水見回りも通常の毎回巡回コースで間に合うとばかり信じて疑わなかったのだが、それでは危機管理が出来てはいないのを痛感した、いいえ、痛感させられたのだった。今回は二回目の非常事態で、それも犯罪者の底知れぬ執念を窺がい知ったのだ。
最初の発見は運よくS先生が見つけ指摘されたので根付きはあったけれど繁殖までは至っていなかったから抜去は一回で完了したのだった。この時の犯行はアンチョコこいて道路から放り投げただけだったから発見しやすい位置にあったともいえる。今回はその時の場所の対角線、山際の普段は入り込まない区域に投入してあったから十二分過ぎるほどの悪意と執念を感じさせる確信犯であった。「この場所なら繁殖していても気付きはしまい!、根着きはする!」自分の行為の失敗を分析し成功させるための悪意と意思が如実に感じられる位置なのだ。
小生も池の周りは一巡りすることはあるけれど、山側の空洞から土砂が流れ込んで埋め立てられていく様子を確認する程度の脚の運び場所だから数カ月に1回程度見回るに過ぎない。この「なんて事をするん者ぁ!」にはゴレンジャーからの鉄槌と市中引き回しの上、獄門の処罰が最適だろうと判断するも小生には捜査権も司法権も無い。もともと姥捨て山は無法地帯に近いのである。
発見したのは悪名高い環境破壊植物「オオカナダモ」である。それも座布団1枚を超える面積にまで繁殖しており、地中に降ろした根は大変な数になる。長靴に水が入る深さまで繁殖していたから、構わず入り込んで水底への貫入根を指先で関知しながら抜き取ってみたものの、完全に抜去できたという保証は全く無いのだ。水中部分の茎でも一節残れば成長繁殖を開始できるし、泥中根だけでも発芽する可能性がある植物だから長期的に注意を払わなくてはならなくなった。
オオカナダモにしてもアマゾンフロッグビットにしてもウシガエルにしても、このような環境破壊動植物を意図して投入していく輩の親の顔、子供の顔が見てみたい。ホントに腹が立つ。まあ、ホントにたたないのもあるのだが・・・。
それはともかく、侵略者の魔の手に、手に負えなくなった暁には送水水系の維持管理を放棄し断水させ、後は元の葦っ原にリセットしなければならないと言うことも現実味を帯びてきた。腹をくくらねばならないだろう。それにしても、それにしてもである。盗掘者の対極にある投入者、こういう輩は地域生活、社会生活の中では何食わぬ顔でほくそ笑んでいるに違いない。コロナ禍の中での行動変貌を求められているにも関わらず、敢てリスクを冒す輩が多くなったように感じるのは「汗水流す」なんて事は「サイテー」の範疇に入ってしまったからなのだろうて。まあ、見本が永田では無理もないわい。
テレビ番組を見ればどの局もどの局も朝から晩まで春夏秋冬「「お子ちゃま向けかい!」としか言いようのない言動で構成放映して来ると来た。世も末で影響されない訳が無い。
最初の発見は運よくS先生が見つけ指摘されたので根付きはあったけれど繁殖までは至っていなかったから抜去は一回で完了したのだった。この時の犯行はアンチョコこいて道路から放り投げただけだったから発見しやすい位置にあったともいえる。今回はその時の場所の対角線、山際の普段は入り込まない区域に投入してあったから十二分過ぎるほどの悪意と執念を感じさせる確信犯であった。「この場所なら繁殖していても気付きはしまい!、根着きはする!」自分の行為の失敗を分析し成功させるための悪意と意思が如実に感じられる位置なのだ。
小生も池の周りは一巡りすることはあるけれど、山側の空洞から土砂が流れ込んで埋め立てられていく様子を確認する程度の脚の運び場所だから数カ月に1回程度見回るに過ぎない。この「なんて事をするん者ぁ!」にはゴレンジャーからの鉄槌と市中引き回しの上、獄門の処罰が最適だろうと判断するも小生には捜査権も司法権も無い。もともと姥捨て山は無法地帯に近いのである。
発見したのは悪名高い環境破壊植物「オオカナダモ」である。それも座布団1枚を超える面積にまで繁殖しており、地中に降ろした根は大変な数になる。長靴に水が入る深さまで繁殖していたから、構わず入り込んで水底への貫入根を指先で関知しながら抜き取ってみたものの、完全に抜去できたという保証は全く無いのだ。水中部分の茎でも一節残れば成長繁殖を開始できるし、泥中根だけでも発芽する可能性がある植物だから長期的に注意を払わなくてはならなくなった。
オオカナダモにしてもアマゾンフロッグビットにしてもウシガエルにしても、このような環境破壊動植物を意図して投入していく輩の親の顔、子供の顔が見てみたい。ホントに腹が立つ。まあ、ホントにたたないのもあるのだが・・・。
それはともかく、侵略者の魔の手に、手に負えなくなった暁には送水水系の維持管理を放棄し断水させ、後は元の葦っ原にリセットしなければならないと言うことも現実味を帯びてきた。腹をくくらねばならないだろう。それにしても、それにしてもである。盗掘者の対極にある投入者、こういう輩は地域生活、社会生活の中では何食わぬ顔でほくそ笑んでいるに違いない。コロナ禍の中での行動変貌を求められているにも関わらず、敢てリスクを冒す輩が多くなったように感じるのは「汗水流す」なんて事は「サイテー」の範疇に入ってしまったからなのだろうて。まあ、見本が永田では無理もないわい。
テレビ番組を見ればどの局もどの局も朝から晩まで春夏秋冬「「お子ちゃま向けかい!」としか言いようのない言動で構成放映して来ると来た。世も末で影響されない訳が無い。