法・経済学部と図書館の間の広場で工事が行われていた。今年5月上旬オープン予定のカフェ(サタケスクエア)である。学生・教職員が集う「知的にぎわい」の創出を目的としているみたいだ。
図書館に入り、特別展示室に足を向けた。福沢諭吉の『学問のすすめ』の原本を見た。明治5年の再版は文庫本サイズでペラペラ紙に小さな字が印刷してあった。芥川龍之介の草稿もはじめて見た。いろいろ説明してくれた文学部の先生と立ち話をした。
税金が投入されている大学の図書館を一般市民に開放するのは当然であり、義務でもあると彼は語った。助成金を貰っている私学が市民を受け入れないのは時代錯誤も甚だしいとも言った。そして「ゆとり教育」の結果、学力のない生徒であふれていると嘆いた。私は悲しい現実として受け止めた。
パソコンで原爆と近代教育史の文献を検索し、2階に上がった。ここは宝の山だ。本好きにはたまらない。落ち着いた雰囲気の中でゆっくり頁をめくる。私は若い頃、神田神保町に通っていた。古書を立ち読みしてから、三省堂で面白そうな本を買い、【ランチョン】に行くのが常だった。黒ビールを飲みながら読書にふけった土曜の昼下がり。あの時と同様の感動をおぼえた。
Eさんはシンボルマークについてあれこれ話した次に、旧陸軍へ辛辣な評価を下した。幹部候補生学校の廊下を見学して、教育参考館に向かった。現在改修中のため、展示品は隣の第1術科学校学生館の1階に移されている。
ここでは脱帽(ただしヅラはOK)、撮影禁止。貴重な卒業記念写真を見る。明治の歴代校長は立派なヒゲを蓄えている(カイゼルヒゲはこの時代に流行した)。展示については一部批判的な意見があることはよく知っている。だが、特攻隊員の遺書や辞世の句から学びとることは非常に多いと思う。
そこには現代の日本人が失ってしまった精神(家族への愛情、思いやり、感謝の念)が切々と綴られている。美文の裏には「後世の人間に国家の運命を託そう」という熱き想いが隠されているのだ。
「戦争をするのは愚かだ」と軽々しく口にする、戦争経験のないへタレ左傾教師、海鼠腸のような脳を有するおばはんは暗い時代に翻弄された戦没兵士やその遺族の気持ちを真剣に考えたことがあるのだろうか。そしてあの戦争が回避できたはずとでも思っているのだろうか。戦勝国の一方的な言い分だけで歴史をとらえることは絶対にできない。
私が最も不快だったのは、Eさんが熱心に説明している最中に、ガムをクッチャクッチャ噛んでいる老人がいたことである。展示品を眺めている時もだらしない行為を続けてニヤニヤし、品のない関西弁でやたら意見を述べていた。どう見ても昭和10年代に生をうけ、少しは戦争を経験したはずの男が、である。
私には「飴」国にタマを抜いてもらって、ケツの穴まで提供した憐れな男色に思えた。修身教育の廃止・拝金主義・風見鶏・身勝手な欲望の追求・仏教哲学への無理解が我が国をメタメタにし、畜生にも劣る人間が血生臭い事件を次々に引き起こしている。
…驢馬が旅に出かけたところで、馬になって帰ってくるわけがない(西洋の諺)…
…日本ぐらい自分でものを考えるやつが少ない国はありませんよ。違ったことをいうと、そこらへん全部機嫌が悪い(SJ氏)…
真珠湾攻撃で沈没した特殊潜航艇と海龍を最後に見た。Eさんに深々と頭を下げて別れ、『レクトン』に入った。ここで土産物を買い、バス停に行くと40分待ちだ。結局歩くことにした。
現在の幹部候補生学校がかつての海軍兵学校生徒館である。周囲に電柱、電線はなく、素晴らしい景観が広がっている。近くに植えられた松はほとんどが雄株(かつては女人禁制の地)だが、一つだけ雌株がある。
赤煉瓦は当時英国から最高級のものを取り寄せた。まったく手入れをしていないのに眩しいくらいに輝いている。「じかに触ってみて下さい」とEさんは言った。右手の指先で撫でると本当にツルツル、スベスベだ。
赤煉瓦造りの近代建築としては西の横綱に位置づけられているが、これは日本一、いや世界に誇ることのできる明治時代の遺産だ。澄んだ空気、心地よい潮風、美しい山と海。ぜひ現地に行って、自分の目、耳、鼻そして肌で感じ取って欲しい。
赤煉瓦は当時英国から最高級のものを取り寄せた。まったく手入れをしていないのに眩しいくらいに輝いている。「じかに触ってみて下さい」とEさんは言った。右手の指先で撫でると本当にツルツル、スベスベだ。
赤煉瓦造りの近代建築としては西の横綱に位置づけられているが、これは日本一、いや世界に誇ることのできる明治時代の遺産だ。澄んだ空気、心地よい潮風、美しい山と海。ぜひ現地に行って、自分の目、耳、鼻そして肌で感じ取って欲しい。
私は海軍兵学校の写真を見て「昔は築地にあったんだ」と呟いた。ここから館長の質問攻めが始まった。
1.海軍兵学校は何故築地からここに移ったか?
2.江田島を占領したのはどこの国か?
3.昭和30年代、我が国は江田島をどう利用したかったか?
4.昔の写真は何を物語るか?
5.戦争が終わった日はいつか?
6.海軍兵学校の卒業生数が70期から激増する理由は?
どれ一つとしてまともに答えられず、タジタジであった。彼は小馬鹿にするわけでもなく、ゆっくり語り出して、私に再考させた。そして「正しい歴史を知らずに単なるノスタルジーで敷地に入って写真をシャカシャカ撮っても意味はない」と言い切った。穴があったら入りたかった。
資料『江田島歴史散歩』の最終ページに海軍兵学校生徒卒業者数の一覧があった。61期(昭和8年11月8日卒)から72期(昭和18年9月15日卒)の戦死者は5割を越えている。先の大戦で2人に1人は亡くなったのだ。資料が示す意味は重い。
「まず自分で調べなさい」という館長の言葉はズシリときた。そもそも勉強(研究)とは他人に強いられてするものではないのだ。自主的にするから血となり肉となる。これからは母校の中央図書館を利用することになろう。私は改めて歴史認識の甘さを恥じた。そして原点に立ち戻る重要性を悟らせてもらったことに深く感謝して、学びの館を後にした。
昨日は現役バリバリで活躍するジェフ・ベックについて触れた。しかし故人を含めたギターヒーローにまで範囲を広げると、その筆頭はジミ・ヘンドリックスになるだろう。
彼のアルバムを初めて買ったのは高校生の時だ。ストラトが激しく燃えるジャケットは私の購買意欲をかきたてた。
妖怪人間べムそっくりの友人宅でレコードをかけてカセットテープに録音した。延々と続く激しいノイズを聴いて「俺が求めていたのはこれだ」と思った。
べムはこれにはまったく興味を示さず、性懲りも無くアルフィーの坂崎氏からもらったサインを自慢し始めた。ミニコンポを持っていなかった私は、心ならずも毎回相槌を打つのだった。
ワイト島の映像を数年ぶりに観た。3アングルの特典映像も嬉しかったが、ビリーコックスの暴露話(FOXY LADY演奏中にジミが派手に開脚してパンツが破れてしまった)には笑った。フライングVで弾き語るジミのかっこいいこと。
晩年を捉えた映像からは疲れ、苦悩だけではなく、新たな分野に挑戦しようとする意欲も感じられる。初心者向けとは言えないが、絶好調でもなく絶不調でもないジミは実に人間臭い。