自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

霊峰富士山・お供物

2013年07月23日 | 健康と直結する”一元論”について

ひふみ神示エッセンス    平成25年7月23日

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ひふみ神示は849つある。

37巻プラス補巻が二つ添えられている。

 

アットランダムに興味覚える言葉を拾ってみた。

括弧内の数字は神示の番号である。                                    

*富士、火吐かぬよう、おろがみて、くれよ、

大難を小難にまつりかえるよう、おろがみて、くれよ。(289)

 

最近 富士山が世界遺産に登録された。

とは、言っても、実際は、数年の期限付きで、

その間きちんと、富士山を信仰対象の山として 

登山者をはじめ関係者がそれにふさわしく、

維持できるかどうかというテスト期間であり、

登録から外される可能性もまだ残っていると

ある筋から聞いた。

 

そのことは マスコミであまり、伝えられて

いないように思った。天明の神示では、富士山が

噴火する~という前提(予言)のもと、”おろがみて”、

つまり、富士山を”拝みなさい”と言っている。

その心をもって、”大難が小難にすむ”とも、

暗示している。

 

霊峰富士山の意味をあまり、考えずに登山する

人たちも多いだろう。ハイヒールで上る、健脚の

女性もいて心ある人をハラハラさせているとも

聞いた。

何故、霊峰といわれるかは理屈はいらないだろう。

秀真伝えによれば、富士山は天照大神の誕生の

場所でもあり、不二の宮(廷) があったところ

でもある。

 

周りには大山をはじめとして やはり霊山がこの

不二の山を守るために その役職の神々が仕え

そのことは超古代史にも登場している。

                                                 

シャカ祀れ。キリスト祀れ。

カイの奥山は五千の山に祀りくれよ。

(ひふみ神示308)

 

この意味として、私たちは釈迦を祀り、仏教が

広まり、かつ、キリスト教の布教も行われ、

渡来した宗教にも、親しく信仰心を増して

いくことが暗示されている。

 

”カイ”、つまり 甲斐の国の山、富士山に象徴

される日本の神は5千の山、つまり、多くの霊山

にに祀られるご神体となり、その真髄をとどめ

ことだろう。

 

この主語は、私たち日本人だと思って読んでいたが、

実際、どうなのだろう?

日本の心は大和の心、調和と生かしあいの精神だ

思う。そのような意味での”心”は、これから世界

に向けて発信していく価値があるのではないか・・・

 

キリスト教もよし、仏教もよし、回教もよし、

ヒンズー教も良し、そして、お互いがお互いの

本質を認め調和できる世界にするために、

ヤマト(大調和)の心が平和の貢献をする

いうことではないだろうか・・・

 

*豊受の大神様 お山の鵜f時に祀り、

箸そえて、おさげした箸、皆に分けやれよ。

け に難儀せんよう、守りくださるぞ 

(319)

 

意味として、豊受の神様を祀り、そのとき添えた箸

信者に分けることで、”け”=(食べ物)に困らない

よう、お守りをうけることができる。

実際、私自身は鞍馬山の古木から作られたお箸を

使っている。

 

元来、霊山のご神体は、霊山そのものであり、~寺

と称して、その山に建造された本堂に祀られた

仏像などは、象徴的な意味合いが多い。

鞍馬山霊山の自然もまた、御神体の命の顕れで

あって、そこに生えている木から作られたお箸も、

天明の神示にあるような意味合いが込められて

いるのだろう。

 

印度では、プラサートといって、神様にお供えした、

食べ物でも、花でも、何でも、家に持ち帰り

祝福を与えられたものとして、皆に分けて戴く。

神様に捧げられたものを戴くとは、一種のお守り

をいただいたような気持ちになり 厳かな気持ち

でいただくのは確かである。

 

*秩序、法則は神そのものであるから、神自身も

これを破ることは許されない。(388)

神は法則である というのは、言い換えれば

科学的という意味はもとより、反動の法則、

想念の法則、肉体の営みの法則、さらに、宇宙

の法則などの定則なども指すのだろう。

 

法則は、動かしがたいものとはいうものの、

そこに いわゆる”奇蹟” というものも実在する。

それは、一見 法則に反しているようにみえるが、

その実、その奇蹟も必然であるのだろう。

 

*神から出る真・善・美・愛の用に奉仕するのが、

霊人たちの生命であり、仕事であり栄光であり、

歓喜である。。。略。。。

自分自身の我が表に出たときは、力を失い、

仕事を失い、苦悩する。

 

霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多種

であるが、よりよき、より高き、より神に近い

霊人生活に入るための精進であり、喜びである

ことが知られる。

・・略・・   

なお、注意すべきことは霊界において、権利なる

ものは一切感ぜず、義務のみを感じていると

いうことである。即ち、義務することが霊人の

大いなる歓喜となるのである。

ために、命令的なものはない。

只、ひたすら奉仕があるのみである。

(17巻18帖)

 

霊界の人たちが食べ物をとっているかというと

そうではない。ここに書かれているように、霊界

の魂を向上させるためにも彼らは、”真理の言葉

を生きる”ような努力が必要らしい。

 

また、”愛と奉仕”という、自分の”小さな個”の

感覚を無くして大きな個としての、お勤めを果たす

ことが、霊界人の喜びにつながり、その喜びこそが、

生きている糧、つまり食料のようなエネルギーを

霊人たちに与えてくれるという。

 

     

参考: ”ひふみ神示” 2011年 岡本天明著 太

陽出版 

 

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岡本天明氏について

 

 

1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日

画家神道家、また、神典研究家である。

岡山県倉敷市玉島出身。

本名は信之、天明は「雅号」である。

信之は1944年(昭和19年)に

千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の

麻賀多神社末社である天之日津久神社を参拝する。

その直後、同神社の社務所で『日月神示

(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。

この自動書記現象は約17年間にわたって続き

後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。

なお書かれた文体は漢数字とカナ文字と記号などからなり、

書記した 天明自身、当初はまったく読めなかったといわれる。

(以上 ウィキぺディアより抜粋)

 

 

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