私にUを紹介したのは“飯蛸”である。“飯蛸”はUと“I”と非常に仲が良かった。Uの第一印象は「神経質そうな男」だったが、話し出すと気さくで助平な遊び人であることがわかった。
私は18~19歳の時分ありとあらゆる悪い遊びを経験し、成人後は馬鹿らしくなって遊びを控えるようになった。悪の道の楽しさを教えてくれたのが、夜の帝王Uだ。彼のアジトは汚いことで有名だった。広島の下宿は一度も掃除をしておらず、ゴミの部屋と化していた。
空気は埃っぽくてすぐに足の裏が痒くなった。これは“I”からの又聞きになるが、薬缶で湯を沸かしてカップめんに注いでいる時に茶色い皮のようなものが出てきたらしい。大物のUが「多分はじけ豆の皮やろ。大丈夫、大丈夫」と言ったものは、チャバネゴキブリの死骸であった。「とても食えんかったわ」と“I”は渋い表情で語り、笑い出した。
東広島市に移ってからもUは掃除をしなかった。彼の部屋の掃除をしていたのは私達である。気が散って密談も進まないので、渋々掃除機をかけた。風呂の排水溝には下の毛の何十倍もの頭髪が詰まっていたのには目が点になった。
私は異臭の漂うアジトを皮肉って毒荘と名付けた。この部屋で数々の悪事を計画し、実行に移した。私とUが警察にマークされなかったのは、下見界隈がド田舎であったからである。今では毒荘の隣に「派出所」が出来ている。あの時オマワリが近くにいたら、私達は間違いなくブタ箱にぶち込まれていたことだろう。
Uと私には「墓場まで持って行かなければならぬ秘密」がある(笑)。これまで付き合いが続いているのは「仲間を決して売らなかった」からだ。彼は「しょうぞう」という小林明のモノマネが好きだった。