年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら用大根

2006年07月31日 | べったら市
明治38年8月4日読売新聞
大根について
最早熟九日大根
秋大根中最早種
東京付近の農家で栽培される
7月24日から25日頃から8月上旬までに種をまきつけ40日から50日後頃で収穫する。
普通の大根はこのように早く種子を撒けば虫害が多い。
この大根は鬼葉と称する色の黒い固い葉が虫が付きにくしている。
成熟期間が短く、肥料が少なくて済む。経済性に優れている大根である。
九日大根は最早熟九日大根よりやや遅めに種子を撒きつけるて栽培する。(旧暦9月9日頃収穫する。つまり新暦では10月10日頃になる。)
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べったら市 明治40年10月②

2006年07月30日 | べったら市
明治40年10月17日読売新聞
明19日は日本橋大伝馬町のべったら市なるが本年は水害のため練馬大根は皆無の有様で大抵練馬の大根で上等一本13銭・下等8銭という相場,昨年に比して二割高なるが、この市にて売り出す大根は品質が悪くその上大根に甘酒をかけて売るものがあるので注意して買わねばならない。また、昨日堀留分署へ届け出した商人の数は浅漬商70軒・飾り鯛・縁起物200余軒・植木商50余軒・雑品商400余軒、大伝馬町二丁目、田所町、旅篭町は浅漬、縁起物、小伝馬町、本石町四丁目・鉄砲町は植木商、小伝馬町祖師堂境内は見世物等が出店するが、日本橋署に於いては当日非番の巡査が総出でにて小伝馬町の祖師堂境内内に出張所を設け厳重に警戒し、堀留町、本石町四丁目、大伝馬町一丁目,小伝馬上町等の四つ角より車馬の往来を止め電車路の雑踏の場所を横切る危険があるので会社(路面鉄道)は監督数名を出張させ警官と協力して線路の取締りをするという。
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べったら市 昭和28年10月

2006年07月29日 | べったら市
昭和28年10月20日朝日新聞
みこしも繰り出す
昨日の「べったら市」
19日は江戸の名残の年中行事・日本橋大伝馬町の「べったら市」宝田エビス神社の宵宮で町内のカシラたちの威勢のいい木やりの声でフタが開く。付近の問屋街に露店がずらり。神様に供える浅づけを売る店が並ぶ。
その昔下町っ子が汁のしたたる浅づけを荒縄でぶら下げ(それべったりつくぞ)
と振り回し女子供を「キャツキャッ」と言わせたのが起こりだそうだが、この市は昔も今もその年の最初の年の市。
暮れの景気を推し量るバロメーターと言われるだけに縁起を担ぐ商人たちで押し合いへし合い。今までに出たことがないオミコシも今年から繰り出してのお祭り騒ぎであった。

昭和28年10月20日読売新聞
浅ヅケの香りに漂う恒例のべったら市が19日夜から日本橋大伝馬町通りを中心として開かれた。ずらりと並んだ350軒のべったら・植木屋の露店から「さあ買った,買って」手拍子も景気よい呼び声が掛かって夜の人出はざっと8万人。芳町の芸者衆も粋な姿も混じり、夜の更けるまでにぎわいを見せたが今年は天候の不順にたたられてダイコンの出来も良くなく一つ100円均一と昨年より高め、それでも縁起物とあって売れ行き上々。
 べったらの樽を開けると年の市の幕開けと言うがこの夜の温度は午後6時現在19度で平年より3度高。しかし、気象台では「この天候も21日から崩れ、気温も下がって,霜も全国的に早くおりそう」と予報は晩秋の訪れ。

浅ヅケとは浅漬大根=べったらののこと。当時は当用漢字の中に“漬”の字がなく、新聞記事や法律には“ひらがな”か“カタカナ”で表記しなければならなかった。

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べったら市 昭和27年10月

2006年07月28日 | べったら市
昭和27年10月17日朝日新聞
女の学校
そろそろ「べったらづけ」のおいしい季節です。口に入れた時パリッとした歯切れの良さが江戸っ子に愛され、毎年10月19日に日本橋小伝馬町を中心して「べったら市」が立ちます.最近ではそれほど賑わっていませんが戦前は大変な繁盛振りでした。
べったら市はもともと10月20日のエビス講に伴うエビス像、大黒像、そのほかサカナ、浅づけを売る店が19日に並んだのがその起こりだといわれます。それがいつの間にかエビス講とは関係なく市が開かれるようになりました。コウジのついたつけ大根を手に持って人ゴミの中を活発に歩くので、キレイに着飾った娘さんたちはキャッキャッと言って逃げ回り、それがべったら市の賑やかな風情をかもし出したものです。
 べったらづけに用いる大根も美濃や三浦の良質な生大根を使います。今では浅づけと混同されていますが浅づけは干し大根、べったらは生大根を使うところに相違があります。とにかくその生大根をまず塩づけにして一週間、それから砂糖とコウジを加えて発酵させます。それが4~5日,ちょうどつけてから10日ないし2週間たったところが一番おいしいのでそれを厚切りにして食べます。
 戦後は砂糖の不足でサッカリンを大分使いました。サッカリンづけは長持ちしますが、もちろん砂糖でつけた味は出ません。しかし、最近は漬物組合の申し合わせで砂糖をいれたのが出回って来ました。値段が張って100匁80円前後、サッカリンづけは約半値になります。
 東京・神田の中川屋の近藤一郎さんは、べったらの買い方・食べ方を次のように説明しました。
 つけた大根を取ってみ,丸くしなうようなのを選んでください。黄色味がかったよりなるべく白い色、またつけ物屋の店先でホウロウ引きの入れ物に並べているのが見かけますが、べったらは汁が大事ですから,タルに入った買うことですね。買うときは少し汁をもらうのを忘れないように。食べる時の注意としては必要な分量だけ切り取って水で洗い、あとのものはそのまま汁につけて置く事。そしてなるべく2・3日のうちに食べてしまうことです。

新漬の大根の山やべったら市   一蓑
べったら市新漬の麹花飛ぶ    一蓑 
戦後、べったら市は人出も減りエビス講の市と言う露天商が消えたということか。
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べったら市 昭和8年10月

2006年07月27日 | べったら市
昭和8年10月17日朝日新聞
家庭商品学
浅づけの巻・上
4斗タルに砂糖3貫500
別名べったらづけと言って東京名産である。本格的な製法は練馬あたりで出来た大根を精選して、うす塩を使って塩づけにし相当についたところで本当につけ込むのであるが、つけ込み4斗タル一杯に白砂糖3貫500匁、それに12枚のコウジ(一枚のコウジは米5合)を使用する。
 順序はうす塩つけの大根の水分を抜き、コウジと白砂糖に埋めておくと塩大根からひとりでに水分が出てあのおいしい味が出てくるものである。このつけ込みも極上品になると更に一回つけ替えして、味を濃厚にしたものもある。
 ところで下級品になるとこの1タルにつき3貫500匁の白砂糖は金がかかるので、悪徳のつけもの屋はサッカリンを代用するものである。これはその筋で厳重に監視取締っているので毎年トラック何台という不良浅づけを押収するようなことである。
 こんな事情だから街にも押収残りの悪商品が相当売られていると思わなければならぬ。これは味の問題であるから、食べてみるまでなかなかわからない。

昭和8年10月18日朝日新聞
家庭商品学
浅づけの巻・下
タルから出して精々4日
今年は日照りで大根の質が悪く、浅づけになる良質の大根が非常に少ない上、主要原料である白砂糖が騰貴しているから相場は商売にならぬほど高価で、目下1キロ70銭位もしている有様である。
 季節はべったら市の行われる今月19日頃の物で、十月末から11月中はずっと味がいいので、保ちは今の陽気タルから出して精々二日間までで、十一月になっても4日経過した物は本来の味はない。
しかし、京都の千枚づけやすぐき等のように東京の浅づけはお土産として地方に送り出されようになっているが、何しろ非常に足が速いから最も好季節でも発送後4日を経過した物は、もう悪くなったものと思わなければならない。
 浅づけの材料として最も主要なのは何と言っても大根である。
 小さなつけもの屋では近在の産地から出荷された大根を青物市場から買うしかないが、大きなつけもの屋では精選した種子を農家に配ってもらい優良な大根だけを原料ににすると云う様な方法をとっている店さえある。
これによって浅づけ屋が如何に原料大根に苦心しているかを知るということが出来る。

この記事には“漬”という字が消えている。戦後、当用漢字に“漬”の字がもれたが戦前の昭和の時代にも消えていたのか?

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べったら市 大正15年10月

2006年07月26日 | べったら市
大正15年10月20日読売新聞
サッカリン入り浅漬大根
19日午後8時、日本橋大伝馬町2丁目の電車通のべったら市にてサッカリン入りの浅漬大根一樽を販売したことを堀留署員が発見し残り5樽取り上げ取調べ中とのこと。

大正15年10月20日毎日新聞
サッカリン入り浅漬大根を売り
昨夜のべったら市で5樽押収
19日午後9時、日本橋大伝馬町2丁目の電車通のべったら市は近年ない人出で10万人以上と言われていたが、市の露天商の2人がサッカリン入りの浅漬大根を販売しているのを堀留署員が探知し残りの5樽を押収し、署に引致し厳重に取り調べ中とのこと。

サッカリンの取締りは度々あって,甘味を加える必要のある食品で安い価格の物はしばしば捕まっていた。今の感覚で言うと駐車違反程度だったのだろうか。サッカリンの取締りは危険性での取締りでなく、砂糖税の税収確保のための取締りで、砂糖使用を指導していて警視庁衛生課も力が入らなかったと思われる。当時でもサッカリン使用による食品の危険性は少ないと思われていた。

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べったら市 大正13年10月

2006年07月25日 | べったら市
大正13年10月21日毎日新聞
不正の浅漬
日本橋のべったら市で19日夜深川の浅漬商人xxの他10名がサッカリン混入の不正浅漬を販売したのを検挙した。

関東大震災の後、べったら市が翌年には再開していた。この頃から日本橋のべったら市と記事に書かれる。関東大震災でべったら市の開催する繊維問屋界はほんの数箇所の土蔵を除いて地域の建物が全焼した。震災後、商家の主人は山の手に住居を構え、日本橋の店に通勤する形が増える。震災によって江戸時代から続いた土蔵造りの商家の風景が消え、コンクリートの建物が増える。サッカリンの取締りによって,昭和の始めには台湾産(当時は日本領土)の砂糖で砂糖自給率100%となる。


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べったら市余談①

2006年07月24日 | べったら市
九道橋とは人形町通りを人形町から小伝馬町交差点を越えると、いつの間にか千代田区岩本町になります。人形町通りの中央区と千代田区の区境にありました。「竜閑川(りゅうかんがわ)」という堀割りに架かっていました。
小伝馬町交差点より岩本町に向かって200メートルくらいの場所。

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べったら市 明治24年10月②

2006年07月23日 | べったら市
明治24年10月20日国民新聞
昨夜は例のべったら市にて午前9時頃より日本橋通旅篭町大伝馬町通りは両側とも諸商人露店を出す支度に一時は頗る混雑した。今年は浅漬大根の出来がよく一本2銭ころから4銭位である。(最も午前相場)大伝馬2町、2丁目横町は一帯に植木屋が鉢植えの菊を持ち出だし飾りつけていたが今年の菊は出来がよろしく花の付が遅く色数も黄色が多く、白・赤・紅の種類が少し、又花の付きが遅く一般に10日遅れと言う。

沢庵の大下落
昨年は野菜値の不出来により沢庵大根の相場は暴騰し1樽1円10銭まで上がったのが本年は野菜値の大安値によって、ようやく下落し沢庵は1樽34銭くらいである。
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べったら市 大正12年10月

2006年07月22日 | べったら市
大正12年10月18日報知新聞の広告より

漬物・味噌・食料品
営業開始謹告
今回の大震災に際し懇切なるお見舞いを頂き深くお礼申し上げます。店舗・倉庫その他ことごとく類焼いたしましたが幸いにも店員・家族一同無事ににつき御安心ください。就いては営業品もようやく整いにつき、来る10月18日に旧店舗跡仮営業所を設け注文に応じる用意いたしておりますので何分旧来と同様のお引き立てのほどよろしく願います。
      小田原屋
      日本橋区室町1丁目

大正12年9月1日関東大震災おこる。
漬物の本「四季漬物塩加減」の小田原屋の営業再開の案内
小田原屋主人 天保7年(1836) 江戸時代の漬物の作り方 を記した書。小田原屋は江戸の漬物屋である。震災のあと一月半の日時でべったら市の開催はあったのだろうか。
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べったら市 明治28年10月

2006年07月21日 | べったら市
明治28年10月16日都新聞
恵比寿神社の祭典
日本橋区瀬戸物町福徳神社内にある恵比寿神社にては来る19・20日例祭を執行し、両日とも神楽その他余興ある由なれば19日は例のべったら市となれば参詣方々さだめし人出が多いだろう。

20日のべったら市の記事がない。

1895年(明治28年)4月 日清講和条約調印
台湾を領有、日本軍が台湾全土を制圧したのは10月。台湾経営の柱として製糖業を振興。べったら市のダイコンに加えた甘味に台湾砂糖の影響がでてくる。
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べったら市 大正11年10月

2006年07月20日 | べったら市
大正11年10月17日東京毎日新聞
べったら市
19日は東京の年中行事の一つである「べったら市」であるが所轄の堀留署では久松・新場橋の両署応援を受けて中隊を編成し小伝馬上町祖師堂に中隊本部を置き堀留署署長は中隊長となりその警戒をなすという。相場は大根の作柄が良いのと材料が下がっているので昨年より2割方安いとのことである。大伝馬町の恵比寿神社では例によって福守・福財布を出すことになっているから当日は非常に賑わうだろう。

 堀留署は戦後久松署・新場橋署と統合し日本橋署となり、更に警視庁久松署となり、現在に至る。新場橋は何処だか不明。
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べったら市 大正9年10月

2006年07月19日 | べったら市
大正9年10月20日都新聞
べったら市の昨年より上景気
年の市の最初という日本橋のべったら市は例のとおり19日開かれたが、午後より夜にかけて中々の人出にて各電柱には恵比寿神社の方向を示す張り札し、恵比寿の宮には吉例により小判入り福財布2000袋、開運守り2000を出した。午後9時頃にはすべて品切れとなった。店に並べた浅漬屋、縁起物や植木や等は何れも相当の売れ行きで去年より上景気の様である。

大正9年全国的に不景気で特に農村が困窮する。苦しい時の神頼み。
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べったら市 大正8年10月

2006年07月18日 | べったら市
大正8年10月19日都新聞
今日は年中行事のべったら市にて通旅篭町、通油、大伝馬、小伝馬上町、鉄砲、小伝馬、田所、堀留の各町一帯で賑わうであろう。昨夜から縁日商人は地割りを始め,浅漬店600軒,植木や120軒宮師150軒雑物その他130軒,合計1000軒。堀留・久松・新場橋両署は応援を求めて警戒し、今夜6時からこの区域内の車両の通行を禁止した。恵比寿神社にては福守と福財布を出すようである。

大正8年10月20日都新聞
べったら市 浅漬は上出来
もうべったら市が来た。例によって大伝馬小伝馬両町から鉄砲町にかけて露天商とそれに集まる人通りはおびただしい。とりわけ夜8時頃までは幾たび電車の運転を停止したかもしれない。交通整理は提灯を振り回す巡査の声,それ安いの高いのは12階だと客を呼びとめる浅漬屋の声、浅漬を買い込んでソレツクヨーと人波を掻き分けていく。酔っ払いの声、何もかにも入り交じって景気の好いこと一通りならず、とりわけ大伝馬町通の浅漬の店と梅花亭の切山椒とかほとんど動かない混雑。浅漬を付けられて“キャッキャッ”と叫ぶ芸者の声など物々しい。吉例の神棚屋の数の減ったこと浅漬屋の中に洋風の看板を掲げて流行の「大廉売」と言う言葉を大書した店のあること、焼栗屋の中に甘栗屋も混じったことなどを除けば全く江戸の昔をそのままのべったら市で新高野山の境内の中には芝居、絵話しや、金目鳥という見世物などわずかの木戸銭で客を呼んでいるなど古風なのさえあるポワンポワンと本釣りを打ち込みながら中音で声色を使う絵話しやのヨロズ怪しんで血相を変えた巡査が飛び込んで来るなどと今の世のべったら市にふさわしい光景であった。浅漬大根の出来はよいらしく小ぶりが物2本20銭が言い値で1本20銭ならば快く手を打っていた。
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べったら市 大正7年10月

2006年07月17日 | べったら市
大正7年10月20日朝日新聞
べったら市 昨夜の賑わい
昨夜のべったら市は久しぶりの晴天でことに夜に入って月の好い上に土曜日を持込んだので日本橋の人形町と小伝馬町を中心に左右の各町は非常の人出で10時ごろまで大いに賑わった。浅漬の相場は小1本10銭、大1本30銭内外で「大分高値のウワサであったが、夕べの相場は昨年と変わらなかった。

大正7年10月19日都新聞
大根は練馬が本場で中野街道から来る5本一把の上物28銭位、並物は15銭から16銭だが現在出回るのはワセで本当に味わうのはまだ5寸~6寸で畑の中にあるだから大根を味わうのはこれからだ。

ワセとはみの早生大根のこと。

大正7年10月20日都新聞
昨夜のべったら市は上景気
昨夜のべったら市はけ近年にはない人出であった。大伝馬町一帯は浅漬屋を筆頭に縁起物、雑貨の商人は両側に店を出し、若い衆は向こう鉢巻で「サアサア漬いたところを冷やかしてください。」名物の浅漬大根は例年に比べ5割方高かったが売れ行きも良く四方(商店)は30樽売り尽くし,梅花亭の切山椒は夜8時から9時には売り切れの札を貼り出した。夜8時から9時頃が人出の絶頂でもみ合うほど混雑し例年のとおり事故は1件もなく夜更けるまで賑わったが恵比寿神社でも開運の守りと福財布などを出していたが新道ため存外さびしかった。今夜は恵比寿講である。 
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