自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

エミール大師が語る;洗礼者ヨハネとヒマラヤ

2013年07月07日 | 健康と直結する”一元論”について

 各宗教・宗派が分裂する前は・・・ 平成25年7月07日

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 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた

11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの

大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを

実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく、入り

込むことを許してくれた。


私のノートを今ここに、

“極東における、大師たちの生活と教え”

題して、発表するが、そこに盛られた

内容をそのまま受け入れるか、否認するか

は、読者の自由である。

 

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 各宗派分裂の原因

調査団が向かった目的地の一つの村には、ある

珍しい記録が残っていた。

それによると、洗礼者 ヨハネ(*1)が

この村に約5年間住んでいた明確な証拠になると

思われる事象が記されていた。


さらに、ヨハネが12年住んでいたという土地

に関する記録箇所を翻訳してもらったと

著書(*1)にある。

 

ヨハネは チベット、中国、ペルシャ、インドの

国々滞在したと思われた。


これらの資料に即して、調査団は ヨハネが通った

と思える道を記録の上でさかのぼり、徹底的な実地

調査を試み、その資料を基にして、ヨハネの遍歴の

正確な地図を滞在中に編纂した。


そのヨハネが滞在したと言われる村に、調査団は

3日間宿泊した。

それはこう記されている;


この村に三日間泊まった。

ところが、その間、遥かなる過去から

の出来事が 私の前に繰り広げられていった。

 

これらの教えが壮大な時を経て、万象の唯一の

本源、本質=神 にまで辿り得るということ

が分かったのだ。


これらは いろいろな人によって、分派され、

自己流の考えをくっつけたものを 

これこそ、本人にだけ、神の啓示し給うもの、

本人にのみ、与えられた神の直接の啓示’

だと思い込み、彼のみが、唯一真実の信託を擁し、

この信託を世界に与えるべき、唯一の使者である

と 思い込んできたことが分かったのである。

 

このようにして、神に始まった、真理の啓示に

人間の考えが混入されてきて、遂に各宗派と

すべての不調和とが生じたのである。

 

しかし、これらの大師たちは、人間が真に、

無罪、不死、不変、永遠の存在であって、

神の像そのままであることを悟り、

正しき霊性の上に毅然として立っておられる

ことが分かった。

 

もっと、研究していけば、この偉大な方々が

長年、に渡ってこの真理を純粋に保存し、

伝えた相(すがた)も分るに違いないと思った。


それでいて、この方々は、全知全能を自称する

こともなく、この方々の伝える真理を学ぶ者、

自らが証し、大師たちと同じ業(わざ)を

為さない限り、鵜呑みにするのを求めず、

自らの為し給う業(わざ)の他は権威を

押し付けようともなさらない。“(137

 

さて、雪男にさらわれた捕虜を救うこと以外

に、村に返るのは、もう一つの目的が残っていた。


村にいる重症者の治療だった。

村では、雪男に一旦つかまってから、救出

された4人の男の情報とともに、エミール師と

ジャストの到着の知らせを すでに他の班の

人たちが触れ回っていたので、近隣の土地

からも、病気を治してもらいに大勢の人たち

が集まっていた。


隊員たちは その癒しの集まりに出て、つぶさ

に病気治療を観察した。


“わたし達は翌日も一泊して、その(癒しの)

集まりに出て、顕著な癒しが行われるのを、

実見した。 

その中に、前年の冬にやられたひどい片足の

凍傷が癒された20歳の娘もいた。 


その娘の足に、新しい肉が実際に生え出して、

正常になっていくのを見た。 

彼女は完全に歩くことができたのである。 


二人の盲人も視力を回復した。 

そのうちの一人は生まれつきの盲目であった。

その他、軽傷の病が癒されたものは相当いた。

皆、深刻な感銘を受けたようである。

 

集まりが解散してから、エミール師に 回心者

たくさん出たかどうか聞いてみた。

現実に救われる者がたくさんでると、いったん

宗教的関心を呼び覚まされ、奉仕者となる

ものが、しばらくの間は多くでるが、

この道を真剣に歩んでいくのは非常な努力の

要ることがわかると、大部分がまた、元の生活

にずるずると戻ってしまうということであった。


住民のほとんど全部が 安易で呑気な暮らし方

をしていて、このため、信仰を表明して、

本当にまじめにやっていけるものは

その一割ぐらいしかいないと思われる。“

とエミール師は語った。

 

大師たちは 本当に救いを求めて来る人を助ける。

 しかし、彼らが成さなければならないことを、

肩代わりすることはできないという。

 

人々の前途には、豊穣があるということを

言って聞かせることはできても、本当に豊かな

生活(心身ともに)に達するのには、本人たち

が真理を受け入れ、実行しなければ、意味が

ないとも、調査団に語った。


ところで、雪男を ほかの班の同僚たちが

大師の後を追って、探索した。

しかし、見つけることはできなかった。


5日間も探し回ったが、結局、嫌気がさして

あきらめ、部落に戻る途中、約一マイル先の

峰の上に、空を背景にしている人間の形らしい

ものに、気がついたが、双眼鏡をとりだす

までには、その人型はきえてしまった。


しかし、それだけでも、その人型が猿に似て、

毛でおおわれている感じがあったので、

現場へ急行したが、もう影も形も見えなかった。“(138

 

雪男という野蛮で 凶暴な動物より愛情を

感じないだけ、劣ると考えられている彼らも、

神の資質を持っていると調査団にかたった、

エミール師であった。


好奇心や、物珍しさ、敵対心や襲われる

かもしれないという恐怖心で、彼らのもとへ

いくことは何の意味もない~として、

調査団に一緒に、山男のところへ行くことも、

その話の詳細を聞かすこともしなかった師

であった。


愛深いこの言葉によって、調査団は、自分たち

の偏見を正したのだろうか?


しかし、私たちの日常生活にも、ここまで極端

ではないにしろ、近代社会に潜む、毛でおおわれて

いない、雪男はいるのかもしれない。


自分たちは危害を与える存在だと周りからも、

自らも認め、愛 という心を失うまでに、

人間らしさをなくした、人の姿を借りた、雪男たち

のことである。


大師はここで、私たちに、雪男であるといえども、

彼らの中にある神聖な資質に、いつか気がつく

ときがあるだろうと語る。


それには、興味本位や敵対心で彼らにあたる

のではなく、そういう智慧をもって、彼らに接し

続ける努力を忘れない事。


そして、愛を忘れた生き物は、野生動物の本性

すら忘れてしまった悲しい存在であると、

理解すること。


エミール師は 野生動物でも人間の優しさには、

反応するからという。

なら、雪男なら、なおさら、人の優しさに感応しない
はずはないのだ。

 

(*1)

洗礼者ヨハネ、

 BC6–2年頃~36年[1])は、『新約聖書』に登場する

古代ユダヤの宗教家・預言者


個人の回心を訴え、ヨルダン川イエスらに洗礼を授けた。

イエスの弟子である使徒ヨハネとは別人である。

 参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

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