寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

おせち料理のカタログを開く

2012年11月30日 | 日記
おせち料理の値段はピンからキリまであるが、大体1~3万円の範囲に設定している店が多い。天満屋オリジナルのおせち料理の廉価版には和風の他に洋風・中華・イタリアンがあって、それぞれ組み合わせて注文することも可能という。我が家は今年も簡素な手作りで安く仕上げる。

天満屋オリジナル和風おせち(廉価版)

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煮干だし(水出し法)

2012年11月30日 | 食材
我が家では時々煮干でだしをとる。やり方は水を張った鍋(またはボール)煮干を投入して一晩置くだけの水出し法である。普段は画像のように昆布と合わせて使うことが多い。更に旨みと香りをつけたい時にはこの上澄み液を煮立て鰹節を加えて漉す。

つまり煮干は昆布や鰹節と組み合わせることで違ったタイプのだしになる。私は煮干単体だしは味噌汁用、煮干+昆布は煮物に、煮干+昆布+鰹節はうどんだしといったように使い分けている。

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カタクチイワシの煮干(呉市音戸町産)

2012年11月29日 | 食材
新鮮なカタクチイワシ(小イワシ)を煮沸して乾燥させたものが煮干である。母方の祖父は煮干(数匹)をアテにして酒を飲み、夕飯はほとんど食べなかったという。

初めて買った音戸産の煮干は塩加減が丁度いい。確かに酒の邪魔をしない、しぶいつまみだ。大晦日にはひと手間かけてゴマメ(田作り)を作ることにしよう。

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小クワイの素揚げ

2012年11月28日 | 家飯
小さなクワイの食べ方としておすすめしたいのが素揚げである。クワイは汚れなどを洗い落として水気をしっかりふき取る。これを油で薄茶色になるまで揚げる。味付けは塩のみ。揚げることによって苦味はほとんど感じなくなる。ホクホクした食感のクワイは子どものおやつになる。もちろんお父さんの酒の肴としても喜ばれる。

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福山市・港町公園の蛙岩(後編)

2012年11月27日 | 郷土史
蛙岩の前に立つ。名前の通り身の危険を感じた蛙が息を止めてじっとしている感じがよく出ている。岩の脇のプレートには伝説(昔話)について記述があった。

蛙岩の伝説

大昔、蛙岩がある辺は浅瀬でよく船が座礁していたという言い伝えが残っている。そして深津高地(深津嶋山)の周りは海で吉津や奈良津は港町であったという。つまり干拓によって海岸線は相当南に下りているのである。

深津郡深津村
當村近邊、元和、寛永の比迄者海にて、なら津、吉津、德田、道上の邊迄、船の往來有て、蛙岩 御座床の後に有 の峭(岨)に船を乗かけ、多く破損しけるとそ。藥師寺の邊も西濱とて干瀉なりしとそ。
『備陽六郡志』

備後国福山(城下町)は空襲で焼かれて何も残っていないと外野(米軍に無視され没落を続ける田舎町の住民)がピーチクパーチク喚いているのは大きな間違いである。念仏街道(福山⇔神辺)をはじめとして「これほど面白い街はそうそうない」とさえ私は思う。最近では大学教授や地元の歴史家が史跡巡りの地味な企画を立て希望者を案内しているが、もっと頻繁にやればいいのだ。

そこで重要なのは歴史の暗部についても勇気を持って触れることである。発展を続ける良い街とは「負の遺産」について自由に考え意見を述べ合える所だろう(駄目な町はこの逆だ)

港八幡神社

大きい祠は昭和34年10月に創建された、比較的新しい港八幡神社である。城下町の発展を支えた運河・川・船溜まりを知る上で港町公園は外すことのできない場所と言ってもいい。

港八幡神社は昭和34年10月の創建

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極上信州中野リンゴ

2012年11月27日 | 食材
毎年関東の友人が送ってくれる信州中野のリンゴ。甘味・酸味・歯応え全て良しの極上品で芳香も強い。このリンゴを食べると決まって長野県の特産品(そば・日本酒・馬刺し)が頭に浮かび旅に出たくなる。なおリンゴは冷暗所で保管すれば年明けまで十分にもつ。

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福山市・港町公園の蛙岩(前編)

2012年11月26日 | 郷土史
「港町公園はかなり前からありますよね。私は昭和50年代にここへよく遊びに来ました…」

「多分もっと前からあろー。何時かははっきりせんが」

「やっぱりそうですか。で、ここにヘンテコリンな石というか、岩がありませんでしたか?」

「そりゃー座床(ざどこ)の蛙岩のことじゃろ。あっちへ説明が出とるよ」

「あれですな。どうもありがとうございました」

座床館

老人が口にした座床とは江戸時代の船溜まり(運河の途中に設けられていた)のことである。私は公園内に建つ町民会館の名称が「座床館」であることを確認して「これが名残か」と呟いた。

坐床
公船ヲ收ル所ナリ水ハ手城ニカヽル故閘ハソノ村ニ屬ス

『福山志料』

水野家時代福山城下明細地図を見ると座床の位置はこの辺りであることが分かる。座床につながっているのが蓮池川で北方(上部)の橋が三枚橋である。

水野家時代福山城下明細地図

水野家時代福山城下明細地図より座床(船溜まり)周辺を拡大

三枚橋は備後国の深津郡三吉村と同郡深津村を結ぶ橋(笠岡街道の一部)で非常に重要な意味を持っていた。現在川幅は水辺公園が出来てかなり狭くなっているが、国道2号線上の新橋から昔の情景を想像することはできる。

福山新橋東詰

蓮池川に架かる新橋(国道2号線)より北方の三枚橋を望む

私は老人が指差した岩の方(公園の北東隅)へ歩いて行った。大小2つの祠の間に標識らしきものが立っているようだった。

港町公園内にある祠と岩

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広島県福山市の特産品・畑のサファイアの別名を持つクワイ

2012年11月26日 | 食材
青みが印象的なクワイは福山の特産品で全国生産量のトップである。色の美しさから畑のサファイアと呼ばれている。

先週金曜日広島ホームテレビ・Jステーションの瀬戸内リレーはクワイ料理の特集だった。JA川口の女性が大きなクワイをスライスしてチップスに、そして小粒なものを素揚げにしていた。

試食したクッシー(串山アナ)が喜んでいたようにどちらも美味しいのである。クワイが出回るのはこれから年末までだが、味をよく知る地元の人間は安い小クワイを狙っている。

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サンフレッチェ広島Jリーグ初優勝

2012年11月25日 | 日記
昨日、サンフレッチェ広島が創設20年目で初優勝を果たした。久々のよいニュースに一県民として惜しみない拍手を送った。私が大学生の頃サッカーはマイナーなスポーツだった。よく肥えた先輩の命令で研究室対抗のサッカー試合によくかり出されたものである。私の役割は相手をかき回して疲労させることであったが、あまりの技量不足ゆえに毎回大敗を喫していた(笑)

エディオン福山本店

エディオン(旧デオデオ)福山本店では今日から「サンフレッチェ広島感動をありがとうセール」が始まった。先着300名にオリジナルカレンダーをプレゼントするというチラシを見て1階の駐車場に行ってみると20人ほどが列を作っていた。

開店を待つ人たち

意外にも午前9時50分に開店した。入口でカレンダーを貰った客はエスカレーターで3・4階に上がるという流れであった。この店も国道2号線沿いに移転することが決まっており市の中心部で暮らす人間にとってはますます便利になる。ありがたいことだ。

プレゼントの2013年サンフレッチェカレンダー

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福山市入船町3丁目の大山排水機場

2012年11月24日 | 郷土史
福山市立大学の前を通って産業道路を横断し大山排水機場の前に出た。川の右岸が入船町、左岸が港町である。

蓮池川にそって北上

若い人は知らないだろうが、入船町にイトーヨーカドーができる前は新橋西詰交差点より南はとても貧弱な道路だった。川の左岸に沿って北上し港町公園に寄った。

福山市港町1丁目の港町公園

小学生の頃、この公園に自転車を止めてドブ川でフナを釣った思い出がある。周辺にはマンションが建ち並び当時とは様子がガラリと変わってしまった。

港町公園の便所

公園の便所から出ると赤く色付いた木の葉が風に吹かれて舞い散っていた。私は大量の落ち葉を一人でかき集めている男性に「ご苦労様です」と話しかけた。

港町公園の紅葉

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カタクチイワシのあっさり梅煮

2012年11月23日 | 家飯
カタクチイワシ(広島では小イワシと言う)の頭と内臓を取り除き塩水で洗う。沸騰水に少量の酢を落としイワシを投入する。

小イワシのクセを抜く

大量に出るアクを丁寧にすくい独特のクセと余計な脂を抜く。臭みの移った汁は全部捨てる。

下処理の終わった小イワシを梅干と一緒に煮る

鍋に日本酒・出汁・味醂・薄口醤油を合わせた調味液を張り生姜と種を取った梅干を加えてイワシを短時間煮る。梅肉が入ることで非常にすっきりした味わいとなるのでイワシが苦手な人にはぜひ試してほしい。

小イワシの梅煮

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長期熟成の奈良漬

2012年11月23日 | 食材
奈良市の有名メーカーが製造した白瓜の奈良漬。パック品を冷蔵庫に入れたのをすっかり忘れ賞味期限から8年以上が経過していた。買ってきた時には薄茶色だった瓜が黒褐色になっているが、味は問題ないレベルだ。鼻につーんとくる感じがまだ残っているのには驚いた。酒かすと乳酸菌の力は偉大である。

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備後国・福山港の由来

2012年11月22日 | 郷土史
福山港内港北岸の遊歩道から市立大学を望む。大学の専用駐車場そば(キッチンアンリのすぐ西に位置)に福山港の由来を記した石碑がある。

福山港の由来が書かれた石碑

福山港の由来(碑文)

かつて運河(入江)は現リーデンローズの駐車場まで延びていたが、旧月世界前の悪臭には閉口したものである。みなと公園と大学の敷地まで埋め立てが進みこの問題は大分改善された。

福山港の由来

 福山港は、福山城築城(元和八年)の折、海から外堀まで直結するため延長約一・四kmの運河を開削し、その北岸(現在の船町あたり)に、藩船や廻船を係留したのが、始まりと伝えられています。当時は、この運河を上り下りの船が往来し、参勤交代や人・貨物の輸送を行っていました。
 この運河は、幕末頃までに東手城・新浜・曙町まで干拓事業が東に延びるにしたがって、延長は約四kmに達しました。
 その後、福山市周辺の商工業の発展に伴い昭和十二年から運河の浚渫や岸壁の整備(松浜・港町地区)を行い、鉄道と並ぶ物流の大動脈として戦時中戦後の物資の積み降ろしを当地区で行いました。
 なお、この台に使われている大型のみかげ石は、昭和三十年代に築造された岸壁の緑石を移設したものです。

石碑の周辺は物資の運搬で賑わった運河の歴史を静かに振り返るのに最適の場所である。遊歩道は市民のジョギングコースとしても人気が高い。

公園内ペット禁止の標識

帰り際みなと公園のペット禁止の標識を見た私は渋い表情になった。己の目先の利益しか考えぬ畜生以下の輩が忌まわしき売国政権を誕生させたのだと思うと不快で堪らなかったのである(笑)

福山市松浜町3丁目の愛宮神社と常夜灯(旧入江の南岸にあたる)

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