8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が投下され、そして8月15日に終戦となった。二度と、戦争が起こらないよう平和を祈念して、過去写真から日本各地の平和について考えさせらた所の写真をUPします。
【2006.06 沖縄県嘉手納町】
嘉手納基地の周りでは米軍の戦闘機のものすごい爆音がする。
【2006.06 沖縄県宜野湾市】
嘉数は沖縄戦の激戦地となったところで多くの方が犠牲となった。嘉数高台公園には慰霊碑や慰霊塔が建てられている。写真は嘉数高台公園から、普天間基地を展望。
【2006.06 沖縄県糸満市】
摩文仁の丘。沖縄戦の最大の激戦地となったところで、沖縄戦跡国定公園に指定され、平和祈念資料館(写真中央の建物)やたくさんの慰霊碑、慰霊塔がある。
【2007.02 長崎県長崎市】
平和公園の平和の泉と平和記念像。爆心地にあり、平和を祈念する像、碑、鐘などたくさんある。
平和公園にある像。背景に浦上天主堂が見えるが、原爆で破壊され再建されたものである。浦上天守堂には被爆したキリスト教関連の像がある。
【2008.05 北海道稚内市】
樺太で避難する人のため、緊急通信を守り戦火に巻き込まれれながらも電話交換の業務を遂行した9人の電話交換手の慰霊碑。彼女達が亡くなった樺太が望める高台にある。この碑の他にも、樺太への望郷の念と、樺太で没した人の霊を慰めるための碑“氷雪の門”がある。
電話交換手の碑がある高台から見た稚内港。かつてはここから樺太への船が出ていたのかな。曇りだったためこの時は樺太が見えなかった。
【2008.08 広島県広島市】
原爆ドーム。ドーム前の川は元安川で、原爆が投下された時、多数の人がこの川に水を求めてきてここで亡くなった。ドームの右には広島復興のシンボルである市民球場のナイター用の照明が見える。
市内を走る路面電車。原爆投下から3日後には一部が復興し、市内を走り市民を勇気づけた。現在でも被爆した電車が市内を走行している。
被爆した日赤病院の建物の一部。後世に伝えようと言うことで、市内のところどころでこのような被爆遺産を見かける。