寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

台北の夜市に繰り出しCDを購入する

2009年06月30日 | 

夕食の途中で私は席を立った。TさんとRさんが迎えに来たのだ。

「それでは皆さん、御機嫌よう」

スタコラサッサッサーノサー、と退室するのを引き止めた者がいる。凶都出身のすこぶる品のないおばはんである。

「何処へ行くんですか」

「ええとこ」

わずか4文字しか使わなかった男にムッとしたのは明らかだった。KABAの目も笑っていなかった。

外に出てRさんに労いの言葉をかけた。

「KABAちゃんとは相当激しくやり合ったそうで。気まずい思いをさせてすみませんでしたね」

「予定をキャンセルして穴場に行きたい貴方の気持ちも分かるし、彼女の言い分も尤もだし。私は板挟みで大変だったのよ」

「なるほど。ところでKABAちゃんが観光客に土産物をたくさん買うように煽っていたのは何故なんでしょうか。私が一つも買わないんで不満そうでしたよ」

「訳を知りたい?」

「ぜひ聞かせて下さい」

「観光客が購入した代金の何%かが彼女の懐に入るのよ。そんな旨みがないとガイドなんてやってられないと言ったら日本人は怒るかしら(笑)」

「やっぱりマージン取ってたんだ。とすれば私なんかは目の上のたんこぶでしょうな」

Tさんは「KABAちゃんは朝からアドレナリンを分泌しっ放しだったんだ」と言って大笑いした。

夜市は賑やかである。レコード店に入って井上陽水と高橋真梨子のベストを買うことにした。店主がしきりに台湾人アーティストのCDを薦めるのでそれも包んでもらった。

安っぽいジャケットの井上陽水ヒット全曲集

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台湾北東部の町「九分」を訪れる(後編)

2009年06月29日 | 

昼食後、60分の自由時間を与えられた。私は近くの土産物屋で下駄のミニチュアを購入した。この店から石段がはるか上まで続いている。

「豎崎路」と呼ばれる小道は生まれ故郷の西方にある鄙びた漁師町にどことなく似ていた。あそこのように魚臭くはないが、独特の甘ったるい香りが漂う。そう、八角(スターアニス)の匂いである。初めて台北の屋台で嗅いだ時の記憶が蘇ってきた。

飲食店の前に突っ立っていた私は背後から声をかけられた。

「こんにちは。日本の方ですか?」

振り返ると中学生くらいの女の子だった。流暢で丁寧な言葉遣いに驚いた。

「はい」

「九分はいい所でしょう」

「確かに。一度は訪れる価値がありますね」

「私、日本に行きたいです」

「東京?」

「ええ。大阪や京都も見たいと思っています」

「せっかく行くのなら日本の良い所だけでなく悪い所もよく見て下さい。マナーに関して今や日本人は後進国の民並みに酷いからね。とにかく多方面から物を見ることが大切です。そうすれば自国と他国の長所がそれぞれはっきりとわかりますよ」

私の言いたいことがどこまで伝わったかは自信がないが、最後まで聞いていた女の子は気さくな笑顔を浮かべた。そして「ありがとうございました。さよなら」と言って人ごみに消えた。

思いがけない出会いこそが旅の醍醐味であるとつくづく感じた。

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台湾北東部の町「九分」を訪れる(中編)

2009年06月28日 | 

坂をほぼ上りきった所に昼食会場があった。一階でお茶などを販売しており、私達は二階に通された。よく冷えた台湾麦酒をグラスに注ぐ。ゴクッ、飲む前から喉が鳴る。私は乾杯の合図を待たないでグラスに口をつけた。麦酒が喉を通る爽快感がたまらない。

九分の町から太平洋を望む

太平洋を眺めながらの食事はかなり美味しかった。カシューナッツだけで一瓶空けてしまったほどだ。旨味調味料の使用量は以前に比べると明らかに減っている。酒は別料金なので席を立つ際ガイドに現金を手渡した。

ナッツと海老の炒め物

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台湾北東部の町「九分」を訪れる(前編)

2009年06月27日 | 

広い駐車場に大型バスが停まった。台湾島の北東部に位置する「九分」に着いたのだ。

「道が細くなるのでここからは歩きですよ」

ガイドの言葉を聞いた港町出身の年寄が呟く。

「益々腹が減るのぅ。朝あんだけ食うたのにもう胃がグーグー鳴いとるが。昼飯はさぞかし旨かろうな」

霞海城隍廟(その1)

70を過ぎた老人の食欲には笑ったが、実は私もかなり空腹を覚えていた。まずは「霞海城隍廟」を見物する。派手な装飾は日光東照宮を彷彿させる。私は長い坂を見上げてため息をついた。

霞海城隍廟(その2)

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台湾鐵路管理局「平渓線」に乗車

2009年06月26日 | 

台湾鐵路管理局のローカル線に乗る。これはもともと石炭運搬用路線だったが、昭和4(1929)年に台湾総督府交通局鉄道部の管轄下に入り「平渓線」になった。

台湾人の隣に腰掛けて車窓から異国情緒漂う風景を楽しむ。KABAが旅の記念に私を写してくれた。それから間もなく「皆さん、次の駅で降りますから準備して下さい」と大声を張り上げた。鉄道の旅はわずか30分ほどで終わった。

貨物列車

構内に停まった貨物列車は随分長い。「瑞芳車站(駅)」の改札を出ると既に大型バスが私達を待っていた。ここから海の見える町に移動することになった。

瑞芳車站(駅)に到着

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台湾の公衆便所に駆け込む

2009年06月25日 | 

車内が騒がしくなって目が覚めた。どうやら山間の町に着いたようだ。尿意を催した私は便所に駆け込んだ。

「公厠」=公衆便所。流石、旧漢字を使いこなすお国柄、わかりやすい。男女の絵まで描いてあるのは観光客向けか。内部の造りは日本のそれとほぼ同じだった。

美しき川の流れ

雨は上がったものの曇り空で肌寒い。晴れていればTシャツでも暑いくらいのはずだが、ぐずついた天候の日は長袖が必要になる。

きれいな空気を吸い美しい川や滝を見て回り体が温もってきた。川辺の大きな岩に所々穴が開いているのを見て「高価な硯」を連想した。

川辺の硯のような岩

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大型バスは台北の郊外に向かって走る

2009年06月24日 | 

バスの中でKABA(台湾人女性観光ガイド)が話しかけてきた。

「昨晩は楽しかったですか」

「あーもちろん。旧友との久々の晩餐だからね。それはそうと今日の予定変更を聞きました?」

「貴方の別行動についてRさんと話はしています。ディープな所に出かけるそうじゃないですか」

「一般の台湾人が飲み食いする店に行くだけですよ。私は庶民の味以外にあまり興味がない」

連日自由行動する日本人に対して腸が煮えくり返っていたのであろう。KABAの面が鳩山邦夫に見えた(笑)

窓越しに「台北101」を眺めて街の中心から大分遠くに来たことを悟った。ガイドの話を子守唄にして私はウトウトし始めていた。

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台湾の朝粥をすする

2009年06月23日 | 

ロビーに集合した観光客は朝飯を食べに行くため大型バスに乗った。そしてホテルを出て5分もしない内に降ろされた。飲食店が建ち並ぶ市場は既に静かになっていた。現地の人間はあまりいない。24時間営業、セルフサービスの食堂は貸切状態になった。

私は粥の他に揚げパン、肉まん、豚の角煮、モヤシの炒め物などをお盆にのせた。前回の訪台でも朝はずっと粥だった。さらさらの粥に甘い味付けの肉でんぶを放り込んで食べるのがこちらの流儀である。疲れた胃袋には粥がいい。若干アンモニア臭がするピータンを箸で潰し豆腐と混ぜて食べる。私にとっては懐かしい台湾の味だ。

バスが迎いに来るまで市場をぶらついた。上野のアメ横をこざっぱりさせたような印象である。麺やフルーツジュースを売る屋台を覘いたが、腹は既に一杯で買い食いできぬのが残念だった。

ホテルから程近い市場

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台北賓館・東門を見てホテルに向かう

2009年06月22日 | 

明治34(1901)年に完成した「台北賓館」。戦前は台湾総督の公邸として使われ、戦後から2006年まで一般には非公開だった。高い塀の外から建物上部の豪勢な造りをじっくりと観察した。

台北城東門(景福門)が北門とまったく異なる形状なので不思議だった(※戦後に作り直したものだと後で知った)。

けばけばしい印象の台北城東門(景福門)

横断歩道を渡って「中山南路」を北上し「済南教会」に至る。ここで初めて時計を見た。朝の集合時刻まで30分を切っている。

済南協会

慌しくタクシーに飛び乗り再び英語で意思疎通を図った。しかし、行きと同じく鈍い反応だった。あっさり諦めた私はホテルの名刺を差し出した。漢字に優るものはないと閃いたのだ。

運転手は頷いてアクセルをベタ踏みした。日本ではまずあり得ない「ゴボウ抜き」を経験して目を丸くした。法定速度などあってないようなものである。荒い運転のおかげで私は遅刻を免れた。

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物々しい警戒態勢の敷かれた總統府(旧台湾総督府)

2009年06月21日 | 

「博愛路」に入り「總統府」の背面を眺めた。ちょうど警備の軍人が交代するところであった。私の方に鋭い視線を送っている。物々しい警戒を目の当たりにして昭和一桁生まれの老人が語った戦時中の話が頭に浮かんだ。

「昭和18年から20年頃の町の様子をカメラで撮影しておけばよかったとは時々思うが、所詮無理な話よ。あちこちで憲兵の目が光っとるけーちょっとでも変なことをしたら引っ張られたろうな。とにかく窮屈で怖い時代じゃった。あの空襲で助かったんも運かのぅ。新町(※故郷の遊廓地帯)は火の海で入れんかった・・」

總統府(旧台湾総督府庁舎)

正面に周り写真撮影をするが、軍人が乗った黒い車が「凱達格蘭大道」の脇に止まってこちらの様子を注視していた。老人の気持ちが少しわかったような気がした。かつて大日本帝国の「台湾総督府庁舎」だった建物は堂々とした造りで、庶民だけでなく旅人をも威圧する。統治する側とされる側、双方の苦労を考えながら大道を東に進んだ。

凱達格蘭大道から總統府を望む

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台北城北門の前に立つ

2009年06月20日 | 


我々は清朝時代に築かれた台北城を見ることができない。大日本帝国による新都市形成に伴い歴史的文化財は消滅したのだ。

かろうじて取り壊しを免れた城門のうち当時の姿を唯一保っているのが北門である。私は門の前に立ちすくみ中華民国と日本の複雑な関係について思いを馳せた。

北門の向かいにそびえ建つ台北郵局。日本統治時代に台北の中央郵便局として竣工し、今も現役だ。夜がほぼ明けた。迫り来る原付に注意して繁華街の方に足を向けた。

台北城の北門

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黄色いタクシーに乗り「台北駅」に向かう

2009年06月19日 | 

台湾のタクシーはボディが黄色く塗られているのが特徴だ。暗がりの大通りを走るタクシーを捕まえた。後部座席のドアを自分で開いて乗り込み、英語を使った。
 
「台北駅まで行ってくれ」

首を傾げた運転手はとりあえず車を出したが、いきなり小道に入り込んで停車した。運転手が車外に出て私に降りろと言う。「何てこった。俺は大金を持ってはいないよ」と思ったが、仕方がない。指示通りに車から降りた。

すると「お前の持っているガイドブックを見せろ」というジェスチャーをしたので物取りではないことがわかったのである。ボンネットの上で本を広げて「台北車站」を指差した。運転手はようやく行き先を理解してくれた。二人とも照れ笑いを浮かべて出発。まもなく国技館に似た駅に着いた。

台北駅の南側には高層ビル群が建っていた。薄暗いので異様に大きく見える。ガイドブックに挟んでおいた地図を引き抜いて西へ進路をとった。

駅前の高層ビル群

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未明の台北

2009年06月18日 | 

大酒を飲んだ次の日、やけに早く目が覚めた。外は真っ暗。日本時間で5時半。私には行きたい場所があった。自由時間の極めて少ないこの旅行で融通がきくのは今しかない。台北のガイドブックをバッグに入れてホテルを出た。流石に人通りは少ない。

大通りにはコンビニやファストフードの店がたくさんあり、客もボチボチ入っている。日本とあまり変わらない風景だ。緑色の郵便ポストの前で足を止め、現在位置を確認することにした。

目的地までは歩いて30分ほどの距離だったが、根っからの方向音痴と未明というダブルのマイナス条件がたたりどこにいるのかわからない。「こうなった以上、タクシーを捕まえるしかないぞ」と思った。

郵便ポスト

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台湾への旅(その10)

2009年06月17日 | 

珍しい料理があると思って頼んだ「腎臓のスープ」がこの日の白眉だった。モツの中でも腎臓という部位はアンモニア臭が強く下処理には手間がかかる。

鮮度の良さと丁寧な処理があってこそ癖のある食材が一級品に生まれ変わる。腎臓と言われなければ普通の人はまず気づかないだろう。それほど臭みがなく、やわらかく煮込んであった。

見た目からこってりしたスープを予想したが、いい意味で裏切られた。驚くほどあっさりしていたのである。畜肉と野菜のだしの見事な一体感、非の打ち所が無かった。

「うむ。言葉で表現するのがアホらしくなるほどの味ってあるんだな。このまましばらく目を閉じて余韻を楽しみたい」

Tさんは「へーえ。大当たりだね」と言ってニコニコしている。

「貴方、腎臓が悪いの?」

Rさんの妙な問いかけに首をひねった私は口を開いた。

「どうしてそんなことを聞くんですか?」

「医食同源って言葉を知ってるかしら」

「はい。一応は」

「台湾ではお産をして腎臓が弱ったお母さんに食べさせる料理なの。だから面白いなと思って見てたのよ」

「ほーそうなんですか。また一つ勉強になりました。ありがとう」

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台湾への旅(その9)

2009年06月16日 | 

台北新都心を見て東京西新宿を思い出したことを話すと馬鹿受けだった。

「あそこにはよく行ってたもんね。お金も相当使ったとか(笑)」

「Tさん、その話は無しってことでお願いします。故郷にもどってからは高層ビルにまったく縁が無くなって。今日は上ばかり見ていたので首が痛い」

宴が盛り上がってきたところへ熱々のスープが出された。いいタイミングだ。まず私が味見をして率直な感想を述べた。

「胃袋に旨さが染み渡るような感じ。やさしい味で疲れ気味の私にはぴったりだ。本当にすばらしい」

「海苔のスープ」は皆にも好評だった。しかし、「上には上」があったのである。

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