寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

米海軍海兵隊岩国基地前に立つ一広島県民(後編)

2012年06月30日 | 
昭和20年(1945)8月14日岩国駅周辺が爆撃されたのに対して川下地区は被害がなかった。これは日本が降伏した後に基地を接収して使用するためであった。統治者が変わり基地周辺では様々な問題が発生した(街娼のなだれ込みによる風紀の乱れ、兵士の犯罪、騒音など)

川下地区は中世以降重要な軍事的拠点であり続けている。このままずっと米軍に駐留してもらうのか、それとも憲法を改正して自前の軍隊でやるのか。そろそろ結論を出してもよい時期だと思う。

米海軍海兵隊岩国基地を望む

かつて川下地区には広大な農地が広がっていた(車開作・中津開作)

昭和17年発行の岩国市街地図を見ると基地が出来る前はのどかな風景が広がっていた事実が分かる。川下地区南東部に車開作、中津開作の文字が見える。愛宕山を削り取った土砂で更にその東側が埋め立てられて現在に至っている。

昭和17年の岩国市街地図より川下地区を拡大

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青魚のアジを食べよう

2012年06月30日 | 食材
青魚の代表格であるアジ(鯵)はクセが少なくて値段も手頃である。私は夏から秋にかけてよく食べる。生が少し苦手という人にはなめろう、サンガ焼きがおすすめだ。アジの薬味には生姜と大葉がよく合う。蒸し暑い日にすっきりした味わいの物を体は求める。

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米海軍海兵隊岩国基地前に立つ一広島県民(前編)

2012年06月29日 | 
およそ370mの国道189号の単独路線を歩き切ると米海軍海兵隊岩国基地の正門が現れる。中華民国の総統府周辺の物々しい警戒ぶりとまでは言わないが、緊張感が漂う。気楽に撮影できる場所でないことだけは確かである。

ここは敗戦まで大日本帝国海軍の岩国航空隊の基地(昭和15年に完成)であった。海軍が土地を買収する前は水田が広がっていたという。納得の行かぬ値段で土地を手放し川下地区を離れざるを得なかった人達が多くいたことを我々は記憶に留めておく必要があろう。

岩国出身の医師・丸屋博さん(旧制広島高校卒・入市被爆者)は基地造成について貴重な証言を残している。サイト「中国新聞 生きて」には旧制岩国中学校在籍中に飛行場建設工事にかり出され稲田を赤土で埋めたことが記されている。

私の故郷・福山にも軍用地がいくつかあったが、いずれも地価の安い所(忌み地を含む)で戦後は学校が建設された歴史がある。一般市民が自由に出入りできない場所が戦前にはかなりあったこと(また憲兵・巡査による厳重な監視体制が敷かれていたこと)を今の若者で知っている者は少ない。

岩国基地周辺地図(私の歩いたコースを青線で表示した)

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川を境に変わる人間性

2012年06月29日 | 日記
以前同門の先輩と備後地方の人間性について話をしたことがあった。A田川を基点にした人間性の変化の分析は非常に面白い。我々の手加減なしの会話は以下の通り。

「A田川を境に人間性が変わるという説をお前、聞いたことあるか?」

「川より西へ行けば行くほどやねこい(≒しつこい)人が増えるって話でしょう」

「やっぱり知っとるやんか。で、とりわけ自画自賛市は凄いとか」

「自画自賛市は長い。万歳(まんせー)市にしておきましょう(笑)」

「相変わらずきついのぅ。その万歳市にある監獄町にまつわる香ばしい噂なんだが…」

「そこの近くには仕置場と焼場がありました。噂ではなく事実ですよ。恫喝者達が自分らにとって都合の悪い歴史を隠蔽しようとしていますが、正しい歴史を淡々と伝えるべきだ」

「恫喝団体は学校教育に介入して歪んだ思想を植え付けるんやったな」

「自虐史観は百害あって一利なしですよ。備後が恐ろしいエリアと陰口を叩かれるようになったのは万歳市の所為だと言ってもいい位だ(笑)」

「恫喝団体の過激な活動が市の没落を加速させたとも言えるか」

「はい。本論から少し外れますが、一部の市民運動も空回りしている感が強い」

「古い建物を残そうと頑張っているが、火災が発生するたびにごっそり焼失していく皮肉さだな」

「戦災を受けていないために道幅が狭い。つまり火災の被害を受けやすい町。ノスタルジーだけでは人命は救えない」

「徹底した防火訓練に取り組む方が先だな」

「同時進行が望ましいです。そして自己主張ももう少し抑えた方がいい」

「町が魅力的かどうかは、外部の人間に自由に判断させなきゃな。押し付けちゃあかん」

「おしい!という広島県のCMはその辺のことを考えたんじゃないかなと思うんですよ。頭のいい湯崎知事だから。一歩引くというスタンスを今の日本人は忘れ過ぎ」

「言ったもん勝ち。我が国に蔓延するゴネ得(実際には徳落とし)を無くさんといかんのぅ」

「そう。ゼニ(≒補助金)こそはすべてという浅はかな思想が堕落の原因です」

「あぶくゼニに永続性はないのにな」

「だからずっと残そうと必死で悪あがきする。あの世の蓮如はさぞかし苦笑してるでしょう(笑)」

「やねこい連中は蓮如(とその母)が大好きだが、蓮如は大迷惑だろうよ(爆笑)」

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干し海老と山菜の炊き込みご飯

2012年06月29日 | 家飯
いつも作っている山菜の炊き込みご飯に干し海老とその戻し汁を入れてみた。米が炊き上がったところで薄い下味をつけておいたワラビと人参を追加して蒸らす。後添の目的は素材の形が崩れるのを防ぐためである。

干し海老の出汁(甘さ、旨さ、香ばしさ)が加わることで味に深みが出ている。干し海老という乾物を見直した。そうめんつゆの出汁に干し海老が使われるのは以上のような理由があるのだ。

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岩国市のJR山陽本線・川下踏切

2012年06月28日 | 
国道189号単独路線の真ん中から北が岩国市車町2丁目、南が中津町3丁目である。JR山陽本線・川下(かわしも)踏切の表示を見て私は「呉線にも同じ名の踏切があったな。全国で考えると一体いくつ存在するのだろう?」と呟いた。踏切を越えて南東へおよそ10m進んだ辺りから住所は車町3丁目となる。

岩国市車町3丁目の元煙草屋

廃業して大分年数が経ったような煙草屋の先に毎日堂という八百屋がある。乳母車を歩道に置いた年寄りが店の者と四方山話をしながら果実を選んでいた。昭和40年代後半には我が故郷でもよく見られた光景であるが、昭和55年頃を境にして少しずつギスギスした世の中に変わっていった気がする。

岩国市車町3丁目の毎日堂商店

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おっさんが好きなポテトサラダ

2012年06月28日 | 食材
大阪の立ち飲み屋には必ずと言っていいほどポテトサラダを盛った小皿が置いてある。酒を頼んだ後でおっさんがポテトサラダを取りに移動する光景をよく見た。

メインのアテが出来るまでとりあえずポテトサラダで間を持たせるという客が多いように思う。大阪ではウスターソースをサービスでかけてくれる。元があっさりした味付けのため、ソースの添加も有りなのだ。

私が作るポテトサラダは大阪の味に近い(味のよい北海道産メークインを使用)。皮を剥いた熱々のじゃが芋に酢を回し掛けるのがポイント。粗熱が取れる間に酸味が旨味に変わる。酢の一部を柑橘の絞り汁にして爽やかな風味をつけてもよい。

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岩国空港入口交差点から国道189号の単独区間に入る

2012年06月27日 | 
岩国空港入口交差点の横断歩道を渡り国道189号の標示が出た道路を歩く。どんよりした空を見上げた私は重苦しい気分になり始めていた。大学の船で沖縄へ上陸し街を歩いた時の感覚と全く同じだった。

岩国市中津町3丁目のキャバレー

日本でありながら日本ではないような不思議な雰囲気、とでも表現したらよいのであろうか。キャバレーの前辺りから基地関係者の車が増える。閑散とした通りを南東に進むとJRの踏切が見えてきた。

岩国市車町2丁目・中津町3丁目からJR山陽本線の踏切を望む

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夏の酒肴の定番・枝豆

2012年06月27日 | 食材
夏は大豆加工食品をよく食べる。冷奴(豆腐)が最も簡単だが、塩ゆでにした枝豆も見た目が涼しげでいい。とりあえずこの2つのどちらかがあれば酒飲みは落ち着く。

枝豆は茹でた後に(すばやく冷却して)天塩を揉み込む。冷蔵庫で半日から1日寝かせると豆の中まで塩気が入り食べ頃となる。

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岩国市川下防災備蓄センター前でかわしも避難所マップを眺める

2012年06月26日 | 
岩国市中津町2丁目15-11に川下防災備蓄センターがある。平時は交流の場として利用されるが、災害発生時には物資の集積場となる。私はセンターの前に設置された「かわしも避難所マップ」を興味深く眺めていた。

川下地区は錦川の支流である今津川と門前川、そして瀬戸内海に囲まれたデルタ地帯であるため水害に対する危機意識は他の地域よりも高いと思われる。マップは簡略化されて非常にわかりやすい。今津川と門前川に架かる橋の名前がすべてきちんと記載されており、避難経路の確認には大変役立つ。こういう面で福山市はかなり遅れを取っていると言わざるを得ない。何処に何があるのかを市民に日頃から伝えておくのは行政の重要な仕事だ。

岩国市中津町2丁目14-6のクラブ「山茶子(サンディエゴ)」。茶をティーと読ませるということか(笑)

岩国市車町1丁目の飲み屋街

中津町2丁目、車町1丁目にはスナックなどの飲み屋が多い。基地が近いということもあって異国情緒を漂わせる造りも見受けられた。山口銀行川下支店前が岩国基地前交差点である。ここから国道は分岐し南西方向が国道188号、そして南東方向が国道189号の単独区間となる。

岩国市中津町2丁目の岩国銀行川下支店から国道189号の単独区間を望む

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梅干の本漬け

2012年06月26日 | 食材
完熟梅を下漬けして数日経過すると梅酢が上がってくる。このままでは赤い梅干にはならないので赤シソの力を借りてきれいに発色させる。

赤シソは塩で揉んでよく絞り灰汁を抜き梅酢と合わせる。今年は購入した赤シソに問題があったのか本漬けをした日は赤紫色に変化せず失敗したと思った。冒頭の画像は本漬けから3日後の状態を撮影したもの。赤くはなってきたが、発色の具合が弱い。

こんな場合は市販のシソの葉漬けを買ってきて追加する。最近では葉は要らぬという人も増えたようでシソ汁単体も出回っている。まさに至れり尽くせりの時代だ。

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岩国市中津町1丁目の中川医院前で立ち話

2012年06月25日 | 
墓地を出て更に北へ進み酒井酒造前の道に戻った。そして中川医院近くで出会ったお婆さんと挨拶を交わした。

岩国市中津町1丁目の中川医院

「この辺りは古い家がたくさんありますね。空襲を免れた地域ということですか?」

「ええ。燃えていません。空襲で大きな被害を受けたのは人絹町の方ですよ」

もう少しで80になる女性は戦前の話を色々と聞かせてくれた。そして予期せぬ有益な情報まで入手することができた。これこそが旅の醍醐味である。

「(川下出張所)交差点まで出て、一本北の筋に入り東へ行くと基地ですよ」

「助かりました。いつまでもお元気で」

松本食料品店の前でお婆さんと別れた私は交差点を横断し中央フード川下店の方へ向かった。

岩国市中津町1丁目の松本食料品店

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じゃが芋料理の定番・粉ふき芋

2012年06月25日 | 家飯
中学の家庭科の授業で初めて習った料理がサケのムニエル。その時の付け合せの野菜が粉ふき芋だった。私はメインよりも脇の素材に興味を持った。

粉ふき芋の作り方は以下の通り。皮をむいたじゃが芋を食べやすい大きさに切り水から茹でる。芋に竹串が刺さるのを確認して湯を捨て鍋をゆすりながら炒りつけ砂糖、塩、コショウで味を整える。芋は転がりながら粉を吹く。

昔は甘い味付けが好きだったが、今はかなり糖分を控えめにしている。芋は完全に冷めた状態よりもほんのり温かい方がおいしいと思う。ポテトサラダがそうであるように。

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岩国市中津町1丁目の正徳寺から北上する

2012年06月24日 | 
迷路のような路地を歩いて正徳寺前に出た。鐘楼(梵鐘を含める)が完成したのは昭和27年で刻印から石組を手がけたのは小方町の石工であることが分かる。廃寺になったようだと言う人もいたが、真相は不明だ。

浄土真宗本願寺派・正徳寺

正徳寺近くの大藪遊園地

大藪遊園地の前を通って北へ進むと住宅街のど真ん中に墓地があった。私はそこで「川下地区開発先駆者功労顕彰碑」を見つけ足を止めた。願主は徳光山佛性寺第十五世住職冨津田義敬となっている。余談になるが、明治39年(1906)玖珂郡川下村に開設された岩国孤児院の代表者も冨津田という姓である。

墓地の中に建立された川下地区開発先駆者顕彰功労碑(岩国市中津町1丁目)

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