンスなのに。
 雪を愛でる幻覚は都会からどんどん失っていく。
 本格的なカマクラを作るにはまだまだ雪が足りない。

     
                          
 きょうの午前中は近所のおじさんたちが自分のところ以外も除雪してくれた。
 いままでよく見えなかったおじさんたちの心意気を発見することもできた。

 日中は天気がよくなってきたので、雪がどんどん解けていく。
 裏のローバイに積もった雪も消えた。

 ときどき自然は人間に「生活の原点」をもどすことがあるが、過ぎてしまうと忘れてしまうのが人間の弱さだ。
 
 
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