寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県教職員による不祥事が続く

2011年02月28日 | 日記
安芸太田町の小学校教頭(53歳)が逮捕されたニュースを見て「昨年から一体何人の教職員が性犯罪で捕まったのだろうか」と思った。既に「聖職者」という言葉が死語となり「生殖者」とまで蔑まれる教師の増殖は嘆かわしい限りである。

権利の主張ばかりで子どものことは頭にない組合の存在も困ったものだが、度重なる事件の裏には「不正採用」の影がちらつく。

 「この世は金次第でどうにでもなる」

こんな浅はかな考えで世を渡ってきた人間が晩節を汚しているように思えてならない。

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近江八幡市を流れる蛇砂川

2011年02月28日 | 
「江州まむし物産」を過ぎると左に入る道が現れる。私はこの道を通り蛇砂川に架かる橋の前に出た。蛇砂という名称は近くに蝮が多く生息していたことや蛇行した形から付けられたのだろう。かつては氾濫を繰り返し地域住民を苦しめる暴れ川でもあった。短い橋を渡った先が西生来町(にしょうらいちょう)である。

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近江八幡市武佐町でまむし製品を扱う店を発見

2011年02月28日 | 
精肉店から少し行くと町名が長光寺町から武佐町に変わる。道路右手に「江州まむし物産」という看板が出ていた。明治30年創業のまむし油(霜焼けや切り傷に効く)などを扱う店である。

昔武佐町では漢方の原料となる蝮(まむし)がたくさん捕れたそうだ。私も幼い頃(昭和40年代末)は山の麓でとぐろを巻く蝮を木の枝で突っついて遊んだものだった。今の子どもは蝮が小型の蛇で俊敏な動きをすることなど知らないだろう。

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盛りのついた猫

2011年02月27日 | 日記
ギャー、ニャー、ゴトゴトゴト…。裏路地が騒がしい。猫が盛るのは本能だから仕方がないのだが、放し飼いのペットと野良猫の組み合わせが問題なのである。

猫が家で糞尿を垂れるのを嫌う飼い主が管理責任を放棄した結果がこれである。生まれてくる子猫の運命を考えると不妊手術を受けさせるべきだと思う。自分本位の飼い主は信用を失った政治家と極めてよく似ている。

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報道しない自由に苦笑する

2011年02月26日 | 暗黒の無政府時代
最近メディアがやっている事は本当に酷い。歌舞伎役者の酒癖、隣国の尻振り娘解散騒動、八百長取組、そしてパンダ報道には70過ぎの老人も呆れていたほどだ。意味ある発信をしている新聞が産経のみという現実は痛い。

報道しない自由をネットの世界は厳しく糾弾している。2ちゃんねるの大規模OFF板では頑張れ日本!全国行動委員会★7というスレッドが人気のようだ。livedoorのHPのBLOGOSでは2つ面白いのがあった。義家日記と板垣英憲「マスコミに出ない政治経済の裏話」だが、後者の菅直人首相は、「小沢一郎憎し」が高じて精神不安定、「みのもんた」さんは、相変わらず支持するのか?を読んで笑い転げた。

H●NT●I新聞に定期的に掲載される「法螺」や「悔しげ」の感想文よりははるかに高等で有益である(笑)

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甘さ控え目の自家製ポテトサラダ

2011年02月26日 | 家飯
我が家のポテトサラダは甘さを極力控えたすっきり味である。砂糖は隠し味程度に使う。熱々の粉吹き芋を潰し(食感を楽しむために幾らか形を残す)具材と合わせ味付けした後、酢を投入する。熱で酸味のカドが取れて旨味に変わる。

ほどよく冷めた時点でマヨネーズと和えて完成。ほんのり温かいポテトサラダは芋本来の美味しさが味わえる。

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八風街道を往く

2011年02月26日 | 
中山道武佐宿の安土浄厳院道を示す石柱の斜向かいに「いせ みな口 ひの 八日市道」と刻まれた道標が立つ。辻から南東に進む道が所謂八日市方面に続く「八風(はっぷう)街道」で「伊勢道」と呼ぶ人もいる。道沿いには今でも小さな祠が祭られており町民の信仰心の厚さが伺えた。

八風街道沿いにある祠

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中山道武佐宿を歩く(完)

2011年02月25日 | 
武佐宿大門は現存せず牟佐神社敷地のすぐ東にその跡を示す立て札が設けられている。大門は木戸の一種で武佐町会館前に再現されたものとほぼ同じと考えてよいだろう。木戸番は絶えず不審な通行人に目を光らせていたという。

私は大門跡から引き返した。雪かきは着実に進んでいる。空き地の雪だるまは子どもの手によるものだろう。

空き地の雪だるま

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豆苗の再生(水をやり始めてから13日目)

2011年02月24日 | 食材
豆苗の根に水をやり始めて13日目を迎えた。最初は「本当に芽が出るのだろうか」と心配したのだが、背丈が6cmほどになった。室内に置いて毎日水を換えただけだから誰にでも栽培はできるはずだ。外に出して直射日光にさらさなかったのがよかったのだろう。収穫まであと数日だと思われる。

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ペテン師の餌食になった人達を憐れむ

2011年02月23日 | 暗黒の無政府時代
政権交代という耳に心地よいフレーズに酔い踊った人達の中には現在の惨状を目の当たりにしてもまだ自分の選択が誤っていたと認めたがらないのがいる。情報源がテレビと新聞のみという世代は厚顔無恥である。うまい話ほど裏があると思う私は1年半前からペテン師の情報を集めていたので祭りを山の上から冷ややかに眺めただけだった。

延命が目的となったいかがわしい組織を維持させることは国益を日増しに損ねることに等しい。日本国は(最悪の)無政府状態から一日も早く脱却しなければならない。ペテン師の餌食になった者(愚かな団塊世代)が己に眼力が無かったことをいつまでも反省できないとしたら獄中の元革命戦士と同じく黴臭い道を辿るであろう。

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中山道武佐宿を歩く(その12)

2011年02月23日 | 
武佐小学校グランドの向かいに牟佐神社(近江八幡市武佐町651)がある。ここは日光がよく当たって雪がかなり融けていた。まずは境内に設置された寺の由緒に目を通す。

古くは市神大明神と呼ばれ市神様を祭って宿場での商売繁盛を願ったということである。主祭神の都美波八重事代主命は大国主命の子で「えべっさん」として知られている。

牟佐神社の由緒

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中山道武佐宿を歩く(その11)

2011年02月22日 | 
太子山武作寺広済寺参拝を済ませて門を出ようとした時に怯えた犬が吠えるのには往生した。「恐れんでもええんやで」と声を掛けると漸く落ち着いてくれた。

広済寺の由緒

寺の由緒には「当寺は推古天皇二年(五九四)二月、聖徳太子が武河綱に命じて寺をこの地に建立され、そして阿弥陀仏の像を作り一堂に安置し、東金堂と名づけられた。これが武作寺廣済寺である。…明治十一年(一八七八)十月、明治天皇北陸御巡幸、御還幸の際昼食を召され行在所とされる。…」とあった。

帰り道は更に雪深く中山道で靴を脱いで雪を振り払わなければならなかった。

明治天皇武佐行在所碑

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