寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

母校再訪(その5)

2007年01月31日 | 学生時代

スペイン広場の横には西2食堂・コープショップがある。平日、学生はこの階段に座ってのんびり昼食をとっているらしい。昔は草ぼうぼうの荒地だった。

しあんばしを渡ると東図書館の前に出る

中核派のアピール

しあんばしを渡り、ケバケバしい看板の前に立った。千田キャンパスでイヤになるくらい目についた特徴のある文字。しかし、改悪と決めつけるのはいかがなものかと思った。

学び舎の階段を下った先にはプレハブの書籍部があった

大学会館前

かつての学び舎を後にして大学会館前バス停に着いた。時刻表を注視していると、西条駅行きのバスが轟音を立てて入ってきたので、飛び乗った。

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母校再訪(その4)

2007年01月30日 | 学生時代

目的を果たした私は、いつものコースを辿らずに学士会館の方向へ進んだ。この建物と隣接したホールをはじめて眺めた。左手にはぶどう池と工学部の懐かしい風景が広がっていた。

工学部とぶどう池を望む

学びの道

ここから総合科学部を目指して学びの道を歩いた。総合科学部は所謂教養部に相当する。理系学部の学生はここに一年半籍を置き、単位が揃うと専門へ進むことを許された。きわどい線で助かり、胸をなでおろしたほろ苦い過去がよみがえってきた。

現在の総合科学部

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母校再訪(その3)

2007年01月29日 | 学生時代

法・経済学部と図書館の間の広場で工事が行われていた。今年5月上旬オープン予定のカフェ(サタケスクエア)である。学生・教職員が集う「知的にぎわい」の創出を目的としているみたいだ。

中央図書館

図書館に入り、特別展示室に足を向けた。福沢諭吉の『学問のすすめ』の原本を見た。明治5年の再版は文庫本サイズでペラペラ紙に小さな字が印刷してあった。芥川龍之介の草稿もはじめて見た。いろいろ説明してくれた文学部の先生と立ち話をした。

税金が投入されている大学の図書館を一般市民に開放するのは当然であり、義務でもあると彼は語った。助成金を貰っている私学が市民を受け入れないのは時代錯誤も甚だしいとも言った。そして「ゆとり教育」の結果、学力のない生徒であふれていると嘆いた。私は悲しい現実として受け止めた。

図書館2階

パソコンで原爆と近代教育史の文献を検索し、2階に上がった。ここは宝の山だ。本好きにはたまらない。落ち着いた雰囲気の中でゆっくり頁をめくる。私は若い頃、神田神保町に通っていた。古書を立ち読みしてから、三省堂で面白そうな本を買い、【ランチョン】に行くのが常だった。黒ビールを飲みながら読書にふけった土曜の昼下がり。あの時と同様の感動をおぼえた。

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母校再訪(その2)

2007年01月28日 | 学生時代
メイン道路の右側にラーメン屋、フタバ図書が見えた。鏡山公園の上り坂にはG田が住んでいたアパートが当時そのままの姿で残っていた。バスは長い下りに入って交番がある交差点を突き進んだ。中央口で下車、料金は280円だった。

1番ゲート

お昼時の北1カフェテリア食堂

1番ゲートから構内に入り中央通りを歩いて北1カフェテリア食堂に向かった。お昼には少し早かったので学生はまばらであった。私は並ライスに味噌汁とおかずを3つトレーにのせて、おばちゃんにお金を払った。

北1カフェテリアの昼食、野菜と魚は外せませんな

並ライス 100円
味噌汁 30円
小松菜和え物 80円
ナス味噌炒め 90円
サバ煮付け 160円

ナスとサバは甘辛い味付けで飯がすすむ。腹を満たした私は隣の中央図書館に移動した。

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母校再訪(その1)

2007年01月27日 | 学生時代
今回は車を使わずにJRとバスを利用して大学まで行くことにした。西高屋辺りはかつては恐ろしいほどの田舎であったが、かなり開けている。

小奇麗になったJR西条駅の周辺

西条駅前の様変わり

西条駅の改札を抜けて私はびっくりした。18年前はただの汚らしいバス乗り場だったのに、どでかい東横インと居酒屋の和民が出来ている。

浦島太郎のように開いた口がふさがらなかった(笑)。3番乗り場から大学行きのバスに乗った。学生の頃は1時間に1本あるかないかだったが、今では20分置きにバスが来る。多くの大学関係者を乗せたバスは直線道路をガンガン進んでいく。

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カレーうどんはたまに食べると旨いもの

2007年01月27日 | 家飯

近所の人から貰った『かも川手延うどん(岡山手延素麺株式会社製)』を大鍋で10分茹でた。これを冷水でもみ洗いしてザルにとる。再度、熱湯で温めて丼に移し、レトルトのカレーうどんの素をかける。市販の素は具材が入っていないので、豚肉とたっぷりの野菜を仕込み、薄口醤油とみりんで味を調えておく。寒い日にすするうどんは本当においしい。普段はきつねが多いが、たまには鰹だしが効いたカレーもいいもんだ。

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青春18きっぷの旅…瀬戸内海汽船フェリー(呉行き)

2007年01月27日 | 

20分後、小用港に着いた。売店でクリームパンとたこ焼きを買い、昼食にした。12時45分発の呉行きフェリーに乗った。料金330円。私は甲板に立ち、冷たい風を全身に受けていた。

高速船の倍の時間がかかるが、周囲の景色を眺めるにはやはりこっちがいい。時間を気にせず、のんびり行動するのが旅の醍醐味。歴史を詳しく知りたい人は「学びの館」→「海上自衛隊第1術科学校」→「大和ミュージアム」の順で見学することをおすすめする。感謝の意を込めて、現地になにがしかの金を落としてきて欲しいと思う。

フェリー甲板から呉港を望む

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青春18きっぷの旅…第1術科学校学生館・教育参考館

2007年01月26日 | 

Eさんはシンボルマークについてあれこれ話した次に、旧陸軍へ辛辣な評価を下した。幹部候補生学校の廊下を見学して、教育参考館に向かった。現在改修中のため、展示品は隣の第1術科学校学生館の1階に移されている。

ここでは脱帽(ただしヅラはOK)、撮影禁止。貴重な卒業記念写真を見る。明治の歴代校長は立派なヒゲを蓄えている(カイゼルヒゲはこの時代に流行した)。展示については一部批判的な意見があることはよく知っている。だが、特攻隊員の遺書や辞世の句から学びとることは非常に多いと思う。

そこには現代の日本人が失ってしまった精神(家族への愛情、思いやり、感謝の念)が切々と綴られている。美文の裏には「後世の人間に国家の運命を託そう」という熱き想いが隠されているのだ。

「戦争をするのは愚かだ」と軽々しく口にする、戦争経験のないへタレ左傾教師、海鼠腸のような脳を有するおばはんは暗い時代に翻弄された戦没兵士やその遺族の気持ちを真剣に考えたことがあるのだろうか。そしてあの戦争が回避できたはずとでも思っているのだろうか。戦勝国の一方的な言い分だけで歴史をとらえることは絶対にできない。

私が最も不快だったのは、Eさんが熱心に説明している最中に、ガムをクッチャクッチャ噛んでいる老人がいたことである。展示品を眺めている時もだらしない行為を続けてニヤニヤし、品のない関西弁でやたら意見を述べていた。どう見ても昭和10年代に生をうけ、少しは戦争を経験したはずの男が、である。

私には「飴」国にタマを抜いてもらって、ケツの穴まで提供した憐れな男色に思えた。修身教育の廃止・拝金主義・風見鶏・身勝手な欲望の追求・仏教哲学への無理解が我が国をメタメタにし、畜生にも劣る人間が血生臭い事件を次々に引き起こしている。

…驢馬が旅に出かけたところで、馬になって帰ってくるわけがない(西洋の諺)…
…日本ぐらい自分でものを考えるやつが少ない国はありませんよ。違ったことをいうと、そこらへん全部機嫌が悪い(SJ氏)…

ハワイ真珠湾を攻撃した5隻のうちの1つ

真珠湾攻撃で沈没した特殊潜航艇と海龍を最後に見た。Eさんに深々と頭を下げて別れ、『レクトン』に入った。ここで土産物を買い、バス停に行くと40分待ちだ。結局歩くことにした。

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青春18きっぷの旅…陸奥主砲塔

2007年01月25日 | 

グランドを歩いて桟橋を目指す。『陸奥』の旧第四砲塔が設置してある場所で一服タイムになった。砲身の長さに一同驚いた。砲弾一発の価格は家屋四軒分に相当したという。

訓練中の生徒達

桟橋の付近では生徒が訓練を行っていた。その中に女性が数名いた。高角砲や『長門』の主砲弾を見た後、我々は第1術科学校に移動した。

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青春18きっぷの旅…幹部候補生学校

2007年01月24日 | 
現在の幹部候補生学校がかつての海軍兵学校生徒館である。周囲に電柱、電線はなく、素晴らしい景観が広がっている。近くに植えられた松はほとんどが雄株(かつては女人禁制の地)だが、一つだけ雌株がある。

幹部候補生学校の窓と赤煉瓦

赤煉瓦は当時英国から最高級のものを取り寄せた。まったく手入れをしていないのに眩しいくらいに輝いている。「じかに触ってみて下さい」とEさんは言った。右手の指先で撫でると本当にツルツル、スベスベだ。

赤煉瓦造りの近代建築としては西の横綱に位置づけられているが、これは日本一、いや世界に誇ることのできる明治時代の遺産だ。澄んだ空気、心地よい潮風、美しい山と海。ぜひ現地に行って、自分の目、耳、鼻そして肌で感じ取って欲しい。

広大なグランドから幹部候補生学校を望む

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青春18きっぷの旅…大講堂

2007年01月23日 | 

9時25分、受付を済ませて広報展示室に行き、10時になるのを待った。構内の見学には案内人が付く。元気のいいEさんは注意事項をまず説明した。我々が最初に向かったのは瀬戸内産の御影石で造られた大講堂だった。

一礼してから中に入る。白と茶が神聖な雰囲気を作り出している。気持ちが引き締まった。マイクなしでも地声が全体に響き渡る。2000人は収容可とのこと。装飾を最小限に抑えた威厳のある名建築だと私は思う。

大講堂の天井

大講堂の支柱

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青春18きっぷの旅…学びの館

2007年01月22日 | 

私は海軍兵学校の写真を見て「昔は築地にあったんだ」と呟いた。ここから館長の質問攻めが始まった。

1.海軍兵学校は何故築地からここに移ったか?
2.江田島を占領したのはどこの国か?
3.昭和30年代、我が国は江田島をどう利用したかったか?
4.昔の写真は何を物語るか?
5.戦争が終わった日はいつか?
6.海軍兵学校の卒業生数が70期から激増する理由は?

どれ一つとしてまともに答えられず、タジタジであった。彼は小馬鹿にするわけでもなく、ゆっくり語り出して、私に再考させた。そして「正しい歴史を知らずに単なるノスタルジーで敷地に入って写真をシャカシャカ撮っても意味はない」と言い切った。穴があったら入りたかった。

資料『江田島歴史散歩』の最終ページに海軍兵学校生徒卒業者数の一覧があった。61期(昭和8年11月8日卒)から72期(昭和18年9月15日卒)の戦死者は5割を越えている。先の大戦で2人に1人は亡くなったのだ。資料が示す意味は重い。

「まず自分で調べなさい」という館長の言葉はズシリときた。そもそも勉強(研究)とは他人に強いられてするものではないのだ。自主的にするから血となり肉となる。これからは母校の中央図書館を利用することになろう。私は改めて歴史認識の甘さを恥じた。そして原点に立ち戻る重要性を悟らせてもらったことに深く感謝して、学びの館を後にした。

平成14年9月15日発行の『江田島歴史散歩』

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青春18きっぷの旅…江田島上陸

2007年01月21日 | 

呉市営バス(江能線)の大垣・深江方面行きに乗る。バスは小用→西の谷→柿の木田→世上口と進む。4番目の「術科学校前」で下車。料金150円。

「術科学校前」バス停

江田島の海上自衛隊


坂を下っていくと海上自衛隊の正門が見えた。「受付は9時から」と言われ、近くに時間を潰せる場所があるかと尋ねた。青年が「近くに学びの館があります」と教えてくれたので、そこに行くことにした。

場所はすぐに見つかった。門をくぐると立派な建物があった。人気を感じなかったが、中に入って朝の挨拶をした。一呼吸おいて館長らしき姿勢のいい男性が出てきた。歳は80前後と思われた。

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青春18きっぷの旅…呉

2007年01月20日 | 

【海田市駅】で呉線に乗り換え。センター試験会場に向かう学生も乗り込んできた。気色悪いことに母親を連れている男が何人もいた。時代は変わり、韓国の現象がこの国にも伝播したか。

私が共通一次試験を受けたのはちょうど今から20年前。某附属高校の一室で脇にじっとり汗をかき、楕円を黒で塗り潰していた。すべてがバクチであった(笑)。日本史では「どちらにしましょうか」を連発したが、それが吉と出たため、第一志望の大学に拾われた。

JR呉駅

あれこれ回想しているうちに【呉駅】に到着した。中央桟橋ターミナルに行き、小用行きの高速船を待った。おばさんに480円手渡して、乗り込んだ。客は5人程度。江田島にはすぐ着いた。

呉港から高速船に乗る

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続・ギター馬鹿一代

2007年01月19日 | 洋楽

昨日は現役バリバリで活躍するジェフ・ベックについて触れた。しかし故人を含めたギターヒーローにまで範囲を広げると、その筆頭はジミ・ヘンドリックスになるだろう。

彼のアルバムを初めて買ったのは高校生の時だ。ストラトが激しく燃えるジャケットは私の購買意欲をかきたてた。

妖怪人間べムそっくりの友人宅でレコードをかけてカセットテープに録音した。延々と続く激しいノイズを聴いて「俺が求めていたのはこれだ」と思った。

べムはこれにはまったく興味を示さず、性懲りも無くアルフィーの坂崎氏からもらったサインを自慢し始めた。ミニコンポを持っていなかった私は、心ならずも毎回相槌を打つのだった。

盟友ビリー・コックスは語る

ワイト島の映像を数年ぶりに観た。3アングルの特典映像も嬉しかったが、ビリーコックスの暴露話(FOXY LADY演奏中にジミが派手に開脚してパンツが破れてしまった)には笑った。フライングVで弾き語るジミのかっこいいこと。

晩年を捉えた映像からは疲れ、苦悩だけではなく、新たな分野に挑戦しようとする意欲も感じられる。初心者向けとは言えないが、絶好調でもなく絶不調でもないジミは実に人間臭い。

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