歯抜けのようになった「前進社」跡地前に立つ時、いつも考えることがある。
過激派は何故原理主義に陥ったのだろうか。大学入学時には並の知能はあったはずだが…。
彼等がおかしな世の中を変えようと立ち上がったことに異を唱えるつもりはない。問題なのは活動が行き詰ってからの流れだ。組織の長にまつりあげられた大して才のない、猜疑心の強い人間が、己の地位を守るために小理屈をこね反対勢力(仲間など)を吊し上げて時には死に至らしめる(粛清する)ようになった辺りから大衆にそっぽを向かれるようになった。
「革命を起こすためには人を殺めてもよい」という歪な思想が市民に受け入れられなかったのは当然だ。私が大学生となった昭和の末において過激派は旧人のように見えた。
過激派は何故原理主義に陥ったのだろうか。大学入学時には並の知能はあったはずだが…。
彼等がおかしな世の中を変えようと立ち上がったことに異を唱えるつもりはない。問題なのは活動が行き詰ってからの流れだ。組織の長にまつりあげられた大して才のない、猜疑心の強い人間が、己の地位を守るために小理屈をこね反対勢力(仲間など)を吊し上げて時には死に至らしめる(粛清する)ようになった辺りから大衆にそっぽを向かれるようになった。
「革命を起こすためには人を殺めてもよい」という歪な思想が市民に受け入れられなかったのは当然だ。私が大学生となった昭和の末において過激派は旧人のように見えた。
毎月最終日曜日に掲載される加地伸行さんの激辛コラム「古典個展」。与党となった民主党をコテンコテンに叩くことで有名だが、今回も非常にキツイ内容である。
今月の参院選のとき、どういう風の吹き回しか知らないが、私のところに民主党候補者推薦のはがきが舞いこんできた。
もちろん、支持つまりは投票を求める文面であるが、その結びに至って「伏して」お願いしますというところを「臥して」ときた。
気は確かか。これでは「寝ころがって」のお願いですよ。
(中略)
例えば、枝野幸男民主党幹事長。投票日の翌日であったか、各党幹部が出演した番組でこう発言した。税制の問題について(野党の)皆さんと話しあって案を作り、国会に提案いたしたい、と。
私は耳を疑った。この発言は中学校の生徒自治会レベル、いやそれ以下である。
(以下略)
この原案作成において、担当する責任者は、当然、識見をもって練りあげる、政権であるならば、政府・与党が己の政見をそこに反映できなければならない。もし原案を作れないとすれば、その職責に堪えうる能力がないということであり、そのときは恥じて辞職するのが常道、いや常識である。
ところが、枝野某は、平然と原案を野党といっしょに作ろうと言ったのである。これは、政権を担当する能力がないと自分で言っているのと同じではないか。(以下略)
私はテレビ画面上の枝野某の顔つきをつくづくと眺めたが、無能の傲慢そのものという意味で悪相である。民主党議員には、そうした悪相の者が多い。いや、去年の政権担当以降、しだいに悪相になったと言うべきであろう。
なぜか。理由ははっきりしている。彼らは<民主主義>原理主義に陥っており、選挙で当選した自分たちはなにをしても許されると勘違いしている。そこから傲慢となり、慎みを忘れ、顔が悪相に変化してきたのだ。
(中略)
孔子は、相手のつらい立場(例えば喪中)などに接したときは、常に己の身心を正した。さらには「迅雷風烈には(天の怒りと受けとめ容貌を改め敬しみ)必ず変ず」(『論語』郷党篇)のような慎み深い人物であった。
一年前、私の周りには「民主党が政権をとらにゃー何も変わらん」と言うお目出度い人が実に多かった。確かに政権交代して世の中は変わった、悪しき方向に(笑)。だから、威勢のよかった人が今では口を閉ざすようになっている。密告社会を作りたがる政党を支持していた軽さと愚かさに漸く気づいたのであろう。
一般市民はまだまともな感覚が少しは残っているが、左寄りの新聞の論説委員などは救いようがない。ちょび髭ホラ吹き某の眼力の無さが見事に証明され、彼はさらした恥の消去作業に追われている。
「左傾新聞」の欺瞞性をチェックしながら口直しに「反動的新聞(笑)」を読むことが重要だと感じる今日この頃だ。
今月の参院選のとき、どういう風の吹き回しか知らないが、私のところに民主党候補者推薦のはがきが舞いこんできた。
もちろん、支持つまりは投票を求める文面であるが、その結びに至って「伏して」お願いしますというところを「臥して」ときた。
気は確かか。これでは「寝ころがって」のお願いですよ。
(中略)
例えば、枝野幸男民主党幹事長。投票日の翌日であったか、各党幹部が出演した番組でこう発言した。税制の問題について(野党の)皆さんと話しあって案を作り、国会に提案いたしたい、と。
私は耳を疑った。この発言は中学校の生徒自治会レベル、いやそれ以下である。
(以下略)
この原案作成において、担当する責任者は、当然、識見をもって練りあげる、政権であるならば、政府・与党が己の政見をそこに反映できなければならない。もし原案を作れないとすれば、その職責に堪えうる能力がないということであり、そのときは恥じて辞職するのが常道、いや常識である。
ところが、枝野某は、平然と原案を野党といっしょに作ろうと言ったのである。これは、政権を担当する能力がないと自分で言っているのと同じではないか。(以下略)
私はテレビ画面上の枝野某の顔つきをつくづくと眺めたが、無能の傲慢そのものという意味で悪相である。民主党議員には、そうした悪相の者が多い。いや、去年の政権担当以降、しだいに悪相になったと言うべきであろう。
なぜか。理由ははっきりしている。彼らは<民主主義>原理主義に陥っており、選挙で当選した自分たちはなにをしても許されると勘違いしている。そこから傲慢となり、慎みを忘れ、顔が悪相に変化してきたのだ。
(中略)
孔子は、相手のつらい立場(例えば喪中)などに接したときは、常に己の身心を正した。さらには「迅雷風烈には(天の怒りと受けとめ容貌を改め敬しみ)必ず変ず」(『論語』郷党篇)のような慎み深い人物であった。
一年前、私の周りには「民主党が政権をとらにゃー何も変わらん」と言うお目出度い人が実に多かった。確かに政権交代して世の中は変わった、悪しき方向に(笑)。だから、威勢のよかった人が今では口を閉ざすようになっている。密告社会を作りたがる政党を支持していた軽さと愚かさに漸く気づいたのであろう。
一般市民はまだまともな感覚が少しは残っているが、左寄りの新聞の論説委員などは救いようがない。ちょび髭ホラ吹き某の眼力の無さが見事に証明され、彼はさらした恥の消去作業に追われている。
「左傾新聞」の欺瞞性をチェックしながら口直しに「反動的新聞(笑)」を読むことが重要だと感じる今日この頃だ。
昭和62年(1987)年4月8日(水)。グレーのスーツを着て赤いタイをしめた私は〝ヤンキー(滋賀県出身)〟〝黒帯(香川県出身)〟と一緒に下宿を出た。そして裏通りでタクシーを停め入学式会場に向かった。
午前9時頃の広島県立体育館前は騒がしかった。それは浮かれた新入生の声ではなく拡声器のだみ声だった。ヤンキーが「アホがようけおるやんけー」と叫び私達は笑った。ヘルメットをかぶり小汚い格好をした過激派は一様に年を食っていた。昭和40年代初めの熱き日々を懐かしむようなアジ演説には時代に取り残された者達の悲哀が滲み出ていた。
こうした下手糞な大道芸によってお目出度い日は台無しになり忌まわしい記憶として脳裏に刻み込まれることになった。
午前9時頃の広島県立体育館前は騒がしかった。それは浮かれた新入生の声ではなく拡声器のだみ声だった。ヤンキーが「アホがようけおるやんけー」と叫び私達は笑った。ヘルメットをかぶり小汚い格好をした過激派は一様に年を食っていた。昭和40年代初めの熱き日々を懐かしむようなアジ演説には時代に取り残された者達の悲哀が滲み出ていた。
こうした下手糞な大道芸によってお目出度い日は台無しになり忌まわしい記憶として脳裏に刻み込まれることになった。