これほど不味いものはなかろう。母は湯豆腐を作る際に、時間短縮をはかろうといつもグラグラ炊いて、ボコボコの木綿豆腐を家族に食べさせていた。業を煮やした私は「二度と作るな」と酷い事を言った。
それ以来湯豆腐は自分で作るようになった。微沸騰の手前で火を止め、豆腐をしばらく放っておく。風呂につけるという表現が適当だろう。温かくなった豆腐を加減醤油で食べるのがこれから冬にかけての楽しみだ。
鍋に関しても同様のことが言えるので、加熱し過ぎには注意が必要である。ただし、ふぐ鍋に関しては「必ずしもそうとは言えない」と指摘する料理人がいる。もと漁師の魚見吉晴さんは自著の中で『…このだしの不思議は豆腐。いくら煮ても「す」が入らんのよ。食べ残しの一個までぷるぷるやけん…』と述べている。
面白いことを言う人がいるもんだと思って、安物の豆腐を使って、ふぐだしを沸騰させてみた。もちろんアホみたいに長時間突沸させはしなかったが、通常の鍋では「す」が入るはずのものが、かなりまともな状態を保っていたので仰天したのだった。
私の中で「通説」はもろくも崩れ去った。料理を実験と考えて、いろいろ試してみると知恵がつくものである。「固定概念ほど怪しいものはない」という証明だった(笑)