御船町1丁目(北)交差点そば(南西)のばら花壇の中に古い道しるべと説明板が建っている。背後のレトロな建物が敗戦からしばらくして出来た安藤のラムネ屋だ。


先日近くを通って説明板が新しくなった(茶色の背景に白抜き文字で表示)ことに気付いた。多くの人の目に留まるようになったことはいいことだ。

通町(とおりちょう)筋の人にとっては馴染みの深い石造物である。市内に江戸時代の道しるべはいくつか残っているが、寺町口の道しるべ(1860年建立)が私にとっては一番身近な存在だ。広報ふくやま1999年11月号の歴史散歩「街道と道しるべ」には詳しい解説が載っている。
江戸時代、福山城下の出入り口は、東に2か所、西に2か所あり、辻々には道しるべが建っていたと思われますが、行方不明のものもたくさんあります。
笠岡町から寺町筋を抜け、三枚橋を渡ると笠岡街道で、東の出入り口の一つです。御船町の寺町口に、江戸時代の道しるべが元の位置より少し南に建っています。高さが125cmある立派な石柱の四面に、力強い筆致で次のように刻まれています。「左九州道尾のミち五里 三ハラ八里 とも津三里」「右上方道 かさをか三里半 玉志ま八里 をか山十五里」「蔓延元年庚申九月建」「世話人 今津屋和助 山手屋太兵衛 御領屋荘七」。
最後の画像は元旦に撮影したもの。説明板がきれいになると道しるべの見ばえまで変わってくる。大切に守ってゆきたい文化財の一つである。



先日近くを通って説明板が新しくなった(茶色の背景に白抜き文字で表示)ことに気付いた。多くの人の目に留まるようになったことはいいことだ。

通町(とおりちょう)筋の人にとっては馴染みの深い石造物である。市内に江戸時代の道しるべはいくつか残っているが、寺町口の道しるべ(1860年建立)が私にとっては一番身近な存在だ。広報ふくやま1999年11月号の歴史散歩「街道と道しるべ」には詳しい解説が載っている。
江戸時代、福山城下の出入り口は、東に2か所、西に2か所あり、辻々には道しるべが建っていたと思われますが、行方不明のものもたくさんあります。
笠岡町から寺町筋を抜け、三枚橋を渡ると笠岡街道で、東の出入り口の一つです。御船町の寺町口に、江戸時代の道しるべが元の位置より少し南に建っています。高さが125cmある立派な石柱の四面に、力強い筆致で次のように刻まれています。「左九州道尾のミち五里 三ハラ八里 とも津三里」「右上方道 かさをか三里半 玉志ま八里 をか山十五里」「蔓延元年庚申九月建」「世話人 今津屋和助 山手屋太兵衛 御領屋荘七」。
最後の画像は元旦に撮影したもの。説明板がきれいになると道しるべの見ばえまで変わってくる。大切に守ってゆきたい文化財の一つである。


先ずは4月13日からふくやま美術館で開催されるウルトラマン創世紀展。私がリアルタイムで見始めたのはウルトラマンA(エース)からだが、篠田三郎が演じたタロウが一番はっきりと記憶に残っている(ダンが登場するのが嬉しかったというのもある)。とにかくウルトラマンシリーズは再放送を何度見たことか。昭和40年代生まれにとっては思い出のテレビ番組(特撮)だ。当時メンコやフィギュアが大人気だったのを思い出す。

そして5月からは恒例の鞆の鯛網が始まり、18(土)・19日(日)は第46回福山ばら祭である。イメージキャラクターのローラちゃんの下に18日ローズコンサート(入場無料)のゲストとして「まなみのりさ」の名前が出ていた。中央公園わくわくステージにやってくるウルトラマンAを見に行こうかな、童心にかえって(笑)


そして5月からは恒例の鞆の鯛網が始まり、18(土)・19日(日)は第46回福山ばら祭である。イメージキャラクターのローラちゃんの下に18日ローズコンサート(入場無料)のゲストとして「まなみのりさ」の名前が出ていた。中央公園わくわくステージにやってくるウルトラマンAを見に行こうかな、童心にかえって(笑)


私はバス停前で足を止め「これだよ」と大声を上げた。順勝寺山門は三原観光のおすすめスポットである。西国街道沿いに新旧の建物が違和感なく並んでいるが三原の「いぶし銀的魅力」だろう。
三原市重要文化財
順勝寺山門
昭和五十四年四月二十一日指定
所在 三原市 西町
三原場内にあった御作事奉行所門を、明治十年(一八一七)に順勝寺に移したものである。
築城当時の建築物が、当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく貴重な遺構で、永禄から天正年間(一五五八~九二)の作と推定される。
構造形式
四脚門、切妻造り、本瓦葺き、
梁間二・三七メートル、桁行六・〇メートル、
軒高三・二メートル
三原市教育委員会


「三原市重要文化財 作事門」と刻まれた石柱の裏には補修寄附者の名がある。この奥延哲朗という人は煮豆製造メーカー「奥延食品(三原市皆実2丁目)」の創業者でまたびっくりした。私は中門の方へ向かった。

三原市重要文化財
順勝寺山門
昭和五十四年四月二十一日指定
所在 三原市 西町
三原場内にあった御作事奉行所門を、明治十年(一八一七)に順勝寺に移したものである。
築城当時の建築物が、当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく貴重な遺構で、永禄から天正年間(一五五八~九二)の作と推定される。
構造形式
四脚門、切妻造り、本瓦葺き、
梁間二・三七メートル、桁行六・〇メートル、
軒高三・二メートル
三原市教育委員会


「三原市重要文化財 作事門」と刻まれた石柱の裏には補修寄附者の名がある。この奥延哲朗という人は煮豆製造メーカー「奥延食品(三原市皆実2丁目)」の創業者でまたびっくりした。私は中門の方へ向かった。

