

山中共古のなた豆を再び確認していたところ、べったら市の文があった。
共古随筆・46ペ-ジ
大伝馬町通り、11月19日べったら市というあり。浅漬大根を売る見世多く出る。植木屋の多く出る。この市ほど多く出る日なきように見ゆ。菊の相場一八何程と売り相場を極めるもこの市日よりとすると。明日の恵比寿講の支度物を売る市とす。浅漬の大根を買いたる者ベッタラ・ベッタラと呼ばり、大根を縄に縛にて縛り、婦女子の衣服へ麹ぬかを付けんとし、また不意に顔先へ差し出し、娘子供を驚かせるを喜び歩く、その乱雑甚だし。
11月19日は旧暦で今は新暦の10月19日。
天気予報では25度以上もあるという。明治期の新聞では19・20日のべったら市は初冬の市と記述があり、寒さを感じる報道となっている。10月としては天気の特異日として雨の確率の多い日だった。今年は2日間晴れそうだが秋の悪天候で大根が高値で心配だ。トウガラシで味付たピリ辛べったらでビ-ルを飲むには良い気温かも知れない。日本酒には暖かすぎる。
9月の雨で大根の作柄が心配していたがそれも今日明日の天気しだいで気分が変わる。今では恵比寿講のための市ということもなくなり、単なる都心の祭りとなってしまったようだ。ただ大根の品種改良の歴史を見ているとベッタラ市の意義は大きい。
今年もベッタラ市の時期となった。都心でこのような個性のある祭りはそれほど多くない。昨日もハロ-ウインの祭りの車が走っていた。今年の天気は雨が続くと続き、野菜も高騰している。秋もしっかり寒くなって、昔のベッタラ市のような寒さを感じる。
明治の暦の改変で祭りが1月ほど早くなったため、冬になると甘みが増す大根栽培が品種の改良に向かった。早稲品種の目立つのがこのような理由である。今は遠距離輸送の発達と冷蔵庫内製造のため、明治期のベッタラ作りより簡単である。当時の人達は高価で売れる大根の漬物販売を期待していたのだろう。
時代が変わって、甘味を取ることが簡単となり、商家の年末の祭りの走りという意味も消える時代となった。恵比寿講は今の時代でどのような意味があるのだろうか。
昨日20日、昼までは明るい空だったが、夕方から少し雨が降り出した。降水量から雨にはならないと思うが気分は雨。雨となれば買い物が消える。
記録に残らない雨とならない事例かもしれない。昨日の記録は雨ではないだろう。
10月19日20日はべったら市だがこの日は雨の特異日で、2日間の中で雨のないのが少ない。ハワイから台風の影響で帰国日が大荒れかと思っていたら沖縄南方で停滞していた台風が急に動きだし18日に関東沖を通過したようだ。
今年のダイコンの出来具合は近年になく良いのだが何か気分は暗い。世界的な景気の減速だが対処するには時間が必要となる。ハワイ行き帰りの席はほとんど満席でどこに不景気風が吹いているのだろうか。ハワイのリムジンタクシーに乗ると円高が身近に感じる。
棚橋正博先生の本を読んでいたら、べったら市を調べていたとき不明だった『藤問屋』が大伝馬町、小伝馬町付近にあった理由が判った。
中央区日本橋本町は薬関係の会社が多い。これは江戸時代薬種商が中心地である本町付近に集まったからである。当初は薬種商が砂糖をついでに商っていたが次第に砂糖の扱い量が増え、隣地のところに砂糖を扱う問屋が増えた。
江戸時代の日本産の砂糖は少なく輸入された砂糖は南方アジア、台湾から船に積まれてきた。船を安定させるため藤製の籠に入れられて日本に運ばれた。籠入りのまま長崎で検量され、大坂を経由し江戸に届いた。砂糖を入れた藤製の籠は水桶の中で踏みつけると中にしみこんだ砂糖分が押し出され、煮詰められ水あめ等になったと言う。残った容器の藤製の籠は藤細工の素材として利用されたようだ。つまり『藤問屋』は本町付近にあった砂糖を扱う商人から出る廃棄物再生事業でもあった。江戸時代は帆船の時代で船のバランスをとるため重いものを積み込む必要があった。しかし明治になって石炭が積み込むようになれば藤製の籠は不必要となり、廃棄物が出なくなる。明治の中頃には大伝馬町界隈から藤問屋が消えた理由だと思われる。(山東京伝の黄表紙を読む223頁)
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。
べったら市のサッカリン話はようやく決着がついた。
今では浅漬けと言っても江戸っ子の存在が貴重になった今誰も由来は知らず、白菜の漬物と言うかもしれない。白菜は明治末期に日本で栽培が出来た野菜である。
蛇足だが大阪から朝日新聞が東京にやってきて、べッたら市と記事にした。それ以前の東京の新聞は浅漬けの市とかべったり市とかと書いていた。