年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

落ち目となると

2014年09月30日 | 宅老のグチ

 

ダイエ-が消えるという。ことダイエ-と付き合って生き残った漬物業者は今のところ1社しか記憶にない。他の業者はダイエ-の店舗の拡大で拡大したが拡大が止まると投資した設備が回収できず破綻した。今ではス-パ-でさえ人口が減少してゆく時期に他店舗の顧客を総取りした後、減るしかない。何しろ地方の最大収入源は年金というところもあるはずだ。ガソリン等の上昇は車社会を前提とした地方経済を縮小させている。議論ばかりして、前例を確認している内に集落が消える。先手を予想して行動しないと現実に追われることとなる。

 身の丈にあった設備を用意しないと人口減少のスピ-ドが早く、設備が老朽化し,食の事故を招きかねない。

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9月末の築地市場内散歩

2014年09月29日 | 宅老のグチ

 

海幸橋門のところの中央区の施設が本格的に始まったようだ。来年秋口の完成となるのだろう。築地市場南地域にあった冷蔵庫の解体工事もほぼ終わりつつある。これで環状2号線の築地市場バイパスの開通めどが立ったようだ。浜離宮との間に通路を作り、万が一築地市場内トンネル工事が遅れても豊洲へは浜離宮の所を曲がり、新設された橋に接続できる。1車線しかないがそれなりの混雑緩和となろう。汐先橋から築地市場の青果門のところまで本格的な掘削工事が始まった。月ごとに車線が変わり工事が進む。9月が終わればあと1年半となる。年末のバタバタがあるので年寄には時間が早く進む。

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ワリャ-ン

2014年09月28日 | 築地市場にて

 

午後になってようやく街宣車が来る。ワリャ-ン ワサフィ ブンとか聞こえるがビルにこだまして何をわめいているか解らない。築地でわめくには朝日新聞の隣、ガンセンタ-病院で死と戦っている人達はどう思うのだろうか。ガンセンタ-病院の高層階に食堂がある。そこからの眺めは素晴らしく遥かに房総半島まで見える。当然羽田で離着陸する飛行機も見える。もしかしたらあの世まで見えるのだろうか。

 

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梅おにぎり食べよう条例

2014年09月27日 | 宅老のグチ

 

梅産地和歌山みなべ町で梅おにぎり食べよう条例というのが出来るそうだ。10月1日より施行。みなべ町の梅は日本一の品質で産額もおおい。ところが米離れで消費量がへり、梅の産地に今危機が顕在化しつつある。

 長い不景気で梅業界の打つ手は出尽くした感じがする。特に米関連産業である漬物は自らの努力ではどうしようもないところまで来ているようだ。既存の工夫とは違う世界を見つけないといけない時期が来たようだ。

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白と黒を混ぜるとキムチ色になるのは何時か

2014年09月26日 | キムチ

 

寝ながらふと思った。白と黒は混ぜれば灰色となる。ところが混ぜないとくっきりとした区分けとなる。日本は対立が解消できないとき,あいまい決着をつけることが好まれる。アメリカの野球では引き分けは好まれない。日本は引き分けが多すぎる。

 あいまい決着の多い日本と近隣諸国との摩擦の解決方法は時間しかないのだろうか。キムチの数字の低迷振りから、本来なら今年の大雨で白菜の価格がもっと上昇しなければならないがこの程度の価格なら10月から本格的に出回る茨城産白菜の出回りで大幅に安くなるだろう。でもキムチフェアをする企画の声が聞こえない。

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佐多稲子の福神漬

2014年09月25日 | 福神漬

 

佐多稲子の『私の東京地図』という小説に出会ったのは台東区中央図書館の郷土資料のところだった。この小説は大正時代のの上野付近を詳しく書いてある。

 長崎から上京し、上野の桂庵(職業斡旋所)で紹介されて、上野山下で働くようになった。上野の料亭・ 清凌亭で女中の見習いから始まった。ある時、清凌亭女主人から池之端の福神漬(酒悦のこと)を買ってくるように頼まれたが女将さんが嫌いなあるものを交ぜないように依頼された。朝早い池之端の開店間際の店舗観察をしているうちに、指示された交ぜてはいけないものを忘れてしまった。佐多は気転を利かし、福神漬屋の中に入り、店員に福神漬に入っているものを聞いた。大根、しその実、こぶ、なた豆と店員が言ったとき、思い出し『なた豆』だけは交ぜないでくださいといって用を果たした。

 清凌亭女主人はなぜ福神漬の中の『なた豆』を交ぜないように指示したのだろうか。何か言い伝えや風習があったのだろうか。料理屋の女将となれば『なた豆』関しての民俗学的言い伝えを聞いていてもおかしくない。

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検閲とか言論統制から

2014年09月24日 | 福神漬

 

明治の初期は日本には言論の自由というより言論の無統制という時期があった。新政府が安定してゆくうち、次第に政府批判の言論を統制するようになり、統制、規制を逃れる表現で政治を報道する大新聞の記者・編集者(旧幕臣が多い)は対抗しました。

 次第に大新聞から庶民を読者としていた小新聞まで規制の対象となっていました。1883(明治164月16日:「新聞紙条例」改正施行(16条 から42条に、保証金制度、発行禁止停止権の拡大)され、全国の新聞が激減しました。梅亭金鵞が関係していた風刺マンガ雑誌『團團珍聞』も姉妹雑誌という『驥尾団子』も自殺号を発行し廃刊となりました。

 梅亭金鵞が酒悦主人に新しい缶詰入りの漬物の命名を依頼される少し前の話です。言い伝えによると当初は大根・茄子・なた豆の3種類の材料が入っていた漬物のようだった。その漬物に『七偏人』の作者から七種類に素材を増やし命名を考えたようです。しかしここに江戸時代から上野谷中周辺で盛んであった七福神詣を考慮して命名した。だが『七』は当初の命名でも省いている。ここに梅亭金鵞が『福神漬』の中に隠されたメッセ-ジを入れても不思議ではない。ただ福神漬缶詰が高価であったため、一般庶民が食するまで時間がかかり、隠された比喩が時代の変化で意味をなさなくなり、忘れ去られた。

 福神漬の命名された時期は明治17年から19年までの頃である。福神漬という漬物には商品名にも中味にも明治新政府批判の風刺が入っていることが調べてゆくうちに気がついた。自由民権運動が盛んであったとき、隅田川の浮かんでいる船に『自由糖]とい菓子ののぼりがある絵があった。食品名に政治風刺の命名をしても整合性がある。

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梅亭金鵞の経歴から

2014年09月23日 | 福神漬

 

七偏人のあとがき( 興津要)から

梅亭は旧幕臣の次男として生まれた。長男の権限が絶対的な江戸時代では次男以下の男子は能力を上げ、養子先を見つける行動をとらねばならなかった。学問や剣術で名声を得ることが必要だった。うまく養子先を見つけさらに向上心のある人と養子となって安心し道楽を始める人がある。梅亭は後者の人だったようだ。瓜生家に養子となった弘化2年の頃は(アヘン戦争の余波で)剣術から砲術重視に変わる時代だった。剣術しかない人生が時代の変化で役立たずになったことから、戯作の世界にのめりこんでいった。刀剣に対するこだわりを梅亭が完全に捨て去ったのだろうか。福神漬を命名した時、最初から入っていた(なた豆=刃豆)を見て食品に見立てや比喩を入れなかったとはとても考えられない。明治10年代後半の政治経済状況で江戸の生活を馴染んだ梅亭金鵞が文明開化についてゆけず、さらに露骨な言論弾圧を避けて、食品名に薩長政権批判の比喩を入れても不思議ではない。

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空白の文学史

2014年09月22日 | 福神漬

 

天保のころで江戸時代の文学史は消え、次に明治の中頃まで日本文学史では空白の時代となる。ところが福神漬の命名に関して調べていくうちに明治初期でも様々な出版活動があったことを知った。今ノ学校教育では明治初期は福沢諭吉等の啓蒙書しか残っていないように見える。

 明治初期は少部数の木版印刷から大量印刷できる活版印刷へ向かう時だった。本の価格が下がり、出版業界が活気を呈していたようだ。貸本屋が増えた本需要に見合う作家不足が戯作者の一時的復帰があった。明治16年、梅亭金鵞が「七偏人」を再出版したのも時代の要請であった。幕末維新の混乱で江戸時代池之端にあった3軒の香煎茶屋は酒悦の店だけが残っていた。そのため七偏人の香煎茶屋は酒悦を示すこととなり、酒悦の店主は梅亭に新製品の漬物の命名を依頼したようだ。当時の作家は作品で生活をできる人は皆無で様々な副業で生計を立てていた。梅亭金鵞が引き札の印刷を内職でしていたのはそのような生活事情があった。引き札とは今のチラシ広告のことである。

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連続誤受注

2014年09月21日 | 築地市場にて

 

この頃発注数量が間違った例が増えてきた。外回りの人に聞くとやはり人手不足が増えてきたようだ。長い不景気で安い賃金で働いていた人が高賃金を目指して動きだしたようだ。バブル期、人が足りない時、他の企業から引き抜くことが盛んだった。ようやくスカウト戦線が出てきたようだ。

 漬物のような一般食品の中で構成比率の少ないところは新人のパ-トが担当することが目立つ。多少ミスしても店舗の売り上げには影響しない。人手不足が始まり始めたのだろうか。

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スコットランド独立投票

2014年09月20日 | 築地市場にて

 

スコットランド独立投票日に高橋太華のことを調べていた。結果として『佳人之奇遇』影の作者となっていた高橋はアイルランド独立運動などの圧政下の反政府運動などを描いた政治小説だった。この小説は今原書で読むととても理解が出来ないほど難しい日本語である。表向き著者となっている東海散士(柴四郎)は朝鮮に渡りキムチの歴史に裏の関係者として出てくるようになる。

 スコッチウィスキ-という酒にどのような政治の影響があったのだろうか。10月からのNHK朝ドラにはこのような食品に関わるイギリス政治物語は出てこないのだろうか。

 

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都知事が豊洲を視察したようで 560

2014年09月19日 | 築地市場にて

 

都知事が豊洲新市場の視察をしたようだ。表向き平成28年3月31日建物完成、5月の連休中に移転としているようだが実現にはまだ問題がありすぎる。

 主な移転に要する人が不足していると聞いている。特に長期の不況で冷蔵庫を作る職人が不足していて短期に数多くの冷蔵庫新設工事が出来ないと聞いている。これから移転日が近くなるほど予想もしない事態が現れるだろう。

 豊洲市場建物完工予定日まで560日となった。築地市場を残しつつ、豊洲を開業するのだろうか?

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為替が108円台になって

2014年09月18日 | 築地市場にて

 

春先に100円から103円だったのがついに108円となり、原油安で1L158円だったのが160円になった。為替の変動が再び激しくなって落ち着くには時間がかかる。急に円安となっても国内の人手が不足していて急には増やせない。節目となる110円には間もない気がする。海外の物価上昇とか輸送の問題を考えると国内生産のほうが安い時代が再び来るかもしれない。農産物自由化でも円安なら価格競争力があって、日本農業でも生き残れるかも知れない。ちょっと前の常識が非常識になるのも意外と早いかもしれない。業界全体が海外シフトして、漬物は長い低価格の時期が続いた。これから国産原料の時期に入ったと思われるが高齢化した生産者は重量野菜の作付けを減らしている。消えるか高価格になるか。

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江戸通の三大人

2014年09月17日 | 宅老のグチ

 

多摩の図書館で本を読んでいたとき、蔵書印があった。森銑三とあった。今山中共古も関係で三村竹清の本を読み始めた。三村が明治の終わり頃、伊勢に十年ほど住んでいた。三村の著作集に伊勢の民俗話が載っていないか読んでいる。しかし今のところ古銭とか印鑑の資料しか見つからない。古銭では池之端の守田宝丹の名前が出てきた。

 森銑三は江戸通の三大人の一人として三村をあげている。三村は中央区の出身で区の図書館には多くの資料がありそうだ。原胤昭とも交流があってどんな資料が出てくるのだろうか。

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軟風漫筆

2014年09月16日 | 福神漬

 

近代デジタルライブラリより

国会図書館では絶対借り出すことはないだろう。パソコン上で気楽に検索できるのですぐにアクセス。

 梅亭金鵞の経歴が書かれていた。父は柳剛流の剣客吉田勝乃丞の次男として生まれる。やはり、剣術に関係していた。一時は剣術で名を上げていたようだが瓜生家に養子となると文化人と交わるようになると、池之端に住んでいた松亭金水の門下となってしまった。見よう見まねで戯作をするようになったようだ。

 剣術から彼の命名した福神漬に入っている(なた豆)には何か意味があるように思える。父吉田の勧めで2年ほど伊勢の剣客のところで修行した。山中共古のなた豆の記述から伊勢には(なた豆)に関しての色々な言い伝えがあったようだ。

 伊勢地方には(なた豆)について今でも言い伝えがあるのだろうか。江戸時代尾張本草学の影響があったかもしれない。

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