年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の写真整理で

2022年10月23日 | べったら市
ベッタラ市を行った人も普段の宝田恵比寿神社の様子を知らないと驚く。神社の鳥居の所が境内の終わりで白布で覆われた台の所は通常は歩道となっている。明治末期には千数百の出店があって、アセチレンガスで火がともされ19日から20日にかけて賑わっていたようだ。当時の東京市電の中心地である本町からいくらも離れていないので娯楽の少ない時代に出かける祭りだった。
 この市の始まりは20日恵比寿で知られている関西の恵比寿購から来ていて、関西では十日恵比寿が有名である。江戸では11月19日(旧暦)で恵比寿購があるという。この恵比寿購のための諸道具と食品を商う市が自然発生し、その後に後付けに神社が出来たので境内は無かった。何しろ土一升金一升の繁華街なので余地はなかった。

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べったら市2022・10・19

2022年10月20日 | べったら市
都営浅草線の東日本橋駅で降りて、日比谷線小伝馬町駅を目指すが、すでに3回ほど迷子になった経験があって、今回も迷った。ウロウロしてぶつかったのが久松警察署で明治期のべったら市の食品衛生の取り締まりをしていて記憶がある。明治期は課税されていた砂糖の税収確保のためサッカリン入りのべったら漬を販売していた業者から違法ということで証拠品を集め警察署に保管したので久松警察署がべったら漬の臭いが充満している記事の記憶にある。久松警察の近所が人形町なのでこれからべったら市の会場への道はすんなり行けた。近づくと祭りの雰囲気があって、刷毛を商っている江戸屋の看板が見えた。今晩は路上の飲み屋街となるだろう。そこでべったら漬を買う。藁でまいた昔風のべったらもあった。
 コロナで休んでいた市と人出が戻ってきたと思うが昼過ぎでは先が見えないくらいと言えない。小伝馬町駅前にある梅花亭によるが明治の香りがする切山椒という和菓子は欠品していて一時間後という。また十思公園に来るかもしれないので次回ということで。家に帰る。今日も10KMほど歩いただろう。
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やっぱり雨か べったら市

2022年10月19日 | べったら市
昨日の天気予報では雨の確率が低く安心していたが老柴犬が午前2時半に起きて騒ぐので、外に散歩に出たら、小雨が降っていた。天気的には19日は雨量に関わらず雨の記録が残りそう。
 1978年(明治8年)から東京の天候の記録があるが明治8年頃の10月の平均気温が15度位で最近の東京のという気温の記録では20度平均年もあるという。今日は寒い。地球温暖化という風に書かれるが、主な気温の上昇は都市化と空調機器から出される排熱の影響が多いと思う。東京でも郊外の気温はまだ低い。

 日が出たころ、生ごみの集荷日なので6時過ぎの太陽が出たころ、様子見で外に出ると雨がやんでいて、これならべったら市の主催者は安心だろう。今はべったら漬を造る業者も減って店舗は今でも多いのだが味の差は昔ほど差が無くなったと言える。年々少しづつベッタㇻ漬の単価が上がって今年はいくらになるのでしょうか。縁起ものです価格は気にしないで。
 小伝馬町駅付近の梅花亭小伝馬町店の切山椒という和菓子とべったら漬を買いに行こう。

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コレラの偽治療薬 ラムネの文献出どころ

2021年12月25日 | べったら市
本の断捨離で下記の本が出てきた。
ビジネスの生成―清涼飲料の日本化  河野昭三著から
72頁に嘉永6年のペり―来航時に、ラムネが日本に入って来たと河野氏は考察している。さらに河野氏はもっと前に日本へ渡来していて、浦賀の人たちはコルク栓のはじける音に驚いていないと考察している。どうも文献上のラムネが日本に入った時代が不明だ。それは文字文献と飲料のラムネが一致していないことから来ていて、江戸時代に日本と中国の動植物を調べる本草学で、貝原益軒が大和本草を著したとき、はじめて日本にあって中国にないものが知られたと似ている。
 173頁
明治12年と19年のコレラ大流行。渋沢栄一の妻、千代も1882(明治15)年に流行したコレラによって、42歳の若さで急逝した。当時はまだ医学が進歩していなく多くの迷信的治療が行われていました。
明治19年夏にラムネがコレラに効くということで急に売れるようになり、ラムネ製造が間に合わないという記事が『東京横浜毎日新聞』に報道されたとあり、横浜開港資料館の地下の図書室で記事の出どころを探したが見つからなかった。 
 明治19年7月20日付けの東京日日新聞にコレラにラムネが効能在りそうな記事があった。このころはすでにラムネの瓶がキュウリのような形の瓶から今も使われいるガラス玉入りの瓶に代わっていた。
 多くの日本の食品業界は売れ行き好調の情報を得ると、新規参入の業者が増える。いわゆるxxxブームという。栄枯盛衰は激しく、今は漬物業界を席巻した麹ブ-ムも静かになった。ある漬物メ-カ-の営業は当然自社商品の販売促進を図ることのほかに他者商品とか漬物に関連しそうな商品情報収集が営業マンの仕事であると言っていた。
 粗製乱造の明治20年代のラムネは異物混入が多く、ラムネ瓶の洗浄が不十分だった。当時の衛生を管理していた警察の記録では、鉛、ガラス破片、ミミズ等が入っていたことが解かる。ムシ等を引き寄せる砂糖を使用しないで、アメリカで発見されドイツ経由で日本に入った人工甘味料サッカリンを密かにラムネに使用した理由だった。サッカリンを使用したラムネにはアリが寄り付かず、瓶の洗浄が簡単になり、警察の取り締まりを回避することが出来た。
 サッカリンという人工甘味料の普及は甘みの追求と、警察の取り締まりを避ける工夫だったかもしれない。人の甘みの感触を忘れさせることは出来たが昆虫の感覚は騙せなかったようだ。
 戦前の公衆衛生の管轄は警察だった。従って飲料のジュ-ス等の混濁は腐敗と見なされ取締りの対象となったようだ。前科数十犯という飲食業者がいたという都市伝説が残る。

 砂糖の少なかった時代の漬物にサッカリン使用は時代の要請であった。戦後に中国や外地から引き揚げた人たちが、山間部の荒れ地開発で野菜栽培を始めた。東京・大阪等の都市から遠く、取れたダイコンを加工し、沢庵漬にし、サッカリン使用で安価で大いに売れた。サッカリンは有害と言われ、規制が入ったが戦後の混乱期のサッカリン入りの食物を食べた日本人はまだ生きている。

  
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共古随筆・べったら市

2018年08月09日 | べったら市

山中共古のなた豆を再び確認していたところ、べったら市の文があった。

共古随筆・46ペ-ジ

大伝馬町通り、11月19日べったら市というあり。浅漬大根を売る見世多く出る。植木屋の多く出る。この市ほど多く出る日なきように見ゆ。菊の相場一八何程と売り相場を極めるもこの市日よりとすると。明日の恵比寿講の支度物を売る市とす。浅漬の大根を買いたる者ベッタラ・ベッタラと呼ばり、大根を縄に縛にて縛り、婦女子の衣服へ麹ぬかを付けんとし、また不意に顔先へ差し出し、娘子供を驚かせるを喜び歩く、その乱雑甚だし。

 

11月19日は旧暦で今は新暦の10月19日。

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温暖化を感じるべったら市

2016年10月18日 | べったら市

天気予報では25度以上もあるという。明治期の新聞では19・20日のべったら市は初冬の市と記述があり、寒さを感じる報道となっている。10月としては天気の特異日として雨の確率の多い日だった。今年は2日間晴れそうだが秋の悪天候で大根が高値で心配だ。トウガラシで味付たピリ辛べったらでビ-ルを飲むには良い気温かも知れない。日本酒には暖かすぎる。

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晴れのべったら市

2015年10月19日 | べったら市

 

9月の雨で大根の作柄が心配していたがそれも今日明日の天気しだいで気分が変わる。今では恵比寿講のための市ということもなくなり、単なる都心の祭りとなってしまったようだ。ただ大根の品種改良の歴史を見ているとベッタラ市の意義は大きい。

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ベッタラ市は晴れそうで

2015年10月14日 | べったら市

 

今年もベッタラ市の時期となった。都心でこのような個性のある祭りはそれほど多くない。昨日もハロ-ウインの祭りの車が走っていた。今年の天気は雨が続くと続き、野菜も高騰している。秋もしっかり寒くなって、昔のベッタラ市のような寒さを感じる。

 明治の暦の改変で祭りが1月ほど早くなったため、冬になると甘みが増す大根栽培が品種の改良に向かった。早稲品種の目立つのがこのような理由である。今は遠距離輸送の発達と冷蔵庫内製造のため、明治期のベッタラ作りより簡単である。当時の人達は高価で売れる大根の漬物販売を期待していたのだろう。

 時代が変わって、甘味を取ることが簡単となり、商家の年末の祭りの走りという意味も消える時代となった。恵比寿講は今の時代でどのような意味があるのだろうか。

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やはりベッタラ市は雨だった

2014年10月21日 | べったら市

昨日20日、昼までは明るい空だったが、夕方から少し雨が降り出した。降水量から雨にはならないと思うが気分は雨。雨となれば買い物が消える。

 記録に残らない雨とならない事例かもしれない。昨日の記録は雨ではないだろう。

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雨男か晴れ男か

2012年10月22日 | べったら市

10月19日20日はべったら市だがこの日は雨の特異日で、2日間の中で雨のないのが少ない。ハワイから台風の影響で帰国日が大荒れかと思っていたら沖縄南方で停滞していた台風が急に動きだし18日に関東沖を通過したようだ。
 今年のダイコンの出来具合は近年になく良いのだが何か気分は暗い。世界的な景気の減速だが対処するには時間が必要となる。ハワイ行き帰りの席はほとんど満席でどこに不景気風が吹いているのだろうか。ハワイのリムジンタクシーに乗ると円高が身近に感じる。
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べったら市の謎が一つ解けた

2012年09月20日 | べったら市

棚橋正博先生の本を読んでいたら、べったら市を調べていたとき不明だった『藤問屋』が大伝馬町、小伝馬町付近にあった理由が判った。
 中央区日本橋本町は薬関係の会社が多い。これは江戸時代薬種商が中心地である本町付近に集まったからである。当初は薬種商が砂糖をついでに商っていたが次第に砂糖の扱い量が増え、隣地のところに砂糖を扱う問屋が増えた。
 江戸時代の日本産の砂糖は少なく輸入された砂糖は南方アジア、台湾から船に積まれてきた。船を安定させるため藤製の籠に入れられて日本に運ばれた。籠入りのまま長崎で検量され、大坂を経由し江戸に届いた。砂糖を入れた藤製の籠は水桶の中で踏みつけると中にしみこんだ砂糖分が押し出され、煮詰められ水あめ等になったと言う。残った容器の藤製の籠は藤細工の素材として利用されたようだ。つまり『藤問屋』は本町付近にあった砂糖を扱う商人から出る廃棄物再生事業でもあった。江戸時代は帆船の時代で船のバランスをとるため重いものを積み込む必要があった。しかし明治になって石炭が積み込むようになれば藤製の籠は不必要となり、廃棄物が出なくなる。明治の中頃には大伝馬町界隈から藤問屋が消えた理由だと思われる。(山東京伝の黄表紙を読む223頁)
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なぜ三ツ矢サイダー

2011年11月23日 | べったら市
なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
 大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。
 べったら市のサッカリン話はようやく決着がついた。
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大阪弁

2011年11月19日 | べったら市
暇に任せて辞書サイトを見ていたら、大阪弁のなかに「べったら」と言う言葉があった。やはり大阪の言葉だった。東京では大阪朝日新聞が東京に進出するまで「浅漬」という名称でべったら市が行われていたようである。
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べッたら市は雨が付きもの

2011年10月20日 | べったら市
今朝築地市場に雨が降った。やはりべッたら市(10月19・20日)は雨の降る確率の高い日である事を証明した。この雨のため、大根1本の値段が昔から高い。他の市に転用の利かない浅漬け(江戸っ子は浅漬けと呼ぶ。江戸っ子以外はべッたら市と言う)は雨が降ると売れ残りが出るので価格を高く設定してある。
 今では浅漬けと言っても江戸っ子の存在が貴重になった今誰も由来は知らず、白菜の漬物と言うかもしれない。白菜は明治末期に日本で栽培が出来た野菜である。

蛇足だが大阪から朝日新聞が東京にやってきて、べッたら市と記事にした。それ以前の東京の新聞は浅漬けの市とかべったり市とかと書いていた。
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べったら市2011/10/19

2011年10月19日 | べったら市
10月の雨の特異日だがどうやら今年のべッたら市の天気は良さそうである。日本橋界隈のサラリーマンがホームレスの仲間になる日。路上でダンボール等の敷物に座って酒を飲む日。不景気の格差社会で憂さを路上ではきだす日。
 
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