京橋川沿いの心霊スポットの千切大師堂から比治山通り(広島県道37号広島三次線)を南南西に進むと鶴見橋東詰に至る。
比治山本町で撮影した地図を回転させて北を上に示し直したものが2枚目の画像である。橋の袂に見えるのが被爆樹木のシダレヤナギだ。
太い幹の方は枯れてしまったが、後から生えてきた方がしぶとく令和まで命をつないできた。原爆被災説明版(42)には以下の文が記されている。
鶴見橋(爆心地から約1.7キロメートル)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強烈な熱線により欄干などに着火しましたが、すぐに消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。
(東詰から撮影された鶴見橋とシダレヤナギ 1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影)
敗戦直後の写真と現状を比較してみた。頑丈な橋は4代目にあたり平成2年(1990)に完成している。川向うが地獄だったとは信じられないほどに町並みは変わった。