付き合いで買ったチケット。主催が売国奴新聞だったので、私は苦笑した。たいして期待もせず出かけて行った場合、吉となる可能性が高い。今日もそうだった。
チケットを渡し、パンフレットと大入り袋(100円入っていた)を受け取った。前売りは完売、当日券も出て満席だった。文化レベルの低い街にこれだけの人が集まるのかと驚きもした。
二番手の桂米佐さんのふぐ鍋の噺はためになった。千葉銚子ではふぐのことを「とみ」と言うそうだ。語源は「とみくじ」、滅多にあたらないことからきている。
続いて眩しい頭の桂雀三郎さんが登場。ギターの弾き語りに観衆は爆笑した。宇宙戦艦ヤマトの替え歌が秀逸だった。
『さらばこの世よ~‥‥必ず盆に帰って来るよ‥‥』
多忙の日々を送っているサラリーマンへの皮肉にもとれた(笑)。身近にある死をおもしろ、おかしく語るのが落語の醍醐味。モノには寿命があることを我々は忘れがちだ。しかし如何なる人もそれを避けることはできない。はかないからこそ人生は意味がある。
米朝師匠が脇から出てくると場内から盛大な拍手が起こった。つんぼうの噺はとても可笑しかった。満82になるカッコいい年寄りは格の違いを見せつけて、僅か10分で去って行った。それから休憩となり、私は米朝さんのCDとDVDを買った。
南光さんの松島遊郭の噺も笑えた。トリのざこば師匠は「子はかすがい」について話した。TV番組での彼とは別人に思えた。泣けた。会場の外は激しい雨が降っていた。私は折りたたみ傘を差して行きつけの店に向かった。
旧制松山高等学校を舞台にした青春映画。原作を書いた早坂暁さんはこの学校の出身。山田洋次監督も一年だけ旧制山口高等学校に籍を置いている(学制改革で新制東大を受験)。
この二人がタッグを組んで、懐かしき良き時代をペーソスを交えて映像化した。ビデオを何度も見て、蛮カラ(※ハイカラの反対)の意味を理解した。黒マント・破帽・高下駄といった小汚いスタイルは明治期に作られた。流石に敗戦後の東京においては時代遅れの感は否めなかったようだが、地方の高校ではあっさり受け継がれていた。
ぎばちゃんはその天然記念物のような役を見事に演じ切った。主役の橋之助さんの方が影が薄いくらいだ。当たり前の話だが、皆若い。薬師丸さんのフェロモンがプンプン匂ってくる。
『貧しくとも 自由と希望はあった キラキラ輝く 青春の時』
それは私の時も同じだったと思う。広島という街は苦学生に優しかった。
DVD化の特典‥山田監督 自作を語る(約21分)
これが実にいい話だ。節操のない団塊世代に是非とも聞かせてやりたい。FREEDOMとLIBERTYでは全然意味が違うのだ(笑)。
集英社新書、2007年2月21日第1刷発行、定価998円(税込み)
桑田佳祐さんはデビューから第一線で活躍し続けている。小学生の時、短パン姿で“勝手にシンドバッド”をだみ声で歌う男を見て「なんじゃ、こりゃ~」と思った。数日して私は掃除の時間にホウキを持って「今何時。そうね、大体ね」の掛け合いをやった。歌詞の大部分は聴き取り不能だったが、不思議と耳に残った曲ではあった。
中学に上がると、誰もがサザンを聴いた。悪友は『ヌードマン』のジャケットを手にとってニタニタ笑っていた。そのアルバムは私の愛聴盤になった。
小学時代のベスト『女呼んでブギ』
中学時代のベスト『匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB』
高校時代のベスト『ミス・ブランニュー・デイ』
大学時代のベスト『悲しい気持ち』
社会人になってからのベスト‥90年代『真夜中のダンディー』
社会人になってからのベスト‥21世紀『白い恋人達』
中山さんの評価と私のそれが近いのはただの偶然か(笑)。音楽は理屈で聴くものではない。自分がいいな、と思ったものが名曲なのだ。
日本経済新聞出版社、2007年1月24日第1刷、定価1500円+税
北杜夫さんは2006年1月に私の履歴書を連載した。私はそれをすべて読み、精彩を欠いていることから「体調が悪いのかな」と心配していた。本書は同新聞に発表したエッセイと新たに書き下ろしたものを加えて、面白い作品になっている。
『どくとるマンボウ青春記』を知らなかったとしたら、松本を訪れることは決してなかったと思う。私は海の無い県にはかなり辛辣な評価をつけているのだが、ここは数少ない例外だ。
傲慢な言い方になるが、旧制高校が置かれた都市(そのほとんどが城下町)は品があるのだ、北関東とは違って(笑)。松本は戦災を受けなかったため、昔の町並みが残っている。すぐに顎を上げたがるクソ京都(一地方都市)が忘れている謙虚さがあるように感じる。
北さんは死ぬ前に一仕事したかったんだろう。これは彼の一生を早送りで見ることができる秀作だ。ものの30分で読了した。彼が苦労して捻り出したと思われる短歌は私の胸を強く打つ。
いつしかに季節の移りて見渡せば四方のはかなさ
あるテレビ番組を見て一青窈さんに興味を持った。小さなライブハウスで「もらい泣き」を熱唱するシーンは強く印象に残った。はじめて買った彼女のCDがセカンドの『一青想』で、これに私ははまった。
『BESTYO』に収められた16曲のうちの約3分の1がこの『一青想』から選ばれている。オープニングは私の大好きな曲「ハナミズキ」。井上陽水作曲の「一思案」、軽快なリズムの「江戸ポルカ」も深い味がある。
彼女の歌詞は知的で、ベタベタした暑苦しさがないのが気に入っている。そして何より詩に生命力がある。いくら曲が良くても歌詞に力がなかったら、ただの凡作だ。ジャケットのセンスにも脱帽。飾り過ぎないところに本当の美があると思う。
彼女の歌を街で耳にするたびに、台北への郷愁がつのっていく。
酒屋の横の階段を上り、受付で前売りを渡してビールをもらって着席した。このバンドについての私の知識はゼロであった。男女のサックス、バイオリン、アコーディオン、チューバ、ドラムスの6人編成。
一発目から派手な曲で手拍子が飛んだ。梅津さんのツルツル頭を見ていると、山守組のおやっさんが重なった(笑)。高度な演奏の後のMCがとりわけ面白い。これほど腹の底から笑えたライブは他にない。演奏者と観客との間の垣根は見事に取り払われていた。
アコーディオンとリコーダーの音色の美しさに酔うことができた。梅津さんと多田さんは演奏しながら、何度も客席の間を往復し、感謝の気持ちを表してくれた。この田舎町にまた来て欲しいものだ。
国歌・紀元節斉唱の後、式辞と祝辞が述べられて第一部は終了した。第二部で金美齢さんの講演『日本が子供たちに教えなかったこと』を聴いた。
彼女の話を要約すると次の三点になる。
1.日本に生まれたことに対する感謝の念を忘れている日本人が非常に多い
2.学ぶことはすばらしい
3.子供を産み育てることはすばらしい
「日本人であることに何の疑念も抱いていない」と指摘され、私はぎくっとした。「自分が保護されている国を愛することができないとしたら、これほど不幸なことはない」と述べて、売国奴新聞・日教組・スチューピッドな親を皮肉っていた。
私が一番大笑いしたのは、関西で蛇蝎の如く嫌われているD団体の話が出た時だった。
「私を無条件で好きになって下さいと他人に要求する権利などない。自分が相手を好きにならないと、相手は自分を絶対に好きになってくれない」
73歳になったばかりの彼女は日本人以上に美しくて正しい日本語を話し、聴衆の心を掴んでいた。
大声で君が代を歌い、万歳三唱をして、非常に胸がすかっとした。「自分との違いに敬意を払い、理解すること」こそ、思いやりであり、この腐りきった国を立て直す特効薬だと思う。私は奉賛金(千円)を箱に入れて大ホールを出た。