寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

石山寺参詣(その7)

2009年10月31日 | 

「多宝塔」への道標を発見した私は流れる汗を拭いた。志じみ茶屋「湖舟(こしゅう)」で飲んだ茶がすべて体外に出たような感じだ。

芭蕉庵

人だかりのできた場所に「芭蕉庵」と「月見亭」が並んで建っていた。ここは月見の名所で遥か下を瀬田川が流れる。私は遠方の「瀬田の唐橋」を眺めた。

月見亭

松尾芭蕉は元禄三(1690)年4月6日から7月13日まで国分山の麓の「幻住庵(大津市国分)」で過ごした。おそらく庵から歩いて何度も「石山寺」に参ったことだろう。川の雄大さは今も昔も変わりない。ただセタシジミの漁獲高が激減したことは私でさえも知っている。自然との共生は非常に難しいテーマである。

月見亭から瀬田川を望む

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石山寺参詣(その6)

2009年10月31日 | 

鎌倉時代後期の建築と言われる「鐘楼」は重要文化財に指定されている。下層は白壁の「袴腰造」で見応え抜群だ。

校倉造の経蔵

奈良の東大寺で見たような建築だと思ったらやはり「校倉造」だった。この「経蔵」の右脇近くに石碑が2本建っている。

紫式部供養塔(左)と芭蕉の句碑(右)

左側が「紫式部供養塔」、右側が「芭蕉の句碑」である。「曙はまだ紫にほととぎす」という句を声に出して読んだ私は平成20年の正月を思い出した。

JR京都線に乗って「長岡京駅」を通過する頃にちょうど夜が明け始めた。地平線から太陽が顔をのぞかせる前、分厚い雲が浮かんだ空が紫がかって見えたのである。古典に描かれた「幻想的な世界」は今でも京都~滋賀辺りで目にすることができる。あの時ほど「旅をして良かった」と思ったことはない(笑)

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石山寺参詣(その5)

2009年10月30日 | 

「毘沙門堂」は「観音堂」の隣にあるが、参詣客の滞在時間は極めて短い。光り輝くものがあるのとないのとではこうも違うものかと苦笑した。この対面に「蓮如堂」が建つ。

蓮如堂

多宝塔を望む

私は硅灰石(天然記念物の奇石)の遥か上の「多宝塔」を見上げた。石灯籠の明りで浮かび上がる「多宝塔」は実に趣き深いが、日中に見る分でも十分に美しい。

御影堂

早く上に行きたいという気持ちが私を「御影堂」へと向かわせた。普通の人はここから反対側にある国宝の「本堂」に進むのだろうが、偏屈者は「御影堂」そばの石段を駆け上がってしまったのである。

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石山寺参詣(その4)

2009年10月30日 | 

私の先を行く老夫婦は石段の中央辺りでしきりに写真を撮っていた。確かに心の琴線に触れる風景が広がっている。

御神木の老杉

石段を登り切った所に石山寺の「御神木」がある。幹の太さに圧倒されて言葉が出ない。この杉は創建当時からあると書かれているのを見て「木の生命力」は本当に凄いなと思った。人間などはいくら長生きしたとしても120年が限界だ。だから木に神が宿るという表現も決して大げさではない。

石山寺の観音堂

大勢の人が「観音堂」の周りに集まっていた。扉の内に安置されたあまたの観音像。眩しいほどの輝きに私は一瞬目を細めた。黄金色には人の心をうっとりさせる摩訶不思議な力がある。

眩いばかりの観音堂内部

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石山寺参詣(その3)

2009年10月29日 | 

手水場で手を清めて口にほんの少し水を含みハンカチで拭く。この下を色鮮やかな鯉が悠々と泳いでいる。肩に入っていた力がふーっと抜けた。

石山寺の鯉

石山寺の手水場には参詣者の心を一先ず落ち着かせる計算がなされていた。私は本堂へ続く急勾配の石段を見上げて「ボチボチいくか」と呟いた。

急勾配の石段

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石山寺参詣(その2)

2009年10月29日 | 

重要文化財の「東大門」を潜り参道を進む。右手の「拾翠園」は休憩所を兼ねた土産物屋だった。

参道右手にある拾翠園

「大黒堂」の前を過ぎて私は財布を取り出した。左側が団体入口、右側が個人入口になっている。拝観料は大人500円である。

入口で拝観料を払う

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石山寺参詣(その1)

2009年10月28日 | 

天正勝宝元(749)年、良弁(ろうべん)上人によって開基された大本山「石山寺」。西国三十三所霊場第十三番にあたる。紫式部がこの寺に参籠して瀬田川に映る名月を眺めながら「源氏物語」を書き始めたといわれている。

私は宿泊先に移動する前に石山寺参詣を済ませておくことを予め決めていた。やはり正統な日本人として一度は訪れておきたい場所だったからである。高島観光を早めに切り上げたので2時間の余裕ができた。「東大門」の左手に「石山寺と紫式部展」の看板が出ていた。

石山寺と紫式部展が開催中

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石山寺山門前の「湖舟(こしゅう)」で志じみめしを食べる

2009年10月28日 | 

石山寺山門前の「志じみ茶屋 湖舟」に入る。お昼のピークはとうに過ぎていたのですんなり座ることができた。冷たいお茶を出してくれた女性に「志じみめしと近江のおばんざい」のセット(1200円)を注文する。汗だくの客に何度もお茶を注いでくれる心遣いが有難かった。

15分ほど待って釜飯とおかずが運ばれてきた。名物の志じみめしは素朴な味付けが秀逸で寿命が延びるような気がする。これほどシンプルな釜飯を正しく評価できるのは普段からまともな食事を心掛けている極一部の日本人だけだろう。陳腐な牡蛎飯などはてんで比べ物にならないと私は思った(笑)

おばんざいに釜飯としじみの赤だしがついて1200円

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石山寺山門前で京阪バスを降りる

2009年10月27日 | 

京阪バスは太い「国道422号線」に出た。JR石山駅前を出発してから約10分で「石山寺山門前」に到着。料金200円を払って観光客数人と一緒に降りた。

バス停から交通量の極めて多い道路を手を上げて横断し、郵便局の方へ向かって歩いた。寿司屋から土産物屋へ回り、立ち話をしている老婆に声を掛けた。

「この辺りでしじみめしを食べさせる店があるそうですが」

皺くちゃ顔の婆さんは不機嫌そうに「そこを曲がってすぐですよ」と指をさした。毎日同じ質問を受けてうんざりしているという感じだ(笑)

先ず「志じみ茶屋 湖舟(こしゅう)」で名物の釜飯を食べて腹ごしらえすることにした。

志じみ茶屋 湖舟(こしゅう)

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JR琵琶湖線に乗り換えて「石山駅」に移動する

2009年10月27日 | 

ペットボトルの茶をがぶ飲みしては汗を拭く。「山科駅」で一旦降りて琵琶湖線(新快速)に乗り換えた。8分ほどで大津市粟津町にある「石山駅」に着いた。

石山駅の近くにある坂東旅館

駅南口の「坂東旅館」前を「京阪電気鉄道石山坂本線」が走っているのを見た。京阪バス乗り場(1番)に移動したところへ[53]千寿の郷~南郷二丁目東という表示の出たバスが入ってきた。

「just in timeとはまさにこのことだ」と言って乗車する。バスは「滋賀県道104号線」を進み唐橋町に入った。近江牛で有名な「れすとらん松喜屋」が見えた。ここの初代は浅草「米久」の創業者と同郷である。

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JR「近江高島駅」のホームから馬鹿でかいガリバー像を望む

2009年10月26日 | 

「しかし、何でガリバー像が駅の前にあるんだろうか?」と私は首を捻った。駅から11km先に「ガリバー青少年旅行村」がある絡みだと知り一応納得はした。急いで改札を抜けホームに駆け上がる。電車が入ってくるまで2分弱あった。

「間に合ったな」と呟いて噴き出す汗を拭いた。ハンカチはすぐに濡れ雑巾のようになった。ハンカチを諦めてタオルを首に巻き「ガリバーメルヘン広場」を見下ろした。高い所から眺めてもガリバー像はやはり大きかった。違和感を消すことのできぬ旅人は電車の中でしばらくクスクス笑っていた。

JR近江高島駅からガリバーメルヘン広場を望む

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乙女ヶ池は大溝城の外堀だった

2009年10月25日 | 

私は水草の生い茂った「乙女ヶ池」を無言で眺めていた。この池は「大溝港」を介して琵琶湖とつながる内湖である。かつては大溝城の外堀だったというが、近くに城が存在していたとはどうしても想像がつかなかった。

池を背にして「公立高島総合病院」の前を通って駅に向かう。急げば5分後に出る電車に間に合いそうである。息を切らして走る男を待ち受けていたのは何と巨大な「ガリバー像」だった。

ガリバー像

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歴代の大溝藩主を祭る「分部神社」

2009年10月25日 | 

「びれっじ1号館」を後にして滋賀県道300号線を南下。信号機が見えてきた。旅館「川口家」の向かいに「分部(わけべ)神社」が鎮座している。

元和五(1619)年、江州大溝に分部光信が入封してから徳川幕府が瓦解するまで分部家が大溝藩主を務めた。長きに亘る分部家の功績を称え、明治十一(1878)年、旧藩庁前にこの神社が創建された。祭神は歴代の藩主である。神社のすぐ西側に「公立高島総合病院」が建っている。


分部神社

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大溝藩の城下町・高島市勝野(後編)

2009年10月24日 | 

「びれっじ2号館」脇の庭で大きな水車が回っていた。石輪(せきりん)と書いてある通り石で出来ている。これは「中村石材㈱」が製作したものである。

石輪(石で出来た水車)

観光案内所を兼ねた「びれっじ1号館」に入り「高島ガイドマップ(勝野周辺)」を手に取った。「鴨稲荷山古墳」から1号館まではなんと3.5kmも離れていたことを知る。私は「やはり回る順番が逆だったか」と呟き駅に向かって歩いた。

びれっじ1号館

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大溝藩の城下町・高島市勝野(前編)

2009年10月23日 | 

私は再び滋賀県道300号線に出た。JR「近江高島駅」方面にのびる道の両脇には古い建物が並び城下町(大溝藩)の面影が残る。酒林が吊るされた「福井弥平商店」は銘酒「萩乃露」の製造元で寛延元(1748)年の創業である。

米及び酒店の「福井市ノ進商店」周辺には「高島びれっじ」と呼ばれる建物が点在している。長浜市の賑やかな黒壁スクエアとは対照的にこちらは落ち着いた雰囲気が漂っていた。

福井市ノ進商店

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