年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

アサクサノリ

2008年12月31日 | 福神漬
アサクサノリ
慶應元年の記録には浅草のりの店として『酒好』『酒悦』『酒袋』の三軒が見える。江戸時代には沢庵漬のように高僧により食物の名が命名される伝承(隠元・隠元豆)があるが、浅草海苔も精進物として寺院に献上され、上野寛永寺を創った天海僧正により命名されたとする伝承もある。
 江戸時代の旅の土産は徒歩であったため軽いものが好まれた。したがって江戸土産で野菜の種子等が地方に散っていった。アサクサノリもその中の一つだったのだろう。
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電車の吊り広告

2008年12月30日 | 福神漬
電車の吊り広告
電車の吊り広告を眺めていたら、吉村昭著『 彰義隊』の広告に戊辰戦争でたった一人朝敵となった皇族がいたとあった。上野寛永寺の輪王寺宮のことだが、一日で終わった戦争のためあまり知られておらず、地元の人でも落ち武者の話しか知られていないだろう。
 上野の戦争の時。寛永寺の管主は輪王寺宮で元皇族でもあった。僧籍であったが最後の将軍が江戸城を出て寛永寺で謹慎することから彼の人生が変ってしまった。
 西軍(京都方)の理不尽な要求に対して抵抗をしようとした武士が彰義隊を結成し、最初は寛永寺での将軍警護と言う目的から江戸市中警護と言う仕事に変化し、西軍と衝突しさらに水戸に将軍が移動すると、寛永寺守護が目的となってしまった。
 福神漬の創られる以前の歴史が福神漬の歴史の前提となっていて、彰義隊の歴史がなければ多分福神漬はその名称はなく単なる七目醤油漬とかの名前になっただろう。
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最後の日曜日は築地は開市

2008年12月29日 | 築地市場にて
最後の日曜日は築地は開市
例年最終の日曜日は大体開市ですがいつも大掃除の予定です。でも場外市場を除くと静かで一日が終わるのです。止めのせりが終わって後は配送して終わる。大波乱の平成20年は歴史の一ページに必ず書きこむことになるだろう。
 偽装の食品も漬物業界においては既に先行していた結果大過なく終わりそうである。これからは消費者と報道関係に正確な情報を提供しないと、矛盾したことが生じる。国産食品の自給率を上げるにはその生産者の生活が成り立たないような価格では継続しない。
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将軍家御典医の娘が語る江戸の面影2 安藤優一郎著を読む

2008年12月28日 | 福神漬
将軍家御典医の娘が語る江戸の面影2 安藤優一郎著を読む
明治の御一新後徳川場幕府の体制に属していた人達は転職することとなる。明治政府に行く者もあったが多くは転職に失敗して苦難の人生となった。
 桂川家に出入りしていた柳河春三、福沢諭吉等の人々がいた。柳川春三は『中外新聞』という日本人による最初の新聞を発行した。『中外新聞』の成功で次々と模倣した新聞が発行された。
リーマンの破綻から急速に失業問題が広がっていますが明治になって徳川の家臣は静岡に行った人達以外は仕事を変えねばなりませんでした。また静岡に行った人も人数が多く食うにも困る状態だった。しかし沼津兵学校の卒業生などは後に明治政府で活躍しました。
江戸に残った旧幕府の知識人は新政府に入ったり、商売を始めたりしたが、特に浅草周辺に集まった人達は反新政府の人達が多かった。そのような人達が新聞を発行し、左幕的論調で明治新政府(薩長で支配されている)を批判していてしばしば発行禁止となったいた。福神漬の名前を付けた戯作者梅亭金鵞は後に團團珍聞の主筆として活躍し政府を風刺していた。
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築地市場の人手不足

2008年12月27日 | 築地市場にて
築地市場の人手不足
今派遣切が酷いようですが市場の人達と話していると結構派遣会社から人が来ているようだが長い経験を要する部門には使えないと言う。年明けから社員採用の面接が始まるのだがどうも新聞報道とは無縁の築地市場のような気がする。夜中と言うより早朝から肉体労働をするのは今の若い人は苦手のようである。
 市場で働くと言うことはある程度市場と言う仕組みが好きにならないとやってゆけない。この辺が面接のポイントとなる。
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築地場外市場散歩

2008年12月26日 | 築地市場にて
築地場外市場散歩
わけあって築地市場場外市場に誤配した商品を配達することとなった。当然大混雑なので歩いて配達となる。毎年のことだがこの時期は代替えの効かない商材が多く誤配すると手当てが利かず、急いで処理することとなる。特に正月用品は年末過ぎるとゴミとなる。クレーム処理が終わると一年が終わる。ここで失敗すると楽しい正月にならず、年明けから残務処理となる。
急ぐ顧客は忘れ物や落し物がおおく場内放送で案内が多いのもこの時期の恒例でもある。
 一年がもうじき終わる。
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正月の始まり

2008年12月25日 | 築地市場にて
正月の始まり
青果別館に松飾が付いて正月気分がでてくる。いよいよクリスマスが終わって懐かしい三浦大根が25日のセリに出て、群馬の干し大根がやって来るとようやく年末気分となるのだが、今年の12月は異常に雨が多くよい大根が干す環境にはないのだろうか。
 場外市場の混雑も以前より買い物する人達が少なく、ただ見に来てまた買う量も少ない。新しい不況は恒常的な普況となるのだろうか。
 築地の大渋滞が懐かしい。
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築地のラストラン

2008年12月24日 | 築地市場にて
築地のラストラン
21日は久しぶりの大混雑。昔の渋滞は半端でなく桜田門の警視庁付近まで繋がったもので東京中心部の渋滞の先頭は築地4丁目交差点であった。いつも交通安全運動で築地警察が他の警察から怒られていると言っていた。
 築地市場の地位の低下で年々混雑が減り仕事が順調に行くのはさびしい。貧すれば鈍する。何か気概が薄れて安ければ何してもよいという傾向がある。
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皐月晴上野朝風 26ー2

2008年12月23日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 26ー2
まとめ

 新富座で上演された皐月晴上野朝風は五代目菊五郎の興行宣伝の活躍で成功したが演劇改良と西洋の芝居に関する合理的な考えが浸透し歌舞伎役者が悩んでいた時期でもあった。中途半端となったこの芝居は結局七幕目の第三回内国博覧会の場がもし上演されていたならば当時現存していた関係者はどのように思っていたのだろうか。第十二代市川團十郎の本『團十郎の歌舞伎案内』によると歌舞伎とは『その時代その時代のお客様の嗜好によって変化し、左右されて発展してきた庶民の芸能』という。劇聖といわれ明治時代に活躍した九代目市川團十郎の悩みも尽きなかった時だった。
 寛永寺の輪王寺宮や榎本武揚もお忍びで新富座にて見物したようで当時のことを思い出して涙を流したと言う。事実による芝居の筋書きはどこかで省略しなければ時間に収まらず竹柴其水の苦労は大変だっただろう。
 浅草に住んでいた戯作者等の文化人が新富座のある銀座に移行していく時期でもあった。特に銀座に集中した新聞会社は庶民の読者を獲得するため定期購読を条件として劇場無料招待などをしていた。
 都新聞(今の東京新聞の前身・遊郭・歌舞伎・芸能情報に強い)は5月22日の初日興行を買い切り読者に提供したと言う。
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皐月晴上野朝風 26

2008年12月22日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 26
まとめ
内田魯庵によると浅草は薩長によって代表される維新の江戸文化破壊が最も遅れて及んだのが浅草であったという。その浅草も新富座が出来、上野の駅が明治16年に開業すると次第に文明開化の影響が現れた。
 明治23年は彰義隊23回忌と第三回内国博覧会が上野公園で開かれると、その見物客を当て込み竹柴其水と五代目菊五郎は上野戦争を上演することとなった。しかし現存する当事者のためと演劇改良運動の影響で事実に沿っての芝居となって冗長の感があった。しかし当時の状況を知っている下谷の人々には懐旧の情を呼び起こし成功であった。
 下谷の特に上野山下の人々がこの歌舞伎を見に行った時、当然池之端の酒悦主人は見物に行ったと思われる。維新以前には上野山下には香煎を商う店が三軒あったが上野戦争で寛永寺がさびれ、上野公園として人々が戻ってくるまで苦難の年月であった。このような時新しい味の開発を明治10年頃からはじめ福神漬となった。
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皐月晴上野朝風 25

2008年12月21日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 25
懐旧の情
明治23年5月30日東京朝日新聞 劇評から
この朝日新聞の劇評をしていた竹の舎主人とは根岸党の饗庭篁村(あえば こうそん)です。根岸党は下谷根岸に集まった不思議な文化集団で根岸を中心に活動していた。根岸党は、文学的な一派というよりは、むしろ、文人たちによる「サロン」という趣が強かったといわれる。福神漬の引札を刷っていた鶯亭金升は紹介者として関係していた。根岸党の人達は歌舞伎関係に詳しかったという。『敗者』の精神史山口昌男著486頁から489頁

上野戦争から23年も経ってようやく語られるようになったのか『劇評』として当時の江戸市民の話が出てくる。しかし劇評は饗庭篁村の事件への想いのように思える。
『(菊五郎)上野のご恩を深く想い官軍嫌いの様子は上手いものだ。評者が知っている髪結いもその頃は無類の上野方にて戦争が夜に入ったならば官軍を襲おうと密かに竹やりを隠して同志と共に死を決して夜を来るのを待っていた。下谷辺のあたりの人は自然にこのような気分であった。』


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琳琅閣書店

2008年12月20日 | 福神漬
琳琅閣書店
内田魯庵の『下谷広小路』に了応禅師が造った不忍経堂という図書館があったことと東叡山で学ぶ学僧のためか、池之端周辺には江戸時代から本を扱う店が集まっていた。
明治になって錦袋円という薬を販売していた勧学屋が販売不振となり、仲町の守田宝丹が買収したが仲町11番地に店舗があった初代の琳琅閣書店主人が仲町22番地の勧学屋の店舗を守田から買ったという。
『紙魚の昔がたり 明治大正編 反町茂雄著』140頁
 江戸名所図会にも出ているくらいの家で間口6間奥行き5間のある土蔵つくりの大きな家で書物だけでなく古道具・書画・骨董も置いてあったので、毎日のように来る顧客の情報交換や品定めの会のような雰囲気となって『琳琅閣講中』と言われていたようです。

内田魯庵は了応禅師の造った勧学屋の店舗の跡地を買収した初代琳琅閣書店主人が
バイブルの本を販売していたので面白いと書いてありました。
 この時期に了応禅師の野菜の残り物のくずで作った漬物はあったのだろうか。秋田のほうではこれが福神漬の元祖と言う。

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大刀豆(おおなたまめ)

2008年12月19日 | 福神漬
大刀豆(おおなたまめ)
過日池袋にある豊島区郷土資料館に行ってきました。
一粒入魂―日本の農業をささえた種子屋
豊島区巣鴨から北区滝野川にかけてはかって20軒以上の種子屋が集まり、日本全国に野菜の種を出荷していました。
その中にあった資料
明治15年 
東京郡村実験播種季節一覧
第日本農会報告第七巻 付録
大刀豆 五月中旬
畑に株まき

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皐月晴上野朝風 24

2008年12月18日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 24
料亭 大茂
はっきりと思い出せないが台東区中央図書館の郷土資料の本の中で『大茂』の女主人は明治の三大女将と言われていて『横浜富貴楼のお倉』『築地新喜楽の伊藤きん』『大茂』という。『大茂』は近所に住んでいた三菱の岩崎氏の贔屓を受け繁盛したと言う。ここでようやく福神漬の池之端と三菱グループとの接点がまた現れた。
皐月晴上野朝風を下谷の人々が団体で見物したが明治維新後静岡に移住した人達も上野博覧会を見るついでにこの芝居を観ている。


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内田魯庵から

2008年12月17日 | 福神漬
内田魯庵から
福神漬の歴史をたどっているうちに今上野池之端周辺で起こった歴史の中に入ってしまった。『敗者』ともいえる彰義隊とその動きを見ていた江戸市民の想いが福神漬の中に密かに加わっている気がする。
 いま『内田魯庵山脈』山口昌男著から『敗者』の本を読み始めている。福神漬創製者『酒悦』主人が山岡鉄舟や五代目菊五郎と交流があったという言い伝えの必要性がここに出てくる。
 福神漬の中身に御一新の時期の敗者の痕跡が入って来るような気がする。例えば初期の福神漬には徳川のご紋と似ている( きゅうり)が原材料として入っていなく(瓜)が入っていた。
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