埼玉県の県立図書館は本館と言うべきところは熊谷にある。先の戦争が激しくなったとき、全国の様々な業者が統合された。新聞もその一つで1県1紙となった。もっとも朝日・読売・毎日等も数枚だった新聞も一枚になってしまった。さらに戦争報道で読むべきニュ-スが戦争状況しかなかった。叔父の特攻記事を探すべく、熊谷に向かった。昭和20年5月23日に数行の記事があったが戦果のみであった。そこで埼玉県出身の特攻死したリストを探してもらった。血戦特攻隊の記録の本を出してもらった。リストによると埼玉県出身の陸軍特攻隊で死去した人は40名以上、さらに海軍も入れれば毎日の記事が暗くなる気がする。作戦だけなら米軍の大被害だけですむ。叔父の名前は見つからなかった。
沖縄の伊江島で20年4月18日に死去した従軍記者アニ-パイルは第二次大戦で一番有名な戦争コラムニストで戦後沖縄でアニ-パイル国際劇場が出来た。今は沖縄の国際通りと言う名称が残っている。さて伊江島の戦闘が激しかった。LST808は硫黄島の戦闘に参加し、その後沖縄伊江島に行った。5月18日に特攻され、伊江島に修理のため停泊していたが5月20日再び特攻され大破となり、戦後間も無くくず鉄となった。
アニ-パイルは一時伊江島に埋葬されたが、今はハワイの戦時の記念墓地に埋葬されているという。戦争報道記者の判断の標準となるべき人でこの人の記事を読んでから、戦争報道記者の事故責任論に対処したい。