年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

汁飯香の香とは何

2024年04月30日 | 宅老のグチ
また一つ知らない漬物に関する言葉を知った。日本経済新聞のコラムで料理研究家の土井善晴さんが書いていた言葉。
 -香の物は日本の漬物の事を言うので、韓国のキムチとかドイツのサワ-クラウトのような外国の漬物は香の物とは言わない。それは香の物という言葉の成り立ちから来ていて鎌倉時代から室町時代に茶の湯や香道文化が発展すると、漬物が「香の物」と呼ばれるように。 これはお香の香りを楽しむ「聞香(もんこう)」の際に、香りの強い漬物を口にして嗅覚をリセットしたことに由来するといわれています。 江戸時代初期には、江戸や京都、大阪に漬物専門店である「香の物屋」が誕生し大繁盛となります。
 漬物の歴史の文献では良く引用されるのは延喜式で平安時代の文献で、それ以前の記録がない。しかし塩と野菜があれば保存食の漬物が存在しないことは無いので、記録がないだけと思われる。
延喜式は 10 世紀に作られた官人の業務マニュアルであり、古代日本各地の特産物、全国の神社、朝廷で用いる物品の原材料、神様への捧げ物など、様々な情報が掲載されています。延喜式に記述があっても、一般人の食事とは見ない方が良いと感じる。
 日本独自の食は鎌倉時代から室町時代に大変化し、日本の独自性が出て来たと思われる。汁飯香の言葉から土井善晴さんの本を借り出し読むがやはり和食の人で、戦後の混乱期からアメリカの援助食糧で日本の和食文化が壊されていると思っているようだ。和食を語る人の人材不足が今の米消費量の減少につながる。長寿世界一の日本人の基本食を今まで宣伝で否定していた戦後史がある。この辺りは農政の人達のタコツボ行政の欠点だろう。ペリ―来航時から日本人はアメリカ人との対格差で栄養の問題と考えていて、今でもカルシウムの摂取で牛乳が米食に病院でも学校でも出てくる。牛乳の無い江戸時代でもカルシウムをどこかで食べている。









一般人
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家という文字の自己流の解釈

2024年04月29日 | 宅老のグチ
人生の中で衣食住という要素がある。それぞれの要素の重要性は人それぞれであるが、今の経済の見通しの暗さは住問題の大きさから来ている。東アジアの国々の住居の高騰はすでに普通の人が時間が経てば手に入るという財産からかなわぬ夢となりつつある。その動かない財を不動と見なし、財産としたのが日本だと思う。戦後の日本がこの不動産担保融資で財を安定化した。世界史を見ていると西洋と中国の都市は城郭を作り、住民を城中に住まわせ、耕地が城の外にある。従って攻撃者は場内の人の降伏か否かを迫る。そこで籠城戦と逃亡の歴史が残っている。
自分の人生は間も無く終わることをコロナ期間で知った。一応平均寿命という数値ではまだ動けると思うがコロナ期間で得た知識が終わりが近いことを知った。それはコロナ期間で身内の二人の死から来ている。近所であっても、最後は看取れると思っていてもコロナで面会もかなわず、結局亡くなってから、病院の手続きのような感じとなり、葬儀も身内葬・普通は家族葬というものであっけなく終わる。都内の葬儀場は次々と来る葬儀で事務的に行われる。それでも遺骨収拾の所で、係員が遺骨の状態を説明しつつ、容器に入れる。喉仏と頭蓋骨を最後にいれ、箱に収め、書類の説明を行う。もう人生で何回の葬儀場での遺骨収拾だろうか。父が亡くなってもう70年近くなる。親の50回忌が出来る人は稀と聞いたことがある。よほど幼少期に親を亡くさないと50回忌は出来ない。片親だとすぐに生活困窮となり、13回忌も出来ないだろう。13.23回忌をやって、もう回忌の事を忘れていたら、50回忌の事をどこかで母が聞いて、急遽行った。
 家の重みは考えようには運の問題と解釈の問題となる。親ガチャと言われても、時代の変化で子供の仕事の選択を拘束するし、介護を幼少から迫られることもある。いま介護のシステムが整備され、中学生でも介護要員とされる。長寿になると家で同居すると3世代同居となり、老人が孫の世話になることも普通になる。都内の新築木造3階建ての家の間取りから、介護を考えていないことが看取れる。入り口が狭く、車いすが入れない。階段は急で手すりを付けると狭いと感じる。さらに体力が衰えると3階の部屋に行けなくなる。そんなことを考えると介護の家は車いすの動ける家の間取り。トイレ・風呂等の寝たきり直前でも1階で生活できる間取りが良いと思うが極小家は1階では寝ることは出来ないと感じる。このことは誰かが介護になると転居しかないと感じる。1階で洗濯・風呂・トイレが出来る間取りが良い。食事はデリバリ-とレンジで何とかなる。そしてゴミ出しが容易でないとゴミ屋敷になりやすい。
 家族の状況で家の選択を誤るとあっという間に三界に家無しの世界に落ちる

家という字はウ冠に豚というのが下にある。つまり中国は家の中で豚を飼っている。ウ冠は屋根を意味している。豚は家畜で雑食性があって、人のゴミ迄食する。中国の歴史で女性をいじめ話があって、トイレの下にイジメる対象の女性を入れ、排泄物を食させる逸話があった。また現代中国でも消費者物価のポイントは豚肉価格という。景気が良いと豚肉価格が上がる。そして豚肉が上がると飼育する豚が増える。すると過剰生産となって下がる。統計不正の中国でも豚肉価格は比較的にごまかしにくい。
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在日韓人歴史資料館で資料を観ながら

2024年04月28日 | 宅老のグチ
麻布十番の在日韓人歴史資料館で資料を見ていて理不尽な資料があった。先の戦争が終わり頃兵力を消耗した日本軍は台湾と朝鮮の男子も昭和18年に徴兵した。徴兵された朝鮮生まれの兵士は捕虜となった米英兵士の監督官となった。これは映画の戦場のメリ-クリスマスと言う映画で見た状況と似ていた。敗戦後に上官の命令で捕虜を虐待した朝鮮人兵士がB級C級戦犯に問われ、有罪となった。
 叔父が特攻隊員で知覧の慰霊祭に参加した時、出席者名簿に朝鮮半島の出身地と日本名と韓国名が記載されてあった。このことを思い出し、高倉健さんの特攻映画(ホタル)で高倉健さんが映画の最後で同期の朝鮮人特攻隊員の故郷の韓国に渡り、誰も慰霊していない同期の特攻隊員墓に花を捧げている場面で終わった。若山牧水の(白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染そまずただよふ) という詩を思い出し、白鳥の所を若鷲と置き換えて、想いに耽りました。朝鮮半島出身の特攻兵士は朝鮮人でも日本人と同じように戦える意地で特攻隊員に応募したのです。それが敗戦となり、無駄死にと言われさらに朝鮮人から裏切り者と言われた歴史があります。このことは知覧での慰霊祭では同期の仲間として扱っています。従って彼らの魂は靖国の桜に集まるのです。ほかげ という映画で復員兵士がのうのうと戦後を暮らしている上官を拳銃で傷つけます。一発撃つたびに、上官の命令で傷ついた人の恨みと言って打ちます。戦争を指導した人が復活し、今の日本を指導してます。 素直に靖国で慰霊し、思い出に浸る時代は来るのだろうか。今はまだ無理だろう。ただ言えることは慰霊される人を増やしたくない。
 でも理不尽な戦争が今でも続く。戦争反対と叫んでいる人も結局生きるための戦う。もうロシアは戦争を止めることは出来ない。同様にイスラエルも被害者なのに加害者への道に向かっている。
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犬の長寿で

2024年04月27日 | 宅老のグチ
4月の終わりに老柴犬が16歳となる。柴犬の寿命は15歳程度で、散歩で出会った人の会話で17歳が柴犬の別れの最高年齢だった。昨年の秋から衰えがめだち、散歩の距離も短くなった。今年に入って、すっかり元気がなくなり、医者の見立てだと余命の話も出て来る。そこから鼻から細い管を入れ、食欲のない老犬にフードを流し込む。まるで人の誤嚥を防ぐような食の様子。すでに2か月を過ぎて、医者の見立ての余命も伸びたようだ。ところが夜中でも昼でも感覚が消え、立ち上がり部屋をノロノロあるき、障害物に当たり、動けなくなると悲壮な声をだす。そこで世話して落ち着かせ、寝床に誘導して、寝かし続ける。この繰り返しが3時間毎ある。まるで人の赤ちゃん時期の様子に似ていて、介護がつらい。親族の家では安楽死という選択して、自分の家族は大批判していて、自然死しかあり得ないと思っている。そこからペットの長寿とそれに伴い問題が派生する。
 ペットでも無保険だと獣医の医療費負担が重い。さらに人間世界にある高額治療費の負担の減少制度もない。ペットの医療保険は年来が上がると金額も高くなる。大方3割負担で買主の心の選択をせまる。治療をするかあきらめるか。さらに命の選択でペットロスの問題も生じる。
 老柴犬が家に来た理由はペットロスの対処だった。そこから16年経ち再びペットロスの問題に対処を迫られる。一応家族の間では、転居の問題から賃貸でも自己所有の家では、一戸建て以外は色々制約があることを知った。さらに寿命の短いペットはいずれロスの時の心の対処が必要となることを経験で知り、次のペットロスの対処は再び飼うことで対処しないことを決めている。
 人の長寿の問題でも色々あるのにペットの買主の突然の変化で飼えなくなることは普通の買主が想定していないようだ。
人の長寿も多くの問題があるがペットの長寿は話題も少ないし、記憶から切り捨てられやすいので、記録も少ないと感じる。
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北区の北トピア・さくらホールで落語を

2024年04月26日 | 宅老のグチ
家族の急病で北区の王子駅付近の北トピア・さくらホールで特撰落語会 一之輔・宮治 二人会を代打で見に行くことになった。調べると1300人ほど入るホ-ルで、耳が遠くなったことを自覚しているので行っても無駄だと抵抗したが、急に当日予定者が病気となり、チケットの無駄ということでシルバ-パス利用で王子駅まで行った。帰りは遅いのでJR利用となる。
 行きのコースは都営三田線の西巣鴨で都電サクラトラムに乘り、飛鳥山駅で降り、石神井川の末の川を散策し、北トピアに入るが1時間以上早く着いたので王子の街歩き。北本通の標識のあるところまで歩き、新幹線の高架下をまた王子駅まで戻る。何か町は桜の名称が多い。学校統合で桜を付けたのだろうか、北トピア1階の奥にある、北区の観光案内所にある地図は桜の印と公園の花の様子が記載している。印象としては北区は関東大震災以後に発展した街で、それまでは荒川・新河岸川の氾濫で土地利用が制限されていたようだ。観光案内所に荒川放水路開通100周年2024とあった。この放水路で福神漬のナタマメの産地が川底になった。
 北トピア17階の無料展望所で真下に見える王子駅の電車を眺めていると、模型のジオラマを見ているように感じる。都心はともかく王子の17階は高いので眺めは良いが目が悪いので感動無し。
 待ち合わせの6時に桜ホ-ルの席に着く。舞台から遠い2階席。ほぼ満員。早速ソニ-の集音器のテストをするが、よく聞こえるが周囲の雑音もあって、どうも落語は理解しにくいと予想した。今までの演芸場巡りは300人ほどの収容で、早く行けば結構前の席に座れる。従って集音器が無くても良いと感じていた。
 一之輔師匠の落語は、古典の落語でなく、時代設定に関係ない落語で、前座の落語で時代を感じた。もう江戸時代は150年前の大昔。手代・番頭・お使い等の労働用語はパワハラ・セクハラ行為とみなされそう。遊郭はどう今風に翻訳するのだろうか。超円安のいま、日本女性が明治初期の性産業に行くとという報道がある。
 もうホール落語は自分には無理と感じた。耳と目が悪すぎたことを自覚した。まだ楽しめるのが文楽(文字の字幕がある)大衆演劇(浅草木馬館2階・90デシベル以上の騒音)は難聴でも楽しめる。だめなのが講談・浪曲・と落語。歌舞伎は解説のイヤホンがあればなんとかなりそうだが2万円近い観劇料金はファンでないので無理だろう。
 日々劣化する人間が病気でない時に劣化を感じる日となった。
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高齢者にも日々の雑用がある

2024年04月25日 | 宅老のグチ
朝起きると一日が始まるが、最近の売れている高齢者本に自分の健康法履歴には合わない仕事をしていたので高齢健康本は役に立たないし参考にもならないし、さらにお手本にもならない。日々雑用を自分で計画するが、その計画を阻止するものが天気から始まり、外部の情報に動かされる。一番はコロナ騒動だろう。あのコロナの騒ぎは歴史を見るとスペイン風邪と言われた感染病でも3年で収束した。西洋史の中世を終わらしたペスト菌による人口激減もあった。キュ-バ・ハワイも麻疹という病気に免疫のない人が原住民を亡くし、今のキュ-バ人は絶滅後にアフリカから来た人たちの子孫という。そんなコロナ騒動から生き残り、残り少ない人生でイマサラながら健康法に従っても、無理がありそう。
 今はカレンダ-に病院予定を入れ、家族それぞれの病院予定を組み込み、どれだけ予定を動かせるかを考え、さらに気になる情報はネットはウソと誇張が多くさらに宣伝のステマも常識だろうと疑い、見に行き舎人のネモフィラ畑の大きさの確認する。テレビのインバウンド報道の違和感がある。京都の市バス混雑は本当に対策がないのだろうか。日本一混雑するという舎人ライナ―はバスが5台連結して走行していると感じた。この様子を見ているともう増便は出来ない。さらに駅の構造から長くは出来ない。従って朝の最混雑時に特殊な車両を運行するしかないと思う。それは立ち席のみの車両を運行するしかない。
 こんなことを考えながら熊野前駅で都電に乗り換え、西巣鴨の駅まで行った。都電は外国人観光客の乗車が目立たない。バスも空港行きのバスしか目立たない。東京はまだ外国人観光客の害はめだたないが価格だけが上がり、渋谷・新宿・浅草・秋葉原のラ-メン屋の行列が伸びている。
 広島のお好み焼き屋が常連客の日を設けたという報道があった。築地での経験で行列の無い場内のすし屋がテレビで取り上げられた途端に行列の店となり、会社に来た人の食事の場として使えなくなった経験がある。常連が消え、テレビ効果が消えると閑散としたすし屋となった。テレビバブルは実に虚しい。
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舎人ライナ―でネモフィラを見に

2024年04月24日 | 宅老のグチ

ネット情報で都内でネモフィラ畑がある公園が出ていた。その中で舎人公園のネモフィラ畑が混んでいるという。コロナ以前に舎人ライナ―で舎人公園駅で東京都の北足立青果市場があることを知っていて、舎人公園駅から歩いて行った。多分都内で一番新しい青果市場のような気がする。昭和54年北足立市場として、千住大橋の側にあった千住市場の青果部門が北足立に移った。舎人公園駅から地図に示された道を行くと市場が見えるが、入り口が見えない。多くの最近の市場はトラック等の出入りと東京都の管理方針で出入り口に守衛所があって、そのため周りは木々に覆われていて、ゴミゴミしている様子が外部から見えないように設計されている。大田市場は前は神田市場でJR秋葉原駅のプラットフォ―ムから働いている様子が見えていて市場の荷物の間を一般人のような人が歩いていた様子も見えていた。テロ騒動もあって、管理が厳しくなり、築地市場を除いて、入りにくくなった。さらに東京都が撮影管理をしていて、今でも中央卸売市場の食堂以外は許認可の申請がいる。それゆえ旧築地市場のマグロのセリ場で外国人観光客がマグロを手で触って、大騒ぎとなり規則が変わって、さらに監視の目が届くようになるように人数制限となった。今は豊洲はガラス越しとなり、衛生面とセリ人の声の邪魔が消えたようだ。正月明けでは億の値段で大騒ぎするのが普通となった。
 舎人ライナーは通勤時の混雑状況が日本一でさらに昼はガラガラという。地価が安い足立に急速に住宅地となっている様子が見える。時刻表を見ると三分から4分で通勤時に電車が来る。JR新宿並で日暮里にはJRと京成があるので海外と新幹線に便利。しかし前回は終点まで行かなかったので、行ってみて舎人公園まで戻って見た。舎人公園駅を過ぎると、右手の公園内に人が多数いて、紫色の花が見える。絨毯の様に見える。多分ネモフィラの花だろう。戻りのライナ-で舎人公園駅に降りる。ここは昇りはエスカレ-タ-があるが下りは階段なので躊躇なくエレべ-タ-を利用する。公園無料・シルバ-パスなのでライナ―も無料。つまり時間のたっぷりある高齢者は無料の花見。帰りはライナ-の熊野前駅で降りて都電に乘り、庚申塚で降り、三田線に乘る。
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日本の統計との差を考える

2024年04月23日 | 宅老のグチ
3月8日は「国際女性の日」となっていて色々な女性の現状の分析を 行っている。女性の地位の向上は西欧ではよく言われていて、日本は受け身の制定と感じる。西洋の人は先進だからと言って、日本が深く考えず受け入れている様に自分は感じる。しかし時間が経つと西洋の理論通りになっていないと感じる。 地球温暖化によって、天候が変わると言ってるが現実は気まぐれな天変で住宅保険料が上がっている。
 色々な統計を自己の主張の通りに統計を工作すること中国を先頭に日本も含めて気になってきた。ネットの欧米系のニュ-ス・解説ではこの文章の責任は当社の意見ではないとあらかじめ責任論から逃れている。日本の新聞はどうも公平報道と言うことで、厳密に言うと矛盾する記事を載せていることが目立ってきた。
 築地で農水系の統計の末端を担っていて、こんな数字を出してもだれも気にしないと思いつつ、築地にいて、市場使用料が激安の見返りだなと思って、暇つぶしの統計を出していた。ある時、他の市場の統計と極端に数字が異なると言われ、即時の回答を出したことがあった。それは梅干しと梅漬けの数字でいまは梅漬けの数字が他の市場ではゼロに近い。ところが会社の分類でスモモの漬物が梅漬けとなっていて、その商材が祭りの屋台で売れ筋となっていて単価が高く、季節によって良く出て、コンピュ-タの集計で大きな数字となる。なんでも揃う築地はそのような手に入らない商材を求めてやってくる。梅干しは夏に売れるがスモモの漬物は縁日の商材なので、祭りの時に出る。それゆえ統計で目立ったのだろう。どこかの農業振興をすることを企画していて、加工できる農産物の統計を求めていたのだろうか。漬物は作るより売り先を作る方が難しい。
 梅干しは干すから梅干しとなる。ところがスモモも梅と同じバラ科に分類していて、スモモの漬物は干さないので統計上は梅漬していた。いまはセブンイレブンでの扱いが無くなり、さらに駄菓子屋の店が減って、縁日でも見かけなくなった。すもももソルダムという表示で果物になった。産地は和歌山で梅栽培の技術を生かしているようだ。
 梅はバラ科のサクラ属と分類されていて春の不思議な気分。
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5年ぶり訪問の品川歴史館の初日に思う

2024年04月22日 | 宅老のグチ

 5年ぶりの品川区立品川歴史館の訪問。建物の外観は変わらないが、内部の位置が変わったようだ。前の印象が残っていて、やはり品川宿の展示が多い。品川宿は東海道53次の最初の宿場で、遊郭の吉原に次ぐ遊郭が品川にあって、今は面影もないが御殿山という桜の名所があって、そこから海を隔てて房総の山を眺めている浮世絵があった。
 品川歴史館の付近に大森貝塚遺跡があって、日本考古学の発祥の地となっているので、貝塚系の書籍と展示が手寧と感じる。
 今東京はバブル崩壊後の再度の地価の急上昇中で、中心部の所には普通の都民は住めない状況になってきた。これから中心部から周辺部に転居する人が増えそうだが、かといって高齢者の病気等の環境は東京から逃れられないと感じる。品川区は羽田と成田を結ぶ交通の要所で、新幹線も通り(JR品川駅は品川区ではない)、建設が遅れているリニアの出発地点でもある。品川区と言っても駅が品川区の住所でないので中心地区が見えない。大井のあたりだろうか。
 歴史館のイベントでも大井囃子保存会の人達のパフォ-マンスがあって、狭い講堂で手に持った演目表が太鼓の空気振動で震えていた。今まで野外や大講堂で聞いていた太鼓が紙が震える振動があるとは気が付かなかった。落ち着けばエアコンの効いた図書室となりそうだ。過去の展示の内容を見ていないのでタクワンの東海寺の様子が判らない。あと五反田の発展史は目黒川が工場誘致となったという。車の無い時代では水運も重要だったと言える。
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品川区立品川歴史館の5年ぶりの再開4月20日

2024年04月21日 | タクワン
品川区立品川歴史館が長期の閉館でなかなかタクワン漬の資料調査が出来なかった。品川区の歴史館の前の展示では品川宿のジオラマがあって、そこでは東海道53次の最初の宿場の様子が見えた。しかし沢庵和尚の東海寺の展示はなく、仕方なく閉鎖されていた図書室を開けてもらい書籍を読んだ記憶が残る。そこには予想外に鉄道関係の書籍が多く、ここは隠れた鉄道書籍の宝庫かもしれないと思い明治の鉄道寮の本を探したこともあった。今は福神漬の調査が終わりつつあって、これからキムチと梅干に向かうのだが、雨の日に家で整理している内に沢庵の歴史の見直しで品川歴史館の再開と図書室が閉室から開架の変わったか確認してみたい。
 前に訪問した時、品川区の学芸員は沢庵はタクワン漬の創製者ではないと言っていて安堵した思いがある。そのタクワンの名前の由来と、茶道の茶会記に残る記録の変遷をこれからの課題となる。茶会記の初めの頃の記録では茶事の後の記録で食事時の様子で香の物と記録があって、元禄頃の茶事の記録にタクワンと記録があるのを見た。
 土浦市立博物館は茶道具の専門学芸員がいて、茶会記の研究は誰がしているかを聞いたことがある。いずれにしてもどこかでタクワンという漬物と香の物と重なる時期がありそうだ。今の所その時期はコメが余ったころだと思う。コメが余り酒作りが盛んとなり精米とその精米技術の進歩で糠の発生が多くなり、糠の用途が肥料から他の用途の拡大に向かったと思われる。従って糠を使った食品の発生時期も調べる必要が出て来る。食品は毎日工夫があって完成品になるまで消えるものもおおい。この辺りの調査は関東より石川県・滋賀県辺りを調べる必要があるかもしれない。
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築地市場跡地の争奪戦の終わりの始まり

2024年04月20日 | 宅老のグチ
報道によると東京都が築地市場の跡地の方向を決めたようだ。この問題はもう50年以上の歳月が経っている。築地市場の豊洲移転の30年ほど前の準備会合で、ある委員がオランダ中央市場・パリ中央市場の移転騒動等の例を出して、一国の食文化の中心市場を動かすということは多くの利害関係者の調整で時間がかかるので50年は必要となると言っていて、傍聴人だった自分はとんでもないことを言う人だなと思っていた。その人はすでに大田市場の移転時にも築地市場で移転再整備の検討委員をしていたようで、参加者が納得している様子が見えた。その会合も25年ほど経っていて、記憶が薄れつつある。いつかはこの会議の議事録があるので公になる時もあると思う。参加していて、国会の議論より真剣だったという印象が残る。それは築地が日本を代表とする市場で江戸時代からの自負心から来ていたと思う。量の大田より品質の見極めの築地でマグロのセリで億の値段をつけられる得意先があることから来ている。
 印象に残るのは最初の会合で、東京都が示した首都圏4000万人の中核市場という発言だった。これは築地市場の問題でなく、東日本の生鮮市場の事を考えるということから来ている。東京都は今1300万人だが4000万人という数字がどこから来たか聞きそびれたが記憶に残る数字だった。そこから各市場参加者の現状と要望が述べられ、議事録も取っていて、その問題に対して東京都の回答が示されて、そこから回答に関しての疑問と議論を月一回会合があった。自分は発言権が無いので、時々東京都の職員に用語の意味とかの質問をしていた。行政用語と市場用語は慣れないと本質が理解できない。そんな会合を繰り返し、リオに敗退した時まで続き、その後の会合のやる気と、会合の頻度が落ちた。
 2020年の候補に再立候補を東京都が表明しても移転準備会合のモチベ-ションが下がっていた。本当にやる気が出たのは2020年開催地に決まってからで、今までは会合でも空論の様に感じていたのだが築地市場が移転しないと、東京オリンピックの失敗原因と糾弾される気持ちが出てきた。
 今盛業となっている築地場外市場は当時は人が消えると思っていた人はマスコミによって煽られていた気がする。当時の場外市場は築地の量販店対応の遅れから、売り上げが低迷し、観光客にも応対する時期だった。だが築地場外市場の衛生状況が悪く、中央区がトイレ整備などをして、悪評判を無くしていた。財政の豊かな中央区だからできたのだろう。
 2040年頃に計画された施設が築地市場の跡地に出来て、鉄道の駅も築地に来る計画のようだ。ということは晴海フラッグの交通の不便は最低でも後15年はバス便しかない。豊海の水産埠頭の冷蔵庫もいずれ移転となる気がする。月島のもんじゃ街のタワマンも固定資産税の高騰によって、移転した人もあると思う。千代田区の郷土資料を読んでいた時、多くの人が移転後にも千代田区の祭りに関心が在るようで、参加している様子が見える。大江戸線勝どき駅の大混雑は2040年までは続く。
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漬物は保存食品だったが今は

2024年04月19日 | 宅老のグチ
戦後の日本で栄養学とかの指導で漬物の塩分がガン・高血圧の原因と言われ、様々なデ―タから、栄養学の先生の論拠に合うように漬物の塩分過多で死亡率の高さを強調されていた。今は沖縄県が長寿県の1位から外れたが長い間日本一の長寿県であった。今はかなりランクが下がったが、各地の名産品で沖縄県は漬物の名産品はダイエ―というスーパ-が沖縄に1975年出店するまで、漬物専業の業者の存在がなかった。その理由は沖縄が温暖であったため、野菜等を保存する必要が無かったと思われる。戦前戦後を通じて、沖縄は東京より大阪・鹿児島に船便が多くあって、特に大阪に仕事を求めた人は低賃金の職種では賄いの食事には漬物が付いていて沖縄県民はそこで漬物に馴染んで沖縄に戻っていたようだ。従ってダイエ―が進出するまで、漬物に対して需要が無いということではなかったということではない。
 今は塩分を減らすことによって、消費者の病気の危険を減らす意識が強いので、低塩の数字が強調されている。ある時に福神漬の老舗の業者に1964年東京オリンピックの頃の塩分濃度を聞いたところ、10%超えていた。今は2から3%程度の塩分となっていて、血液の塩分(1%程度)に近い数字になっている。従って夏場の汗による塩分流出を補充するには漬物では間に合わないこともあると思う。
 この様な低塩の漬物によって、過去では抑えられていた発酵等の常識が消え、病原菌が繁殖する機会が増えて、漬物が原因となる事例が出てきた。そのため国が規制から免除されていた漬物業の衛生基準を他の業種と同じように6月から完全実施となる。これによって味のこだわりの漬物を片手間で作っていた人たちが設備投資や維持に投資が出来ず廃業する声が聞こえる。しかし投資に合わない仕事はいずれ消えるしかなく、販売でない方法しか残らないと思う。それはレシピ動画による伝承と言うことになる。価値ある食はいつか復活し、伝わる。
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虎に翼から昭和恐慌の漬物風解釈

2024年04月18日 | 宅老のグチ
築地市場の再建時に昭和10年の築地市場の成立時の経緯を調べてみたことがある。最初は大正のシベリア出兵から、コメの移出を勘違いした富山の女性たちの騒動から始まり、大暴動となった。これは大正女一揆ともいう。この原因はコメの買い占めと言われ、政府は物価を安定させるため、中央卸売市場法の制定で食流通の公平と、決済の安定とかの施策を大正12年春に制定した。東京は12年9月1日の大震災で遅れた。9月1日の朝日新聞の朝刊を見ていると記事がある。
  それから昭和初期の世界大恐慌からの日本経済の様子だが、関東大震災以後の政府の経済政策の失敗がある。そこに追い打ちをかけたのがアメリカから来た大恐慌で日本の農業が米と繭に打撃を与えた。繭農家は単価の低くなった繭からコメに向かいコメが一時大豊作となり、米価が下がった。その後に冷害となり、コメが不作となった。多くの昭和恐慌の経済史ではコメの豊作の事は書かれていない。どうも各地域の担当者が不都合な農家への指導の誤りを書きたくなかったと思われる。不作は前もってわかり、対策も出しやすいが、豊作は結果が解かるに時間がかかり、打撃も大きい。豊作貧乏という言葉が残る。
 ところがこと漬物関しては各県の農家に対する指導の様子が判り、書かざるを得なかった。特に東京タクワンという大根の漬物は、昭和に大根の病気が出て不作となり、高騰していた。そこに目を付けた各県の農業指導者が大根栽培を薦め、大量に東京市場に遠方から漬物にした沢庵漬が入ってきた。そこで価格競争と品質劣化、量目不足等々の不正が蔓延した。この様な記録が移転時の書類を整理している時に見て、驚いた。築地市場が発足したのは昭和10年ですでに中国で戦火が拡大していて人手不足となり、間もなく統制経済となってしまって誰も語る人はいなくて唯一残るのは練馬の郷土誌となる。
 特攻に出た叔父は埼玉師範学校に入ったのだが、その当時の生徒の様子が埼玉大学教育学部(百年史)に書かれていた。埼玉県は南部の人は裕福だったが北部の人は利根川・荒川の水害のよって貧しかった。226事件に参加した兵士の大部分は埼玉県の貧困農家の兵士が目立つ。兵士となれば食には困らないし、白米も食べることが出来る。
 戦後で昭和22年秋の大水害があって、地下神殿という排水設備が出来て、今は落ち着いている。
多くの戦前の恐慌の時の農業の様子を書いている本を読むと、冷害によるコメの大不作は書いてあるがその前に大豊作があったことが書いていないことが気になる。青果物で野菜の加工できないものは出荷時に値段が判らず、精算時にマイナスと言うこともある。今でもギャンブルに近い仕事で、これを政府が補助金で支えている。働いて得る金がいくらになるか判らないのが農業である。そこに漬物への行政が介入する。そして1県が成功すると、他県が前例として参入し、乱売となる。そして指導を受けた農家が疲弊する。それは食の世界で良くあることで、xxxブームと言う食の流行はあっという間に消え、先行者はいち早く次に商材に移る。
 今は圧倒的に外国人観光客用の仕事が伸びていて、これは人手不足と円安効果でいつかは落ち着く。
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円安の肝試し

2024年04月17日 | 宅老のグチ
円安が止まらない。金利が上がっているが、変動金利に影響を与える水準には遠い。前の円高で日本は缶詰等の輸出産業が消えた。円高経験から対策があって、そこからバブル景気となり、バブル崩壊後にケチケチ経済となる。今はこの真逆の様子でまだケチケチに馴染んだ高齢者が金利の上昇を阻止しているし、それに金利が上がれば国債の利払い。さらに増大する高齢者の医療介護、その上に少子対策。どこを切り捨てしても多くの悲惨者が生まれる。
外国人が一時的に日本で働いているが、この円安で給与としての日本で働くことの魅力が消えている。ただ安い観光地。これでは現業職の人手の助っ人はますます低所得の国しかないが、純日本人との軋轢が深くなる気がする。アン・ウンの呼吸と気配りの日本は馴染むのに時間がかかる。ハッキリ言わない文化は誤解の解消に時間がかかる。比喩・暗示等の後々の混乱を予想できる。

 こんな事を考えつつ寝るがまどろみの中で、高齢者で80歳以上の人は何の目的があって生きているのだろう

 特に男性は平均寿命も短く、さらにいかがわしいいデ―タだが平均健康寿命も短い。特に未婚・離婚後の単身男性の平均寿命が短いという。離別男性も平均寿命を大きく下回り、72.9歳というのもある。最近平均健康寿命のデ―タの取り方の解説を見た。どうも恣意的な数字の様でアンケ-トにあなたは健康ですかと質問があって、何らかの老化によって起きることの自己評価で健康か否かの判断となるようだ。これを介護の数字で出せない理由があるのだろう。平均健康寿命と平均寿命との差が大きく、政府の言い方で男性が9年、女性が12年ほど健康寿命が短いという。でもこれほど差があるとは思えないので、どこかに政府と事業会社の誘導があるように思える。実際問題で平均という言葉に騙され、若い時から貯蓄をするのが普通の様に教育され来た。消費税の高い国は老後のケアも十分であまり若い人が貯蓄しないという。どうも消費税を抑え、将来の不安を煽り、貯蓄させ、頭の良い人たちの定年退職後のポスト確保に動いているしか見えない。世間と切り離された70代は、死に際族で特に仕事中で溜まった愚痴を吐き出すことに生きがいを感じている人もあるだろう。死に際と表明してい森永 卓郎さんはザイム真理教という本を出して生きていた証を表明してると感じる。
 上から目線の政治に対抗するにはそれなりの知恵と団結が必要で、消費税減税ということで有権者の票を集めるのは詐欺の片棒に協力するに近い。どこかで介護の費用を出さないと自分で親等を介護するしかない。政府の給付があっても、使われず貯金に回るデ―タは何を意味するのだろうか。情報弱者の救済は適切な情報を与える事しかない。もう毎年150万人の日本人が減る。すると衆議員の選挙の区割りの変更は国勢調査のあるたびに変わる。地方議員の選挙地盤も消える。この減り方は早い。
もう国体(毎年秋に開催される)は迷惑.惰性の行事で、国体参加者の高額宿泊が期待できない行事となってしまった。貧乏日本国民を国内に宿泊させる経済循環思考の終わり。最近の築地では寿司の松竹梅のランクから上・特上・最上のランクが出来そうだ。日本人は松竹ランクで、松は接待だろう。最近の税区分で10000円以下が経費扱いとなったようだ。円安で海外観光客でもう東京では出張者はカプセルしか泊まれない。貧すれば鈍する。マイナンバ-を拒否する公務員が自己のデ―タが漏洩している怖さを知っているのだろうか。チェックの入らないカ-ドの統合は怖い。すでにクレジットカ-ドの信用情報が賃貸契約で使われている。公務員を定年退職で家の無い人が賃貸契約に難儀している事例の怖さを知った。転勤が多いので家は買えなかったと思われる。家は暴騰している。ということはクレジットカ-ドの履歴が短いと賃貸契約に難儀する。もう保証会社が付いていないと賃貸は無理となってきた。過去の常識が円安ということで非常識となりつつある。
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虎に翼の日

2024年04月16日 | 宅老のグチ
都営新宿線住吉駅A3出口を出ると、駅の付近に近隣地図があって、猿江恩賜公園が近かった。公園の桜目当ての外国人観光客に占拠されているが猿江の公園は昔と言っても10年前の公園風景だった。ちょうど桜からサツキ・つつじへ切り替わる時期かもしれない。頭の中に花の東京という歌が浮かんだ。確か東京ラプソディーという曲でこの後行く駿河台のニコライ堂の唄だった。次の季節の花が咲き始め、チョウチョ用の花迄用意している。
 猿江の公園は中にある水の池が異様に高いと感じ、公園から地下鉄住吉駅で海抜マイナス30センチとい標識を見た。確かに下町の土地の低さは知っていたがマイナス表示の所は少ない。江戸時代は幕府の貯木場だったようだ。

 新宿線住吉駅から小川町駅まで行く。この駅で降りるのは初めてで地上に上がってようやく位置関係が判った。この小川町駅付近の明治期神田雉子町32と言う所に正岡子規の勤めていた新聞日本があって、同地に明治の風刺漫画雑誌団団珍聞があった。また小川町駅からニコライ堂に向かう南甲賀町に戸田極子の住んでいた戸田侯爵邸(南甲賀町6)があって、明治大学(南甲賀町11)もあった。明治大学は駿河台に移転して今に至る。つまりNHKの朝のドラマの昭和初期の様子は明治期と大幅に異なる。小川町は楽器とスポ―ツ用品の町だったが今では面影も薄く、途中にミズノの東京支店が見え、さらに中央大学の創立の碑もあった。この地の古本屋街の成立には上野寛永寺の学問僧侶と、桜ケ丘の儒者から来ている。林家の儒者は昌平坂の学問所に移転し、明治に入って多くの学校・予備校が神田付近に集積し、本屋街となった。出版・印刷・学校が揃った。今ではカレ―の町でもある。
NHKの朝のドラマで明治大学が出て来るので、明治大学博物館所蔵の「徳川幕府刑事図譜」と関連する展示を見に行った。NHKのドラマなので大学が騒いでいるかと思うと博物館入り口にも付近のもそれらしき案内の旗もない。最近偏差値が上がり、受験者数も多いので余裕なのだろうか。この博物館へは3度目になるし、前は明大生のためのコロナワクチン集団接種会場だった。地下3階に刑事の展示がある。そこで大番屋の展示を見ていた。大番屋は調べ番屋と呼ばれ、普通の番屋より大きい番屋で、何か正確な記録もない。「徳川幕府刑事図譜」事体も明治の26年の出版でどうやら不平等条約改正のための出版で、いかに徳川の時代が酷く、明治政府が刑事裁判を改善したという対外的な意味があるという。この出版後に日清戦争が起きて、不平等条約のうち、領事裁判権の不平等が消えた。関税自主権が取り戻せたのが日露戦争後である。この辺の言及が明治大学法学部の展示が変わったかを確認したが変化が無いように見えた。
 明大博物館の入り口に虎に翼のコ-ナ-があって、昼過ぎ、月曜で数人の人がいただけである。

テレビの反応を明大は見ているのだろうか。以前の大河ドラマで同志社大学はどう対応したのだろうか。
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