年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

半期の終わり

2017年09月30日 | 築地市場にて

明日10月1日午前0時より豊洲市場が関係者事前連絡ナシで入場できる。昨年2月より見学していないのでどうなっているか楽しむだろう。都政国政の混沌と東アジアの戦乱も予想される時期となった。これも築地の移転問題から始まるとは誰も政治アナリストが予想しなかったことである。築地の移転問題は日ごろ感じるのだが全国のことを考えて商売抜きで語る人が多いと感じる。

 日本の農業漁業政策から地域の振興に始まる。東京築地で働いていても出身地の地域の職域拡大を図っていると感じる。この意識が築地と他の市場との差だろう。昔地方の県の東京の大学寮のことを聞いたことがある。やはり東大に入学した学生は国家にどう貢献するか考えて日ごろから勉強している人がいるといっていた。当時でも大学に入れば多くの人は解放され遊ぶ人が多かった時代である。築地の意識は今でも国際的でしばしば海外から東京視察にやってくる人を対応している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

様子見

2017年09月29日 | 築地市場にて

政治の世界が混乱していて、築地から豊洲移転の日程も不確定になる。10月22日の選挙が終わってからだろう。ただ東京都の業務は進んでいて入札は終わっていれば良いのだが不調だと強引な手段となるだろう。築地の人たちの考えでは来年10月中旬だろう。豊洲の地上の空気は平常値なので今でも強引に移転は出きる。ただ政治問題となる。

 築地は日本橋からの移転でも政治問題となった。食の世界は後講釈があり,勝った勢力の歴史となる。多くの古い食品店が消えて記録もない。残るのは電話帳などに残るが実際の様子は不明である。

戦争前の電話等のリストでは漬物店は今の山の手線内と下町しかリストにない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GYAO阪急電車のオバヤシ駅

2017年09月27日 | 築地市場にて

なにげなくGYAOの阪急電車を見ていた。東京の地下鉄日比谷線広尾駅に小林聖心という女子高校があった。先日読売新聞の日曜版に小林聖心の記事があった。阪急電車沿線ということで多分小林一三が開設したと思われた。というのは福神漬けに小林一三が関係していてさらに静岡県裾野市にある不二聖心という学校の前身の小学校の校歌が小林一三作詞作曲が宝塚歌劇団ということを恩情小学校の記念誌を見て知っていた。(裾野市鈴木図書館郷土資料室)当然学校の名前はコバヤシだろうと思っていたら駅名がオバヤシとなっていた。あわててオバヤシ聖心と検索すると出てくるではないか。西宮から宝塚へ行く路線は乗ったことがないが東京では多分コバヤシ駅という人が多いだろう。昔アキハバラが古からのトウキョウ人がアキバハラとこだわって発音していた。火事除けの秋葉神社から由来する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午前3時の築地で

2017年09月26日 | 築地市場にて

まだ豊洲移転日時の決まらない築地で急きょ交代要員として午前3時からの臨時勤務。空気は乾燥していて気持ちが良い。午前8時半退勤。節目の年を過ぎると疲れが残る。

 決断先送り知事がどうやら豊洲移転日の発表を総選挙の後に伸ばしたようだ。どうせ批判される築地問題は誰がやっても問題のあるところで日本の食文化問題となる。移転が決まったら求人問題が始まる。築地男子と言う写真集があるようだ。携帯をいじくってタ-レ-を運転できない。自足は10キロほどだがむき出しの運転席は風が気持ちよい。今日も外国人だらけの築地を疾走する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京新川の今昔と言う本

2017年09月25日 | 福神漬

今は絶滅に近い東京都中央区新川付近にあった酒問屋の盛衰を書いた本だった。この本にたどりついた経過は京橋図書館の郷土資料のところで勝鬨橋の団体の機関紙から始まる。新橋芸者ぽん太のことを思い出し、東京新川の酒問屋鹿島屋を知る。新川物語と言う本を借りる。ここにはどの様なことか河村瑞賢の屋敷のことが詳細に書かれていた。

 

書き込みしたいので古書を購入。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸説ありますがと言いつつ

2017年09月24日 | 築地市場にて

TV番組の片隅に『諸説ありますが』と出して何も説明することも無く、番組が進行してゆく。でも深く知りたい人にとっては手抜きの表示としか思えない。予算低下で限られた時間では仕方がないが言い訳としか思えない。

 日々激烈な仕事をしている築地では手を抜くと他の人につき入る隙を与える。

築地4丁目の8月の火事現場もようやく工事現場のようになった。まだまだ更地にはなりそうにない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井研堂の缶詰の始まりの疑問

2017年09月23日 | 福神漬

日本缶詰協会のわが国に缶詰の始まりは北海道開拓使系統からとなっている。ところが石井研堂の明治事物起源が缶詰の始まりが山田箕之助となっている。山田は西日暮里にある浄光寺にある福神漬顕彰碑の裏面に名前がある。

 長州ファイブの山尾庸三がイギリスで薩摩の町田久成と芸州(広島)村田文夫とで出合った。維新後、三人が明治政府の役職につく。山尾が工業を振興する工部省、町田が文部省、そして村田が測量とか建築関係の仕事をしていたようで明治初期の文献に出てくる。当時の測量は絵画等に技術が必要だった。そのことから同じく芸州の本多錦吉朗と村田が知り合った。村田は野村文夫となり、明治政府から離れ、明治の人気風刺漫画雑誌を明治10年に創立した。その時の挿絵画家が本多錦吉朗だった。

 山尾の工部省は雇外国人が全員イギリス人で町田の文部省の雇外国人はアメリカ人だった。つまり石井研堂の缶詰の始まりに出てくる工部省雇外国人げアメリカ人ということはおかしいことになる。山田箕之助に缶詰製作法を教えたのは誰なのだろうか。

 ナポレオンの懸賞から始まった持ち運びのできる保存食料方法から缶詰が始まった。フランスでは缶詰製造法は発達しなかったがイギリス・アメリカで発展した。どちらもグルメとは縁のない国と思われた国である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和につきバクスイ中

2017年09月22日 | 築地市場にて

太平洋は波高し。戦後70年平和の恩恵でバクスイ中。持たざる人はまだ眠りの中。ここまできたのだからまだ平和を念じれば続くと信じる。

 長州ファイブの動画を見る。やはり断髪は武士を捨てることを意味すると感じる。長州藩士山尾庸三は日本に戻って工部省の主任となり、薩摩藩の町田久成は上野公園を整備する事業の責任者だった。イギリス留学中に芸州の村田文夫(野村文夫)と会ったことが記録にある。団団珍聞の村田文夫である。

 今は再び何があっても驚かない時代になった。乱世の始まりかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

語っても忘れてしまう漬物の歴史でも

2017年09月21日 | 築地市場にて

語っても忘れてしまう漬物の歴史でも語らないと記憶から消える。このブログの始まりは中国と韓国の寄生虫キムチから始まる。日本の政治家と韓国の政治家とマスコミに対する憤りから始まる。自国の漬物と言うものを知ったかぶりしてかえって痛めつけた行動に対して怒りを感じて、反論するための資料調査から始まる。

 日本の政治家は選挙区の農産品を保護するためと称して、加工食品の原料原産地表示を当初数品目から発足したが漬物は全品目が漏れなく始まった。その結果国内産表示と言うもので差別化できると考えていたようだが長いデフレで外国産漬物の品質向上と輸送技術によって価格差が目立ち、高価な国内産漬物を駆逐した。

 昔は市場に出荷できない不揃いの野菜は漬物の原料となっていた。江戸時代の野菜は殆ど漬物にできるものが多く、日本各地に地域の特色のある漬物を生み出した。今はこれも消えつつある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インド洋の常陸丸遭難100年

2017年09月20日 | 福神漬

1917年9月26日、日本郵船常陸丸はコロンボを出航し、行方不明となった。翌年捜索船が船の残骸を発見し、遭難が確実となった。インド洋の島で捜索船が発見したのは福神漬の缶詰を入れてあった木箱で酒悦の焼印があった。

 第一次大戦のことは忘れ去られている。しかし漬物の福神漬には記憶として残っている。第一次大戦で戦争に巻き込まれた商船が数隻あるが戦没商船の扱いも無く、鶴見の総持寺に記念碑があるのみである。

 洋上で投身自殺した常陸丸の船長の遺族はどう感じているのであろうか。インド洋で遭難した常陸丸は二世で一世の常陸丸は日露戦争時玄界灘でロシアの攻撃を受け沈没した。九段の靖国神社に遭難碑がある。この玄界灘の遭難が無ければ203高地の戦闘も変わっていたと思われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地市場のことを本当に調べている人が居るのだろうか

2017年09月19日 | 築地市場にて

今は月に一度ほど中央区区役所下の図書館の郷土資料室に行く。昔郷土資料のところにいた人に築地市場の水産仲卸の歴史を調べたいと言ったら誰も調べていないようだ。佃・伊勢とかの地名のついた仲卸の名前が多い。それぞれの仲卸は様々な歴史があって、その中に栄枯盛衰がある。扱う商材によって浮き沈みがあって、昔は良かったという仲卸は今は駄目だということである。日々の業務は変化していて、改革カイゼンしていないと不意の事故に対応できない。保険が必要ということである。

 漬物に関して、昔は全国の売り上げは5500億円ほどあったが今は3000億円程度だろう。どんなに頑張っても安売りで単価が下がり、人口が減っていて、たくさん食べない高齢者が多いことで、数字が落ちる。そろそろ限界が近くなった。人手不足と中国人件費の上昇によって価格が下がらない。いくら量を売るからといって先のない仕事は消えるのみ。

 もし漬物の数字が反転するには塩分の嫌悪感をなくする努力が必要かもしれない。夏場の梅干はこの例に当たる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世間は甘い豊洲移転問題

2017年09月18日 | 築地市場にて

新聞等の報道では豊洲移転は来年6月以降とか。でも甘い予想だ。まだまだ想定外のハ-ドルが多数ある。豊洲市場の地下の追加工事でも入札不調もありうる。低価格で東京都から勝ち取る業者はいないだろう。後々東京都議会から証人喚問さえ予想できる案件で安い価格で入札できるのだろうか。談合すればしたで問題になるし、前途は多難の工事となる。縁の下工事で世間的にも見栄えが良くない。まして建設工事が多数ある状況で入札参加するのだろうか。

 まだまだ各論で解決していない問題が多数ある。豊洲の電話工事の日程も決まらず、電話番号もNTT絡みは決まっているが独自に電話回線を引くところは決まっていないので名刺や伝票印刷もできない。場内の銀行も郵便局と城北信用金庫、江東信用組合、みずほ銀行中央市場出張所が決まっている。他の金融機関は豊洲駅まで行かないとない。ガソリンスタンドが1件、コンビニはファミマ。多分千客万来施設は豊洲開業までにオ-プンすることはないだろう。築地市場内にある宿泊施設も豊洲では不明、テレビ中継で全国的に知られた東京都築地市場の講堂も豊洲ではどのような講堂か不明。まだまだ各論的にはもめごと多数想定できる。一番の不明な点は場内物流問題である。これは慣れるしかない。

 でも時間がたてば何とかなるだろう。無いようである築地の人たちの弾力性だから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理論上いつ豊洲へ行ってもおかしくない。

2017年09月17日 | 築地市場にて

豊洲の地下には汚染物資が残っていて、いつかは減少すると思うが今は数値が上昇している。世間では危険と思う人は多いが2000年以前の築地を知っているのでまだ豊洲の地下はひどくない。景気の良かった築地では排気ガスの調整の効かないタ-レ-が狭い敷地を走行していた。当時のデ-タを公表すれば驚くだろう。そのような時代でもタ-レ-から出た排気ガスで魚等が汚染されて消費者からクレ-ムが来てはいないと。なぜなら築地市場の中に一般消費者が入る余地は無かった。量販店が増え、町の魚や八百屋が消え、築地の中が空いてくるとまとめ買いの消費者が場内に入ってきた。今は郊外の市場が土曜日に一般消費者に販売すること公表している。豊洲移転はあとで思うとなぜ遅らしたかは政争と見られるだろう。

 地上が安全な豊洲市場は地下の工事が完成しなくとも市場開場許可の申請が出きる。農林水産省が許可を遅らす理由がない。オリンピック開催という力に抵抗が出来ないだろう。

 時間が経てば感情だけの安心宣言で終わる。食を扱うものなら知っていると思うがどんな老舗でも温度管理のしていなければ食中毒が発生する。中国では熱を通すことによって安全にしている。・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月1日豊洲市場見学

2017年09月16日 | 築地市場にて

東京都から10月1日午前0時から12時まで豊洲市場習熟訓練で築地市場に勤めている人や車がフリ-で入場できるようだ。今までは事前申請で入場できていたが日々業務が変わるので日程の決まらない豊洲移転では見にゆくことも動機が少ない。

 来年の築地市場カレンダ-が発表されたが昨年と違って市場の移転日の言葉がない。豊洲の追加工事の日程が厳しいようだ。談合があれば入札不調もありうる。カレンダ-から移転予想日は9月の中旬、10月中旬、11月中旬となる。12月と翌年1月はないだろう。東京都の最悪は平成で無くなった年の2月移転で、オリンピック交通マヒが避けられない。築地市場の人たちはオリンピックの負成功の責任を取ることはない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ豊洲引越しまで1年以上あるので

2017年09月15日 | 築地市場にて

まだ豊洲引越し日程が決まらないのに、汚染改善が地下では進んでいないようだ。地上では築地よりきれいなのでこのまま移転に走るだろう。元々豊洲の問題は市場内で働く人の健康問題で食の汚染があって消費者に被害が出ることはない。もしあればその前に市場で働く人の健康問題が発生する。

 O157の問題が拡大している。築地も他人事ではない。温度管理が不十分な施設では追跡できないので汚染が拡大するだけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする