母国語のできない国民が増加しているという報告は非常に興味深かった。自分の思いを論理的に話したり書き記せない若年層を見て唖然とした。番組は言語力低下の要因として親との会話の少なさ、携帯メールへの依存度の高さなどを挙げていた。私は若者が「古典文学」をあまり読まなくなったことも関係していると思う。
高校を卒業するまで大の文学嫌いだった私自身も感想文を書かされるのが非常に苦痛だった。大学に入ってからその弱点を痛感し、様々な本を読むようになった。そうして文章の書き方を少しずつ学んでいった結果、試験の答案に長文を綴ることができるようになった。
今の世は「情報が腐るほどある」のに、そこから「優れた手本を見い出すことのできない」若者がちょっと気の毒になったのである。
高校を卒業するまで大の文学嫌いだった私自身も感想文を書かされるのが非常に苦痛だった。大学に入ってからその弱点を痛感し、様々な本を読むようになった。そうして文章の書き方を少しずつ学んでいった結果、試験の答案に長文を綴ることができるようになった。
今の世は「情報が腐るほどある」のに、そこから「優れた手本を見い出すことのできない」若者がちょっと気の毒になったのである。
小説「門」の冒頭には主人公が妻に忘れた漢字を尋ねる印象的なシーンが出てくる。
宗助は仕立卸しの紡績織の背中へ、自然と浸み込んで来る光線の暖味を、襯衣の下で貪る程味ひながら、表の音を聴くともなく聴いてゐたが、急に思ひ出した様に、障子越しの細君を呼んで、
「御米、近来の近の字はどう書いたつけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたゝましい笑声も立てず、
「近江のおほの字ぢやなくつて」と答へた。
「其近江のおほの字が分らないんだ」
細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、其先で近の字を縁側へ書いて見せて、
「斯うでしやう」と云つた際、物指の先を、字の留つた所へ置いたなり、澄み渡つた空を一しきり眺め入つた。宗助は細君の顔も見ずに、
「矢つ張り左様か」と云つたが、冗談でもなかつたと見えて、別に笑いもしなかつた。
よく使う漢字であるのに忘れてしまった経験は誰しもあるだろう。パソコンで文字を入力し変換して「これだ、これだ」と納得する。
先日、仏壇の前で般若心経を唱えている時に開始早々でつまってしまった。それでやり直したのだが、またつまった。漸く三度目で流れをつかんで最後まで行けた。私は「年は取りたくないもんだ」と言って大笑いした。
22日放送のバンキシャで面白い企画をやっていた。マグロの(都道府県別)消費量の1位から5位までは東日本で占めていた。1位は北関東かと思ったら何と静岡だった。関東人にとって刺身は赤いものというイメージが強いそうだが、それは子どもの時からよく食べている証拠だ。
私の場合はその逆で刺身はやはり白身が主体となる。マグロ、サーモン、しめ鯖、鰆、真鯛の刺し盛りがあるとすれば、まず白身から箸をつけるだろう。関東で数年間暮らした経験はあるが、嗜好はまったく変わらなかったのである。
地元の割烹で「マグロを置かないこと」をウリにする店が本当に何軒かある。「何もそこまでしなくてもよかろう」と言う私に店主は「マグロを食いたきゃ寿司屋にいけばいいんだ」とにべもない。確かに主の発言にも一理ある。潰れずに細々と営業しているのである程度は支持されているのだろう(笑)
世の中には様々な禁忌(タブー)が存在する。タブーに関して自由な意見を述べる場所の代表例が2chであろう。
不特定多数の書き込みの大半は人をおちょくったような内容だが、一部には鋭い問題提起とそれにまつわる利権と腐敗の情報提供がある。社会にとっての害を垂れ流す2chは規制しなければならないという意見があることは事実だが、こうした「有益な内容」を目にすると拙速に結論を出すべきではないと思う。
同じネット掲示板で「某市役所にネット上の書き込みの一字一句に目を通して削除依頼を出す専門職員がいる」と書かれているのを見た時には開いた口が塞がらなかった。
そして「戦前の教育や制度はすべて悪かった」と安易に発言する輩ほど「特高警察が用いた手法」とそっくりそのままのことをしているんだなと思い「滑稽さ」に苦笑した。
普段は高みからモノを言ってしたり顔の新聞記者がこの手の話題に腰が引けているのは情けない。(一応)報道のプロならば、真正面から斬り込み、一部の有力者の発言だけでなく、多様な意見を汲み上げた上で問題解決の道を模索すべきだろう。しかし、何故か彼らは消極的である。
それは巨大な権力による執拗な報復攻撃を恐れてひれ伏し、ケツの穴まで見せているからではないだろうか。社にとって「厄介なことは片隅にやる姿勢」ではネット住民から「ケツの穴が小さい」とか「ご都合主義」といった誹りを受け続けるだろう(笑)
不特定多数の書き込みの大半は人をおちょくったような内容だが、一部には鋭い問題提起とそれにまつわる利権と腐敗の情報提供がある。社会にとっての害を垂れ流す2chは規制しなければならないという意見があることは事実だが、こうした「有益な内容」を目にすると拙速に結論を出すべきではないと思う。
同じネット掲示板で「某市役所にネット上の書き込みの一字一句に目を通して削除依頼を出す専門職員がいる」と書かれているのを見た時には開いた口が塞がらなかった。
そして「戦前の教育や制度はすべて悪かった」と安易に発言する輩ほど「特高警察が用いた手法」とそっくりそのままのことをしているんだなと思い「滑稽さ」に苦笑した。
普段は高みからモノを言ってしたり顔の新聞記者がこの手の話題に腰が引けているのは情けない。(一応)報道のプロならば、真正面から斬り込み、一部の有力者の発言だけでなく、多様な意見を汲み上げた上で問題解決の道を模索すべきだろう。しかし、何故か彼らは消極的である。
それは巨大な権力による執拗な報復攻撃を恐れてひれ伏し、ケツの穴まで見せているからではないだろうか。社にとって「厄介なことは片隅にやる姿勢」ではネット住民から「ケツの穴が小さい」とか「ご都合主義」といった誹りを受け続けるだろう(笑)
dancyuの1993年3月号で私は落合務という名前を初めて見た。その時、彼がどんなにすごい人かは全く知らなかった(当時の肩書きはグラナータの総料理長)。そこには本格派ミートソースの作り方が載っていた。落合流アレンジと古典的ボローニャ風の2つを熟読した上で前者を作ることにした。
田舎町のスーパーで安いテーブルワインとその他の材料を買い求めた。オリーブオイルでセロリをじっくり炒めると非常に甘くなること、ワインの旨みを肉に吸わせる重要性を知った。それまで食べていた甘いミートソースとは比べ物にならぬ深い大人の味だった。寒い地方ではバターと肉をよく食べる意味合いをも理解させてもらった。
落合さんは生活ほっとモーニングの3シェフ競演(月1回の放送)でも光る料理を次々と披露している。できる人は和、中華から優れた技法を取り入れて独自のアレンジを加え新しいイタリアンにしている。
気さくで丁寧な喋りには好感が持てるし、「私も作ってみよう」と一般の人に思わせる能力に長けている。イタリア料理の普及に大いに貢献した日本人シェフの1人であろう。
田舎町のスーパーで安いテーブルワインとその他の材料を買い求めた。オリーブオイルでセロリをじっくり炒めると非常に甘くなること、ワインの旨みを肉に吸わせる重要性を知った。それまで食べていた甘いミートソースとは比べ物にならぬ深い大人の味だった。寒い地方ではバターと肉をよく食べる意味合いをも理解させてもらった。
落合さんは生活ほっとモーニングの3シェフ競演(月1回の放送)でも光る料理を次々と披露している。できる人は和、中華から優れた技法を取り入れて独自のアレンジを加え新しいイタリアンにしている。
気さくで丁寧な喋りには好感が持てるし、「私も作ってみよう」と一般の人に思わせる能力に長けている。イタリア料理の普及に大いに貢献した日本人シェフの1人であろう。