寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

銀世界

2004年12月31日 | 日記

大晦日に雪が降るとは思わなかった。この辺りでは雪が積もること自体珍しい。喜んでいるのは子どもだけである。長靴を履いて生そばを取りに行ってきた。主人は『申し訳ないですね』と言ってくれた。
 
市場は今日が最終営業日。『これじゃ~どうしようもない。刺身は100円引きにしてあげるよ』と魚屋の兄ちゃんもふて腐れていた。マグロの赤身と塩茹で海老を買った。

忘年会最終

2004年12月31日 | 外食
旧友Eと行きつけの割烹へ。大入りであった。カウンターのど真ん中に座った(そこしか空いていなかった)。とりあえず生ビールで乾杯し、食べたい物を注文した。

【前 菜】 黒豆・数の子・田作り・筍
【刺 身】 あこう・鯖
【焼 物】 のどぐろ
【揚 物】 河豚白子・エリンギ
【焼 物】 銀杏
【箸休め】 鯖カマの塩焼き
【蒸し物】 穴子

これほど旨い生鯖を食べたことはない。箸休めはサービスで出された。普通このアラは船場汁にするのだが、こういう食べ方もありかと勉強になった。極太の白子をぶつ切りにして衣をつけ、揚げたものはこの時期だけの楽しみである。抹茶塩をつけて食べる。濃厚な味わいで、春の鯛の白子にも負けない。今回も主人の力技に完敗。すがすがしい気持ちで店を出た。

Eとは高校時代からの付き合いだ。同じ大学(学部も)へ進み、お互いに馬鹿ばかりやっていた。口げんかもよくしたが、二人の関係にひびが入ることはなかった。これは彼のおおらかな性格のおかげであろうし、私も多少丸くなったということかな(笑)。

【日本焼肉物語】宮塚利雄 著

2004年12月25日 | 書籍

1999年に発行された本(太田出版)である。宮塚さん(韓国留学を経験)は北朝鮮関係の著述で有名な人である。
 
『焼肉』という名称は南北間の政治的対立の妥協の産物であるらしい。プルコギ(火で焼く肉)を日本語に訳し、これが定着した。戦後のホルモン焼誕生に関する話は一読の価値あり。ここで参考文献として引用されるのが【放浪伝 昭和史の中の在日】(金文善 著)。

その【放浪伝】では在日一世の過酷な生活が克明に描かれている。日雇い労働者が集落でトンチャン(糞の通る腸⇒大腸)を焼き、火が通らないうちに(モタモタしていると仲間に取られてしまう)塩をつけて口に放り込むくだりは興味深い。敗戦後、日本人は飢えをしのぐためにモツを食べるようになる。

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伝説のコンサート

2004年12月18日 | 洋楽
ジョージ・ハリソン氏が亡くなって3年になる。彼が日本公演を行ったのは今から13年前のことである。


1991年12月6日、有給休暇を取り広島サンプラザへ向かった。ダフ屋がかなり出ていたと記憶している。会場では懐かしい面々と再会した。友人の多くは当時院生であった。私は悪名高き某クラブでチケットを購入したのだが、彼等よりもはるか後列で内心むっとしていた。コンサートは見応え、聴き応えありで、値段以上の価値があったと思う。

今年の5月前後であろうか、この日の音源(良好な隠密録音)が裏市場で販売された。私はしばらくしてそれを買った。このCD聴くとあの時の感動がジワジワと蘇ってくる。TAXMANでのエリック・クラプトンのバッキングボーカル、オフィシャルではカットされたレイ・クーパーのパーカッションソロなど聴き所は多い。クラプトンのセットは僅か4曲であるが、完成度は非常に高い。OLD LOVEのギターソロは特に良かった。

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道頓堀3

2004年12月17日 | 
6F、7Fへの移動は階段を使う。レトロな雰囲気がいい。【串かつ だ■ま】の作りが時代を感じさせる(創業昭和4年)。当時はこんな風であったのだろう。


K君は『せっかく大阪まで来たんだからタコ焼き食ったら』と言ってくれたが、余力は残されていなかった。屋外に出て一休憩。学生時代の話をしながら、飲むホッピーは格別の味だった。会計は5F出口にて。ICカードで一括清算となっている。[なんば駅]で再会を誓い、別れた。

道頓堀2

2004年12月16日 | 
イカ焼きを頬張りながら、関東の友人が大阪観光の際に語ったことを思い出していた『大阪はメリケン粉とソースの文化だね』ん~、言い得て妙だ。私などは子どもの頃から母親が揚げた天ぷらに当たり前のようにソースをかけてガツガツ食べていた。

『天ぷらには天つゆか醤油でしょう』と彼はビックリしていたが、西日本の家庭では天つゆにつけて食べる習慣はあまりないと思う。専門店で食事をする時くらいだ。ジャンジャン横町の【ホ●モン道場】の味付もソースベースであり、友人は『こういう食い方もあるのか』とカルチャーショックを受けたみたいであった。

道頓堀1

2004年12月15日 | 
K君は私を道頓堀へ連れて行った。旧中座跡が【道頓堀極楽商店街】というテーマパークになっている。


姉ちゃんの案内でエレベーターに乗り込む。5Fで通行札(ICカード)を貰った。大正から昭和初期の大阪の繁華街を再現しており、興味深い。ややせせこましい感はあるけれども、一度遊びに行く価値はあるだろう。

屋台風の店では飲食ができる。私はイカ焼きを奢ってもらった。阪神百貨店の地下で売られているものよりも美味しかった。

なんばパークス2

2004年12月14日 | 
昼食はラーメンでもよかったが、どこも満席で店の外にも座り客がいた。で比較すいていたKU★■○iNAへ入った。私はオーソドックスなハンバーガーセットにした。かなりのボリュームである。


日本のハンバーガーとは全然味が違う。パテは硬め。ペッパーがよくきいており、肉本来の味が引き立っていた。新世界で飲んでいたため、この時点でおなかはいっぱいだった。14時過ぎ、店を出た。

なんばパークス

2004年12月14日 | 
御堂筋線に再び乗り、[なんば駅]で降りた。待合せの時刻まで約1時間あったので日本橋のBへ向かった。買いたいと思うブツはなかった。パソコン街を物色して時間を潰した。

新歌舞伎座でK君と再会。10月の宴会以来だ。飯でも食おうということになり、なんばパークスへ移動した。エスカレーターで7階へ。【浪速麺だらけ】というコーナーへ入る。全国各地の袋ラーメンが展示してあったが、私が初めて見るものも多かった。この中にはラーメン屋が何軒かあり、そこそこ繁盛していた。

新世界その3

2004年12月13日 | 
『もう一軒入ってみようか』との思いが頭をよぎった。つまみのメニューが山ほど張ってある[Y屋2]に私は自然と吸い込まれた。チューハイ(300円)と玉ひも煮(350円)と自家製イカの塩辛(250円)を注文する。私の隣で酔っ払ったおっさんが紅ズワイガニをつっついていた。スルメイカで作った塩辛が予想外に旨かった。肝を裏ごししてダシの素を加えているのだろう。こういう方法が一番簡単で旨いと寿司屋のオヤジに教わったことがあった。この店には左党が泣いて喜ぶようなアテがたくさんある。タニシ(400円)、エノキぽん(300円)などなど。握りに赤だしがついて500円、安過ぎるわ。1000円でお釣が返ってきた。

新世界その2

2004年12月12日 | 
10時半過ぎという時間でも[八●勝]にはたくさんのお客さんが入っていた。知名度ではここが№1だろう。とりあえず生とドテを注文。明るいうちから酒を飲むのもたまにはいい。ソースの2度漬けお断りは暗黙のルールになっている。一応張り紙はしてあるが。

食いかけの串にもう少しソースをかけたい時はどうするのか?つまみのキャベツ(いくら食べてもタダ)でソースをすくい取ってネタにふりかけるのだ。

さすがにそんなことをするのは観光客くらいだと思う。周りのお客さんはソースにしっかりと串を漬けていた。ソースは甘めであるが、わりにさっぱりとしている。串カツ(3本で300円⇒これが大阪商法)・イカ(200円)・エビ(400円)を食べて、勘定は1700円だった。

新世界その1

2004年12月12日 | 
御堂筋線[動物園前]で下車。6番出口を抜けると、近代的な風呂屋の地下だ。エスカレーターに乗り、地上に出る。右手にはJR新今宮駅(この周辺はデインジャラス・ゾーンで写真は撮らない方がいい)がある。ここから左に曲がる。50m先にジャンジャン町入口という表示が見える。

大阪で昼飯を食う時は大概ここに来る、安くて旨いから。めっちゃおなかが空いている場合は「M屋」に入る。素うどんが160円。私はきつねを頼むことが多い。これでも210円、しかもよく出来た味。オヤジは無口で愛想はまったくない(笑)。オバチャンはオヤジの横に座り込んで、青ネギを洗っている。地元の人はうどんではなく、そばを注文している。これは意外な発見であった。


忘年会一発目

2004年12月11日 | 外食
私用を済ませ、のぞみに飛び乗り帰宅すると18時近くになっていた。集合時間まで1時間しかない。バス停まで走ったが、間に合わなかった。タクシーに乗り、駅へ向かった。

『今日は忙しいですよ。忘年会のおかげで』
『そうなんですか』
利用客が多いということは景気も少しは上向いているのだろうか。
 
割烹Kのカウンターはほとんど埋まっていた。予約席に座り、クエ入荷という貼り紙が目に入った。とりあえず、刺身(クエ・ヨコワ・大トロ)を注文した。主人はこの日釣りに出かけ、体長60cmの真鯛を持ち帰っていた。カマの塩焼き、骨蒸し(頭部)を食べたが、どちらも鯛の気品を感じさせた。あれこれ飲み食いして1人7000円である。『安いな』と喜んでいたら、主人から『年末までにもう一回来てよ』とプレッシャーをかけられてしまった。

おせち

2004年12月09日 | 食材
コンビニでチラシが目に入った。結構な値段だが、買う人も多いのだろう。私の家は、煮しめがメインである。これさえあれば酒は飲める。私が毎年担当する料理がある。それは数の子の下処理。塩出しをして、薄皮をむく。はっきり言って手間がかかる。調味液には漬けず削り鰹をぱっと振り、その上から生醤油を少しかける。シンプル・イズ・ベスト。ぜひお試しあれ、ほんとに旨いから。

年賀状

2004年12月06日 | 日記
ぼちぼち書いてはいるが、はかどらない。今年は裏も手書きにした。両面印刷というのが最近の流れである。しかし、私は表だけは自分で書くべきだと思う。これを横着するくらいなら、出さない方がいいんじゃないか。賀状不要という人もいて、その人とはメールで新年の挨拶を交わす。むしろこっちの方が思ったことが伝わって気持ちがいい。

礼状、詫び状はすぐに出した方がいい。明日やろうと思っていると、結局書かずに終わってしまう。デキる人はこの辺の対応が早い。私もこの頃は書状を出さずに電話で済ましていることが多いのだけど...