城東1丁目を西に横断し丸ノ内の割烹「かき船」の前に着いた。「長野県にもかき船があるのか…」と少し驚く。北深志1丁目から「浅間温泉」に移動することに。付近に石柱があった。江戸時代の町名「新町」が停留所の名前として使用されている。
バスは間もなく入ってきた。ろくに確認もせずに飛び乗ったのが失敗だった。温泉前は通らずに駅に戻ることに気づき、「追分」で下車。ここから乗り換えても歩いても温泉はそう遠くはないのだが、目的地を変更した。
追分ロータリーを右に曲がり、美須々ヶ丘高校まで歩く。小さな祠の脇に道祖神などがあった。石には「中原村中」と刻まれており「安政」年間に作られたことも判った。
高校や旭町中学の建っている場所が戦前は松本歩兵第五十連隊の練兵場だった。道路の向こう側には英霊を祀る「長野県護国神社」がある。