薬師堂の隣に建つ石造りの鳥居。その先に小さな石橋が架かっている。橋の下を流れるのが宮地川で川の南に古城山はある。
稲富稲荷神社の表参道には歴史を感じさせる石造物が配置され、常夜燈には文化十三歳と刻まれていた。石橋の上方にあるのが古城跨線橋(道路)で東京日本橋の縮尺版といった感じだ。
私は老人の如く背を曲げて急勾配の長い石段を上って行った。「おっさん、バテとんか?」とでも言いたげな野良猫に構っている余裕はない。額に汗を浮かべた中年は漸く稲富稲荷神社の境内に着いた。
弘治元年(1555)に笠岡城内の鎮守として建立されたと伝わる稲富稲荷神社。祭神は早迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた子(穀物の神)である。参拝を済ませた私は笠岡の宮大工の仕事に見とれていた。
稲富稲荷神社の表参道には歴史を感じさせる石造物が配置され、常夜燈には文化十三歳と刻まれていた。石橋の上方にあるのが古城跨線橋(道路)で東京日本橋の縮尺版といった感じだ。
私は老人の如く背を曲げて急勾配の長い石段を上って行った。「おっさん、バテとんか?」とでも言いたげな野良猫に構っている余裕はない。額に汗を浮かべた中年は漸く稲富稲荷神社の境内に着いた。
弘治元年(1555)に笠岡城内の鎮守として建立されたと伝わる稲富稲荷神社。祭神は早迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた子(穀物の神)である。参拝を済ませた私は笠岡の宮大工の仕事に見とれていた。