9月最終日曜の『古典個展』に目を通し大笑いした。やはり加地さんの毒舌はイチロー選手以上である。
(前略)
他人の文章を写すのがコピー、それらを切り張り、すなわち糊づけするのがペースト、合わせるとコピーアンドペースト、略してコピペ。
(中略)
…コピペの極め付きは、民主党のコピペ政権ではなかろうか。
なにしろ地についた独創的政策などなにもない。また独創的な政治的戦略などまったくない。
かといって、彼らが独創と称したい政策は、危険きわまりない。例えば外国人に地方参政権を与えようとする亡国的法案を提案しかねない。
あるいはまた、中国や韓国に土下座する売国的外交を独創的と勘違いし、例えば、海洋に関する彼らの横車を黙認しかねない。
それくらいなら、そういう誤った独創はせずに、自民党時代を模範にしてのコピペ政治をするだけのほうがまだまし。能力なき者の独創は暴走する危険性があるので、独創など考えず、おとなしくコピペしていろ。その程度の器なのだから。
(中略)
国民が嗤っているそういう滑稽な村芝居に気づかないのが民主党代表選有権者、とりわけ国会議員どもだ。国民生活をはじめ国防も経済もそっちのけで、ひたすら代表選挙運動に熱中し、こざかしい票読みする政治屋どものコピペ姿‐そうなのだ。民主党には党の理念を示す綱領がないのだから、ただその場かぎりのコピペで済む。鳩山大ウソ、小沢ハッタリ、菅八方美人。資質のない人が国政を担当しているのである。
今年8月6日『ふたたびヒロシマの平和を疑う!』という講演の中で田母神俊雄さんは現与党の危機管理能力の無さを次々と指摘していたが、それがまたしても露呈してしまった。違法行為で勾留した中国人船長を恫喝に屈してあっさり釈放してしまうアホさ加減に私は開いた口が塞がらなかった。そして『WiLL』の蒟蒻問答で「包茎政党」と小馬鹿にされている団体は永久に皮など剥けない「真性」だろうと確信した。
既に海外メディアは「民主党に統治能力はない」と言い出した。まー我が国の左傾新聞よりはまともな眼力がある。「団塊世代の政治家に期待するだけ無駄よ」という日本国民の声があちこちから聞こえてきそうだ。私が予想した「菅第二次線香花火内閣」は案外中るかもしれない(笑)
(前略)
他人の文章を写すのがコピー、それらを切り張り、すなわち糊づけするのがペースト、合わせるとコピーアンドペースト、略してコピペ。
(中略)
…コピペの極め付きは、民主党のコピペ政権ではなかろうか。
なにしろ地についた独創的政策などなにもない。また独創的な政治的戦略などまったくない。
かといって、彼らが独創と称したい政策は、危険きわまりない。例えば外国人に地方参政権を与えようとする亡国的法案を提案しかねない。
あるいはまた、中国や韓国に土下座する売国的外交を独創的と勘違いし、例えば、海洋に関する彼らの横車を黙認しかねない。
それくらいなら、そういう誤った独創はせずに、自民党時代を模範にしてのコピペ政治をするだけのほうがまだまし。能力なき者の独創は暴走する危険性があるので、独創など考えず、おとなしくコピペしていろ。その程度の器なのだから。
(中略)
国民が嗤っているそういう滑稽な村芝居に気づかないのが民主党代表選有権者、とりわけ国会議員どもだ。国民生活をはじめ国防も経済もそっちのけで、ひたすら代表選挙運動に熱中し、こざかしい票読みする政治屋どものコピペ姿‐そうなのだ。民主党には党の理念を示す綱領がないのだから、ただその場かぎりのコピペで済む。鳩山大ウソ、小沢ハッタリ、菅八方美人。資質のない人が国政を担当しているのである。
今年8月6日『ふたたびヒロシマの平和を疑う!』という講演の中で田母神俊雄さんは現与党の危機管理能力の無さを次々と指摘していたが、それがまたしても露呈してしまった。違法行為で勾留した中国人船長を恫喝に屈してあっさり釈放してしまうアホさ加減に私は開いた口が塞がらなかった。そして『WiLL』の蒟蒻問答で「包茎政党」と小馬鹿にされている団体は永久に皮など剥けない「真性」だろうと確信した。
既に海外メディアは「民主党に統治能力はない」と言い出した。まー我が国の左傾新聞よりはまともな眼力がある。「団塊世代の政治家に期待するだけ無駄よ」という日本国民の声があちこちから聞こえてきそうだ。私が予想した「菅第二次線香花火内閣」は案外中るかもしれない(笑)
糸碕神社関係者(女性)のご好意に甘えて境内を再び案内してもらうことになった。私たちは大きなクスノキの前に移動した。推定樹齢は軽く500年を超えるといわれ昭和37(1962)年5月28日に三原市の天然記念物に指定されている。
私は肥大した根元に手のひらをあてて木の生命力の強さを実感することができた。暑い中彼女は神社の歴史についても詳しく語ってくれた。焼失するはるか前の本殿は線路(山陽本線)よりも北側にあったという話は興味深かった。更に社務所内で戦前に撮影された写真(神社鳥居前の船着場、繁栄する松浜遊廓全景など)を目にすることができて非常に嬉しく思った。この場を借りて厚く御礼申し上げる。
10月17日(第三日曜日)に大祭が行われるので県内にお住まいの方は歴史ある糸碕神社に参拝してみてはいかがだろうか。当日は子供相撲の奉納があるそうだ。
糸碕神社の旧称は糸碕八幡宮、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后を御祭神とする。地元の人は親しみを込めて「はちまんさん」と呼ぶ。明治維新後に今の名称に変わったようだ。神社は2度火災にあっており現本殿は1759年に再建されたものである。『糸碕神社参拝之栞』に記された神社の由緒は以下の通り。
由緒
天平元年(七二九)宇佐八幡宮より穏分霊として応神天皇の御産髪を勧請して創祀したと伝える。近世に至り小早川氏が社領三百三十石、銭百五十貫を寄進、その後、福島氏、浅野氏に崇敬されている。元和八年(一六一二)七月十五日に炎上、棟札写しによると寛永元年(一六二四)六月に広島藩主浅野長晟公大願主、三原城主浅野忠長公を大旦主として本殿再建。同十四年に本殿葺替、万治二年(一六五九)拝殿造立す。
宝暦二年(一七五二)に再び火災に罹り、同九年に現在の本殿を再建した。
大正十三年には県社に列格した。現在伊勢神宮を御本宗と仰ぐ宗教法人神社本庁に所属する。
荘厳な造りの拝殿の前では身の引き締まる思いがした。参拝を済ませた私は拝殿の側道から短い石段を上り摂末社(せつまつしゃ)の方に向かった。