私の生まれ故郷(城下町)は昭和20(1945)年8月8日の空襲で大部分が焦土となっている。昔の道筋の多くは消え、敗戦後に碁盤目状の太い道路が造られた。
実家のある場所は幸いにして焼けていないのでごちゃごちゃした細道がいくらか残っている。笠岡街道は家曳きによって拡張したと父から聞いた。戦前は道らしい道があまりなく家もまばらで周辺は田んぼだらけだったそうだ。
焼け落ちる前の町並みは昔の地図と写真を見て想像するしかない。だから古老からの聞き取り(および回想を収録した文献)は非常に重要なのだ。広島県第二の都市に発展したことは喜ばしいことだが、人の犠牲及び文化財の損失があって今があることを忘れてはならないと思う。
※画像は提灯飾りが準備された駅前大通
実家のある場所は幸いにして焼けていないのでごちゃごちゃした細道がいくらか残っている。笠岡街道は家曳きによって拡張したと父から聞いた。戦前は道らしい道があまりなく家もまばらで周辺は田んぼだらけだったそうだ。
焼け落ちる前の町並みは昔の地図と写真を見て想像するしかない。だから古老からの聞き取り(および回想を収録した文献)は非常に重要なのだ。広島県第二の都市に発展したことは喜ばしいことだが、人の犠牲及び文化財の損失があって今があることを忘れてはならないと思う。
※画像は提灯飾りが準備された駅前大通
大分前に斜陽産業として海賊盤製造業界(西新宿界隈)の話をしたことがある。個人がインターネットで音楽ファイル(昔の隠密録音等)を自由にダウンロードできるようになって高価な裏モノが売れなくなったのである。この状況は今も改善していない。「お前ら、黙って買え」というような顧客サービスを疎かにした商売が行き詰るのは当然だった。
さてここからが本題である。私は今後の代表的な斜陽産業が新聞だと思っている。新聞が永遠に読まれ続けると思っているのは押し紙問題に無知な60代以上の人間の考え方で若者にとっては既にどうでもいいような媒体になりかけている。
売り手がこの傾向を上から目線で「読解力の無さ」と安直に分析するのは危険である。目の曇った記者が書いた小学生程度の感想文などまともな大人は金を出してまで読もうとは思わないはずだ。「先見性の無さ」「分析力の甘さ」は読者よりもむしろ記者の方に多く見られる(笑)
天木直人さんが自身のブログで無意味な文を綴ったある編集委員を例に出して「政治記者失格」の烙印を押していた(7月25日の記事)ので私は噴き出してしまった。こういう当たり前のことを言う人が腐った世の中にまだ居るから日本国民は救われるのだ。
なめた商売が最終的に経営破綻に行き着くことがわかっているのに改善できないのは何故か。彼らは政治家以上にぬるま湯に浸かりゆで蛙になっているからだ。「今が良ければ後のことはどうなろうが、知ったこっちゃない」という意識が見え見えで吐き気すら覚える。賢国民の新聞離れは自然な流れだと私は思う(笑)
さてここからが本題である。私は今後の代表的な斜陽産業が新聞だと思っている。新聞が永遠に読まれ続けると思っているのは押し紙問題に無知な60代以上の人間の考え方で若者にとっては既にどうでもいいような媒体になりかけている。
売り手がこの傾向を上から目線で「読解力の無さ」と安直に分析するのは危険である。目の曇った記者が書いた小学生程度の感想文などまともな大人は金を出してまで読もうとは思わないはずだ。「先見性の無さ」「分析力の甘さ」は読者よりもむしろ記者の方に多く見られる(笑)
天木直人さんが自身のブログで無意味な文を綴ったある編集委員を例に出して「政治記者失格」の烙印を押していた(7月25日の記事)ので私は噴き出してしまった。こういう当たり前のことを言う人が腐った世の中にまだ居るから日本国民は救われるのだ。
なめた商売が最終的に経営破綻に行き着くことがわかっているのに改善できないのは何故か。彼らは政治家以上にぬるま湯に浸かりゆで蛙になっているからだ。「今が良ければ後のことはどうなろうが、知ったこっちゃない」という意識が見え見えで吐き気すら覚える。賢国民の新聞離れは自然な流れだと私は思う(笑)