自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

心の家族~真の自分の強さを発揮するために

2014年01月10日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 ホ・オポノポノ 運動の基盤になった教え   平成26年1月10日

****************************************************

 

モ―ナ・ナラマク・シメオメ女史は、(*1)女史のハワイ伝統セラピー

の代表者で 女史の影響で拙ブログでこれまで何度か取り上げた

ホ・オポノポノ運動が、はじめられる。

 

今日は 女史の詩集から、ユニークな考え方が謙虚に顕れている一篇の詩を

ご紹介したい。

 

”大いなる自然

貴方の中にいるもう一人の自分が、絶えずあなたに、語りかけている。

’私はここだよ、お母さん。お母さんの愛をずっと 待ち続けていた。

これは愛を求めるもう一人の詩(うた)

 

お母さん、私の声聞こえる?聞いてくれるのを待っていたんだよ。

自分が誰なのか 分からなくなってしまうほど長い間、ず^っと・・・

 

いろいろなことをお母さんと話したいけど、一番のことはね、

宇宙の宝物のこと。

それってね、お母さんが求めている夢なんかよりずっとすごいものなんだ。

・・・略・・・

お母さんが詰め込むいろいろな荷物を僕はただ、背負って背負って、

こんなに積み重なった

・・・略・・・

 

お父さんだって、ずっと長いこと、お母さんを呼び続けていたよ。

こっちの静かな心に戻ってきて!ほんとうの自分がいる、家族のところに戻ってきて!

僕とお父さんの声を聴いてくれる?僕たちが一生懸命願っていることは自由

僕は今、背中に背負った荷物が重すぎて、辛い。

何度も繰り返される記憶から 早く自由にさせて!

 

お父さん

お母さんと僕は僕たちの道に進む準備がもうできたんだ。

今まで 溜め込んで、重く固くなった記憶達とお別れする準備ができたんだ。

思いっきり腕を広げて、広く広く開放してあげるんだ。

 

お父さんも こっちに来て!一緒にみんなで一つになろう。

ほら、家族が一つになったとき感じることができるのは雄大な自然の静けさと 

愛 しかない。

 

お父さん!

家族が一つになったらみんなが自由になれるんだね。

僕たちは ほんとうの自分 に帰るんだ”(引用以上)

 

この詩の声は 誰の心にも住んでいる、お母さんと僕とお父さんの

三人家族のことのようだ。

僕 は 早くお母さんに戻ってきてほしいと言っている。

お父さんも僕も、お母さんを呼び続けていたという。

早く戻ってきて!ここに宇宙の宝物があるよ!

皆さんはこの三人がどうゆう メタファ(比喩)で使われていると想像

なさるだろうか?

 

実はこの詩の前に一篇の詩があり、そこに、三人の役割がきちんと語られている。

お母さんは 私たちの顕在意識(現在の心)

僕 は インナーチャイルド、純粋だけど、顕在意識が

持ってくる、エゴ的な心の記憶が詰まっているもの、

お父さんは、私たちの心の中で冷静に客観的に

見守り、導こうとしている 聖なる自分の神性とも超越意識ともいえる。

 

女史は私たちの心をこの三つの要素に分類して

この三つの心の要素が調和されて、真の自分になるという。

”小我”がほんとうの自分(父親)を振り回し、

エゴ意識で造りだした環境の独り芝居の中で その時に

ふりまいたマイナスの感情や想念を、

”僕”(純粋な自分)の上にどんどん積み上げていることを

気が付いてほしいと 叫び声をあげている。

気が付かないと ’僕’は さみしい!と

母(現在意識)~愛情~に、訴える。

そして母が その声に耳を澄ましたとき、地層のように

積み重なった過去のエゴ意識に気が付くだろう。

それを手放す、手放せばよい、捨てればよいだけと 女史は 語りかける。

 

僕とお父さんとお母さんが三身一体になって、混沌とした状態が 

調和と完全によって変わる。

それが 宇宙の宝物、何にもまして尊い、”自由という開放感”で 

その時、心は至福に満ちるだろう。

 

自然に返って、愛(Love)という本来の自分の心持ちを取り戻して・・・

緊張もプライドもない、ありのままの自分・・

 

もう一つ付け加えるのなら、ほんとうの恋愛も家族愛も、自然への愛も含めて、

”愛に目覚める”といえるのは、この3つの要素が一つになったときだけだという。

次の詩の中に そのことがやさしく、表現されていると感じる:

 

”あなたはいったい何者だろうか?

’本当の自分’と一緒にいるのだろうか?

あなたの中の三つのセルフが繋がって

一つになって’私’であるときあなたは 初めて他の命を目にするだろう

触れ合ったり、お話ししたりすることができるだろう。

 

あなたの内に宿る三つの家族が一つであるとき、

この世にいながら、あなたは様々な命と

コミュニケーションすることができる

三にして一(ひとつ)ここにはエゴはない

もうそのままで完璧な’わたし’になったとき

平穏な静けさだけが あなたを包み込む。

 

三にして一(ひとつ)ほんとうに長い間 人は病気、戦争、貧困、自然災害

に苦しんできた

 

何故?それは 人がみな自分の真のアイデンティティーを知らなかったから。

 

あらゆる命の内側にいる ウニヒビリ(純粋な自分、記憶をためる)が

無視され、罵られ、痛めつけられ、傷ついている

 

エゴから平和を得ることはできない。

ありったけの知能を駆使したとしてもエゴが根ざした大地に 平和の花は咲かない。

 

何度も言うよ。アゥマクア(母)、ウハネ(父)、ウニヒビリ(子供)

この三つが一つである 私 のもとに平穏がもたらされる。”

 

この詩を書いた、ハワイ伝統的癒しの第一人者、

カフナ・モーナ・ナラマク・シメオナ女史は、

功績をたたえられて、人間州宝(ハワイ)の栄誉を送られた 

 

最後にもう一つの運命と題された詩をご紹介したい。

 

 ”         運命

期待はあなたの排泄機能を妨げる・あらゆる想念(考えや感情)が

自然な流れの中で消化されるのをやめてしまうのだ

リラックスして、流れのままにいよう。

小川が丘を下り やがて広大な海に広がっていくように

流れがひとたび生まれると想念そのものがやがて穏やかで優しい知識を

自ら拾い始める

 

そして大いなる自然のもとにたどり着くまで

流れ続けていく

頑固でかちかちな思考は川の底に沈んだままに。

どうかあなたは流れの中にいてほしい

あちらこちらに漂う あなたの思考が集まってきても

そのまま流れの中にいてほしい

そうすればやがて大いなる自然の懐(ふところ)にたどりつく

あらゆる命の運命は河が逆流しないのと同じで

いつだって たった一つの方向へ向かっている

あなたが肉体を持って生まれ、その肉体からまた解放されるまで

あなたはその流れに身をゆだねている

 

でもあなたはわかっています

いくつも無限にある分かれ道で

どちらに進むのか自分で決められるはず。

見知らぬ道だからといって 進むことを恐れないで。

 

ほんとうの自分が選んだ道を新たに進むとき

あなたの内側に眠っていた 宝物たちが

美しいエネルギーであなた自身を驚かせるだろう。

あなたの足を前に出して

叡智のしずくでうるおしてみて草木があなたを涼め、大自然のささやきを聞いて・・・

 

”ようこそ、私のお友達、あなたの足を柔らかく支えてあげる

あなたが歩み続ける限り、私たちは喜んで、あなたの足元で支えましょう!”(引用以上)

 

 日本語でも”流れのままに、自然に”任せましょう という。

頭でっかちになっていないだろうか?考えすぎていないだろうか?

ヒマラヤの大師が教えるように、一度”祈”ったら、

ぐたぐた考えずに、何度もその願いを繰り返さずに時の流れにまかせなさい・

想念(祈り)の種はまかれた。それを発芽させるのは神(大自然)の力なのだから~

という言葉を彷彿とさせる 女史のメッセージのような気がした。

 

 

参考書

1) "Zero Limits The Secret Hawaian System for Wealth, Health, Peace and More " 

by Joe Vitale and Ihaleakala Hew Len ,20072)

2)"叡智のしずく” カフナ・モーナ・シメオナ  

2012  SITHホ・オポノポノアジア事務局発行

 

 

 

 

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良い遺伝子・悪い遺伝子//想念エネルギー

2014年01月08日 | 健康のための心の波動

良い遺伝子のスイッチをオンにするということ  平成26年1月8日

*************************************************

 筑波大学名誉教授、村上和雄教授は 

高血圧に関係する レニンと呼ばれる 

体内物質の遺伝子を世界に先駆けて解明し

遺伝子学の第一人者と言われる。

 

最近の研究では、遺伝子には細胞外の環境に

影響を受けることが解ってきて、サプリメントなどに

含まれるメチル基などの化学物質、食品 

薬品、そして熱や電磁波というエネルギーまでが

DNAに影響を与えていることが、確かめられたという。

 

遺伝子といえばDNAが思い浮かぶ。

”DNAがすべてのタンパク質をコントロールする”という

従来の考え方も、21世紀初頭から新しい遺伝子学が

発達し、”遺伝子を超えたもの”、エピジュネティクスに

脚光が浴びているという。

 

さて、エネルギーが 遺伝子に影響を与える

というのはどういうことなのだろうか?

 

村上教授は 以下のような仮説をたてている。

”感動、喜び、生き生き・ワクワク、することが 

良い遺伝子のスイッチをオンにし、

悲しみや苦しみ、悩みが悪い遺伝子の

スイッチをオンにするのです”

 

エネルギーが遺伝子に影響を与えるということは

想念はエネルギーだから、”嬉しい、悲しい”というような

基本的な感情が 遺伝子に影響を与えている

という仮説になる。

 

この仮説は、唐突だということで、一般受けをしなかった。

そこで、その真偽を確かめるために、村上教授は

以下のような検証を行った。

 

糖尿病の患者を対象に、笑いと血糖値の関係

について検証して、感情の与える影響を調べるという

ものだった。

 

第一日目: 食事後 大学の先生の講義を聞き、

終了後患者の血糖値を測定

第二日目: 食事後 漫才コンビのライブを見て

血糖値を測定。

すると 二日目 大いに笑った後測定した値は、

血糖値の上昇が抑制されていたことが確認された。

つ笑い、楽しいという感情が良い作用を

体にもたらしたと結論づけることができそうだ。

 

ここで言われる’良い遺伝子’とは、何かというと、

ポジティブに 物事を受け止め ストレスを与えられても、

より良い建設的な観方でそれを受け止めることのできる

生まれながらの資質という意味合いだろう。

 

喩えれば、何か困難に面したとき、善い遺伝子を

スイッチオンすることで、

この困難によって、もっと自分を磨こう” とか、

この困難のおかげで大難が小難に済んだ

というように、ストレスを、良い方向にとらえる

ことのできる心持をさす。

 

反対に 悪い遺伝子がオンになると、

いつも 自分ばかりが苦労しなければならない”とか

自分の不運を嘆いたり、誰かを恨んだり、

とかく暗い気持ちになって 大きなストレスを

かかえ込んだような心持になるという。

 

村上教授は良い遺伝子に切り替えるためには

日頃の心の持ち方が大切だとして以下のような

工夫を提案している。

”目標を持つこと。

時々、環境を変える事。

人との出会いを大切にすること。 

志と使命感を持つこと。”

そして、

”他を利する生き方”

を 最後に挙げている。

 

他を利する、つまり 他人の利益を考えて

人に役立つように生きる、ということでもあるが、

遺伝子的な見地からも次のような解釈をしている。

 

”細胞には、自らの維持と繁栄にしか

振る舞わない利己的遺伝子のほかに

母胎を正常な形で維持させるために

自ら死ぬことで決着をつけるという

細胞の自殺、いわゆる アポト―シス 

を引き起こす利他的遺伝子

もプログラムされています

 

どういうことかと言えば、

人間の胎児には 魚類のエラのような器官があるが

成長する過程で 自然消失する。

それは この器官を構成する細胞群が、アポトーシス

を起こすと考えられているからだという。

人の細胞にはこうした自己犠牲型遺伝子が

備わっているということは 人の生き方や

想念エネルギーにも当然 それは影響している

のかもしれない。

村上教授は続けて述べる:

”そこまで行かなくても、他を利する生き方

自体、ネガティヴなストレスと無縁でいられる

ことが多いのです。

欲や競争、出世や人を陥れる、憎む、怨み

のような想念を持たないことは、

ドロドロした人間ドラマとは無縁でいられるからです。”

 

本来の 人間の生 は幸せにプログラミングされているはずだ。

こうした、ドロドロ劇に巻き込まれないように

他を幸せにしようという、本来の愛が心に満ちていれば

人間のエゴ意識のドラマに 巻き込まれることは少なく

なるだろう。

 

村上教授も 愛 という言葉を使っている:

大切なのは、このような認知は直観が優先すること。

善い人だから愛する 信頼するというようには

脳は働かない。

最初に愛を直観で受け止めて、

あとからその意味づけをしていく。

情から智へと脳は働くのです。”

 

愛には色々な種類がある。

ここでは、

”ギリシャ語のアガべ(普遍的愛)”を指していて

利他 とほぼ同義の感情であると注釈がついている。

 

これまで 心と体の相関関係において

あまり研究がされていなかった分野に、こうして、

真剣に向き合いながら、探究が始まって

いること、そうした科学者たちが

新しい社会の常識を創り上げていくのだと

感じる。

 

 

参考文献))”見えない世界の科学が医療を変える” 長堀 優著 でくのぼう出版 2013年 

 

 

 

 

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化石化した記憶が今を縛る

2014年01月06日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 考え過ぎると”無意識の負の記憶”復活   平成26年1月6日

******************************************************* 

 

ハワイにも 日系人が多いためか正月飾りが見られるようだ。

去年の暮れにご紹介した、ハワイの伝統的な 

ホ・オポノポノ について読んでくださった読者も多いようだ。

 

今年の夢だけでなく 人生の夢。

自分の人生の夢を実現できるかどうか?”

は 想念の持ち方にかかっていると 覚者は言う。

ホ・オポノポノ も 同様に、そう考えているが

特徴的なことは、”想念をこのように持つべきだ

とか、”こうすべきだ、ああすべきでない” ということには

一切触れていない。

そういう思索より、

過去の想念の記憶 を とことん清らかに

掃除(クリーニング)しましょう” というだけなのだ。

  

その理由は こうだ。

今私たちの眼前に繰り広がれている現実日常世界

のドラマはすべて、私たちの過去生からの

深い深い潜在意識の記憶が スクリーンという現実生活

に投影されている。

これを唯心所現の法則という。

相手は自分の心の鏡~という考え方で使われている。

 

その範囲は、自分の知っていることから、知らない世界まで

すべて・・・ つまり、政治から自然現象まで、近隣とのいざこざ

から 家族一人ひとりの抱えている問題まで、 とにかく

自分にかかわっている状況のすべて~は

”自分の過去生の記憶の投影”であるという。

ヒューレン博士は”そこには例外はない”と言いきる。

 

たぶん 多くの読者の方達は、そう言われてもと、戸惑いを

感じ、 信じられないと思う。

筆者は、次のように考えることで納得した。

貴方や私が人としての生を受ける前、植物として鉱物として

あるいは動物として 命を持っていたとしたら?

地球が生まれた遙か昔、まだ人はいなかった。

動物もいなかった。

しかし、私たちの生命は 永遠というのなら、どこかに

存在していた。

 

それは何億年という過去にさかのぼることだろう。

その時の、記憶は確実に潜在意識の中で 次から次へと、

生まれ変わった生命の中に引き継がれて来た。

その記憶は その人の”らしさ”、得意の能力や長所、

あるいは、短所や弁慶の泣き所といわれる弱みなどに

顕れ、個性の中に存在している。

たとえば、

それぞれ人には つつかれると痛い急所がある。

ある人は高所恐怖症で 飛行機ですら乗れないという。

ある人は火が怖いから、たき火にあたれない。

ある人は、’その言葉’を聞いただけでわけもなく

困惑して、落ち着かなくなると言い、

ある人は 湖や池を見ると理由がわからず、怖いという。

 

このように、ある情景に置かれると、人によっては、

パニックになりそうなほど、混乱する傾向を持っている

場合がある。

そのような特殊な例だけでなく、私たちは無意識の心

の領域に、必ずといっていいほど、多かれ少なかれ

トラウマを持っている。

それは、その人の重ねてきた”生の中”で 蓄積されてきた

マイナスの記憶の一つが要因となっているという。

今も、地層の下で眠っているアンモナイトの化石のように

変質して硬化しても 確実に残っている潜在意識の

記憶(意識)である。

今日の表題のように”化石化した記憶”が 

今の自分の価値判断をつくっている。

”~であるべきだ”、とか”~すれば~なる”とか、理屈と分析の

根本には 自分独自の体験がある。

その体験は無意識の記憶の積み重ねで、カルマとして

顕れたものだ。

人は つまるところ、2種類の生き方しかない。

一つは”過去の記憶の呪縛”によって生きる方法、

もう一つは ”アートマ=真の大我的霊性”

によって 生きるかのどちらか・・・

 

記憶は、潜在的無意識にある。

そして、”独断と偏見と誤解” の感覚を生み、再びカルマに

縛られる。

だから、そうした、マイナス想念の記憶を浄化するために、人は

何度も、生まれ変わる。

浄化するきっかけを作るために 人生の諸問題が起きる仕組みだ。

体に浄化作用が必要なとき、熱や痛みの症状が現れる

ように、古い記憶のクリーニングには 様々な面倒な現象が

必要なのだ。

 

ホ・オポノポノでは 目の前に何か、問題が現れたら

その瞬間を逃さずに、’記憶’に働きかける” ことを

薦める。

 

それは 二度とその再生フィルム(過去の記憶)が

問題として再生現像されることがないように。

 

詮索は必要ない。

どうして? 何が原因?分析も不要だ。

むしろ、目の前に現れた’現実’に、一切、触れることを

しないで、ただ過ぎ去るのを見るだけだ。

勿論 その間、その記憶を再生されないように

処置はするにしても。

その処置が 昨年暮れ ご紹介した、

’I love you' と、

'I am sorry' の言葉を ひたすら唱えることだ。

ひたすらに・・

 

感情をともなわずに、ただ、ひたすらに

この言葉を念じたり、口に出すことで

確実に状況が変わってくるという。

 

ひたすらに というのは、 わずかでも、相手を

責める気持ちを残さず、効果を疑ったり

するような ”分別の心も、無くして” ということらしい。

 

結果をコントロールする必要がないのと

同様、現在の状況をどうにかしようと

操作したり、画策を施素必要もない。

 

ただひたすら

Thank you  

I am sorry と繰り返す。

シンプルだ。 

これ以上単純なことはない。

 

しかし、 実行するか しないか の違いは大きいようだ

 

ヒューレン博士は次のように語っている:

”解釈や意味をつけて納得するという作業は

実は潜在意識、記憶 に操作されているのです。

理屈と意味はあまり、必要ないのです。

ただ、無 でいたらいいのです。

しかし、そこに 理屈をおくことによって、

光りはさえぎられてしまう。

クリーニングして、光があるべきところへ

届くようにするだけなのです。

できるだけ考えないようにしてください。

私たちが考えてわかることなど、たかが

知れています。

でも 神聖なる智慧はすべてを知っています。

比べ物にならない。

どちらの情報を選ぶかという話です。

いつも自分に問いかける、大切な質問、

それは、 知識が欲しいのか?

それとも、叡智が欲しいのか?

ということです。

知識を手放す、だから、叡智が入ってくるのです。”

 

これはbanksia booksの社長の 同博士との

対談内容として発表されている。(*1)

続けて 博士は言う。

 

無であれば、質問はないはずです。

そこに光がとおるだけ。

記憶があることで 光がとおらないから

わからないだけです。”

 

その’わからない’という記憶すら

’I love you'という言葉で消せばよいという。

すると、

 

”わからないが消えると、何がくるか?

わかるかもしれないし、わかる必要がないという

ことがわかるかもしれない。

いずれにしても ’わからない’という状態は消える”

 

解らない記憶だけではない。

愚痴るとき、質問するとき、責めるとき、怒るとき、

悲しむとき、そういう行動がすべて 古い消し去るべき

記憶に活力を与えてしまう。

一人ひとりの 果てしない欲望の末のマイナスの想念

エネルギーが累積されて、人類マイナスエネルギーの巨大な

塊が、 自然に与える力は 計り知れない。

 

博士は

”自然災害、嵐や地震、戦争さえ、巻き起こす”

と述べている。

 

”I love you" の言葉の持つエネルギーは

大我(真の自分)の 資質だ。

その自分で 小我のエゴ意識が無意識の

中にためてきた マイナスのエネルギーを打ち消していく。

一人ひとりがそうして、クレンジングをすることで

周りが変わり、地域が変わり、国が変わり、地球も変わる。

だから、こうして 皆さまにご紹介して ハウツー を理解して

いただいても、筆者自ら実践していく以外に道はない。

解釈 解明 説得・・ それ自体、すでに、ホ・オポノポノ の教えの

辞書には ”意味のない”言葉であるのだろう。

 

 

 

 

参考文献:

 "Zero Limits The Secret Hawaian System for Wealth, Health, Peace and More " 

by Joe Vitale and Ihaleakala Hew Len ,2007

*1~”ホ・オポノポノ” 滝沢朋子著 Bankshia Books 2009年

 

 

 

 

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今年の言葉;”今を、ありがとう”

2014年01月04日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

死と向き合い、恐怖を勇者として対処するとき  平成26年1月4日

**********************************

 

一年の計は元旦にあり~というが

今年のモットーなどを考えた方も多いと思う。

因みに 筆者の今年の言葉は、”受容と感謝”。

その言葉を選んだ理由は、次に述べる方達の

”今との向き合い方”の体験記が 心に残っているからだ。

 ******************

 

”心が身体を変えるなどということは

これまでの西洋医学の常識ではありえない

とされてきたわけですが、しかし、癌の原因の

一つと考えられるストレスを少しでも減らすことは、

がんの予防につながります”

とは長堀博士の言葉だが、

聖心女子大学元教授、

国際コミュニオン学会名誉会長

の鈴木秀子女史は、臨床的な調査から

病から奇蹟的な回復をした人の特徴を次のように

挙げている:

 

1.現実・自分の運命の受容

2・生きる意欲を失わない

  生かされているという意識と感謝

3・人に尽くしたいという強い願望

 

これに関して、

長堀博士は ご自身の患者さんの一人 Mさんを回想している。

Mさんは余命半年前後といわれ、

抗癌剤の効果がでても 良くて、一年前後と判断されていた。

 

夫が しかし、高度の肝硬変で Mさんの世話を必要と

していた。

Mさんは、6週間に一度 数日間の入退院をくりかえし

ながら、抗癌剤を外来でもらいながら夫の介護を自宅で

行っていた。

触診してわかるほど、癌はお腹の中で膨れるほど肥大

してきても、食欲もあり 痛みもなく、結局、余命宣告予想より

3年も長い余生を送ったMさん。

その理由は、Mさんが長堀医師に語った言葉に顕されている

と 長堀医師は述べる:

私には肝硬変の夫がいます。

私は長期間家を空けることが心配。

本当に夫が心配です。

だからいつも癌の神様に

’もう少しおとなしくしていてくださいね。

私はもう少し、あなたとがんばって生きていきます。

大きくならないでくださいね’

とお祈りしているんです。”

 

これを聞いて、今の状況を受容し、

夫に対する責任を果たしたいというMさんの

強い意思を感じたという。

  

”癌も生きている、神様が

生かしている、

だから、癌と共生して

仲よくしましょう”~

という 癌に対する共感に似た

調和した心がけ”

が 特に、長堀医師の印象に残った。

癌患者は、”癌に負けたくない”という 

対抗姿勢をもつことが普通だったからだ

 

Mさんの事を読みながら、同様の姿勢をもって、

宣告余命を超えて ”わが人生悔いなし”と

言いきって 天国に逝かれた 吉田法夫氏を想いだした。

吉田氏の、癌という恐怖に対して 闘うのではなく、

”共に生きる” というスタンスで臨んているところが

Mさんに似ている気がした。

 

吉田氏を感動させた一つの、インディアンの

詩があった。

以下のように自著に綴っている:

 

”3月31日(月)

癌発見直後に買い求めた 一冊の本、

’アメリカン インディアン聖なる言葉’(*1) 

その中に次のような言葉があった。

 

”恐怖そのものに傷つけられることなどあるものか

あなたが恐怖に動かされなければ

恐怖はあなたを傷つけることはできないのだ。

 

自ら恐怖に飲まれてしまったら

恐怖があなたの主人になる

あなたが恐怖を支配するか

恐怖があなたを支配するか

いずれにしてもどちらかが 主人になる

 

戦士は真っ向から恐怖に向かう

戦士は言う。

’恐怖に立ち向かわなければそれを携えて

歩いていくことになる’

 

一方、勇者は恐怖の存在を認める

勇者はいろいろな選択肢を熟慮し

動かされず、自ら動く。

その時、恐怖は中和され 

とるに足らないものとなる。

 

まさに一年九か月前、俺自身 

’戦士でなく勇者でありたい’

と決意したときでもあった。

これからも、命ある限り勇者でいたい。”

 

吉田氏は医師に 余命三か月と宣告された後で

こうして、インディアンの勇者のごとく、恐怖(癌)に

対して 自分自身の主体性を自覚して生きること

を決意された。

 

その結果、宣告された3か月の余命をはるかにしのぶ、

3年4か月間にわたり、ご自身の闘病記を執筆しながら、

家族へ、周囲の方達へ 末期患者と見えないほど

明るく生きることができるという、 お手本を示された。

こう吉田氏は綴っている:

 

病気の最後は自然治癒力である。

自然治癒力とは、 本来だれでも持っている

病気を治そうとする“生きる力”だ。

“生きる力”、すなわち、身体の中の免疫力が

高まるかどうかは、身体の中、一つひとつの細胞を

活性化することにかかっている。

さらに、細胞の活性化とは、

前向きに物事を捉え生きている者にのみ、

どんどん湧き上がる。

必ず良くなると信じよう。

いじけているより、よっぽどいいはずだ。”

 

そして次のように続ける  

人間の身体って、すごいなあ! 

自分がいきているのではなく、生かされているのだなあ

とつくづく思う。”

 

吉田氏は、生かされている自分を、実感したからこそ、

身の回りに、感謝を見つけて、ありがとうの言葉を

少なくても 一日50回 口にすることを実行した。

 

ここでもう一度一日 50回の感謝の言葉を出すことを 

想いだしていただきたい。

ストレスもどこかに知らないうちに飛んで行ってしまうだろう。

嘘だ、そんなはずはないと、言い切る前に実際、

ぜひ、実行してみていただきたい。

ほんの数日でいい。 

その時、この言葉の力を感じられるだろう。

とくに、有難うございますという 感謝の言葉の大きな言霊を、

頭で理解し、心で納得したら、次は実行である。

行動して、真理が体得できる。

ありがとう という 感謝、当たり前のことへの 

感謝を今日から始めていただきたい。”

 

当たり前のことへの感謝しようという、吉田氏の提案。

自ら、実践してストレスがどこかへ飛んでいく体験をされ

自然治癒力の促進の実感を得ている。

 

私たち 誰でも、大なり小なり、問題を抱えて生きている。

この二人の方達の 死と生のぎりぎりの狭間で見せた

”生きる姿勢と今への向き合い方”を見ると、

今 どのような状況であっても、

必ず、何か感謝できることはあるはずだという気持に

させられる。

最悪に見える状況でさえ、”災い転じて福となす”

の諺どおり、人生の転機となることもできるはずだ。

 

失敗したのなら、それをバネに次に飛躍すればよい。

或いは、”昔の行為の負の負債(カルマ)が、

これで帳消しになったと 心を軽くする。

ハワイの魔法の言葉を思い出して、”ありがとう”の言葉で

顕れた原因の素(もと)を放下するチャンスだと

感情に流されずに今を受け止めることができるだろう。

どんな状況でも、潜在意識の要因を浄化できる機会に変える

ことは可能なはずだから。

 

 

生きていることは、生かされていることだと思えば、

”有り難い” の言葉の重みが依然より増すことだろう。

吉田氏は ”わが人生悔いなし”と言いきられた。

せめて、”今日一日、悔いなし” と 思える日々を一日でも

多く重ねたい。

そうすれば 2014年を、感慨深い年にすることが

できるかもしれない。

さらに、そういう年の積み重ね以外に、

”わが人生悔いなし” と 人生を上り詰めたときに発する言葉は

出てこないのかもしれない。

         

 

*1 R・ジョーンズ他著、大和書房

参考諸:

”末期がんを元気に生きる”文芸社2011年 吉田法夫

”見えない世界の科学が医療を変える” 長堀 優著 でくのぼう出版 2013年 

 

 

 



自然治癒力セラピー協会オリジナル:無断転載お断り

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謹賀新年・午年・アスワ(馬=感覚)

2014年01月02日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

馬を乗りこなす~今年を本意のままに  平成25年1月2日

******************************************

 

 

新年明けましておめでとうございます。

今年は午年、馬といえば、古代インドの賢人が馬を

人の感覚にとらえていたのを思い出します。

感覚で受ける、感受性・・・

今日のテーマです。

 

感受性は五つの感覚受け止めた”対象物”

への心の反応といってよいでしょう。

印度古代賢人たちは、諸感覚を馬(アスワ)に例えています。

 

なぜ諸感覚をアスワ=馬に比較しているのかといえば、

馬の習性が諸感覚と似ているからなのです。

というのも、よく見ると、馬はたえずどこか、体の一部分

を動かしています。

しっぽや脚、背中や顔など、じーっと落ち着いていることがない、

つまり、私たちの諸感覚もそれに似て、絶えず、揺れている。

 

友人と真剣に話し合っている時に、突然、昨日から気に

なっていることや、全く関係のないこと、

たとえば、今夜のおかずのことなどが頭に浮かんだことが

ありませんか?

 

心が一瞬 ふっと、自分の集中していることとは違う方へ、

かた向く、それは、諸感覚は常にいろいろなヴィジョンや刺激を

頭に伝える役目を果たしている証拠ともいえるでしょう。

 

感受性がもたらす感覚は、5つの感覚機能をとおして伝わります。

この感覚器官にはそれぞれ制限があります。

 

眼は見るだけ、鼻は匂いをかぎ分け、舌は味わい、耳は聞く

というように、感覚器官が馬だとすれば、私たちの体は、

5頭の馬によって いつも、ひっぱられているわけです。


ヴェーダのウパニシャッドにこう説明されています。

その昔インド古代において、犠牲祭(ヤーガ)が執り行われ、

時の統治者は馬を捧げた。

 

それは、心が変わりやすい諸感覚に支配されないように、

心が国をほろぼすことが無いように願い、アスワ(馬)を

神にささげることで、自己のアスワメーダ(変わりやすい心)

を自制できるように祈るためだった。“

 

このお祭りをアスワ・メーダ・ヤーガと呼んでいました。


時の勢力者が身体を正しい方向に導く有能な御者=

デーマンタ(馬=諸感覚、を正しく扱い統御できる人

になるよう この祭事を行い、祈ったのでした。

 

一口に、”諸感覚の制御”といっても これほど難しいものは

無いと思います。


私たちは感覚を制御するどころか、逆に感覚に引っ張り

まわされていつの間にか 御者(真の自分)が 

馬の言いなりになっている・・・


馬に引っ張りまわされて、知らずのうちに統制の効かない

馬車にのっていることもあり得るのです。


単純な食べる、飲む、見るなどの、意識的感覚を超えた、

高慢さや優越感 なども、身体に属する感覚でしょう。

特に霊的プライド(高慢)となると、厄介です。

ほとんど無意識のうちに自分を覆い、

御者の座に座っている場合が多いようです。

 

日常生活で “~しすぎて失敗した、”と 反省するときは 

大概 馬の暴走による場合が多いようです。


食べ過ぎておなかを壊した、深夜ヴィデオを見すぎて疲れた、

など、何かに無中になりすぎて 気が付いたときに

”自制が足らなかった”と、反省することは多々あるものです。

 

古代インドでも感覚の判断の奴隷になり、

愛する息子まで失った国王がいました。

その王の名前はダサラダ王といいます。


彼には3人の妻がいました。

一番若くて美しい三番目の妻を深く寵愛したあまり、

その妻の要求に答えて王は愛する息子を森にと追放します。


昨年ブログでお話しした、あの、神の化身ラーマ王子です。 

息子との離別によって その後さまざまな不幸に見舞われ、

王は深く悔いるのですが、それも、美しい妻に自制心を失い、

妻の願いをかなえるために、理性を失ったためでした。

 

この話をもとにラーマヤーナが書かれます。

この話はちなみに、アジア各地にも伝わり、インドネシアや

タイでは影絵や踊りなどのモチーフとして、現代にいたる

まで上演されています。

 

ラーマ王子は ラバナという特別の力をもったスリランカ

の王を倒すために海を渡り戦います。

その時に猿が大活躍します。 


この猿が神格化されて忠誠の代名詞となる、

ハヌマーン神です。


ラーマが桃太郎ならば、鬼ヶ島がスリランカ島、

鬼はランカというスリランカの王さま、にあたります。


犬(忠僕の意味)と雉はハヌマーン(猿神)が

一人三役しているわけです。

犬という忠僕さと、雉という空を飛ぶ能力を兼ね

備えた臣下としてラーマ・ヤーナでも、ハヌマーン神

は描かれています。

 

話しが脱線してしまいましたが、

3人の妻でさえ、コントロールすることが難しかった

ダサラダ王ですが、10人の妻がいたら、一体

どうなったのでしょうか?

 

実は誰にでも10人の妻、または恋人がいるのです。


それは5つの感覚器官とそれによって支配されている

5つの行動器官を合わせた数です。


先ほどのべたようにそれぞれの器官は一つの役目をはたします。

ですから 私たち誰でも、5つの感覚と5つの行動機能、

計10の統御すべき妻(恋人)がいるということになるのです。

 

たとえば、食事をして美味しいと舌が判断すると、

もっと食べたいと試みます。

良い音楽を CDで聴いて感動すれば、生演奏を聞くために

コンサートに足を運びます。


かぐわしい香に惹かれて、その香の香水を探します。

そのように、五感で得た快感にしたがって、その快感

や刺激を得るために、私たちは毎日 行動しています。

 

生きるためには、五感の快感の追及は必要ですが、

それが過度になったとき、いろいろな悲劇が生まれる

のは、古代インドのダサラダ王の時代と変わりはない

ということでしょう

 

馬が感覚器官であるというなら、その馬を統制する、

御者(ぎょしゃ)が手綱をしっかり持って、馬がきちん

とした道を進むように、大きな石に躓いて 馬車が転倒

することがないように絶えず注意しなければ 乗って

いても安全であるとはいえません。

 

同様、私たちも感覚器官をコントロールしようと

いう意思がなく、感覚を享受することにのみ集中すれば 

御者がいないのと同然になってしまうとヴェーダは教えます。

 

自分の心の中にいる御者とは? 

想念、想いというのは外から感覚器官で受け取った感じが

心に伝わり、愉快・不快、好き・嫌いの単純な心象を

生みます。


その時 心がその心象に、振り回されると、

喜怒哀楽の感情も出てきて、幸不幸などの想いが生じます。

不幸だという負の感情に対して、前向きで建設的な


アプローチをすれば、感覚の馬を統御できると言います。

 

感覚が生む感情(喜怒哀楽)に 

心(マナス)が流されることは容易ですが、

前向きに希望を持って落ち着いて善処することで、

ブッディ(心の智慧)とチッタ(潜在意識の中にある善の記憶)

の心の領域を開発することにつながるというのです。


こうして、御者[ブッディとチッタ]が確実に手綱を握って

その馬(感覚器官からの刺激で生まれた想念]をコントロール

することができれば 真の自分のコントロール下に馬が置かれる

というわけでしょう。

 

反対に常に馬の暴走を許していると、

御者にとっては困難といえる状況になりかねません。

ブッディは理知、つまり、理性ある智慧です。 

チッタは記憶から必要な善き情報を見出す役割をもつ心です。

 

どんな状況に置かれていても、

それが、自分のブッディとチッタを強化する良い機会と

捉えられれば、問題は半分以上解決したようなものです。


馬(感覚器官)と手綱(マナス)を統制して、

自分を失わずに 安全に 馬車=身体 を自分の希望地・

目的地へと、運んでいくでしょう。

2014年を走る馬車、心して、ブッディ(智慧~誰でも

持っている)にしっかり 手綱を持っていてもらいたい

と願います。

 

 

 2014年ご来光(初日の出) 淡路島に入る入り口の橋から (読者投稿)

 

 

 

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