年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

台風12号で趣味的な気象うそよ士

2023年08月31日 | 宅老のグチ
今年の台風は例年と違って、沖縄・台湾・フィリピンを直撃避けている様に見える。いつも上陸の少ない中国本土、中国東北部に向かっている予報が目立つ。地球温暖化かぺル―沖の海水温の変化だろうか。
 
汚染水の騒動で中国の大学の研究では240日後に計算上中国沿岸部に到達すると騒いでいる。フランスのデ―タではフランス原発の汚染水の量は福島よりはるかに多く、従って中国の言い分を正当化すると大西洋全域の魚は食べることは出来ないという。
 これを鎮めるのはNHKのBS放送ニュ-スで築地場外市場で外国人観光客が行列をして水産物や寿司屋へ入る風景を報道するしかない。中国当局の検閲が入るか楽しみでもある。中国がゼロコロナを転換したのはサッカ-のワールドカップと言われていて、ゴールシ-ンの観客のノ-マスク、密集姿が検閲できなかったという報道があった。中国の地方サッカ-「村超」の正式名称は「貴州榕江和美郷村サッカースーパーリーグ と言うのが盛り上がっていて、今の日本の高校野球の地方大会と村祭りを合体させた動画が見える。これをうまく盛り上げれば14億人の中には優秀な人もいるが、金に目がくらんで選手生命を短くしてしまったと見える。
 台風がいま3個あるが1個は台湾とフィリピンの間を抜け海南島方面、次が中国本土でさらに発生したばかりの12号はまだ進路は不明だが予想の先は中国東北部。ここはすでに水害が出たところである。中国漁民は汚染水騒動で相場が下がり、さらに台風ということで出漁できなく大変と思われる。
 偏った情報で自然災害は情報隠しをすると準備が出来なくなり被害が拡大する。日本では今や台風でコンビニが普通に休むようにうなった。従業員の安全確保ということになる。
 ただ沖縄だけが心配で、早く電線地下化できないのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽田国際線タ―ミナルで築地市場を食べる

2023年08月30日 | 宅老のグチ
多摩川スカイブリッジと言う橋で初日の出を見たいと思ったが位置的に羽田第二タ―ミナルの方が視界が開けていて、よく見えるという。しかしここは全日空のタ―ミナルで午前6時半から屋上へ入れるという。すると6時半過ぎの日の出は12月から2月までとなる。最適は年末年始となる。
 第三タ―ミナルがホテル開業ととともに新規の店舗が増え、どうなったのかを確認するためシルバ-パス利用で行った。前回の訪問時に築地市場でよく食べていた吉野家が検索するとやっと第三タ―ミナルにも出来たようだ。ホテル開業時の散歩で築地市場内にあった茂助団子の店でお土産を買い、吉野家で食事して、汚染水で中国本土からの個人団体客がどうなっているか知りたかった。
 春先と今とでは結構第三タ―ミナルの店舗の内容が変わっていて、閉鎖の所もあった。便数がまだ復活していない気がする。中国からの便は昼頃が多いと思っていて、午後1時に出口で待つとやはり団体の人もあるようだ。出迎えの旅行社の人が手持ちのプレ-トで人を待っている姿が見える。
 吉野家の並み牛丼は503円、茂助団子4本入り800円を超える。築地より少し高い。
 たしか空弁と言うのがあって、前回はカツサンドだった。空港だから少し高いがアノ案内放送は残響があって、シルバ-パス利用で行ける日本一安価な海外旅行気分となる。電車の駅の案内放送ではあのような残響音が無いのは不思議。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福田村事件の映画を観る予定を立てる

2023年08月29日 | 宅老のグチ
ポレポレ東中野という小さな映画館で関東大震災も記録映画を観ていた時、予告編の映画で福田村事件というのがあった。この映画の予告は横浜シネマリンと渋谷のユ―ロスぺ-スと言う映画でも見た。28日の日経新聞で福田村事件の映画の内容が判って、見る予定を立てたが9月1日のテアトル新宿の2回の上映は満席のようだ。初日の舞台挨拶があるようだ。ミニシアタ-は初日とかの特定の日に監督とか出演者の舞台挨拶があるようだ。挨拶が終わっても劇場の外で大衆演劇のようなお見送りがあることを知った。もう少し機材とか映画館の費用が安くなれば映像作家が激増する気がする。やはり本よりは映像の方が理解しやすい。

 まだ予告編と解説を読んだだけで、内容は判らないが今の千葉県野田市と柏市の境にあった福田村での関東大震災後の社会不安の時、日本人による日本人虐殺事件が地域の記憶から消され、それを取り戻す映画と予想する。ただ評論家の解説では今でも日本でこのような事件が起きることがあるという。ウクライナでのロシア兵士の虐殺が報道されているがあれは戦時で、平時の自然災害で言葉が通じないということで不審人物集団と見なされ、虐殺する行為を正当化すことがありうるというようだ。チケットの売れ行き状況から結構上映館の数と放映回数が増えそうだ。ただテアトル新宿で9月2日以降の上映開始時間の予定がまだ見えない。渋谷のユ―ロスぺ-スは9月1日は2つあるシアタ-の一つを朝10時から全部福田村事件の上映となっている。新宿での9月2日以降の予定はいつ出るのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩の買い占め騒動、中国での

2023年08月28日 | 宅老のグチ
日本でオイルショクックと言うのがあって、コロナの時にトイレットぺ-パ-が買い占められていた時、どのようなわけか九州の方だった記憶があって、食塩も買っていた。
 中国の汚染水の騒動で食塩が飛ぶように売れているようだ。日本の塩はタバコと塩の博物館で見ていて、大部分は工業用で使用される塩化ナトリウムで食用は約5%ほどでさらにその5%の半分が味噌・しょうゆ用で使われ、漬物用は少ない。海外から塩漬となった漬物原料を国内で脱塩して製品にするので意外と食塩の使用量はすくない。多分中国の塩を買った人は自由な報道の無いため無駄な買い占めをしたと思われる。塩は適切な保管をしないと潮解と言って水分を吸収し、その後岩石のように固まり使いにくい。
 日本のような自由の言論の無い国で放射能の洗脳で、日本だけでなく中国漁民の収穫物まで汚染の疑いがあるとみられている。これは打撃だろう。しつこい日本攻撃は中国漁民の死活問題となりそうだ。
 日本のマスコミは中国向けの水産物禁輸で騒いでいるが、実際輸出の部分は他の産地開拓の予算獲得に良い機会かもしれない。コロナで日本は国からの補償があったが中国ではゼロコロナと言うことで飲食店の補償は無かったようだ。今度の汚染水問題で風評被害と言うことで、当然豊洲の人々は補償を予定している気がする。築地の移転時に延期となった件で東京都から補償を受けた記憶がある。
 コロナでやりすぎた都市封鎖で今中国が不景気となってもお金が足りないと感じる。この汚染水排出が30年続くとなると、煽りで中国漁民は死活問題となる気がする。ただ昔の中国の事を知っている人に言わせると、中国人は淡水魚を食べていたので海産魚が無くても乗り越えることが出来るという。

 日本も中国も報道に関して上部組織の忖度があって、日本経済新聞でも中国衰退派とまだまだ14億と見る記者との勢力争いが見える。仮に中国で勢力を増やしてもいずれ中国人経営に切り替えられる。そして増えそうにない仕事は投資を誘う。この点ではアメリカの手際が良い。訴訟で中国の損を取り戻す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東大震災の記録映画をポレポレ東中野で見る

2023年08月27日 | 宅老のグチ
予定通り26日に記録映画を観る。「キャメラを持った男たち」ー関東大震災を撮る 
 この映画は25日に墨田区で慰霊の所で公開されている。10時から上映が始まるのだが9時40分に並ぶ。予約者が先行入場し、当日の人はゆっくりと入る。この手の映画は好奇心のある人しか見ないようで、満席となることは無いとおもう。もし不安ならネットで予約し席の売れ具合を確認できる。
 10時から始まった映画は、この映画の元になるフィルムの保管の様子と、今に残る撮影機材で令和の東京を撮影し、比較している。当時は白黒の映画で、音もない。何か手回しで撮影し、あの混乱時の避難民の中で生き残ったと思われる。
 これまで書籍や写真で大震災を知っているが動く映像で不安が解かる。タダ臭いが映画から感じないので、川に浮かぶ死体の様子が動画なのに写真のように見える。膨大な死体の山が被服廠跡にある。見たことのある写真で免疫が出来ていて嫌悪感が薄い。
 やはり東日本大震災の津波の記憶と関東大震災の火炎は質が異なるが、何とかならなかったのかという想いが残る。自然災害で震災程いきなりやってくる。余裕が無ければ憤懣を外部に出すこともある。
 12時少し前に終わり、映画館を出るとJR東中野駅を出る電車がゆっくりと出発し、見上げると夏の青空だった。台風がまた台湾付近にある。何か強大化しそうな気がする。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北区の篠原演芸場探し

2023年08月26日 | 宅老のグチ
気になっていた北区の十条駅付近の大衆演劇の篠原演芸場探しをすることにした。JR王子駅の側にキタトピアという北区の公共施設がある。そこの1階に北区観光案内所がある。そこで警備の人に聞いて観光案内所へ行き、北区の地図を頂いた。地図を見ながら行く。
 王子神社は前に訪問したことがあって、線路添いに北へ歩いて着くとカギがかかっていて、脇の坂道を上がって参拝すると書かれていた。年中無休の神社仏閣と思っていて、夜間の閉門はあっても昼に閉まっているとは不思議な気分。坂を上って参拝後、神社から入り口を見ているとそこにも扉があって閉まっていて張り紙があった。神社の入り口に保育園があって幼児が階段で遊ばないようにすることと不審者と感染症予防のようだ。いつからカギっこになったかは知らない。
 そこから十条へ向かうがこの暑さでは歩いている人は少ない。
 南橋というバス停があって、橋ということで付近を見ると立体交差で,
観光案内所でもらった地図で、北区中央図書館の近所まで来ている様だった。そこで階段を下り、右に曲がって、公園風の所に向かう。十条の自衛隊を過ぎ、目指す公園内のレンガつくりの北区中央図書館へ向かう予定だった。しかし見当たらないので、戻って自衛隊の門で自衛官の警備の人に聞く。敷地の外に出て、おおよその位置を教えてもらう。北区の中央図書館は渋沢栄一の資料を見るために訪問したことがある。確か日露戦争後に破綻した株式を担保として資金を提供する銀行の処理で渋沢が活躍した。多くの企業を設立した渋沢の力量でも帝国商業銀行はうまくいかなかった。企業の再建と銀行の再建が異なるという後日談の記録があった記憶がある。
 図書館の郷土資料の所に高校生がいる。どうやら課題を調べている様だ。目立つ本を手に取るとキタトピアという施設は王子駅の貨物線路の跡地のようだ。さらに線路敷地の買収で名目上は線路と言うことで、後に陸軍が拡張した様だ。キタトピアの外に北村 西望 の銅像がある。長崎の平和公園の同じデザインと感じる。板橋区と北区の平和と言う名称がついているのは先の戦争の記憶の残りと思う。多くの兵士のための工場があったのだろうか。
 図書館を出て、南橋バス停に戻り、東十条駅を目指す。道路拡張工事中で、途中に東京都の埋蔵文化財の調査が見える。チラッと説明版を読むと時代的には古い。ずんずん進むと環状7号線に出て、行き過ぎたと思い戻る。信号のあるところを注視し、東十条駅と言う標識があった。反対側にタワ-マンションが建設中で、多分JR十条駅と推測する。郵便局が見え、そこからタワマンの方に向かう。歩きながらこんなところに大衆演劇場があるとは思えないくらい繁華街という感じがしない。すると演芸場の雰囲気のあるのぼり旗が林立しているのが見え。、確認するとコンクリ-トの大きな建物が見え、確認すると篠原演芸場だった。ここの細道に開演前後に並ぶ姿は浅草と違い異様になると感じる。なぜこの地に生き残ったのだろうか。このことに関しては北区の図書館で調べる必要があると感じる。
 戻りは十条駅か屋根付きの商店街を行く。環七に出て、バス停の位置を聞き、見ると国際興業のバスと都バスが止まる。先に来たバスに乗ることにし、大和町か板橋本町で降りることにしたが、来たバスは王子駅から新宿西口行きで、新宿で大江戸線に乗り換えた。
 歩いた歩数は12000歩。コンビニで飲み物。
 篠原演芸業場はシルバ-パス利用で行くには難易度が高い。JRなら埼京線十条駅の方が近い。バスは中十条4丁目が近いがそれでも10分は歩きそう。
バス便は都バスが王78,他社は国際興業バスで 赤31,王54、赤27,赤95とある。赤羽発が多いようだ。でも本数は判らない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都内の主な演芸場の5か所の内4か所巡りが終わった。

2023年08月25日 | 宅老のグチ
都内の演芸場巡りで4か所が終わった。後は浅草演芸場だけが残っている。今までの感想は江戸時代末期の物価や生活状況が演芸場の観客が知っていることが落語を楽しむ前提と感じる。特に火事の多かった江戸は大工道具の話が出ると尺貫法とかの知識も必要となる。タダ落語の師匠は男性が多く、女性の落語家が本格的に話を作っていったらどうなるのだろうか。もうじき歴史の高校教科書の範囲が黒船来航からの歴史となるので大学入試では問題が出ないので急速に世間常識が消える気がする。今の小中学校の歴史教育は時間切れでどこまで終わるのだろうか。
エアコンのの普及していない時期は夏は怪談話で冬は赤穂義士と言う。泉岳寺の大石内蔵助の銅像は浪曲師・講談師等の寄贈と言う。
 早起きは3文の得という言葉も文と言うお金の単位がどうなっているのか落語で教えないと理解不能となる気がする。
 1升は1.8リットル
1升餅は1.8リットル(餅)になると理解できるのだろうか。
1升は一生という言葉が隠されている。
 対策として私立の中学校、高等学校の入試で落語の話から試験問題が出れば面白いと思う。習うより自発的に学ぶ。落語・浪曲・講談は歴史事実でないことが多く、事実でないことを知ることも必要。いかに事実でないと知っていれば怖がることはない。
 あれだけ福島汚染水で騒いでいた中国が台湾海峡の原潜事故の噂をまだ否定していない。もし事故が事実だったら、福島の恐怖を煽っていたので悲惨となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポレポレ東中野の位置確認後、新宿末廣亭で落語

2023年08月24日 | 宅老のグチ
8月26日から小さな映画館で関東大震災の記録映画の興行がある。最初は横浜シネマリンで見る予定していたが、もらったチラシにポレポレ東中野という映画館があって、さらにJR東中野駅付近と言うことだった。東中野駅は都営大江戸線にもあることを思い出し、一応位置確認したほうが良いと思い行くことにした。横浜シネマリンは神奈川県でシルバ-パス利用ではいけない。大江戸線なら少なくとも交通費は無し。その帰途にJR新宿駅南口の吉本の東京の拠点の位置確認で、歩いてさがす。さらに新宿駅から伊勢丹を探し、新宿末廣亭に行けば一日が無駄とならない。
 大江戸線東中野はJR中央線等の線路の下を通るので、かなり地下深い。出口は予想できなかった。東中野駅は60年ほど前にとぼとぼと線路わきを歩いた記憶がある。大江戸線の駅で降りると、かなり長い登りエスカレ-タ-がある。最近確認しているのだが、昇りのエスカレ-タ-の所に盗撮注意のポスタ-がここには無かった。経験上で女子高生の少ない駅は盗撮も少ないという感じ。味の素の図書館のある都営浅草線高輪台駅は著名な女子高が駅付近にあって、また昇りエスカレ-タ-が長い。誘惑があるのだろう。ポレポレ東中野というミニシアタ-(100席位)はすぐに見つかった。多分JR東中野駅のプラットフォームから入り口が見える。位置確認後戻りに新宿駅で降りる。
 新宿末廣亭のホームぺ-ジでは新宿3丁目の地下鉄の駅が最寄りの駅となっている。しかしシルバ-パス利用では都営新宿線の新宿3丁目駅と伊勢丹前という都バスの停留所と、新宿駅から出るバスで、新宿3丁目付近に止まる都バスが良いとおもう。タダ西口バス停から出るバスは東新宿の方となる気がする。11時半に末廣亭に着いたが、かなりの行列、自販機で飲料を買い、給水するが自販機に飲み干した缶容器のごみ入れが無い。行列が動くまで、ごみ入れ探し。11時40分に末廣亭に並ぶ。行列が5分で半分以下となる。シルバ-パスを見せ、高齢者割引300円ということで、2700円。これは池袋演芸場より安い。そしてもらった番組表で夜の部の入れ替えは無いという。結果的には末廣亭の落語は尻の痛さをこらえれば12時から夜8時まで楽しめる。連日の暑さと、高校野球の決勝戦ということで、空席があると予想していたが、1時半には満席、さらに椅子席でない桟敷席も満員となった。出演する落語家もコロナ明けの観客満員には嬉しそうだった。データ的には寄席は10月が暇そうだ。ようやく落語という興業が理解し始めた。前座と言う見習が12時の前に10分ほど時間つぶしの落語。そして二つ目から始まる。落語は学歴社会でないと前振りの話で、今年に入った新人は京都大学卒業で、自分は高卒と揶揄していた。15分位で出演者が交代し、仲入りと順調に終わる。気が付いたのは中入り時のトイレ行列。10分の休憩で用のある人がぎりぎり間に合った。席が狭いので立ったり座ったりしていて、財布等を落として、後ろの席の人に見つけてもらった。4時15分に昼の部が終わる。半分くらいの人が帰る。夜の部を見る人はチケット購入がギャンブルに近い。帰らなければ立ち席になりそう。
 都営新宿線新宿3丁目駅への地下道は夜の仕事の女性風【中性風】の出勤時間になっていた。ここは昼と夜は別世界となる新宿3丁目、末広通り。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東大震災と台風、ハワイの火事で思い出す

2023年08月23日 | 宅老のグチ
ハワイのマウイ島の火事で原因追及の動画を見ていたら、強風で電柱が倒れ、垂れ下がった電線が発火し、枯草に燃え移り、強風で風下の町を焼き尽くしたという。島の道が倒れた電柱に塞がれ、さらに警告システムが作動せず大火になってから避難したようでまだ全体像が見えない。この災害で震災記念館で大正12年9月の天気のことがあったことを思い出した。

関東大震災と天気
 「関東大震災調査報告 気象編」(藤原咲平,1924)によれば、9月1日には、日本海に台風があり、 台風の後面には前線を伴っていたとみられ、夕方から夜にかけて関東地方を通過するまでは東京は南風でしたが、通過後は西~北風と風向が急変しました。前線の通過後、東京では火災旋風が発生したということです。
 今の震災慰霊堂の所に避難民が4万人ほど集まって、3万5千人ほどがなくなったという。しかし記録を見ていると親族の安否を探している人の文献を読むと避難所で火災があったのでなく、多くの人が集まってから火災となり、火炎旋風となり大災害になったようです。地震は1回で終わることが無いのが普通に知識として日本人は持っています。余震が結構あって時には本震に近い余震があります。そこで被害にあった家から安全なところで過ごすのです。
 マウイ島の火災ではすでに死者は100名をこえ、まだ名簿上では千名ほど安否未確認と言う。表面上の印象ではずっと平和な町で災害慣れが無かったと感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏枯れで無い夏

2023年08月22日 | 宅老のグチ
連日の猛暑で熱中症予報も出すぎて効果が消える。それでも浅草雷門のバス停から都内各地に出るのだが、雷門は日本人より外国人が多く、そして和装風も多い。
 連日の晴れで水不足になるかと思えば都の貯水率が66%で最大の八木沢ダムが33%の様でまだ騒ぐほどでもない。新聞報道で24日に長い間論議していた汚染水が海に出る。この問題は自分は豊洲の水産関係者と取引業者への丁寧な説明といざ不適切な問題が出てきたら、政府が責任ある対処をすればよいとおもう。築地市場移転時にあれほど騒いだ地下の汚染は今で地下から出ているデ―タがある。そこでは騒いでいた人が風評被害を恐れていたが誰も豊洲経由の魚で健康を害した人は出ていない。
 福島の原発が破壊されて、汚染物が海に出ていてもう十年を超える。そのデ―タは検出できるが世界中で健康被害が出たということはまだ聞こえない。今でも100ベクレル調査は行われていて、時たま山菜類が道の駅等で販売されていて、検査によって見つかる。どうやら濃縮されるようだ。
 トリチウムの福島産と中国原発産の区分は出来るのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落語知識ゼロ人が池袋演芸場に始めてゆく。

2023年08月21日 | 宅老のグチ
テレビの笑点とかNHKの落語は見聞きしているが実際のところはどうなっているのか暇が無かったので行くことの興味が無かった。
 漬物や築地市場の事を調べると、歌舞伎と落語の知識が必要となる。歌舞伎は魚河岸と関係があって、よく知られているが青果の方で京橋大根河岸の青果仲卸三周の藤浦富太郎 は明治の大落語家三遊亭園朝の支援者で、築地市場が昭和10年2月に発足した時、初代の青果卸売会社の社長となった。
 今年1月の国立劇場の建て替えのための記念興行で歌舞伎を見始てから様々な興行を観始めた。国立演芸場で見た時の落語家が出ると挨拶のような言葉で都内の演芸場でそれぞれ雰囲気が異なると言っていて、そこで本当かどうかを確認のため、寄席の順番に今回っている。普通は上野広小路鈴本演芸場、浅草演芸ホ-ル、新宿末廣亭、池袋演芸場となっている。つまり5か所を回れば良い事になる。そのほかの落語の興行場所は臨時である。5か所は上席、中席、下席と10日ごとの出演者が変わる。多少変化があるがその中で関西とか九州の人の交流もあるようだ。テレビの影響もあってそこそこ有名になっていると東京でも笑いが共有される。
 新宿末廣亭とか池袋演芸場のホ―ムページで(初めての方)と言う表現がある。確かに行ってみると通でない自分が普通でないことを知る。
 まず料金だが国立劇場が安い。高い順に浅草演芸ホ-ル、鈴本、新宿、池袋となる。高齢者の割引は池袋にある。今は物価高で3000円を超すようになった。開演時間は11時半から1時頃、夜の部もある。池袋を除き、入れ替えとなる。ということは池袋演芸場は尻のつらさを耐えれば8時間ほど落語家の入れ替わりを楽しめる。そこには奇術、講談等落語以外の出し物もある。
 初めて池袋演芸場に入ったが入り口となるところから、地下へ入る階段があるのだがそこにチケット売り場が無く、階段の踊り場の壁にチケットは1階と書いてあって、劇場の人に聞くとエレべ-タ-を教えてもらい1階に戻り、シルバ-パスを示し、200円引き。2800円だった。切符には2800円と日付のみ。これでは池袋とは判らない。入ると12時を少し回っていたので3列目に座る。100人程度の席で途中で95%の入りとなる。調べた限りでは一番狭いが常連にはよい。まだわからないが多分都内で一番の観客年齢層が低いと感じる。
 国立演芸場は席が指定されていて、他の演芸場はフリ-席であり、移動も可能、酒以外の飲食も許されている。マスクも表向きは付けろと言っているが誰もマスク無し。
 映画でも演芸場はスマホの電源を落とせと言っていて、落語家の昔昔亭A太郎と言う人が前振りのあと、場内の観客にスマホで撮影許可を出した。びっくり。今問題のセクハラのジャにーズはファンが撮影すると肖像権の侵害と騒ぐ。この落語家の肖像権問題はSNSに上げても良いということなのだろうか。多分多くの撮影者のスマホに演芸場の楽しみを与えた気がする。このようなことは浅草木馬館の大衆演劇ではファンが上映中に撮影することが常識のようだ。講談もユチュ-ブで配信しているので、他の観客に迷惑が掛からなければ出だしの所は撮影許可しても良いのではないのだろうか。
 昼の部が4時過ぎに終わり、夜の部が4時45分ということで家に帰る。尻とIWtchが警告を出していた。立ち上がれ時間です。ケツ圧に負けた4時間耐久の落語鑑賞。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都慰霊堂の日経新聞記事で

2023年08月20日 | 宅老のグチ
墨田区の震災慰霊施設で東京都慰霊堂をすでに3回以上訪問した。どうも最初は震災記念堂となっていたが昭和20年3月10日未明の米軍による無差別の焼夷弾攻撃で亡くなった下町の人を祀るようになって変わったようだ。
 2023年8月20日の日経新聞で慰霊の造形と言う記事があって、この慰霊堂の設計の顛末を書いてあった。結構すんなりと形が決まったということでは無いようだ。表向きは仏教寺院のように見えるが、訪問した時違和感があって、木造でないからと感じていたのだが記事によると上方から見ると、十字型をしている。屋根の軒先の形は中国風、相輪はインド風、壁や天井はアラベスク風という。慰霊堂の中に入ったが祭壇ばかり見ていたので気が付かなかった。
 震災と戦災で墨田区の道は京都の道のようにきれいな道となった。そして両方の被災に会わない地域が、今頃道路の整備が続いている。京成曳舟駅付近の図書館で墨田区の郷土資料見ているが、押上から歩いてゆくのだが道路拡張工事が今でも続いている。墨田区京島地区は次の震災で東京都の危険地域の中に入っている。木造とくねった狭い道。さらに海抜が低く、水害も予想されている。何年かすればタワマンの町になるかもしれない。
 日本は災害が無いと区画整理が進まない国と言える。東日本震災であっという間に三陸地方に高速道路が整備された。後は福島である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月は戦争の映画を観ていたが過去の話ではないと思う。

2023年08月19日 | 宅老のグチ
戦争反対とお念仏のように日本の人は言うが、日本赤十字の本で赤十字の人が捕虜となって、仲間の情報を拷問で聞き出すように命令された時、その行為をしないと自分が殺されると脅された時、この時の対処の考え方が書いてあった。
 戦場のメリ-クリスマスはB・C級の戦犯の裁判に至る経過。東京裁判ではA級裁判、沖縄戦では皇国史観と戦陣訓で投降拒否を見た。
 戦争とは沖縄・ウクライナを見ていると、もう安全な地域はなく、女子も戦闘に参加する時代に入った。そうなると必然的に平時は庶民であっても戦時には敵の一般市民だった、底辺の人たちを平気で殺すようになる。ウクライナで戦闘ではロシアは犯罪人・低学歴の人たち、低収入の人を高収入と、遺族年金で戦士となっている気がする。
 高学歴・高収入の人は命令するが対応する人は下級兵士である。上級の兵士が無くなって、下級の兵士が生き残って戦後の裁判で死刑となる。
 先の戦争でA級裁判で死刑になった人は十人もいない。ところがB・C級裁判でははるかに多い日本軍兵士が死刑となった。上官の命令は絶対でそれに逆らえない日本の庶民軍人がほとんどだったと思う。
 (私は貝になりたい)という映画があったことを思い出す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶の復活で浅草東洋館で漫才を

2023年08月18日 | 宅老のグチ
福神漬の調べごとは主に台東区中央図書館郷土資料の所でしているが都営浅草線浅草駅から通うので、浅草の繁華街を同じ道を通らないようにしていて、東洋館フランス座と言う所に、昼間から行列があって気にしていた。同じところに入り口が異なるが落語の浅草演芸ホ-ルがある。
 国立劇場の建て替え前にイベントがあって、それから話芸の所を巡っている。コロナ明けと諸物価が高騰しているので収入の拡大が望めない高齢者向けの演芸は厳しいと感じる。特に若手が優遇されない話芸の世界は高齢化が目立つ。そんな中で東洋館をネットで調べると多くの東京で活躍しているコントの人たちの出発地であることを知った。
 東洋館で8月の中席(11日から19日)チラシの裏面に飲食店の広告があって、そこには70年ほど前の父との想いでのすき焼き米久の広告があった。11月の浅草大鳥神社の酉の市で熊手を買い、東洋館ののようなところに入った記憶が残る。寂れた浅草が復活したのは異国人観光客の増大から来ている。タダ話芸の所は言葉と日本歴史の知識が無いと理解不能だろう。
 東洋館の漫才は12時30分からはじまり、途中で3回ほど仲入りという休憩があって、10分ごとに演者の交代がある。終了が夕方5時なので、22組の演者40名ほどが出る。多くは二人で一組。
 最後の出演者宮田陽・昇さんのネット情報から、やはり漫才の浅草東洋館はステイタスと感じる。講談定席の木馬亭の二階に木馬館とと言う大衆演劇の聖地があるが、ここの、企画者が十条の篠原演芸場で入場料が親会社の方が安い。それぞれの演芸には業界内のランクがあるようでやはり東京や大阪で旗を上げないと、いずれ全国に広がらないと感じる。
 このことは海の魚でも良い魚は東京市場に出荷し、値段をつけてもらい、地元にその価格から下の値段となる。地方の消費者は収入が少ないので高い値段では食べられない。
 漫才は客との会話で進む。多くの出演者と出身地の話題がある。東京はやはり全国のお上りさんの集積地と感じた。終わりの夕方浅草は暑さでひきこもりの日本人に代わって、和装の異国人観光客で占拠されていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シネマリンで沖縄戦争の記録映画をみる

2023年08月17日 | 宅老のグチ
ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶
16日、横浜伊勢佐木町のシネマリンで映画を観る。台風で引きこもりだったので、歩数稼ぎで出来るだけ歩くことにした。しかし台風の余波で暑くて、早歩きも出来ず予定以上に駅まで遠かった。さらに京急日ノ出町駅は普通の電車しかとまらず、乗換え待ちで想定以上にシネマリンへは遅れた思いがあり、伊勢佐木町のドンキの前にあるので、そこまで早歩き。11時半についてチケットを購入。85%は埋まっていた。2年前に公開などでも人は多い。不思議。映画の初めは汗が止まらず、水不足。
 映画の内容は太平洋戦争開戦後にミッドウ-で大敗北した日本が沖縄で抗戦準備からの生活を描かれている。ガマと呼ばれる沖縄の洞窟の中での避難生活で軍に強要され、壕を明け渡し、洞窟内で集団生活。戦陣訓という軍隊の規則が村人にも強要し、集団自決に至る過程が記録として残った。この記録ではいつの時代でも沖縄は少数派で、地理的位置で人生が左右されていることを暗に示している。今の所左翼マスコミ報道で沖縄の人は米軍に出て行ってもらいたいようだが、実際問題として中国軍と交代と言われれば断固反対となる気がする。あまりも中国の自己中心主義が反発を招くだろう。沖縄でも日本でも道路には普通はゴミを捨てないし、台風時には停電や食料不足になって、助け合いが無いと生活維持が出来ない。沖縄の出生率が高いのは近所の幼児支援があるからである。そんな沖縄の戦時中の話でガマの集団生活で自決があった。道具は包丁と草を刈る刃物だった。母親が自分の子供を切り、その後に自分をさしたのだが比較的多い母親が死にきれずに生き残った。戦後に自分の子供を殺した母は何も語ることは出来なかった。多くの証言はそれを見ていた人で止めてもいなかった。鬼畜米英と教えられていたこともある。あるガマ(沖縄の洞窟)に村人が1000程避難していて、米軍から投降勧告があって、集団自決の提案から、アメリカにも行ったことのある人がどうせ米軍に殺されるなら、暗い洞窟より明るい地上で死のうと出て。1000人が生き延びたという。ただこの話が今まで聞いて無かったのは右翼的には皇民化教育で沖縄の人を死なせてしまったということの悔いから来ている。さらに左翼は今でも駐留している米軍を正当化することを恐れている。どの国の軍隊駐留では若い男性の集団生活で不祥事が基本的にある。しかしそれを無いとする建前がさらに不祥事を隠蔽し、大型にする。日本軍は慰安所を設けてストレス発散所としている。沖縄戦の報道記者アニ-パイルが一時休暇で沖縄で戦っていた軍人がハワイでビキニの女性とたわむていていた記事を書いていた。戦後の日本でも米軍人の慰安場が多数あった。
 戦争とは男性は死んで終りだが、女性は生き残り、夫のいない戦後に苦労する。そして夫を失っていない運のよい女性から差別される。戦争が理不尽を増やす。

 1時間半の映画が終わって、明るくなって誰も帰らないので動けなくしていたら、映画の監督が出てきて、この映画の想いを語っていた。そこでほぼ満員の五意味が理解できた。映画館を出ると台風明けの空でなく、地面は濡れていた。どこかで沖縄の涙雨だろう。対馬丸の話がなぜ今でも問題なのは暗号解読していた米軍が小学生の避難船を攻撃したか理解不能。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする