昭和20年(1945)8月14日岩国駅周辺が爆撃されたのに対して川下地区は被害がなかった。これは日本が降伏した後に基地を接収して使用するためであった。統治者が変わり基地周辺では様々な問題が発生した(街娼のなだれ込みによる風紀の乱れ、兵士の犯罪、騒音など)
川下地区は中世以降重要な軍事的拠点であり続けている。このままずっと米軍に駐留してもらうのか、それとも憲法を改正して自前の軍隊でやるのか。そろそろ結論を出してもよい時期だと思う。
昭和17年発行の岩国市街地図を見ると基地が出来る前はのどかな風景が広がっていた事実が分かる。川下地区南東部に車開作、中津開作の文字が見える。愛宕山を削り取った土砂で更にその東側が埋め立てられて現在に至っている。
川下地区は中世以降重要な軍事的拠点であり続けている。このままずっと米軍に駐留してもらうのか、それとも憲法を改正して自前の軍隊でやるのか。そろそろ結論を出してもよい時期だと思う。
昭和17年発行の岩国市街地図を見ると基地が出来る前はのどかな風景が広がっていた事実が分かる。川下地区南東部に車開作、中津開作の文字が見える。愛宕山を削り取った土砂で更にその東側が埋め立てられて現在に至っている。