トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

水田地帯の砂漠化

2019-05-19 | 旅行記
 久しぶりに郷里を法事で訪れた。百名山にも加えられたる魚沼三山の峰々はまだ残雪が多く春には遠い。
 この郷里の名峰でも登頂はして無いから「せめて中腹のトレッキングコースでも」とゴンドラを利用してプランを立てたのだが開山の7月にならないと運行は無く登る事は叶わなかった。

 余る時間を少年時代の記憶を頼りに歩いてみた。遠くまで出かけられないので歩いていける範囲だったが惨憺たる有様だった。水田地帯が広がり田植えが進行中で風景としてとらえれば「懐かしい」一言の情景だったもののマクロからミクロに視点を移すと、もう驚愕と落胆しかなかったのである。

                   
 魚沼連峰や谷川連峰の豊富な雪解け水と、それを運ぶ母川の賜物で肥沃な土壌が与えられお米の名産地として世に出た田舎であるが、うわべの栄華はそのままでも内実はすっかり砂漠だった。「こんな郷土に誰がした!」と叫びたくなる実態があった。あの名作「沈黙の春」を切り取って再現した光景に他ならなかったのだ。

 実家の裏手の農道から歩いてみた。既に昔の水路は無く耕地整理された水田が見渡す限り続いている。用水のほとんどは暗渠とパイプラインで配水され小さな水路は三面張りかU字溝だ。堤を土で形成した水路は全く無いし田圃以外の水溜りも存在していない。極めて効率的に「米作」一点に集約された環境になってしまった。
 そのうえ収穫が終われば次の代掻きまで水の入らない乾田となる。この条件は田圃を頼りに世代を重ねてきた生物に致命的。壊滅的被害を与えている。

 湛水した水田で動くものはアメンボだけ、ミジンコすら見えない。U字溝にはタニシさえ居らず、当然のごとくドジョウも見る事叶わなかった。農道や畦を歩いても植生の大半はスギナであって単純植生ここに極まれりである。
 水生生物がいない。植生が貧弱だから蝶も飛んでいない。二日間の歩きまわりでもトンボ一匹出会わなかった。すでに里山里地とは言えない、お米もゲージに入れられて産卵だけ期待されるニワトリみたいになってしまった。

 次兄の住む地域は丘陵部を背景にした平野部に入るが、雪解けの頃、数少ない小さな水溜りにトノサマガエルが産卵に集まると、これを目当てにタヌキやカラスが集まるのがお約束なのだそうな。運よくオタマジャクシになったとしてもその頃に田圃の水が抜かれ「土用干し」が始まる。このサイクルで少ないオタマジャクシまで死滅への道を与えられていく。
 産地によっては「乾さない水路を残す」手間を捨てず保全を図る動きもあるようだが、わが郷里はそこまでに至っていない。かくして生物は絶滅へまっしぐらである。沈黙の春ならず寡黙の春だったのは法事のせいだけではなかった。

 豊かな水資源と肥沃な土壌を有していても実態は砂漠そのものだった事実は哀しい。これはそのまま労働市場にも当てはまり労働者もゲージのニワトリに等しい。これでは既に労働者とは言えないか・・・。それなのに馬鹿どもは「生めよ増やせよ!」だとか。馬鹿しても身分保障の完璧な畜生は偉い偉いと怖いもの知らずでのさばっておるのだ!!!。

                     浮き世さえ涙累々の砂漠なり

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