年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

1円より安い商品

2012年02月29日 | 築地市場にて
図書館に通って本を読んでいるのだが電車賃がかかるので1円の古書をアマゾンで買った。ところがブックオフでみると買った本が105円で売っていた。アマゾンは送料250円がかかっているので実質の支払いは251円となるので、ブックオフの105円の方が安いとなる。これを自炊してデジタルに変換すれば本棚もいらなくなる。ただPDF化された本の中身を検索するソフトがあるのだろうか。
今は野菜が高いから問題は無いが青果の暴落で相場がキロ当たり30円を下回る事がある。この価格は東京都の業者用のゴミ処理価格をほぼ等しくなるので何が何でも1円でも価格を付けて売らなければゴミ代の方が経費がかかる。もちろん出荷者も段ボール代、運賃等の経費がセリ値に関わらず掛かっているので大損である。この様な事があるので野菜工場が長続きしない。あのユニクロでさえ青果物の販売には失敗した。天候が順調であれば露地栽培は肥料代をのぞけば経費はかからない。
新聞で企業の農業に参加することが報道されているが実際軌道にのる事例は少ない。天候に左右される一次産業は広域連携でなければ成り立たない気がする。そこには農地拡大ではなくシステム農業が要求される。狭隘農地をどの様に機械化するかである。無線LANで農地の状況が解れば適切な対処ができる気がする。定年帰農は意外と重要でTTPでコメが自由になって縁故米で流通するコメが増えるだろう。コスト無視である。
 この前宅配の女性社員と話していて、震災後コメの買いだめ騒動の時故郷の親族からコメを送ってもらっているので心配ないという。戦争直後は日本人の大部分は一次産業に従事していた。ちょっと親族をたどればコメ農家にぶつかる。
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山くじら

2012年02月28日 | 築地市場にて
安藤広重の『びくに橋雪中』という雪景色の浮世絵がある。この比丘尼橋は京橋大根河岸から200m程の所にあった。広重の絵には『山くじら』と書いたのぼりと『●焼き』というのぼりもある。前者は肉食禁忌のためイノシシのことだった。●は焼き芋の事で十三里とは九里四里(クリより)うまい焼き芋の事である。主に江戸では川越産が有名だった。
 比丘尼とは通常は尼さんの事を言うのだが当時はこの付近に年増の娼婦が立っていた。
さて『くじら』だが最近海外の人達の目くじらでアマゾンが通信販売を止めたという。言葉の豊富な日本はこれから『山くじら』がどの様になるのだろうか。
 くじら幕というのもある。くじら尺とうのもあった。最近築地でもクジラは高くて『すしざんまい』でもマグロのトロより高い気がした。
 こうなったら『丘くじら』ブタ。『原くじら』ウシ。イルカいないか築地のくじら。どうだアマゾンで『目くじら』でも通販したらどうだろうか。
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添え物・お通し・つきだし

2012年02月27日 | 築地市場にて
漬物は食事の脇役なので勝手に漬物ことを何か書いても、「ふーん」で終わってしまう気楽さがある。
 戦前の薩長史観、戦後の唯物史観やGHQ史観にも福神漬の由来は影響されない。そもそも食べ物の歴史など気にする人も少なく、おいしくなく高価であれば自然と口にすることなく文献に残る事もなく消えてゆく。こんな事だから注意して調べなければ今ある状態が最初の製品から同じだったと思われるのは当然のことである。しかし、食品を扱っている所で製品の改良改革を行っていないところは少なくない。こだわって意図的に行わなければ昔の味を維持ができなくなっている。品種改良、コスト削減、輸送保存方法の進歩等が変化させる。
 築地市場で江戸時代からある小車(大八車を小さくしたもの)が今でも活躍しているのは古い施設であるからである。生きている江戸時代は必ずしも衛生的でない。
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東京マラソンの日の築地

2012年02月26日 | 築地市場にて
何回目かの東京マラソン。くたくたになって35K地点の築地本願寺前を集団で通る日。築地場外市場は車が少なく,ヒマとなる日。
 走っている人から見れば、時間が平等に経っているのに、ゆっくり走る人には風景がゆっくりと移っているように見えるだろう。決まりごとのように先頭ランナーを追いかけるヘリの音で築地付近に来たことが解る。その後何時間だろうか築地は通行がヘリ、走行支障のない晴海通りも勝鬨橋付近が歩行者道路になったようになる。
 あと何回、2回か3回築地でマラソンを見るのだろうか。豊洲へ行けばコースを外れる。
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宇都宮市立図書館

2012年02月25日 | 福神漬
東武線浅草より南宇都宮駅へ向かう。明治の新聞で『絵入自由新聞』というのがある。関東地方でマイクロフィルムに入っているのを見る事ができるのが数か所ある。東京は国会図書館と東京大学だけである。千葉に一か所で残りは宇都宮の二か所の図書館となる。栃木県立図書館は改修中で残るのが宇都宮市立図書館となる。横浜にある新聞博物館には所蔵されていない。何か理由があるのだろうかということを感じるために宇都宮に向かう。
 浅草から竹ノ塚行き各駅停車に乗り、ふた駅目の曳舟で乗り換える。一駅目の名前がもうすぐ駅名が変わる業平駅だ。次に乗ったのが北越谷行きで北千住でまた南栗橋行きに乗り換えた。南栗橋で新栃木行き各駅停車に乗る。途中で快速に乗り換え、栃木駅で宇都宮行きに乗り換えた。どうやら新栃木宇都宮間は単線があって、下車した駅は駅員が改札の前に立っていて、警備しているのかと思っていたら、改札を通らないで駅と反対方向に行く人をチェックしているようだ。
 駅から5分ほどの歩くと公園があって図書館はその中にある。つらつら考えるとここに『絵入自由新聞』がある理由は田中 正造だろう。栃木県令となった三島通庸を暗殺に失敗し、加波山事件が起こった。栃木県の県庁が栃木市から宇都宮市になったのも三島が強行したという。反三島の新聞は絵入自由新聞だった。
 新聞というのは同時代性を感じる。明治16年7月19日から始まった福島事件の高等法院での裁判の記事のところに岩倉具視の葬儀の記事あった。6月末頃には自由党党首板垣退助が後藤象二郎とともに洋行から帰ってきたという記事がある。また改進党と三菱を攻撃しているのもこの時期の絵入自由新聞のトップ記事の内容となっている。
 徹夜の行列でも裁判を傍聴したい人が多いことに驚くとと共に東京で発行していた新聞に公判内容が掲載されていたということは注目されていたということである。裁判は花香恭次郎から始まる。
 花香の福島自由新聞発行趣意書から始まる。NHKの(日本人は何を考えてきたか)第二回で植木枝盛が福島自由新聞趣意書を書いたというが花香だと思う。主筆の植木は新聞の飾りに過ぎない。
 花香恭次郎が福島事件に参加していなければ歴史に残る裁判とならなかっただろう。

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廃業のお知らせの季節

2012年02月24日 | 築地市場にて
ここ数年この時期になると廃業の知らせが来る。昨年も震災前に3月一杯で店を閉めると言う連絡が2件ほどあった。今年もこの季節に後継者がいないため廃業するという連絡が来ている。無理して営業して自己の築いた財産を減らしてまで仕事をする必要はないと最近は挨拶するようになった。昔なら引きとめたのだが今の状態からは自己破産しないで良かったということしかない。
 食品業情報誌によると築地市場の仲卸の数件の廃業報道も見かける。バブル期鑑札の値段が1億円を超えていたのが今では鑑札の買い手もなく譲渡されているようだ。ただでも買い手のない築地市場の鑑札値段となってしまった。
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シルクロード

2012年02月23日 | 福神漬
幕末から明治.大正.昭和にかけて生糸は資源のない日本にとって貴重な外貨を稼ぐ輸出商品だった。幕末には生糸産業の発達と共に海外からの様々な情報が生糸産地に入ってきた。都下の町田とか五日市の自由民権運動が盛んになった理由は新しい知識が生糸産地から横浜に通じるシルクロードを通して入ってきたと思われる。東北地方が横浜の貿易商人にとっては重要な高級生糸の産地で戊辰戦争の混乱で産地が荒廃することを恐れていたという。幕末から明治にかけて生糸が日本の貿易商品となったのはヨーロッパの蚕の病気と絹の主産地の中国の政治経済混乱で日本が注目されていたという。
『最初に株式会社を創った人たち』氏家麻夫著を読むと戊辰戦争で荒れた二本松の再興が製糸業というもので行われた事が理解できる。二本松に比較的早く製糸工場ができた理由は二本松周辺が生糸の産地であった。ここに小野組築地製糸場が出てくる。築地製糸場は築地にあった工場で明治4年(1871年)、小野組が設立した製糸場。横浜での生糸貿易に多大な影響を与えた。明治維新後、東京に桑を植えていたので東京で製糸工場を創ったが次第に東京が都市化してきたので間もなく廃業となった。この築地製糸場には二本松から女工が3名来ており、後に二本松で製糸工場ができた時その経験が役に立ったと思われる。小野組築地製糸場が廃業後、機械等は長野県に行き、諏訪周辺の製糸業が始まった。

福神漬の命名に関する事件の周辺を探ってゆくと、築地の過去には色々ある事に驚く。
小野組築地製糸場は築地居留地にあったと思われるが京橋図書館の史料ではどこにも見つからない。
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横浜開港50周年祭

2012年02月22日 | 福神漬
鶯亭金升日記
明治42年7月1日
横浜開港50周年祭
戸田伊豆守氏栄は余のためには祖父、亡父昌言は氏栄3男にて桂三郎は長井家に養子となり筑前守と称す。4男銕弥(てつや?)は亡父に養われて、余が縁深き、千葉県香取郡万歳村の農、花香伝右衛門の養子となり、花香恭次郎と呼ばれしが、成長の後、政界に身を投じ、河野広中と共に、福島事件を以って、名を世に知られる。

自由民権運動と黒船来航との関係がでてくる。福神漬の命名の関係を調べてゆくとこの様な事実にぶつかり、日本郵船歴史博物館の学芸員から聞いた「記録ないが多くの郵船関係者の記憶にある」事の一つかもしれない。全ては明治10年の武士の世に戻らないことが決定した西南戦争後の次代をめぐる闘争の中で生まれた。福神漬は単なる食べ物だがその普及の過程で歴史の裏事情が出てくることは漬物が日本食の脇役で弾圧の対象外だったかもしれない。
 梅亭金鵞の命名は色々な想像をかきたてる。鶯亭金升は今の感覚だと新聞社の芸能評論家と言う人で歴史研究の対象から外れていたかもしれない。
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放射能講習会

2012年02月21日 | 築地市場にて
1.5ミリシーベルト
築地市場での放射能講習会で3月11日以前でも普通の日本人は1.5ミリシーベルトの放射能を浴びているという。食品由来はそのうち0.5ミリシーベルトであるという。2012年4月より検査基準が変わるので今までより許容量が少なくなるが乾燥茶葉や干しシイタケ等は今までより検出が減ると予想される。
  今後放射能値が上昇すると思われるのは野生の動物とか山菜類と思われる。セシウム134は半減期が2年ほどなので今後はセシウム137(半減期30年)の問題が基本となる。東京都の検査体制はようやく慣れてきたようだが精度の高い検査装置は今でも時間がかかるという。都民の放射能に対する理解の様子はまちまちで科学者の今までの安全神話が崩壊している今は冷静な対応する都民より、不安を煽る都民の方が優勢な気がする。どの人も体内に炭素14は持っていて日夜放射能を出している。そして炭素14の量は今現在の都民の浴びるセシウムの量より多いという。この講習会でも妊産婦と乳幼児だけは今後ずっと注意しなければならないという。
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大垣藩・高須藩・二本松藩の関係

2012年02月20日 | 福神漬
服部撫松という人は明治2 (1869)年二本松藩(二本松県?)公用人(情報収集のための交際をする)として東京勤務。明治4年廃藩後、公用人中に見聞きしたことで『東京新繁昌記』(1874~76)を執筆した。この本は福沢諭吉の(学問のすすめ)に次ぐくらい売れたという。ここで金を得た服部は出版社を起こし雑誌を発行した。この雑誌は「公益問答新聞」といい、南金六町にあった。これは新橋停車場前とも言える位置で今の銀座8丁目付近となる。
 戊辰戦争で朝敵となった二本松藩はどの様な形で謝罪していったか資料をまだ読んでいないが二本松藩から高須藩主へ幕末に二人の娘が嫁いだ。二人の高須藩主は相次いで尾張藩主となった。第十五代尾張藩主徳川慶勝(嘉永2年丹羽長冨の娘矩姫(かねひめ)、第十六代徳川茂徳(政姫)となる。大垣戸田氏良次男(大垣新田藩主)にも嫁いでいる。幕末の二本松藩主丹羽長国は丹羽長冨の六男で正室は大垣藩主戸田氏共の娘だった。
このあたりの関係を書いた小説は今のところ見かけない。でも福神漬のことを調べてゆくと何か戊辰戦争時に大垣藩と二本松藩との間に親戚関係による情報援助があったと思うのが自然だと思われる。大政奉還後の新政府参与とした参加した大垣藩小原鉄心、尾張藩主徳川慶勝による二本松藩主に対する助命嘆願があったと想像できる。

 福神漬の命名にマツワル事象の裏には複雑な幕末事情が見える。
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三色旗 吉村昭著 昭和46年

2012年02月19日 | 築地市場にて
昭和50年に出版された「磔(はりつけ)」という本の中にに文化5年(1808年)長崎でイギリス船が鎖国中の長崎で狼藉を働いた事件を「三色旗」という小説にしたものが入っている。幕末明治の歴史小説の多い吉村昭氏が彼の歴史小説家としてのスタートを切った「磔」「三色旗」が出た頃は4度目の芥川賞候補者落選の年だった。5度目の芥川賞候補はなかった。三色旗の意味することはオランダ国旗の事でイギリス船が旗を偽装して長崎に入った事を意味している。この事件の不始末により長崎奉行と手抜かりがあった唐津藩士が切腹している。ペリー来航時、吉田松陰が浦賀徳田屋で見聞きした記述の中で浦賀奉行戸田伊豆守と下曾根金三郎が切腹するところとなりそうな寺を掃除していると書いてあった。これはフェートン号事件の事を想定していたと思われる。

 この本「磔」を読んでいると石井研堂の「缶詰の始まり」に島原の乱から記述が始まっていて千葉行徳の漬物商人喜兵衛を思い出す。

 吉村昭は上野の山の下の日暮里で生まれ育った。
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雪見寺IN東京

2012年02月18日 | 築地市場にて
朝起きたら一面の雪。今年何回目かの積雪。福神漬の顕彰碑がある西日暮里駅脇の諏訪台にある浄光寺は江戸時代雪見の名所で雪見寺と言われていた。最近訪ねていないが多分東の方向に筑波山とか見えていて、今はスカイツリーがくっきりと見えるだろう。
雪明けの日に手術日となる。すっきりしてゆくのだろうか。午後まで気になる一日。円安が加速していて昨年から数度の為替介入でも動かなかった円が週明けには80円になるのだろうか。円高のスピードも早かったが円安も早い。夏にも上がる電気代に加えて来月は円安のガソリン高で3月の行楽には打撃だろう。ようやくデフレが終わってインフレに向かうのだろうか。
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大垣市図書館で

2012年02月17日 | 福神漬
新年の行事で名古屋に行く事があって、終了後東京へ帰ることなく大垣市の図書館へ向かった。目的は口語約小原鉄心伝を読むことだった。
 国会図書館にあるデジタルデータで本を読むことができるのだが漢文の素養が無いので口語約の本が大垣にあるのでワザワザ向かった。図書館員に探してもらったけど明治時代に出た本と大垣郷土資料館の小原鉄心が出てきて肝心の口語約は出てこなかった。駅に帰る途中古書店の看板があったので小原鉄心の本はあるかどうか聞くと『ない』という。店内を探すと江馬細香の父・医師・江馬蘭斎の資料があった。大垣記念で購入。
 小原鉄心は福神漬の命名に関する人間関係の中心にある人と思われる。黒船来航時、浦賀奉行だった戸田伊豆守氏栄はあまりにも開国を主張したため、翌年ペリーが日本の来た時応接の場を外され,閑職に追いやられた。そして戸田氏栄に五男が生まれ、幼名を鉄丸と名付けた。この鉄は黒船を意味するのか小原鉄心を意味するのだろうか。鉄丸は成人して自由民権運動花香恭次郎となった。
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1円の古本

2012年02月16日 | 築地市場にて
味の素の食の文化センターで全日本カレーライス学会編集「カレーライス―うまさと刺激にこだわる雑学 (勁文社文庫21) を見た。二回ほど内容の確認のために電車で文化センター へ行った。先日ネット検索でこの本が1円で販売されていた。電車賃を考えると購入した方がよさそうである。配送賃250円を加えて合計251円。安いかどうかは今のところ不明。
 
 さてこの本を買った理由は数多くある『カレーライス本』の中にある福神漬に関する記述で唯一酒悦のブランド裁判の事が書いてあった。日本橋にある江戸時代からの老舗の国分さんにも福神漬『日本橋漬』がある。『日本橋漬』は大正の初めの商標登録で福神漬と確認できるブランドでは現存している中では一番古い登録と思われる。どの様な理由があったのかはっきりしないが『福神漬』は今でも登録商標ではない。
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年度末に向かって

2012年02月15日 | 築地市場にて
年度末に向かって雑用が増える。今年度の見通しと来年度の見込みを聞かれる。今年に限って「前年比」と言う言葉の価値がない年はない。昨年の今頃は都議会の豊洲市場汚染処理の予算が都議会で通過するかどうかまた都知事の選挙で誰が立候補するかどうか騒がれていた。3月11日に東京都の23年度予算が通過し、石原都知事が選挙に立候補する会見をしていた時、地震があった。東京都の諸課題を論戦することなく選挙が終わった。
 食べ物も昨年の今頃は食品の農薬汚染の問題だけだった。ところが今では農薬汚染の連絡は激減していて、日々連絡が来るのは放射能によって汚染された食材のことだけである。検査機器の充実と検査体制が整ってきたようである。
電気だって価格が急上昇することも節電することも去年の今頃は考えていなかった。ただ築地市場が老朽化していて何時でも電源遮断事故がある事だけ考えていれば良いだけだった。東京都だって豊洲市場建設だけで豊洲付近に発電所建設など考えていなかったと思う。全ては3月11日から始まる。
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