江戸南町奉行のことをもう少し知りたくて、この本を借り出した。書き出しから過激で町奉行の在職中の過労による死亡が多かったという。その支配地は旧東京市(昭和七年)以前の十五区に相当するという。以前地下鉄に乗り、本郷三丁目で降りたとき、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という言葉を思い出した。戸田寛十郎邸は今の東大農学部前から入った西片付近で文京区立第六中学校のあたりにあったので江戸ではないのかと思っていたら朱引きでは江戸の範囲は板橋宿も江戸であったようだ。
さてこの本の79ページから河内山宗春の話がある。さらに白浪五人男として知られている河竹黙阿弥作『青砥稿花紅彩画』のゆすりの場面と同じ様な事件が文政4年にあった。86ページに長井五右衛門伺いとあった。再び事件に長井五右衛門が出てきた。何者だろう。しかし戸田主膳殺人事件にも出てくるので捜査関係者かもしれない。そこで御仕置類例集を借りることにした。
江戸町奉行は奉行所内に住んでいたので筒井伊賀守政憲が麹町二番町に住まいを得たのは奉行所を退職後だろう。従って戸田主膳殺害時は長井五右衛門と筒井伊賀守との接点は住まいが二番町ということではなかったと思われる。