共栄町3丁目の風俗店辺りがかつての京町だと思う。戦前は遊廓があったという話だが、「アイリスK」東側の駐車場がその跡地に該当するのだろうか。

同4丁目には数少ない戦前の建物が残っている。「今治ラヂウム温泉」が平成28年(2016)11月29日に国の登録有形文化財に登録されたことは非常に喜ばしい。岡崎直司さんのエッセイ『“MY TOWN”うぉっちんぐ 歩キ目デス&足ラテス vol.79 今治ラヂウム温泉の不思議<今治市>』には建物のことや町名の由来などが書かれており非常に参考になる。
昨秋晴れて国登録有形文化財に選定された、この男湯と女湯が二つのドーム型に設計された建築の偉容は、大島出身の材木商村上寛造氏によって大正8年位創業された。ただ、実は正確な建築年が判明しておらず、昭和2年には存在していたという事のみ伝わっている。肝心の設計図書や、木造建築にあるような棟札の存在が無い為に、その設計者・施工会社は何れも不明である。資料が無い訳は、太平洋戦争末期、未曾有の災禍となった今治空襲によって隣接していた村上家も被災し、全てが焼失した事によるらしい。米軍機による空襲は、昭和20年4月26日、5月8日、8月5日、6日の計4回実施され、数百名の死者を数えた。
そもそも寛造氏は材木商で成功し、葦原でしかなかった場所に歓楽街を造り上げようと、大正期に映画館(共楽館と第二共楽館)や温泉などを興し、一帯を父京造の名から一字取って京町と名付け(今の共栄町)、一代でその夢を成し遂げた。されどもラヂウム温泉の建物は、ふんだんに手に入るハズの木材による建築とせず、当時の最先端と思われるコンクリートで計画する。