最も有名なのが、ホルモン焼き、ホルモン煮込みであろう。こういった臓物料理は朝鮮半島由来と考えられるものと我が国で発展した独自のものの二つの系譜がある。
参考文献として下記の二つを挙げておく。ホルモン料理=在日が作り上げた文化と短絡的に結論付けるのは誤りであると指摘しているので、興味のある方は読んで欲しい。佐々木さんは「ホルモン=放るもん」説をきっぱりと否定する。
「焼肉の文化史」佐々木道雄(明石書店)
「食肉の部落史」のび しょうじ(明石書店)
牛の臓物はBSE問題により価格が上昇して、一般人が入手しにくくなっている。やお肝(肺臓)やマメ(腎臓)は肉屋に事前に頼んでおかないとまず無理だ。
ピンク色の肺(画像)が100g当たりおよそ40円。戦前、敗戦直後はタダみたいに安かったことだろう。西成界隈で煮込みといったら、黒ずんだ肺がボコボコ入っている。
今回は肺臓料理についてあれこれ語ってみたいと思う。
迷惑メールが一日どれくらい届いているか、調べたことがある。多い日には50を超えていた。これは今も変わっていないと思う。削除ソフトのおかげで糞メールは自動でゴミ箱に入るようになっているが、鬱陶しいことには変わりない。
品もへったくれもない件名には開いた口がふさがらず、ただ苦笑するばかりである。罰則が重くなると犯罪件数は必ず減少する。ウマシカゆえにこの辺のことには敏感である。鬼畜未成年を厳罰に処すのをとかく躊躇う風潮があるが、矯正不能な人間を社会に出すことは避けなければならない。
凶悪犯罪者の通名報道は今後本名(特に国籍も)発表に改めるべきであろう。凶悪犯罪率と某国家との相関が顕わになって日本国民も少しは目を覚ますのではなかろうか(笑)。偏向メディアの思い上がりと暴走にも歯止めをかける時期が来ていると思う。
「なんとか枠」があるような組織は全く信用できないのだ。自分らに都合のよい報道ばかりする新聞社は昔の三流政治結社のようである(苦笑)。罪には罰、これがないと社会の秩序は保てない。そして国益をおかすようなジャーナリストへもバンバン適用すべきと私は考える。
品もへったくれもない件名には開いた口がふさがらず、ただ苦笑するばかりである。罰則が重くなると犯罪件数は必ず減少する。ウマシカゆえにこの辺のことには敏感である。鬼畜未成年を厳罰に処すのをとかく躊躇う風潮があるが、矯正不能な人間を社会に出すことは避けなければならない。
凶悪犯罪者の通名報道は今後本名(特に国籍も)発表に改めるべきであろう。凶悪犯罪率と某国家との相関が顕わになって日本国民も少しは目を覚ますのではなかろうか(笑)。偏向メディアの思い上がりと暴走にも歯止めをかける時期が来ていると思う。
「なんとか枠」があるような組織は全く信用できないのだ。自分らに都合のよい報道ばかりする新聞社は昔の三流政治結社のようである(苦笑)。罪には罰、これがないと社会の秩序は保てない。そして国益をおかすようなジャーナリストへもバンバン適用すべきと私は考える。
タン、カルビが旨いのは当たり前。私はそれよりも内臓肉をよく食べる。好きなメニューは赤セン(第四胃、ギアラとも言う)、テージャン(大腸)、ハラミ(横隔膜)、ハツ(心臓)である。
内臓肉の魅力にはまったのは今から15年前のことだ。浅草の『金楽』に入り、どでかいミノとハラミを食べて「何て美味しいんだろう」と感動した。カンテキから上がる脂煙で全身がいぶされる独特の雰囲気が好きだった。
モツ系は焼きすぎては味が台無しになる。これは在日韓国人の知り合いと意見が見事に合致した(笑)。小腸などは皮を炙って裏返し、脂が縮れてきた辺りで口に放り込む。焼きがあまい方が脂の甘みと旨みがよく分かるはずだ。
今日はハラミと小腸を焼いて生ビールをグビグビ飲んだ。プリン体の塊であるが、たまには食ってもよかろう。赤肉にはない、下品で濃厚な旨みが私の舌を愛撫していた。
NHKの録画を観た。桑田佳祐さんが新旧のヒット曲を楽しそうに歌っていた。一昔前なら、ピー音が入るかカットになったような場面がいくつもあり、笑えた。コーラスの清水美恵さんが色っぽかった。
曲と曲の間に短編ドラマが挟まれる構成で、桑田さんは高所恐怖症のとび職、便所掃除のおっさん、冴えないギターの流しを演じていた。
中でも居酒屋の流しがはまっていた。客に「下手糞、帰れ!」とボロクソに言われて、一瞬落ち込むのだが、開き直ってコードを決める。その指使いが妙にしぶかった(笑)
学生時代に最もよく聴いた日本人アーティストはサザンである。ソロ活動になってからも桑田さんのCDは買っていた。「真夜中のダンディー」は今でも好きな曲で、たまにカラオケで歌っている。
曲と曲の間に短編ドラマが挟まれる構成で、桑田さんは高所恐怖症のとび職、便所掃除のおっさん、冴えないギターの流しを演じていた。
中でも居酒屋の流しがはまっていた。客に「下手糞、帰れ!」とボロクソに言われて、一瞬落ち込むのだが、開き直ってコードを決める。その指使いが妙にしぶかった(笑)
学生時代に最もよく聴いた日本人アーティストはサザンである。ソロ活動になってからも桑田さんのCDは買っていた。「真夜中のダンディー」は今でも好きな曲で、たまにカラオケで歌っている。
いくら料理が安くてうまくても「同業やその場にいない客の悪口を言う」店はカスだ。少々のぼやきならば笑って済ませられるが、ダラダラと聞かされた場合には酒も料理も一気に不味くなる。「下らない自慢話」も同様である。
「性根の悪さ」イコール「生まれの悪さ」という公式は経験上当たっている。コンプレックスをバネに成長した人は実に格好いいのに対して、逆境に負けて「品もなくしてしまった」人は見ているのが辛い。
「品のない」店には「品のない」客が集まってきて掃き溜めサークルのようになる。私が行かなくなった店は結構多い。客のことを根掘り葉掘り聞きたがるのは、「自分と同じ悲しき境遇の仲間」であることを密かに期待しているのかもしれない。
私が地元を嫌う理由はこれである。「つかず離れずの接客態度」が見てとれる店は居心地がいい。中国地方から外に出たことのない真の田舎者は大いに「東京」を見習うべきである(笑)
「性根の悪さ」イコール「生まれの悪さ」という公式は経験上当たっている。コンプレックスをバネに成長した人は実に格好いいのに対して、逆境に負けて「品もなくしてしまった」人は見ているのが辛い。
「品のない」店には「品のない」客が集まってきて掃き溜めサークルのようになる。私が行かなくなった店は結構多い。客のことを根掘り葉掘り聞きたがるのは、「自分と同じ悲しき境遇の仲間」であることを密かに期待しているのかもしれない。
私が地元を嫌う理由はこれである。「つかず離れずの接客態度」が見てとれる店は居心地がいい。中国地方から外に出たことのない真の田舎者は大いに「東京」を見習うべきである(笑)
三樹書房、一九九三年六月九日第一刷発行、定価2000円
昭和三十八年一月、産経新聞出版局(現・扶桑社)より出版されたものの再刊
秋山徳蔵さんは大正二(1913)年、二十五歳で宮内省大膳職厨司長に就任した。
…大正、昭和両天皇の即位、現天皇の誕生や結婚、またイギリス皇太子エドワード・アルバート(大正十一年)や満洲皇帝溥儀(昭和十年)の来日。そのたびに秋山の料理が饗宴の食卓に上った。戦後、新任の駐日フランス大使が「本場以上」と舌を巻いたように、秋山の正統フランス料理は国際的に第一級だったのだ。…厨房に一歩入れば、匂いから、誰が何をやっているのか、何を失敗したのか瞬時に分かったという。細心の注意を払って献立を作り、食材を吟味し、包丁の入れ方から盛り付けまで目を光らせ、「大膳寮のカミナリ親父」と呼ばれる厳しさで厨房を指揮した。…昭和四十七(七二)年、秋山は八四歳で職を辞す。天皇の料理番として「陛下に尽くし、お守りする」一念を貫いた五八年間だった…太陽№459(株式会社平凡社)
明治の男の文章にはキレがある。「安くてうまい店」というエッセーには私がつねづね感じていることがそっくりそのまま書かれてあった。
…料理屋で高くとられるほど不愉快なことはない。気分の上でも面白くないし、第一、財布がいやがるのである。高いからといって、ものが美味いとは限らないので、その代金の中には、モッタイらしい構えやら、不必要につきまとって酒をまずくしてくれる女達の給料もはいっているわけだ。酒飲みは酒を楽しみたいのだし、食道楽は味を楽しみたいのだ。環境の感じというものも必要には違いないが、成金趣味の豪勢な構えや、サービス過剰は、かえって逆効果だということに気づかない店が案外多い…16頁
料理は器量。家庭の食事も美しく仕上げることにしくはなし。秋山さんの説いた「もてなしの心」を大切にしたいものである。
昭和三十八年一月、産経新聞出版局(現・扶桑社)より出版されたものの再刊
秋山徳蔵さんは大正二(1913)年、二十五歳で宮内省大膳職厨司長に就任した。
…大正、昭和両天皇の即位、現天皇の誕生や結婚、またイギリス皇太子エドワード・アルバート(大正十一年)や満洲皇帝溥儀(昭和十年)の来日。そのたびに秋山の料理が饗宴の食卓に上った。戦後、新任の駐日フランス大使が「本場以上」と舌を巻いたように、秋山の正統フランス料理は国際的に第一級だったのだ。…厨房に一歩入れば、匂いから、誰が何をやっているのか、何を失敗したのか瞬時に分かったという。細心の注意を払って献立を作り、食材を吟味し、包丁の入れ方から盛り付けまで目を光らせ、「大膳寮のカミナリ親父」と呼ばれる厳しさで厨房を指揮した。…昭和四十七(七二)年、秋山は八四歳で職を辞す。天皇の料理番として「陛下に尽くし、お守りする」一念を貫いた五八年間だった…太陽№459(株式会社平凡社)
明治の男の文章にはキレがある。「安くてうまい店」というエッセーには私がつねづね感じていることがそっくりそのまま書かれてあった。
…料理屋で高くとられるほど不愉快なことはない。気分の上でも面白くないし、第一、財布がいやがるのである。高いからといって、ものが美味いとは限らないので、その代金の中には、モッタイらしい構えやら、不必要につきまとって酒をまずくしてくれる女達の給料もはいっているわけだ。酒飲みは酒を楽しみたいのだし、食道楽は味を楽しみたいのだ。環境の感じというものも必要には違いないが、成金趣味の豪勢な構えや、サービス過剰は、かえって逆効果だということに気づかない店が案外多い…16頁
料理は器量。家庭の食事も美しく仕上げることにしくはなし。秋山さんの説いた「もてなしの心」を大切にしたいものである。