山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

狭山茶名産地から踊るキノコが

2024-10-07 21:41:07 | 食彩・山菜・きのこ

 きょうのお昼前に宅急便が届いた。段ボールを観たらお茶のマークがあった。ひょっとすると狭山茶かもねと、いつものようにドキドキしながら段ボールを開けてみる。するとなんと、ピンクの包み紙のクッションの下からいい匂いのキノコがちらりと見えてきた。

 

 取り出してみると、天然のマイタケだった。送り主はわがキノコ・山菜の師匠だった。師匠のブログを覗くと、昨日午前4時ごろ集合し雨続きだった山梨の山を歩きながら、命がけで収穫してきたものだった。大きいのは3.6kgもあったという。それもなんと大小合わせて7株も群落を形成していたというのだから、そのそばできっと「マイタケ音頭」を踊ったに違いない。

 

 オラも昔は山中で遭難しそうになりながらマイタケを発見したときは、「マイタケ音頭」をひとり踊ったものだ。 濡れてしっとりした道なき奥山に颯爽と歩いた師匠は、そのようすを【分け入っても分け入っても濡れた山】と詠んだが、どこかで聞いたような気がした。そんな俳句は種田山頭火しかいない。【分け入っても分け入っても青い山】が本歌だ。さらりとその蘊蓄がはみ出してしまうのも師匠らしい。

 

 いただいたマイタケをよく見ると、色が微妙に違う。黒マイタケに白マイタケもどきということかな。根っこがあるから天然ものであることがわかる。料理が得意の和宮様は、「こういうものは早く食べるのが鉄則なのじゃ」と、さっそく天ぷらの準備にと下ごしらえに入る。

 

 すると、やや遅くなった昼食はもちろんマイタケの天ぷらだ。甘長唐辛子は畑からのものだが、これも採りたてのものだけにマイタケに合う。昨日の早朝に収穫したものが、きょうの昼には天ぷらとして食べられるという、「リニア」なみのスピードに信じられないほどの感覚をもって、美味しくいただいたことは言うまでもない。

 

 世界はいまジェノサイドが力ずくで強行されていることがフツーになってきた。日本では金で政治を歪めることがフツーにいまだ浸透している。原発もいつの間にかフツーに話題から消えた。そんな中、天然マイタケを探索していくというロマンは貴重だ。それも必要以上に取り過ぎないよう配慮しながら毎年の恒例としている幸せ。日本や世界が忘れていく自然とともに生きるというかつての「里山主義」の価値が人間としてとても深い意味があることを改めて感じ入るマイタケ便だった。

 

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アメリカンドリームの金字塔

2024-10-05 21:27:25 | アート・文化

 雨続きの日々、ついでながらミュージカル映画の金字塔と言われる「雨に歌えば」のDVDを観る。かなり前に観た記憶があるが、これが1953年上映された傑作であることをあらためて思い直す。というのは、70年以上も前に上映されたものだが、そのミュージカルのスキルはまったく色褪せていないということだった。とくに、タップダンスをはじめとする踊りの超絶スキルは今見てもアクロバティックでコミカルな新鮮さがあった。

 

 主人公を扮するジョン・ケリーは、監督・脚本・演出・振付・踊り・歌と完璧な力量を発揮するが、その相棒であるドナルド・オコナーの踊りの切れもまたケリーをしのぐほどの圧巻でもあった。アメリカンドリームを想起するスタジオに配置された家具・家電用品・インテリア・ピアノなどの調度品の充実は、戦勝国そのものの象徴でもあった。また、ハリウッドらしい華麗な衣装・当時は先進だったクラシックカーの登場・ビリヤード・絵画など、それらを大量生産・大量消費を旨とする資本主義経済の荒々しい華麗なセットでもあった。

 

 そうした背景は1950年代のアメリカの経済発展と上流階級の生活モデルが中流階級へと広がる「アメリカが最も輝いていた時代」だった。同時にそれは、主要なメディアはラジオからテレビへとそしてそれはテレビ・ソファのあるリビング中心のライフサイクルへの変転でもあった。本映画は、サイレントからトーキーへと変わる裏方の苦労が出てくるのも見どころでもある。

 銀幕では、マリリンモンロー・ジェームスディーン・マーロンブランド・オードリヘップバーンなどが活躍していた。また、音楽界では、エルビスプレスリーなど人種を超えたロックンロールが登場する。

 

 本映画は上映された当時は今ほど評価は高くなかったが、その後じわじわとそのクオリティの高さが見直され、2006年アメリカ映画協会が100周年記念で「アメリカ映画史上もっとも偉大なミュージカル」として発表された。

 舞台ではできないような有名な雨の中でのシーンでは、クレーンによるカメラワークのショットも斬新だった。「雨に歌えば」の歌詞では、「雨に歌えば 心は浮き立ち幸せがよみがえる 大空を覆いつくす雨雲を笑い飛ばし 心には太陽が輝き 恋の予感がする」というのがあったが、それを雨の中で表現した長い踊りのシーンは確かに圧巻だ。

 

 しかし、時代は長い冷戦がはじまり、マッカーシー旋風の「赤狩り」はハリウッドにも吹き荒れ、チャップリンも追放される。人種差別の横行は差別撤廃運動として市民運動になっていく。最近になってハリウッドの人種差別やアカデミー賞の白人至上主義がやっと取りざたされるようになった。本映画のキャストには、有色系人物が除外されているのも気になる。

 映画の中の「ブロードウェイメロディ」という歌では、「ブロードウェイにしかめっ面は合わない ブロードウェイには楽しいピエロを 悩み事なんてはやらない ブロードウェイは常に笑顔があふれている 無数のライトが輝く中で 無数のハートが鼓動を早める 劇場の街の上にはいつも青空があり これぞブロードウェイメロディ」という歌が披露されているが、なんとも能天気な歌詞と言わざるを得ない。ハリウッドの華麗な装置の裏にはアメリカの深い闇があることを忘れてはならない。 

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外にキボシ、内にビロードちゃん

2024-10-02 23:21:41 | 生き物

 強剪定で伐採したクワノキの上に「キボシカミキリ」がいた。班紋の配置からゴマダラカミキリかと思ったら、黒字に黄色い星だった。頭に縦の黄色一本線をはじめ、翅に縦2列の黄色の大きい星が並び、その間に天の川のような小さな星が配置されている。しかも、長い触角が白と黒とで構成されるなど、なかなかおしゃなカマキリだ。

 

 キボシカミキリは、クワノキなどの食害昆虫として中国・台湾からやってきた害虫らしい。オスはクワノキでメスを待ち伏せするというから、きっとキボシちゃんはじっとその機会をうかがっていたのかもしれない。というのも、近づいてもすぐに逃げなかったからね。いや、待ちくたびれて元気がなかったのかもしれない。

 

 いっぽう、夜のわが家では2cmくらいの小さな「ビロウドカミキリ」がやってきた。こちらも触角が長い。体長の2倍近くもある。同じように模様のないようなセンノカミキリ・ヤハズカミキリなどのシャレっ気のないカミキリも常連だ。ビロウドちゃんは個体数はあまり多くないというから邪険にしない方がいいようだ。

  

 ビロードちゃんはクワノキ・イチジク・サクラなどの枯れ木・伐採木に集まる。体はビロード状の微毛があり角度により色が変わるというが、見た目には黒にしか見えない。胸部の横には三角状の尖ったもの・武器?がある。似た仲間に「ニセビロウドカミキリ」という輩もいるらしいが、違いはよく分からない。

 畑の横にある大きなクワノキもこうした昆虫の生きがいになっていたのに気づく。生態系の多面性・複雑さ・生かし合う「共生」という、人類が失っている寛容さを考えさせられた桑とカミキリムシでもあった。

 

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