2006年8月に発売された本だが、とても面白くて何度も読み返している。大日本帝国の威信をかけた東京駅(辰野金吾設計)が完成するまでに紆余曲折を経て鉄道路線が整備されていく過程を詳しく説明した力作。
経営不振に陥った多くの私鉄路線を吸収、国有化することによって現在の山手線、総武線の原型が作られたことは注目に値する。明治15(1882)年から東京馬車鉄道会社が営業を開始し、多くの乗客を運んでいたくだりは非常に興味深い。
馬がレールに沿って客車を牽いたので、街は人力車、馬車、人が溢れて大変な混雑だったという。馬の垂れ流す糞尿で雨の日などは物凄く臭ったことが分かり、苦笑を禁じ得ない。
樋口一葉や寺田寅彦の日記にも馬車鉄道は出てくる。一葉が病没する明治29(1896)年は馬車鉄道の全盛期に当たることをこの本で知った。
経営不振に陥った多くの私鉄路線を吸収、国有化することによって現在の山手線、総武線の原型が作られたことは注目に値する。明治15(1882)年から東京馬車鉄道会社が営業を開始し、多くの乗客を運んでいたくだりは非常に興味深い。
馬がレールに沿って客車を牽いたので、街は人力車、馬車、人が溢れて大変な混雑だったという。馬の垂れ流す糞尿で雨の日などは物凄く臭ったことが分かり、苦笑を禁じ得ない。
樋口一葉や寺田寅彦の日記にも馬車鉄道は出てくる。一葉が病没する明治29(1896)年は馬車鉄道の全盛期に当たることをこの本で知った。
九州鉄道記念館は門司港駅のすぐ近くにある。黒い蒸気機関車が私達を迎えてくれた。実物の車両を間近に見られるのが非常に嬉しい。特急や寝台などは中に入って座ることもできる。鉄道好きの子どもは大喜びしている。
世界初の電車形の寝台特急(月光)は陳腐な座席である。寝室の造りを見て時代を感じずにはいられなかった。ひどく狭くてとても安眠などできるものではない。ウトウトしながらゴトゴト揺られて昔のサラリーマンは出張していたのである。
本館のマニアックな展示を見て土産を買ってレジに行くと雨音が聞こえてきた。とうとう本降りになったのである。子どもを乗せて走っていたミニチュア車両が収納庫に入って行った。
三宜楼(かつての料亭)のある辺りをぶらつく予定を取り止めざるを得なかった。私達は足早で駅に戻り、発車寸前の赤い電車に飛び乗ったのである。
「やれやれ、すごい人だ。小雨が降ってきたし、止めて帰るか(笑)」
「馬鹿野郎!止めてどうすんだよ。あれを見たいって言ってたじゃないか。行くぞ」
栄さんに喝を入れられて門司港行きを承諾した。次の便に回されるのを覚悟していたが、乗船できた。関門連絡船内はギュウギュウ詰めで息苦しいほどである。対岸へは5分で着いた。
先ずはJR門司港駅(九州最古の駅)に向かう。駅前で2台の人力車が客を待っていた。筋肉質の車夫が「お客さん、これに乗って観光しましょう」としきりに勧めてくる。これをあっさり無視してレトロな駅の便所に入り汚水タンクを空にした。
「バナナの叩き売りの発祥地は門司なんだ。知ってたか」
「ほー、そいつは初耳だ。道理で彼方此方にバナナが置いてある訳だ(笑)」
貯水タンクを空にした私達は旧門司三井倶楽部などの古い建物を見て目的の場所を目指した。今にも土砂降りになりそうな濁った空が私は気になっていた。