子持ちの飯蛸が安く出回っている。4~5匹で200円前後である。ホルモン同様に蛸は下処理が重要だ。
目と口ばしをハサミで切り取り、胴をひっくり返して墨袋とワタを抜く。手でやさしく揉んで吸盤内の汚れを落とす。この際に出る匂いがズルそのもので、気持ち悪くなるが、我慢だ。灰色のムース状の汚れを水で洗い流してから霜降りにする。
下処理済みの蛸と茹でた大根を器に移して煮汁を張ってラップをする。これを蒸し器で10分加熱。自然冷却して味を含ませる。
胴を半分に切ると真っ白な飯(子)が現れる。子はモチモチした食感で左党好みの味だ。抜いた肝を捨てずに極弱火で煮付けたものを私は勝手に「爆弾」と名付けている。濃厚な旨みとほろ苦さがある渋いツマミだ。
私は唐辛子という調味料をあまり使ったことがない。せいぜい一味か七味をパラパラと振りかけるくらいだ。故に唐辛子を多用した料理は大の苦手である。汗を流すだけならまだいいのだが、肛●が痛くなるのにはホトホト困る。
毛沢東は唐辛子とコッテリ豚肉が大好きで、気性が激しかったことで有名である。ド辛いものを食べ続けると攻撃的な性格になり、終には耄碌するのだろうか(笑)
朝鮮半島において唐辛子の使用量が北と南では全然違うのは面白い。同じキムチをとっても寒い北では使用量は少なく、素朴な味と聞く。金正日将軍はド辛いものを好まず、繊細な味がおわかりになるという。草餅や蒸した鰻の蒲焼が好物とは何とも微笑ましい。
闘病中の極左ヅラキャスター(T※Sの広告塔)は唐辛子が祟ったのだろうか。2ちゃんねるでは「天誅」とまで書かれていたが、それはいくらなんでも酷過ぎる。眼鏡の曇った粘着(右も左も)にこの言葉を贈りたい。
「知足心和」
毛沢東は唐辛子とコッテリ豚肉が大好きで、気性が激しかったことで有名である。ド辛いものを食べ続けると攻撃的な性格になり、終には耄碌するのだろうか(笑)
朝鮮半島において唐辛子の使用量が北と南では全然違うのは面白い。同じキムチをとっても寒い北では使用量は少なく、素朴な味と聞く。金正日将軍はド辛いものを好まず、繊細な味がおわかりになるという。草餅や蒸した鰻の蒲焼が好物とは何とも微笑ましい。
闘病中の極左ヅラキャスター(T※Sの広告塔)は唐辛子が祟ったのだろうか。2ちゃんねるでは「天誅」とまで書かれていたが、それはいくらなんでも酷過ぎる。眼鏡の曇った粘着(右も左も)にこの言葉を贈りたい。
「知足心和」
【かねやす】のお母さんに教わった鮒ずしの楽しみ方をご紹介しよう。非常に簡単な料理(吸物)である。茶碗に頭と尾を入れて、お湯を注いで3分待つだけ。
じわじわと脂が浮いてくる。箸で頭を崩して汁を吸う。調味料は何も入れていないのに、上品で淡い旨味が出ている。
目と顎の周りのゼラチン質が熱によってグミのようにプルンプルンになるのが面白い。ちゃんとした吸物ができるのは驚きだった。ネイティブの意見は聞いてみるものだ。
次に鮒を包んでいたご飯を種にして吸物を拵えてみた。スプーン1杯のご飯に薄めのだしを張る。するとだしにえもいわれぬ深い味わいが生じる。酸味が相乗効果によって高次元の旨味に変わるのだ。
鮒ずしは捨てるところのない立派な食材である。発酵食品の調味料としての大いなる可能性を私に示してくれた。
遥か昔に中国から伝わった熟ずしの製法を我が国で更に進化させたものが鮒ずしである。煮頃鮒(ニゴロブナ)のメスを原料として作る。鮒の鱗、エラ、ワタを取り除き真子だけを残して塩で漬け込み、ご飯と共に重石をしてゆっくりと乳酸発酵させた保存食だ。
鮒ずしのビニル袋をハサミで切るやいなやプーンと臭ってきた。鼻が45°回転したかのような刺激だ。鮒に付着したご飯を箸でかき集め、皿に盛った。
出刃包丁で頭と尾を切り離す(これで一品作るので取っておく)。そして贅沢に5mmの厚さにスライスするとオレンジ色の真子が現れた。鼻が馬鹿になったのか、臭いが気にならなくなっていた。
滋賀の肴に広島の酒「酔心」を合わせた。ご飯は酸味の強いクリームチーズみたいで、これを舐めるだけで酒が飲める。鮒ずしはまず爽やかな酸味が口中に広がり、続いて摩訶不思議な旨味が舌を包み込む。この余韻を楽しみながら杯を重ねた。
汗びっしょりになってシャワーを浴びたいところだが、約束の時間は18時である。ホテルの前に立っていた翡翠さんに声をかけた。
「お疲れさまです」
「おぅ。南彦根に行くぞ。あと6分で電車が出る。急ごう」
猛ダッシュで彦根駅まで走り、間にあった。南彦根駅前はこじんまりとした町だった。私達は小洒落た居酒屋に入った。先付けに湯葉スティックが出た。冷たい生ビールが喉にじわーっと染みた。
最初に注文したのが鯖へしこ、鯛わた塩辛、丸干し。左党が喜ぶアテばかりだ。へしこは確かに塩分が強いが、複雑な旨みが舌を駆け巡り、独特の発酵臭が鼻を抜けるのがいい。
「丸干し。シンプルなアテほどうまいなー」
「ほんまにそう思います。酒が進む」
近況報告から昔の思い出、更に食文化論へと話は展開した。かぶらの炊いたん(魚そうめんの餡かけ)は胃袋をやんわりと溶かすようだった。
「かぶらを美味しいとしみじみ感じる年になったよ」
「餡をかけるから冷めにくいんですよね。寒い日にこういうものを食べると落ち着きます」
「結局行き着くところは日本料理なんやわ」
「それが日本人の血ってヤツでしょう(笑)」
「そやな(笑)お前、鮒ずしは大丈夫なん?」
「ええ。臭いもんには抵抗力がありまして…土産に買いました」
〆に水菜がたっぷり盛られた鶏塩鍋をつっついた。酒と鍋で体がポカポカになり、外に出てもあまり寒さを感じなかった。相当酔っていたのだろう。楽しい宴が終わりホテルに帰り着いたのは23時ちょっと前だった。
これまで私が訪れた城下町で特に気に入っているのが金沢、松江、松本、松山だった。ここに彦根が加わることになった。近い将来、また彦根の土を踏むことになるだろう。翡翠さんに会えて本当に良かった。
【かねやす湖魚佃煮店】に駆け込み、奥でテレビを見ていたお母さんを呼び出した。「ほんまに帰って来たん」という風な顔をされていた。知人にゴリなどの佃煮を、そして自分には鮒ずしを買い求めた。
【かねやす湖魚佃煮店】
彦根市本町2-3-12
TEL 0749-22-0605
営業時間 9:30~18:00頃
定休日 金曜
市役所の近くの喫茶店でコーヒーを飲んで彦根郵便局を探す頃には日が落ちていた。道がわからなくなり、商店街の人に二度尋ねた。どちらの人も店から道路に出て指差して教えてくれるのは嬉しかった。
本局に郵便物を預けてホテルに向かう。立花町の寿司店【すぎもと】の看板には「彦根駅まで歩いて12分」と書いてある。「急がんと間にあわんぞ」と思い、早足で歩いてチェックインしたのが17時45分。本当に危ないところだった。
私は豚脂のプカプカ浮いた、こってりラーメンが嫌いな男である。安っぽい味を更に酷くしてどうするの、と思う。だからラーメンなんて1年に5杯も食えば表彰ものだ。
ちゃんぽんという響きの良さに釣られた感じで店に入った。「和風ちゃんぽん」なるものを頼んだ。後から来たおっさんは「あんかけちゃんぽん、ラード無し」と言ってたので目が点になった。
出てきたちゃんぽんは、まさに名前通り昆布の旨みが強かった。さっぱりした野菜ラーメンと言った方がわかりやすいだろう。体にやさしいスープだが、ちょっと物足りなくて卓上の唐辛子を振りかけて食べた。
※注※ 地元の人は酢を入れて自分の味に調整することを後から聞いた。酢が入れば、かなり引き締まった味になるのではなかろうか。再訪した時にやってみたい。
トボトボ歩いて城に到着。堀を泳いでいた黒鳥が私に近づいてクルクル回った。人懐っこい鳥だった。京橋からキャッスルロードに出た。時計の針は16時15分を指していた。
金亀公園を通り三の丸橋を渡った。それから湖周道路に出て北東に進み、コンビニの横の小道に入ると松林が見えた。そして波の音がかすかに聞こえてきた。
最初、琵琶湖には穏やかな印象を受けたが、強い風が吹きつけると一転して荒々しい様相を呈した。それにもめげず松原の水鳥はスイスイと泳いでいた。
晴れているとは言っても顔は引きつり、自然と目が細くなる。厚着をして来たのは大正解だった。近江人はこの厳しい自然の中で知恵を絞って生きてきたことを悟った。
暫く湖畔を散歩し矢倉川の標識を確認して折り返した。遠方にそびえる城迄は30分以上歩かなければならないと思った。その時、「近江名物」と太字で書かれた看板が目に入ったのである。
「これか…。せっかくの機会だから試してみよう」
「付き合ってやれんですまんが…城博物館から見るとえーわ。じゃー18時にホテルの方に行くから」
「わかりました。いろいろとありがとうございます。4時間もあればじっくりと見て回れるでしょう」
翡翠さんと別れて堀に沿って歩いた。いろは松の幹に藁が巻いてあった。これは腹巻ではなく、害虫駆除の目的だろう。藁の下に害虫を集め、一網打尽にして藁を春に焼く。古くからの松枯れ対策だ。
佐和口多聞櫓から表門橋を渡り、彦根城博物館に入った。古地図、器、甲冑、刀が多数展示してあったが、特に注目したのは能面だった。
能面は見る角度によって微妙に表情を変える。怒り、笑い、悲しみといった感じが表れるのが非常に面白い。
博物館を出た私は急な表坂を上り始めた。