私が社会人になった時に既に店はあったから少なくとも23年は続いていることになる。演歌が流れるL字のカウンターのみの小さな店。カウンター奥に便所があるのでビール好きは客の後ろの僅かばかりの空間を「すんません」と言って通ることになる。
無口な店主は時々お茶目な一面を見せ場の雰囲気を和ませる。その日おすすめの造りや小鉢など気の利いたアテは勉強価格(ちりめんおろしが特にシブい)。私は酒も飲まずに昆布うどんだけ食って帰ったことが何度かあるが、主は顔色一つ変えなかった(笑)
誕生日に免許書を提示すると瓶ビール(中)が無料になるサービスは今でもやっているのだろうか。景気が良かった頃は近くのスナックから出前の注文がよく入っていた。福山で長く商売ができるのは無理をしていない証拠だ。客との距離の取り方が絶妙で私は高く評価している。
無口な店主は時々お茶目な一面を見せ場の雰囲気を和ませる。その日おすすめの造りや小鉢など気の利いたアテは勉強価格(ちりめんおろしが特にシブい)。私は酒も飲まずに昆布うどんだけ食って帰ったことが何度かあるが、主は顔色一つ変えなかった(笑)
誕生日に免許書を提示すると瓶ビール(中)が無料になるサービスは今でもやっているのだろうか。景気が良かった頃は近くのスナックから出前の注文がよく入っていた。福山で長く商売ができるのは無理をしていない証拠だ。客との距離の取り方が絶妙で私は高く評価している。
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家でパラパラのチャーハンを作って大切な人に食べさせたいと思う人は多い。チャーハンの具で欠かせないが卵と焼き豚だが、素人は卵の扱い方に悩む。米粒に卵液を簡単にコーティングするやり方としては予めご飯と卵液を混ぜて合わせてから炒めるのがいいとされるが、これだと卵のフワフワ感はない。そこでコウケンテツさんはプロの手順に近い方法を採用し素人でもある器具を使えば上手くいくことを発見した。
工程を簡単に説明しよう。卵以外の具材をフライパンで炒めておく。熱したフライパンに油を馴染ませてから溶き卵を入れ、周りが固まって来たら(温かい)ご飯を投入する(火加減は強火)。ここで登場するのが木べら2本である。ちょうど竹馬を扱う要領でヘラを上下に動かしご飯を叩く(切る)内に卵液が米粒に馴染んでいき、次第にパラパラになる。重要なのはフワっとした食感の卵の固まりがある程度残ることだ。
チャーハンのベースに塩・コショウで味付けして炒めておいた他の具材を加え混ぜ合わせ仕上げに醤油を少量回しかけ刻み葱を散らす。チャーハンを御碗などに盛り平皿で蓋をして引っくり返す。
![蒸らし工程](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0b/877c018c04760568b931d540d1bd0aac.jpg)
すぐに御碗を取らずに1分ほどそのままにしておくのがポイント。蒸らし工程を挟むことで全体がふんわりと仕上がる(エビを使う場合は余熱を計算に入れて8割方火を通す位で止めるのがベスト)。
![完成](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/1e/690a150127d63e8547b65a5c19769126.jpg)
チャーハンは単に米粒がばらけているだけではダメだと感じる。適度にしっとりしているのが美味しい。二刀流チャーハンは歯の悪い年寄にも食べさせられるメニューだ。コウさん、グッジョブ!
工程を簡単に説明しよう。卵以外の具材をフライパンで炒めておく。熱したフライパンに油を馴染ませてから溶き卵を入れ、周りが固まって来たら(温かい)ご飯を投入する(火加減は強火)。ここで登場するのが木べら2本である。ちょうど竹馬を扱う要領でヘラを上下に動かしご飯を叩く(切る)内に卵液が米粒に馴染んでいき、次第にパラパラになる。重要なのはフワっとした食感の卵の固まりがある程度残ることだ。
チャーハンのベースに塩・コショウで味付けして炒めておいた他の具材を加え混ぜ合わせ仕上げに醤油を少量回しかけ刻み葱を散らす。チャーハンを御碗などに盛り平皿で蓋をして引っくり返す。
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すぐに御碗を取らずに1分ほどそのままにしておくのがポイント。蒸らし工程を挟むことで全体がふんわりと仕上がる(エビを使う場合は余熱を計算に入れて8割方火を通す位で止めるのがベスト)。
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チャーハンは単に米粒がばらけているだけではダメだと感じる。適度にしっとりしているのが美味しい。二刀流チャーハンは歯の悪い年寄にも食べさせられるメニューだ。コウさん、グッジョブ!
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岡山市北区西辛川393‐4の「境目集会所」前に太い石柱が建っている。車がひっきりなしに通る国道180号を横断する際にはくれぐれも接触事故に注意してほしい。
![国境石](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1e/39b675026848eed5991c641ea87f2107.jpg)
表面に「從是東備前國(※これよりひがしびぜんこく)」と書かれており備前と備中の国境を示す石である。今では同じ岡山市のため若干違和感を覚えるが、笠岡市と福山市の境と思えばいい(備中と備後)。
![JR西日本・吉備津参道踏切](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/46/4ee7a2cb8ba9a558dce5f098b9e75821.jpg)
![吉備津神社参道の常夜灯](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/cb/1339c303c71bf1c25eb398f884367b43.jpg)
私は急いで旧街道を引き返した。向畑公民館の先を左折して南へ進路を変更する。JR吉備線・吉備津参道踏切が見える。踏切を渡ると参道脇に大きな常夜灯がある。三丁川の樋門西辺りでは道路工事が行われていた。
![参道から山丁川の樋門を望む](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/30/41a686598869665a208efa3c695ac720.jpg)
![国境石](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1e/39b675026848eed5991c641ea87f2107.jpg)
表面に「從是東備前國(※これよりひがしびぜんこく)」と書かれており備前と備中の国境を示す石である。今では同じ岡山市のため若干違和感を覚えるが、笠岡市と福山市の境と思えばいい(備中と備後)。
![JR西日本・吉備津参道踏切](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/46/4ee7a2cb8ba9a558dce5f098b9e75821.jpg)
![吉備津神社参道の常夜灯](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/cb/1339c303c71bf1c25eb398f884367b43.jpg)
私は急いで旧街道を引き返した。向畑公民館の先を左折して南へ進路を変更する。JR吉備線・吉備津参道踏切が見える。踏切を渡ると参道脇に大きな常夜灯がある。三丁川の樋門西辺りでは道路工事が行われていた。
![参道から山丁川の樋門を望む](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/30/41a686598869665a208efa3c695ac720.jpg)
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山陽道の北側をJR吉備線が走っている。明治37年(1904)11月5日中国鉄道(現在の中鉄バス)・吉備線の開通に伴い吉備津駅(※岡山市のホームページでは真金駅の呼称を用いている)が開業した。明治中期から後期にかけて物流の要は船から鉄道へ取って代った。
無人の吉備津駅の改札を入って左手に「明治天皇御駐車跡」の碑が建っている。山陽道側からは文字を読むことはできない。吉備線の車窓から撮影した写真(ピンボケで申し訳ない)を参考までに載せておく。
![明治天皇御駐車跡碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/21/938b646facfafc4b8d5588dbfbbe7777.jpg)
明治天皇の来岡は明治43年(1910)11月。駅構内には「攝政宮殿下御駐車跡」の碑もあるらしい(未確認)。話が脱線するが、吉備津駅の後方の山(駅の北西)には「千日墓地」と日蓮宗・真城寺(吉備津425‐2)があり、大阪の繁華街の原点を思い起こさずにはいられない。
![林瓦](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/22/93081443fdf58529a265a1d039f4088c.jpg)
明治40年創業の林瓦(吉備津545)の少し先が真金一里塚があった場所である。山陽道を更に東へ進むと交通量の多い国道180号と合流する。
無人の吉備津駅の改札を入って左手に「明治天皇御駐車跡」の碑が建っている。山陽道側からは文字を読むことはできない。吉備線の車窓から撮影した写真(ピンボケで申し訳ない)を参考までに載せておく。
![明治天皇御駐車跡碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/21/938b646facfafc4b8d5588dbfbbe7777.jpg)
明治天皇の来岡は明治43年(1910)11月。駅構内には「攝政宮殿下御駐車跡」の碑もあるらしい(未確認)。話が脱線するが、吉備津駅の後方の山(駅の北西)には「千日墓地」と日蓮宗・真城寺(吉備津425‐2)があり、大阪の繁華街の原点を思い起こさずにはいられない。
![林瓦](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/22/93081443fdf58529a265a1d039f4088c.jpg)
明治40年創業の林瓦(吉備津545)の少し先が真金一里塚があった場所である。山陽道を更に東へ進むと交通量の多い国道180号と合流する。
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ねぎのことを年配者は根深(ねぶか)と言う。ねぎには青と白の2つがあるが、広島では青ねぎを指すと言ってよかろう。西日本では現在でも青ねぎが主流である。私が関東に赴任して食文化で一番ショックを受けたのは出汁の色よりもねぎの色だった。
薬味にも白ねぎを使うのが当たり前の土地柄であった。スーパーに奴ねぎは売っていたが、当時は非常に影が薄かった。関東人が白ねぎの先の青い部分を切り離してためらいもなくほかすのがまた異様であった(笑)
畑から抜いてきた青ねぎを洗い食べやすい大きさに切って油揚げと出汁で炊く料理は年寄がよく作っていた。牛すき焼きよりもあっさりしているので風邪気味の時に食べると実に美味しい。新鮮な青ねぎは先っぽまで甘いので出汁の味付けはうす口醤油と味醂で十分だ。
薬味にも白ねぎを使うのが当たり前の土地柄であった。スーパーに奴ねぎは売っていたが、当時は非常に影が薄かった。関東人が白ねぎの先の青い部分を切り離してためらいもなくほかすのがまた異様であった(笑)
畑から抜いてきた青ねぎを洗い食べやすい大きさに切って油揚げと出汁で炊く料理は年寄がよく作っていた。牛すき焼きよりもあっさりしているので風邪気味の時に食べると実に美味しい。新鮮な青ねぎは先っぽまで甘いので出汁の味付けはうす口醤油と味醂で十分だ。
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