広島県と愛媛県が橋で結ばれてから10年を迎えようとしている。学生時代には「フェリー」で松山に向かったのが、「マイカー」や「高速バス「」で旅をするようになった。最初に橋を渡った時は非常に近くなったと感じた。
広島県民にとって便利になったのは間違いないが、橋が架かった島々はあまり潤わなかった(=お金が落ちてこない)という。私はしまなみ海道開通から四国を何度も訪れたが、途中の島で休憩したことは一度もないのである。
これを島側のコマーシャル不足ととるか、それとも観光客の身勝手ととるか。時間的な余裕がない限り、旅人は訪問先に「優先順位」をつける。効率よく、かつ安く回ろうとすれば、島に立ち寄ってゆっくりするのは難しくなる。
多くの人を惹きつけるだけの「真の魅力」が島にあれば観光客を増やすのは可能である。しかし、民間放送の安易な旅番組(箱物紹介がメイン)を見る度に私は「コストパフォーマンスの低さ」が気になるのだ。この点を克服できないといつまで経っても「通過町」のままだろう。
広島県民にとって便利になったのは間違いないが、橋が架かった島々はあまり潤わなかった(=お金が落ちてこない)という。私はしまなみ海道開通から四国を何度も訪れたが、途中の島で休憩したことは一度もないのである。
これを島側のコマーシャル不足ととるか、それとも観光客の身勝手ととるか。時間的な余裕がない限り、旅人は訪問先に「優先順位」をつける。効率よく、かつ安く回ろうとすれば、島に立ち寄ってゆっくりするのは難しくなる。
多くの人を惹きつけるだけの「真の魅力」が島にあれば観光客を増やすのは可能である。しかし、民間放送の安易な旅番組(箱物紹介がメイン)を見る度に私は「コストパフォーマンスの低さ」が気になるのだ。この点を克服できないといつまで経っても「通過町」のままだろう。
朝刊を開いてからまもなく深いため息をついた。国際欄の記事に目をとめたのである。
全米レコード協会(RIAA)がまとめた二〇〇八年の統計によると、米国の音楽ソフトの販売額は前年比一八%減の八十四億八千二十万ドルだった。前年割れは四年連続。ネット配信は三十%増と好調だったが、市場全体の六割以上を占めるCD販売が二十七%減と不振だった。
ネット配信はアルバム、シングルを合わせたダウンロード件数が二十八%増の十億八千九百九十万件となった。金額ベースでは十五億九千百六十万ドルに達した。……
一方、CDは販売枚数が二十五%減の三億八千四百七十万枚と低迷し、音楽ソフト市場が縮小する主因となった。
ネット配信市場の成長ペースは速いものの、市場全体に占める割合は二割程度。CD販売の落ち込みを補うまでには至っていない。
日本経済新聞2009年4月29日朝刊より抜粋
現在の株価並みに寂しい話である。大不況と魅力ある楽曲の減少が大きく影響しているのであろう。欲しい曲だけ購入する傾向は今後益々強くなるような気がする。長年の無為無策が祟り重体に陥ったレコード業界。その未来は非常に暗い(笑)
全米レコード協会(RIAA)がまとめた二〇〇八年の統計によると、米国の音楽ソフトの販売額は前年比一八%減の八十四億八千二十万ドルだった。前年割れは四年連続。ネット配信は三十%増と好調だったが、市場全体の六割以上を占めるCD販売が二十七%減と不振だった。
ネット配信はアルバム、シングルを合わせたダウンロード件数が二十八%増の十億八千九百九十万件となった。金額ベースでは十五億九千百六十万ドルに達した。……
一方、CDは販売枚数が二十五%減の三億八千四百七十万枚と低迷し、音楽ソフト市場が縮小する主因となった。
ネット配信市場の成長ペースは速いものの、市場全体に占める割合は二割程度。CD販売の落ち込みを補うまでには至っていない。
日本経済新聞2009年4月29日朝刊より抜粋
現在の株価並みに寂しい話である。大不況と魅力ある楽曲の減少が大きく影響しているのであろう。欲しい曲だけ購入する傾向は今後益々強くなるような気がする。長年の無為無策が祟り重体に陥ったレコード業界。その未来は非常に暗い(笑)
私が小学生だった時分に体罰は頻繁に行われていた。もっとも悪さをして叱られるのがほとんどのケースで悪ガキは黙って痛みに耐えていた。そのことを親には話さなかったし、今のように親が学校にシャシャリ出てくることもなかった。
ただし例外もあったのだ。質の悪い教員が腹いせに何の罪もない子どもを殴る事件が度々起きていた。問題教師は手癖も悪く発育のよい女子児童からは毛虫の如く嫌われていた。私を含めた悪童らは「あの糞野郎は絶対に許さんど!」と怒りをあらわにしていた。
卒業後もその教師の悪評は中学に伝わってきた。私が大学に入った頃であろうか、「悪魔」と呼ばれた色黒の教師が還暦を迎える前に病死したのを友人から教えられた。「流石のド悪党も病気には勝てんかったか」と私がにやつくと友はこう言った。
「あの先公の奥さんは随分と旦那の悪行を気にしとったらしいで。アホたれが冥土に行ってくれてほっとしたと言うたが(笑)。わしらが何か仕掛けるか心配したんじゃ」
私は不機嫌そうに「アホー。畜生なんかを相手にするわけないがの。それは時間の無駄ゆうもんよ」と吐き捨てた。そして、土偶のような卑しい面をした生前の教師の姿を思い浮かべてから完全に消去したのである。
ただし例外もあったのだ。質の悪い教員が腹いせに何の罪もない子どもを殴る事件が度々起きていた。問題教師は手癖も悪く発育のよい女子児童からは毛虫の如く嫌われていた。私を含めた悪童らは「あの糞野郎は絶対に許さんど!」と怒りをあらわにしていた。
卒業後もその教師の悪評は中学に伝わってきた。私が大学に入った頃であろうか、「悪魔」と呼ばれた色黒の教師が還暦を迎える前に病死したのを友人から教えられた。「流石のド悪党も病気には勝てんかったか」と私がにやつくと友はこう言った。
「あの先公の奥さんは随分と旦那の悪行を気にしとったらしいで。アホたれが冥土に行ってくれてほっとしたと言うたが(笑)。わしらが何か仕掛けるか心配したんじゃ」
私は不機嫌そうに「アホー。畜生なんかを相手にするわけないがの。それは時間の無駄ゆうもんよ」と吐き捨てた。そして、土偶のような卑しい面をした生前の教師の姿を思い浮かべてから完全に消去したのである。
懐かしい先生の姿を発見し、最後まで「ふるさと発スペシャル」を見た。番組は三部構成になっていた。
第一部:豊かな里海(現役漁師の資源保護への取り組みなど)
第二部:里海に忍び寄る「異変」(干潟の減少や海砂採取による悪影響)
第三部:里海「再生」への取り組み例(山口市の椹野川河口)
私が最も関心を持ったのは第三部だった。かつて椹野川河口の干潟はアサリの宝庫だったが、まったく獲れなくなった。干潟で60年にわたって漁をしてきた岩本和美さんは大雨が降るたびに大量の土砂が川に流れ込むことに注目し山に入った。
水源地の山林は荒廃していた。地面に日光が届かず下草がほとんど生えていない状況を知り、9年前から漁師仲間と植林を行ってきた。海の再生にはまず山の再生が必要と考えたのだ。
また一般市民と共に生物がいなくなり固くなった干潟を掘り返し酸素を送り込む運動にも取り組んだ結果、今では徐々にアサリやシャコが増えてきている。稚魚が成長する藻場(アマモ)も最盛期の五分の一(140ha)にまで回復した。
岩本さんが「豊饒の海を暗黒の海にしてはならない」と語っていたのが印象に残る。一旦自然を壊すと回復までには気の遠くなるような時間がかかることを如実に示していた。
「人の手を加えすぎるのが問題」なのは料理においても同じだ。
第一部:豊かな里海(現役漁師の資源保護への取り組みなど)
第二部:里海に忍び寄る「異変」(干潟の減少や海砂採取による悪影響)
第三部:里海「再生」への取り組み例(山口市の椹野川河口)
私が最も関心を持ったのは第三部だった。かつて椹野川河口の干潟はアサリの宝庫だったが、まったく獲れなくなった。干潟で60年にわたって漁をしてきた岩本和美さんは大雨が降るたびに大量の土砂が川に流れ込むことに注目し山に入った。
水源地の山林は荒廃していた。地面に日光が届かず下草がほとんど生えていない状況を知り、9年前から漁師仲間と植林を行ってきた。海の再生にはまず山の再生が必要と考えたのだ。
また一般市民と共に生物がいなくなり固くなった干潟を掘り返し酸素を送り込む運動にも取り組んだ結果、今では徐々にアサリやシャコが増えてきている。稚魚が成長する藻場(アマモ)も最盛期の五分の一(140ha)にまで回復した。
岩本さんが「豊饒の海を暗黒の海にしてはならない」と語っていたのが印象に残る。一旦自然を壊すと回復までには気の遠くなるような時間がかかることを如実に示していた。
「人の手を加えすぎるのが問題」なのは料理においても同じだ。
祖母は何の根拠があるのか、よくこんなことを言った。
「犬糞は臭いばーで肥料にはならんけー。畑にまいたら野菜が枯れる」
私が「ほんまに?」と突っ込みを入れると彼女はニヤニヤして決めの一言を放つのだった。
「アレはほんまに役に立たん!」
祖母は畜生の類が嫌いだったから誇張した面も多かったのだろうが、両親もこれには同意見だった。
私が小学校に上がる前、新幹線の架橋が完成し、犬を連れて散歩する者が増えた。まもなくコンクリートの支柱の周りには糞の山ができ、鼻をつまんで歩かなければならなくなった。夏場の悪臭は特に酷かった。
子どもながらに「品のない大人が多い街だ」と思った。飼い主の頭の悪さが伝染したかのようなみすぼらしい犬がひねり出す汚物を見て苦笑した日々。昭和50年代前半の話だが、街のモラルは現在でもあまり変わっていないのが情けない。
「犬糞は臭いばーで肥料にはならんけー。畑にまいたら野菜が枯れる」
私が「ほんまに?」と突っ込みを入れると彼女はニヤニヤして決めの一言を放つのだった。
「アレはほんまに役に立たん!」
祖母は畜生の類が嫌いだったから誇張した面も多かったのだろうが、両親もこれには同意見だった。
私が小学校に上がる前、新幹線の架橋が完成し、犬を連れて散歩する者が増えた。まもなくコンクリートの支柱の周りには糞の山ができ、鼻をつまんで歩かなければならなくなった。夏場の悪臭は特に酷かった。
子どもながらに「品のない大人が多い街だ」と思った。飼い主の頭の悪さが伝染したかのようなみすぼらしい犬がひねり出す汚物を見て苦笑した日々。昭和50年代前半の話だが、街のモラルは現在でもあまり変わっていないのが情けない。