年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大晦日

2015年12月31日 | 築地市場にて

 

天気を眺める。一応晴れ。ただ朝の天気を見ていると千葉で小雨があったようだ。露天に積んである荷物の移動を考える。

 最後の築地市場の年末で前日恒例の違法ゴミ搬入チェックも豊洲ではあるのだろうかと考えつつ、帰宅した。明日から築地の終わりの始まると感じるのか豊洲移転の始まりと感じるのだろうか。

 日韓外相会談の反応が韓国ではまだ纏らないと感じる報道だ。日本では正月になるので報道が消える感じだ。日本と韓国の政府が必死にマトメようとしている感じがする。時間というもので心の傷を治すしかないと感じる。でも日本と韓国のキムチの売り方はそこまで待てないだろう。

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年明けのキムチの販売企画で判る日韓合意

2015年12月30日 | キムチ

 

無理に年内解決と決めた日韓政治家の協定は双方の国民の判断がこれから始まる。ことにキムチの販売企画がどれだけ決まり、韓国産キムチが売れるかできまる。どんな政府の口約束があっても、金を出して韓国産商品を日本国民が購入するかは個人の判断となる。

 漬物が政治や歴史に左右されるということもあることをここ10年の調べもので知った。

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年末の止めセリ

2015年12月29日 | 築地市場にて

 

築地市場での最後の年末セリの日となる。明日は在庫整理。やっと築地の年末が終わる。豊洲市場の新築工事も今は内装の方が多いようで工事クレ-ンもずいぶん少なくなった。

 引越しの年に向かって無事に今年は終わりそうだ。

週間予報では1月4日までずっと晴れの予報となっている。明日からカラスと猫の築地となる。

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色々な問題が処理されて

2015年12月28日 | 築地市場にて

 

今日明日で年内の仕事は終わる。すでに年明けの手配となる。積み残した課題のめどもつきそうだ。東京都が築地市場の残骸処理費用を負担するという報道があった。

 全てが片付く年末が終わる。

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何処の祭りか

2015年12月27日 | 築地市場にて

 

築地4丁目の交差点の雑踏は何処で祭りがあるのかと思うくらいだ。今日もまた混むだろう。暮れの築地の風景も今年と来年は異なる。どうなるかわからないが豊洲は消費者向けの施設建設の見込みが立っていないので静かな豊洲となる予感がする。仕事としては楽だが正月気分が削がれる気がする。やはり暮れは混乱がなければ寂しい。ただ事故はなくしたい。

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本物の三浦大根が入荷して

2015年12月26日 | 築地市場にて

 

本物の三浦大根が入荷して、足と比較したらヒト騒動となる。暮れの行事も日程の予定で進行中。場外市場の建設工事も順調のようだ。普段は夕方6時になれば寿司屋を除いて閑散とする場外市場も暮れは遅くまで混んでいる。この風景が来年なるとどう変化するか誰も想像できない。浅草のような観光地になる気がする。観光客はカオスを好むから。

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冬は寒くないと

2015年12月25日 | 築地市場にて

 

暖冬の冬で比較的12月としては雨が多い。でも週間予報ではこれから雨がなさそうだ。今日もまた暮れの忙しさが続く。

荷物整理で江戸川へ行く予定をしていたが行かないで済みそうだ。晴れに感謝。満月とか月見の余裕なし。

 

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和食を扱う身から

2015年12月24日 | 築地市場にて

 

和食はクリスマスには割りと縁がないので、もっとも忘年会が同時期にあるので区別されないから在庫管理的には意識しない。しかし25日から始まる正月用食品と年明けの準備で24日から忙しくなる。何とか無事に24日が終わりそう。外部の暇な証券会社からの電話も築地が今一番忙しい時を知っていて電話したのか尋ねる。そんな得意先の都合を研究もしていない不勉強なところは次からシカトすることになる。

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パスワ-ドの後遺症

2015年12月23日 | 築地市場にて

 

月曜日にパスワ-ドを忘れたため銀行に手続きに行ってから仕事が遅れ、さらに来てほしくない年末の挨拶とやらでまた遅れる。この数日の無事故が楽しい正月となる。もしここで事故が起これば不幸な年明けの始まりとなる。

 年末年始の借り出した本は佐久間象山の本だけとなりそうだ。今晩雨と言う。週間予報で年内最後の雨となりそうだ。

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記憶喪失

2015年12月22日 | 築地市場にて

銀行口座のパスワ-ドは長いのにもかかわらず、書いておくこともなく記憶していたが22日ついに記憶喪失でパスワ-ドロックがかかった。銀行での空白の二時間で暇な一日がバタバタの一日となった。今日もその後遺症でバタバタになりそうだ。あと一週間、何処に予期せぬミスがあるのだろうか。

  佐久間象山の評伝を読み始めた。積極開国派だったことを感じる。当然テロの対象になる。本人は自覚していなかったのだろうか。

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築地市場での最後の松飾

2015年12月21日 | 築地市場にて

 

 

年末を表わす松飾りが青果本館に飾られた。もうこの風景も見納めとなる。年明けは4日まで休みなのでいつもすぐ撤去されたいう印象が強い。豊洲の正門にも松飾が付くだろうが正門が多数あるので何処につくのだろう。場外市場も年末の風景となってオセチの品を書いたものもつるす季節となった。

 場外市場の新設工事もかなり進んで築地市場が豊洲へ引っ越す前に完成しそうだ。

 

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東京新大橋雨中図から

2015年12月20日 | 築地市場にて

最近亡くなった作家の本を集中的に読む。東京新大橋雨中図 杉本章子著 小林清親の明治15年頃までの小説だった。福神漬の資料調査で漏れた記述があったので事実確認する必要があるだろう。小説だからと言って全部ウソを書くこともないだろう。一部が事実でなければ評伝もどき小説とならない。

 北白川親王が第二回内国勧業博覧会で賞を得た河鍋暁斎の所で出てくる。事実なのだろうか。この件でまた西川口の河鍋暁斎美術館へ行く必要がある。まだ文献が出てこないが梅亭金鵞は暁斎画談を書いているし、どのような付き合いだったのだろうか。小林清親と暁斎との関係は本当はどの様な関係だったのだろうか。少なくとも完全な弟子と書いている本は見当たらない。かといって無視もしていないようだ。暁斎・コンドル・本田錦吉郎・團團社・井上安治等の名前が出てくる。それと印刷技術の進歩で浮世絵版画が衰退していったことが書いてあった。福神漬の資料調査で同様のことがあった。ただし絵画と違って絵草子屋が増えた次期で一時的に戯作者への需要があった。

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築地市場・最期の話

2015年12月19日 | 築地市場にて

 

回覧で東京都の中央卸売市場の広報が最後となる平成28年初セリを動画で記録するという。築地での最後となる止めセリまでももう10日程しかない。年末の物量増加で最後の混乱を無事終わらせようと頑張っている。

来年末はこんなことも思い出となるに違いない。

「昔の築地は情緒があって良かった」と年寄りの愚痴が聞こえるだろう。IT化で数字によって追われる豊洲となりそうだ。

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作家が亡くなって

2015年12月18日 | 福神漬

 

ある作家が亡くなって、小林清親を描いた作品で賞をとったという。このことを知り、最後の引用資料を探るため借り出すことにする。

昼過ぎ図書館へ行ったら杉本章子著(東京新大橋雨中図)が届いていた。期待していた團團珍聞の所が最後の所で出てきた。明治の15年頃までの話となっている。まだまだ小林にはその後の波乱人生があったのに惜しい人を亡くしてしまった。

 小林清親は福島事件の浮世絵頒布事件に参加している。彼が花香恭次郎を事件以前から知っていたのではないのだろうか。

 戸田欽堂と原胤昭はキリスト教で繋がっている。戸田と長井家は大垣戸田藩と黒船来航時の関係から明治になっても繋がっていると感じる。維新後失業した元幕臣長井昌言を工部省鉄道局に世話したのが高島嘉右衛門と思われる。嘉右衛門の姉が大垣戸田家に側室として戸田欽堂を生んだ。明治5年鉄道開業時花香恭次郎が横浜に行ったのも長井の指図と思われる。また花香は銀座の公益問答新聞に新聞記者となれたのも二本松藩(県)公用人の服部誠一が社主だった縁だろう。

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豊洲移転の高揚を冷やす冷気かな

2015年12月17日 | 宅老のグチ

 

昨日の報道によると豊洲市場の使用料が最大4割ほど上がるという。理由は冷気による室温管理費用を上乗せするという。青果は25度設定なので、一年の大部分は冷気の必要性が感じられない。それなのに青果と同じ使用料を取ると言う。納得が行かない。

 和食文化は日本橋・京橋大根河岸・築地から自負する身としては理不尽な使用料の設定が新食文化発生地をさびれさせる原因となるかもしれない。

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