年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場記念碑計画

2012年03月31日 | 築地市場にて
京橋のたもとに京橋大根河岸記念碑がある。銀座の隣の数寄屋橋にも記念碑がある。日本橋にも魚河岸の記念碑がある。築地市場が移転する時期が決まり、それぞれの場内業者が豊州へゆくかどうか決断する時期となってきた。しかし今密かな計画が始まっている。今まで築地市場で頑張ってきた業者から金を集め、築地市場の跡地に記念碑をつくろうという話が出ている。豊洲へ事情があって行けない業者のために壮大な墓石とも言える記念碑かもしれない。
築地場外市場が盛業している限り、大江戸線築地市場駅は「元築地市場駅」とか「朝日新聞前」とかに改名されないだろう。
 
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節目の日

2012年03月30日 | 築地市場にて
お金の年度末の日。東京都の24年度予算が可決して、築地市場移転に伴う予算も可決された。3年後今頃には豊洲で業務を行なっている事となる。これまでの紆余曲折の過程が次の段階に向かって豊洲へ行くか行かないか決断を迫られる1年となる。かなり東京都の交渉が進んでいる青果部は焦りはないが東京都の都合でかなり急ピッチに施設の内容の決断を迫られている。まして移転はないとしていた水産仲卸の準備状況を聞くと良い施設案ができるかが心配である。青果部の個別の店舗の創意工夫は東京都の人も驚いていて、水産部においても仲卸独自の創意工夫はあるので新しい施設に反映されないと使いにくい豊洲市場となるだろう。
 まだまだ今後の展開は予測不能だが建設工事だけが急速に進むだろう。新聞紙上では跡地利用の問題を書いてあったが都心の最後とも言える纏まった土地は高くなって、市場の使用料に反映してほしい。
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竹の子

2012年03月29日 | 築地市場にて
春の竹の子の試し掘りだと思うが千葉県で掘った竹の子から150ベクレル程の放射能が検出されたと東京都の食品安全連絡網から情報が入った。まだ3月は500ベクレル以下ということで回収ということにはならないが販売時期が4月となれば100ベクレル以下の基準ということに抵触し回収となる。
 この事実から4月に入るとかなりの食品が新基準オーバーということで回収となるのだろうか。不安である。食料自給率が40%の日本で様々な食品を食べている現状では大人はそれほど心配しなくても良い気がする。ただ選択の余地のない水とか空気とかが汚染されていると心配である。
 竹の子のセシウムは地下に入った放射能が蓄積した結果だがこれからは問題となる気がする。
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豊洲移転は運命かも

2012年03月28日 | 築地市場にて
もし歴史の神様がいたら築地市場の移転問題はちょっとしたイタズラかもしれない。戦前開設した築地市場はその商流・物流の面から戦後早くから建て替えの問題が認識されていた。最初は羽田空港隣地の埋め立て地に移転する予定だったが都心の零細業者等の反対でJR秋葉原駅前にあった青果だけが大田に移転した。
 大田市場が出来た後、築地市場は建て替えとなり、計画も出来、一部工事も始まったが東京都の財政が厳しくなった時中断した。この工事中断の遺跡は隅田川に架かる勝鬨橋上から良く見える。隅田川の桟橋に屋根のように見える築地市場の施設がある。ここは車が入る事が出来ない駐車場予定地となり、松竹映画『築地魚河岸三代目』のロケ地として使用された。
 現築地市場が立体市場になる計画が挫折したのは営業を継続しつつ工事を行うことが市場内部の業者の理解が得る事が出来なかった。つまり最初に完成した区画に入る業者と古い施設を使っている人の話し合いが出来なかったためである。複数の店舗を所有している業者が圧倒的に有利となる。新旧のどちらの施設に顧客が来ても対応できるし人員の配置転換も容易となる。しかし単独店舗ではくじ運任せとなる。通常の工事と違って、江戸時代の遺跡『浴恩園」、米軍ランドリ―の汚染調査、アスベスト除去工事等が予想され、1工程が終わって次の工程に入るまで時間がかかる事が予想される。人の来ない所に店舗があると長期間売上が減り、従業員と買い回りに不便となった得意先が盛業している店舗に移動することが予想される。昔と違って築地市場内で場内リクルートが不景気とあって盛んである。また雇う人から見ると即戦力となり深夜労働や休日の少ない事から仕事を辞める事が少ない。
 このような理由もあって築地市場再建案が一時今のシオサイト(旧汐留貨物駅)に一時移転して建て替えを行うことが検討されたが国鉄清算事業団と賃料の問題で決裂し、一時汐留移転案がとん挫した。ここでようやく築地市場の再建を考えていた人達が近隣に移転することで市場関係者の理解が得られると決断し、東京ガスの豊洲工場跡地に目を付けた。ところが近さのみを優先したため、恐ろしい毒まみれの土地だったことは気にしていなかった。
 この毒が入っている事を豊洲移転反対派が強調したため築地移転問題は混乱した。今汚染除去工事がおこなわれ、汚染が無くなれば着工となる。汚染が無くなる事はゼロという意味ではない。豊洲新市場で働く人達の健康を害する汚染が少なくなるという意味である。
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築地で桜見物

2012年03月27日 | 築地市場にて
今年の中々咲かない桜を見ました。いつもならガンセンター病院の桜が一番目立っていて、点滴液をつるした患者が桜の下に立っている事が印象に残っています。見おさめの桜と感じたのは私だけでしょうか。朝日新聞の隣で国土交通省(海図を作っていた)のビルが解体工事に入りそうです。築地近辺には様々な工事が始まっていて日々気色が変化してゆきます。早咲きの桜は千代橋公園にあります。
築地市場の中でも水産部プラットフォーム沿いにヒサシの新築が完成しそうです。これで水産部の人達が年末に工事着工でも反対をしなかった理由が解りました。浜離宮の前の道路のかさ上げ工事もようやく終わったようで1M近く高くなった気がします。この下に首都高速と新大橋通りの間に環状2号線が通ります。
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三月最終週

2012年03月26日 | 築地市場にて
三月最終週
まだ寒い。今週末に築地市場のガソリンターレーの給油を引き受けていたガソリンスタンドが廃業する。隣のスタンドで来月から給油することで決着。3月末は築地の中でどれだけ将来に見切りをつけて廃業が出るのだろうか。すでに水産仲卸がバブル期に1,400以上あったのが700を割りそうである。
 月島まで出かける。帰途勝鬨橋たもとにある月島第二小学校の所に桜と思える木が花盛り。遅い春も着実にやって来ている。
築地市場内の寿司屋の行列も震災以前のような長さになってきた。気分は春。歌舞伎座もだいぶ高くまで出来てもう十階は超えただろうか。バタバタした3月。ついに新橋演舞場での上演中の佐倉義民伝を見る事が出来なかった。
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海鮮系レストラン

2012年03月25日 | 築地市場にて
築地市場が豊洲に移転すると後の築地場外市場はどうなるのかと聞かれた。個人業者の多い場外はある程度残るが関西などの業者が賃料の安くなった東京で海鮮系のレストランの進出加速があるだろう。狭い店舗は少ない資金力で開店できる。中央区月島が(もんじゃ)の店舗が多くなったのも比較的賃料が安かったこともある。築地場外にたこ焼き屋があった。『銀だこ』という名前であったが築地に店舗を構えたとたん『築地銀だこ』とのぼり旗の名称が変わった。豊洲へ移転しても海鮮系なら築地ブランドが残っている気がする。
 地中海レストラン、海鮮をメインにしたイタリヤ料理店などが増えるだろう。すでに寿司屋は飽和状態なので進出余地はチェーン店しかない。
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100ベクレル

2012年03月24日 | 築地市場にて
4月1日より、残留放射能の出荷制限数値が漬物は100ベクレル以下の部分となった。放射能検知器の知識のない人が1万円程度からあるから簡単といっていたが講習を受けた私はゲルマニウム半導体検出器(1台数千万円)を使用しないと正確な数値は出ないと教えた。東京都は簡易な検知器で(1台300万円から500万円程)で計測し、怪しい放射能数値の高い検体のみをゲルマニュ-ム半導体検知器を使うという。このGE検知器は維持管理に液体窒素を週1回程補充しなければならないという。他の検知器だと放射能を検知していても、自然界にある放射能とセシウム137から出ている放射能と区別がつかないという。
 100ベクレルという数値は気休めの数値でこれより多く出ても少なく出ても安心は得られない。因果関係が証明しにくい数値とも言える。築地市場であった放射能に関する講習会では受動喫煙の方が500ベクレルの放射能食品を食べるより発ガンの可能性が高いという。
 多分4月からお茶とか干しシイタケ等の乾燥した食品の数値は下がり(水に戻した状態で計る)規制から外れるだろう。
外食産業から、放射能の検査を要求されているが、1万円から200万円程度の放射能検知器で計測しても安全の証明にはならない。年々放射能の数値が下がるので、あと数年後には大部分の検査機器は邪魔な施設装備となるのは確実である。残るのは食物循環で放射能が蓄積する食品となる。
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産業革命の波

2012年03月23日 | 築地市場にて
極東の日本に産業革命の余波が届いたのが黒船来航であった。機械力というものが文献でなく実物として見えたのが浦賀だった。幕府によって大型船は建造制限されていて、黒船は巨大で伊豆大島が移動したと思うくらいだった。
 帆船の時代は伝染病でも日本にやって来るまで時間がかかった。エジプトから世界に蔓延したというコレラが本格的に日本に入ったのが黒船来航以後である。高速船で日本にやって来るので以前は船内で発病していたが開国後日本に上陸した後発病するようになり、日本各地に病原菌をまき散らし大流行となった。夏季にはしばしばコレラが流行し秋になると終息する病気だった。
今の日本でコレラで死ぬことは少ないが明治時代は恐ろしい病気であった。
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17日の火事の原因

2012年03月22日 | 築地市場にて
タバコの不始末
3月17日の火事の原因は予想していたが東京都はタバコが原因と断定した。これで築地市場内での喫煙が厳しくなるだろう。
 豊洲新市場は閉鎖空間のなかで空調をするのでタバコ等は卸売、仲卸売場において禁止になるかどうかの検討中の時にこの様なタバコの不祥事では禁煙の方向に向かうしかない。豊洲市場の駐車場の中にあるトイレに設けられる喫煙所で吸うしかないだろう。現在の築地市場での喫煙も駐車場で吸うことはできないので豊洲新市場でも同様の規則となろう。監視カメラが多数設置されるので今より窮屈となるのは必至と思われる。
築地市場の度々あった火事で原因がはっきりした時は東京都はすぐ行動する。しかし、老朽化施設が原因と考えられる時はウヤムヤになっている事が多いようだ。これだけ火事が多いと築地市場内事業所は火災保険の加入率が100%だろう。
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3年後の今頃

2012年03月21日 | 築地市場にて
今の豊洲移転計画の進捗状況と建設業界のひまさ加減から東京都の計画のまま進むと予想する。3年後の今頃は豊洲新市場で慣れない市場環境で年度末の業務をこなしているだろう。
 食品経済環境は日々変化していて3年後と短そうに見えるが実際どの様に変化しているか不明で恐ろしい事でもある。チョット前の1月中頃は円高の事を騒いでいたか今84円程度になると円安によるガソリン高でゴールデンウィークの行楽の車の減少を心配している。多分1リッター160円程度にまで上がるだろう。
 来年の事を言うと鬼が笑うと言うが3年後ならば神様が笑うのだろうか。
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フェートン号事件から

2012年03月20日 | 福神漬
1805年、外国との交易港だった長崎に不審船がオランダ国旗を掲げて入港した。この行為はイギリス船が長崎の防備体制を偵察に来た目的だったという。
 18世紀末のフランス革命が極東の日本に影響を与えた事件だった。この事件は長崎奉行を切腹させ、長崎の通訳達にオランダ語以外のヨーロッパ言語を習得させる結果となった。さらにオランダから世界の情勢を報告させるようになった。幕府は異国船打払令を作り、浦賀に現れたモリソン号に砲撃を浴びせることとなった。モリソン号事件の海外の風説から蘭学者の弾圧となっていった。
日本に於いて英語を学ぶ必要が生じたのはフェートン号からというのが英語教育史の定説となっている。ようやく200年の歴史となる。しかしこの英語教育は海外の情報収集が目的で文書を解読することが主とした目的だったため、今の日本の英語教育が話せない英語教育となっている原点という人もいる。
 さて、浦賀にペリーがやってきた時、浦賀で通訳として活躍していた二人はオランダ語の通訳であった。今日ではこの二人も話題になることもなく消えつつある。

福神漬にまつわる話をどこから書き出そうかと考えたがフェートン号事件からが適当な気がする。フランス革命の余波が極東の日本にやってきたのが1805年となる。約50年後に黒船が浦賀にやってきた(1853)。
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去年の今頃

2012年03月19日 | 築地市場にて
遙か昔のようになってしまった去年の2月末。都知事の改選で立候補する人が後出しジャンケン状態になってしまって共産党の人しか立候補していなかったと思う。春節以後の混乱状態もようやく品物も安定して入荷していたと記憶する。築地場外も外国人観光客で混雑していた。 遙か昔のように思える。
 そして震災後どの様な展開になるか予測がつかず、原発情報が政府の報道が抑制気味だったのに反して外国人滞在者が日本から逃亡していった。日々の食品の安定供給に苦労していた時期だった。ガソリンが入るようになって商品の入荷が増えたが3月末の在庫は異常な量の在庫となってしまった。震災以前の製造日の商品を確保する必要性があった記憶がある。
ようやく築地市場内の大和寿司の行列の長さも元に戻ったように見えるが並んでいる人は日本人だけのような気がする。まだまだ築地は元には戻っていない。
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野次馬にならず

2012年03月18日 | 築地市場にて
築地市場で昨日火事があって、ちょうど青果部の人達の帰宅時間だったが、消防車をちらっと見ただけで、帰ってゆく。あまり頻繁に火事があるので、築地5-2-1も広いので延焼の恐れが無ければ、見に行く人もいない。この人のいない築地市場に消防車から火事現場に延々とホースを引いていたので、走る車がホースを乗り越えて走行していた。ホースのためには良くない行為だが土曜の午後は監視する人がいない。ひとり騒いでいたのは築地市場に近い日本テレビだった。ニュースの少ない土曜日はこの程度の小規模の火事でも放送される。
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築地市場でまた火事

2012年03月17日 | 築地市場にて
3時少し前から築地市場に消防自動車が集まって消火している。どうやら冷蔵庫3階が火事のようでまだ消火にはなっていない。いつも休市前か休市に火事となる。
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