孟宗だけが筍ではない。孟宗のシーズンが終わると淡竹(ハチク)が美味しくなる。アクが強くてえぐい旨みの孟宗に対して淡竹はどちらも軽い感じ。私はしつこい味の食品(人間もだなw)が苦手なので淡竹の方が好みだ。
掘り立ての淡竹は糠湯がきの必要がないので楽である。さっと茹でてから八方だしで煮て鰹と昆布の旨みを含ませる。油抜きした揚げを入れておかずにするのも良し。
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脂ギトギト、香辛料テンコ盛りのドブ汁ラーメンを餌として食らう者には永久に解せない和の世界であろう。旨みの足りないものに味を補うのは当たり前だが、十分に足りているのに更にこれでもかと追加するのは田分け者である。
舌はいたずらに麻痺させるものでなくて日々鍛えるものだ。味覚異常の人間が書いた文章が酷いのは、上っ面に視点を当てるだけで、肝心の核(自分で見つけた問題点や鋭い考察)には触れないから。所詮は時代遅れになった三流評論家の発言の受け売りに過ぎぬ。センス無き独りよがりに家庭の温もりが感じられないのは気の毒だが、同情はしない(笑)
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人気がある頃には歯の浮くようなお世辞を言って持ち上げるが、いざ落ち目になってくると手の平を返したように見放して捨てる。これがこれまでのマスゴミの所業であった。
最近では自分たちが偉い人であるかのように勘違いして、溺れてもがく犬に石を投げつけて沈むのを見て楽しむまでにエスカレートしている。愚民が権力を乱用することほど恐ろしいものはない。
彼らの餌食になった芸能人、スポーツ選手、料理屋は数多い。もちろん非難される側に大きな落ち度があることは確かだ。しかし、お得意の正義感とやらを振り回して簡単に善悪の判断を下すのは問題である。頭のいい子どもならばこう思うだろう。
ちょっと違うんじゃない。きれい事を言ってる奴らの方がよっぽどズルくて小汚いw
週刊誌だけでなくテレビや新聞が垂れ流す情報は実に毒が多い。それに対する抵抗力(批判の目)は幼い頃から養っておかないと大変なことになるのだ。疑問に思ったことは自分でトコトン調べる、これが基本である(笑)
最近では自分たちが偉い人であるかのように勘違いして、溺れてもがく犬に石を投げつけて沈むのを見て楽しむまでにエスカレートしている。愚民が権力を乱用することほど恐ろしいものはない。
彼らの餌食になった芸能人、スポーツ選手、料理屋は数多い。もちろん非難される側に大きな落ち度があることは確かだ。しかし、お得意の正義感とやらを振り回して簡単に善悪の判断を下すのは問題である。頭のいい子どもならばこう思うだろう。
ちょっと違うんじゃない。きれい事を言ってる奴らの方がよっぽどズルくて小汚いw
週刊誌だけでなくテレビや新聞が垂れ流す情報は実に毒が多い。それに対する抵抗力(批判の目)は幼い頃から養っておかないと大変なことになるのだ。疑問に思ったことは自分でトコトン調べる、これが基本である(笑)
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わが国では梅雨という時期が過ぎると夏になる。長雨は鬱陶しくて嫌なものだが、降らないとこれまた問題だ。ヒートアイランド現象、野菜の生長不良、ダムの貯水量低下による給水制限などが発生する。
私が暮らす地域ではここ数年夏季の雨量が減少している。年々暑くなっているのは間違いないと思う。水を気兼ねなく使うことのできる生活が今後ずっと保障される可能性は極めて低い。
海のはるか向こうのオーストラリアでは気温上昇により川の水量が減り、穀物生産に大きな支障をきたしている。小麦や牛肉を大量に輸出できなくなる日がいずれ来るだろう。
食糧自給率が極めて低い日本はどう対応するのだろうか。現時点で物価上昇を抑制できるだけの力はない。賞味期限を過ぎた食品を「もったいない」として家畜の餌にするのを悪いとは言わないが、やはり無駄を減らす努力は国や企業そして民も行うべきだ。
自ら考えることを放棄した人間は畜生より性質が悪い(大笑い)
私が暮らす地域ではここ数年夏季の雨量が減少している。年々暑くなっているのは間違いないと思う。水を気兼ねなく使うことのできる生活が今後ずっと保障される可能性は極めて低い。
海のはるか向こうのオーストラリアでは気温上昇により川の水量が減り、穀物生産に大きな支障をきたしている。小麦や牛肉を大量に輸出できなくなる日がいずれ来るだろう。
食糧自給率が極めて低い日本はどう対応するのだろうか。現時点で物価上昇を抑制できるだけの力はない。賞味期限を過ぎた食品を「もったいない」として家畜の餌にするのを悪いとは言わないが、やはり無駄を減らす努力は国や企業そして民も行うべきだ。
自ら考えることを放棄した人間は畜生より性質が悪い(大笑い)
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落合務シェフが公開したレシピのそのままを記す。
アスパラガスを塩を加えた食塩水で約15分ゆでる。この間に目玉焼きを作るのだが、ポイントは強火で焼かないこと(白身がバリバリになっては駄目)。
フライパンにオリーブオイルを塗って卵を割り入れ塩を振る。続いて中火で加熱を始め、卵白がほんのり白くなってきたら極弱火にして蒸し焼きにする。卵黄に軽く火が通るのを目安にする。
アスパラガスの上に目玉焼きをのせてオリーブオイルとチーズを振りかけて完成。卵黄を絡めたアスパラガスは濃厚な甘みであるが、決して嫌味な味ではない。素材の持ち味を大切にするイタリアらしい、簡単で美味しい料理だと思う。
卵かけご飯の好きな人はぜひお試しあれ。

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15年以上前のキャッチフレーズを変えずにそのまま使って商品が売れるだろうか。答えはノーだ。客の方は腹の中で「アホが。同じことしかできんのかw」と小馬鹿にしスルーする。店晒しになった商品は叩き売るしかない。
食の世界も音楽の世界も似たような現象が続き、売り手側は過去の失敗から何も学んでいないことがわかる。客が忘れた頃に同じ戦略を用いて効果を上げようとするのがそもそも間違いだ。まともな人間は瞬時に拒否反応を示すことになる。
あるフランス人シェフは「素材の鮮度にばかり目が行き、更に美味しい料理を生み出そうという意欲を失い思考停止してはダメ」と言っている。横着をせずに常に考え続けることはあるゆる分野に必要であろう。
考えない人間を傍から見ているとまるで下等な畜生(パブロフの犬)のようである(笑)
食の世界も音楽の世界も似たような現象が続き、売り手側は過去の失敗から何も学んでいないことがわかる。客が忘れた頃に同じ戦略を用いて効果を上げようとするのがそもそも間違いだ。まともな人間は瞬時に拒否反応を示すことになる。
あるフランス人シェフは「素材の鮮度にばかり目が行き、更に美味しい料理を生み出そうという意欲を失い思考停止してはダメ」と言っている。横着をせずに常に考え続けることはあるゆる分野に必要であろう。
考えない人間を傍から見ているとまるで下等な畜生(パブロフの犬)のようである(笑)
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先週の朝のニュースは非常に興味深いものだった。車に興味を持たない、ビールを飲まない、というように無駄な物を買わない若者が増えていると報じていた。故に売る方はあれやこれや知恵を絞って客の購買意欲を高めようと必死である。
私は苦笑を禁じ得なかった。無駄遣いをしているのは今や加齢臭のきつい、オツムの弱いおっさんだけなのかと。老後に不安を覚えて貯金に回す若者は堅実で、ある意味賢いと思ったのである。
アメリカ追随型の消費経済が頭打ちになったことは随分前から常識になっている。卑しい欲望を抑えるだけの人格が備わった彼らは団塊・ポスト団塊世代よりもはるかに冷静沈着である。マスゴミに簡単に踊らされる中高年よりもずっと「大人」だという見方もできるのだ(笑)
私は苦笑を禁じ得なかった。無駄遣いをしているのは今や加齢臭のきつい、オツムの弱いおっさんだけなのかと。老後に不安を覚えて貯金に回す若者は堅実で、ある意味賢いと思ったのである。
アメリカ追随型の消費経済が頭打ちになったことは随分前から常識になっている。卑しい欲望を抑えるだけの人格が備わった彼らは団塊・ポスト団塊世代よりもはるかに冷静沈着である。マスゴミに簡単に踊らされる中高年よりもずっと「大人」だという見方もできるのだ(笑)
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岩魚の味
2008年05月23日 | 旅
すし屋の主人自らが釣り上げた岩魚は色艶がよかった。「どうします?」と聞かれて「もちろん食べますよ。一番大きなのを焼いて下さい」と答えた。岩魚は水のきれいな上流に住み、動くものは何でも食べるという。いかつい顔を見て納得した。
岩魚の焼き物を食べた私は目を細めて喜んだ。塩はあくまで補足の調味料として軽く振られていた。だからこそしっとりとした身の甘みがよくわかる。魚に大量の塩をまぶしてカリカリに焼き上げて持ち味を台無しにする料理人をこれまで何人も見てきたが、味覚の正常な人は愚を犯さない。
川魚は臭くて駄目というようなことを平気で口にする人は本当に美味しいのを食べたことがないのだと思う。寒鮒の造り(山陰)や鯉の洗い(信州)が決して海の魚に引けをとらないことを私は知っている。

きれいに身を食べた後は骨酒が待っている。燗酒を骨にかけて蓋をして2分待つ。酒の色がほのかな琥珀色に変わり、岩魚の頭と骨から上品な旨みが出る。これを飲むとただ同然の河豚の鰭に金を払うのは馬鹿らしくなる。味は骨酒の方がはるかによい(笑)
酒の飲みすぎで握りがあまり食べられなくて残念だったが、細魚とメジマグロのトロは素晴らしかった。最後に常連客が名付けたという「金沢巻き」をつまむ。干瓢巻きに山葵をかましたもので私の好物である。
物腰の柔らかい主人は東京と金沢の両方で修行をしている。基本がしっかり出来て視野の広い人はすしの原点を大切にしていると思った。海・川・山の幸を同時に楽しめるすし屋は初めてだ。
一葉さんを一枚置いて店を出た。金沢まで来た甲斐があった。ワンパターンの地元を離れて美味しい料理を食べることは生の悦びを噛みしめることでもある。
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